恋はデスゲームの後で

 軽やかに部屋に入ってきた男性を見て、エステルは、獣のような唸り声を上げる。
「マティアス、どうして……!」
「貴女は、俺たちアラヤの者を絶対に信用しないからだ」
 カイのその言葉を、にわかには飲み込めなかったのか、エステルの眉間のしわがさらに深くなる。
「せっかく掴んだ儲け話に、貧民上がりの俺たちなど噛ませないだろうとわかっていた。情報だけ聞き出すつもりだったんだろうが、そこで貴女は、俺が思いのほか『甘ちゃん』だと知った。いや、そう思わせようとしていると、思った。評価を上げる好機ではあったが、さぞ警戒しただろうな」
 図星をつかれたのか、エステルは唇を噛みしめる。そこへ、マティアスが前に進み出た。
「そこで俺の出番だ。ちゃんと打算的で意地汚い話を持ちかけたら、あっさり俺の方を信じた。無欲よりも強欲を信じるところが、いかにも商人の娘だね」
「そんな、じゃあ……はじめから……?」
 カイは、ゆっくりと深く、頷いた。
「今、候補者の中で一番懐の温かい者は貴女だったからな。どうすれば気持ちよく財布を開いてくれるか、頭を捻ったよ」
「な……!」
「ああ、それと……『黒い金』についても、近々評価が取り消されるはずだ」
「な、何故!?」
 カイは回答の代わりに、ちらりと監視官を振り返った。
「東国の商人との契約書を確認したところ、責任者がカイ様であると認められたので」
「な……なんですって!? あれは商業ギルドに保管していたはずよ」
「ええ。ですが、カイ様の名前のものも発見され、件の商人に確認したところ、カイ様の方が正しいものだと証言しました。よって、黒胡椒交易に関する評価も、じきにカイ様に移されるでしょう」
「うそ……うそよ……」
 ふわふらと所在なく立っていたエステルが、ついにぺたんと床に崩れ落ちた。手を差し伸べようとしたカイが、そっと耳元に唇を寄せる。
「どうせ、王都の他の商人との契約を禁止したり、無茶な制約を課して独占しようとしたんだろう。そんな商売、アーロン一家が目を光らせるこの王都でできるはずがないだろう」
「アーロンが……?」
「より良心的な交易条件を提示したよ。貴女が取りつけた黒胡椒含め様々な交易契約は、アーロン一家がきちんと引き継いだ。だから安心して、脱落するがいい」
「だ、脱落……!? そんなことになったら、私は……!」
 エステルの震えが大きくなり、歯がガタガタ鳴っている。己を待つ未来に、思い至ったようだ。
 哀れと思わなくもないが、彼女は一度、カイを同じ目に遭わせようとしたのだ。それを思うと、レアの中で同情は消え失せていた。
 それはこの場の誰もが同じようで、誰一人、擁護の声を上げなかった。
 エステルの顔には、色濃い絶望が浮かんでいた。だが、それも一瞬のこと。すぐに絶望は憎悪に色を変えた。
 エステルがテーブルに置かれていたナイフを掴み取り、カイに突き進んでくる。
「あんたなんか――!」
「カイ様!」
 気付けば、レアはカイの前に躍り出ていた。身体が勝手に、そうしたのだ。
 ナイフが、吸い込まれるようにレアの胸もとに突き刺さる。ドレスが割け、肌に冷たい感触が走る。
――痛いと感じる余裕すらない
 そう思ったのだが……その割には、皆の声がよく聞こえる。
 レアの名を叫ぶカイ、医者を呼ぶよう指示を飛ばすマティアス、エステルを捕らえようとする監視官、突然の出来事に悲鳴を上げる使用人たち……申し訳なさと悲しさとで、胸がいっぱいになった。
「……ん?」
 よく考えたら、本当に痛くない。思い切って目を開け、胸もとを見てみる。すると……
「あ」
 皆が、一斉に同じ声を出した。
 ナイフを引き抜いても、血の一滴たりとも落ちない。それどころか、ナイフが何かに突き刺さっているのが、わかった。
「それは……」
 百合の花を象ったペンダント……王都についてすぐに、カイが買ってくれたものだ。
「初めて、自分に幸運が舞い込んだみたいです」
 そうイタズラっぽく笑って言うと、急に何かに包まれてしまった。
 カイに包み込まれているのだと気付くのには、少しの時間を要したのだった。
「俺の幸運のために、自分の身を差し出すんじゃない……!」
「は、はい……」
「無事で良かった」
「はい……」
 レアは、何が起こったのかまだわかっていない。ただ、全身を力の限り抱きすくめるカイの背中を、そっと抱き返すくらいしか、今のところ、できなかった。