夏休みがもっと長くなるにはどんな方法があるのだろう。海里は自室のベッドに寝転びながら、少し前に読んだライトノベルの展開を思い出した。同じ時を何万回も繰り返す夏休みはある意味トラウマにもなるレベルだったが、海里は今この時だけはそれはそれで羨ましいとさえ考えていた。夏休みさえ続いてしまえば、この殺人的に暑い日差しの中、学校に行かなくて済む上にクラスの連中に会わなくて済む。毎日足を運ぶのに、大して誰とも会話をしない自分にとって、永遠にループを続ける夏休みの方が幾分マシだった。
 あぁ、でも……。
せっかくやった課題を提出しないのは、なんだか時間を無駄にした感じが否めない。アルバイトも大してシフトを増やしていなかった海里は、ハマっているソーシャルゲーム以外にやる事がなかったため、真面目に机に向かって課題を終わらせていた。
 そりゃ、課金するにも限度があるし。体力回復を待つ傍ら進めれば時間の無駄にはならなし……。
 そんなこんなでお盆明けには課題が終わり、見事残りの半月は少しのバイトとゲームに時間を使うと決め込めたのだ。
 そんな訳で時間を持て余し、海里はベッドの上でぼうっと天井を眺めながら、どうしたら夏休みが終わらないで済むのかという有らぬ妄想に浸っていた。
 ふと、ピコンという通知音がスマホから鳴った。海里がハマっているゲームの『クロノ帝国物語』通称クロ帝からの回復通知だった。身体を起こし、肩や首を軽く回してアプリを開く。現在ゲームイベントは開催されていないがスキルアップに必要な素材はいくらあっても困らない。それにそのうち解放される新ステージのことを考えたらレベルも上げておきたいところだった。
「んー、どうしようか」
 海里は一人の部屋でぼそりと呟いた。クロ帝は一人で楽しむことも出来ればマルチプレイも楽しめるのが人気の一つだ。誰かのサポートでクエストを回ることもでき、同じゲームを楽しむような仲間がいればそんな協力プレイも出来る。海里はサポート募集の画面を開いた。同じ時間帯にログインしていれば、フレンド登録をしていないプレイヤーもサポートとして選択出来るし、何より協力プレイはクリア後の経験値が一人でクリアした時の倍だった。
 掲示板で適当なサポート募集を見つけようと画面を眺めていると『初心者です。クエストが進まず、詰んでいます……助けてください!』とメッセージが書かれている物を見つけた。
 初心者でも、詰むようなゲームではなかったはず……。それにリリース直後でもなければこんな誘い文句、誰も助けに来ないのではと感じた。
 海里は気になってそのメッセージの書かれたクエストをタップした。プレイヤー名はアーサー。赤い髪の少年の弓兵のキャラクターを使っている。
「アーサーって名前なのに弓兵なのかよ」
 鼻で笑いながらも、海里はステータスに目を向ける。レベルもスキルも共に底辺。本当に文字通り初心者なのだろう。募集しているクエストも海里には物足りないレベルだった。
「あ、ここって確か」
 海里はクエストのドロップアイテム一覧を確認する。
「やっぱりな」
 思った通り、欲しい素材が落ちる可能性がある。すると、海里は鼻歌を歌いながらクエストの参加ボタンをタップした。


『めちゃくちゃ助かりました!ソルトさんのおかげでなんとかクリア出来ました。本当にありがとうございます!』
 クエスト終了後、アーサーからメッセージが入った。ソルトというのは海里のアカウント名であり、潮田という名字から付けたものだった。アーサーが余程苦戦していたのは一緒にクエストを開始したほんの数秒で分かった。彼は弓兵だというのに的に近距離で詰め寄るため、矢を構えている最中にエネミーからの攻撃をボコスカと正面から食らっていた。
 超ド級のド素人……はっきり言ってお荷物以外の何者でもない。イベント中は関わりたくないものだ。
『お疲れ様でした。遠隔技、練習した方が良いですよ。そしたらアーサーさんも一人でこのクエ完勝できるようになると思います』
 アドバイスという小さな嫌味をつげ、そのままそこから離脱しようとすると、またメッセージが入ってきた。どうやら先方は、文字打ちだけは上級者らしい。
『良かったらフレンド申請しても良いですか?また一緒にやりたいなって、思ったんですけど……』
 海里は返信に詰まった。別にフレンド枠が満員というわけでもない。しかし、このアーサーはどう見たって素人だ。
 経験値が通常の倍貰えたとしてもメリットねぇなぁ……。
『まぁ、別に、良いですよ。俺で良ければ』
 上手い断り方も分からず、海里は承諾の返事を返した。どうせ自分とのレベルの差に嫌気がさしてあちらから関わらなくなって来るだろう。それにこのセンスの無さを見れば、一ヶ月後にはアカウントが消えているに違いない。
『本当ですか!嬉しいです!早速申請送りました!承認よろしくお願いします!』
 返信が来たと同時に画面上にフレンド申請があったメッセージが表示された。
『よろしくお願いします』
 適当な挨拶を返し、海里は溜息をつきながら『承認』と書かれた画面をタップした。
『俺、夜の八時以降はクエスト周回してるんで。何かあったら声掛けてください』
 まぁ、どうせアンタの今のレベルじゃ参加できないクエストだけど……。
『はい!夜の八時ですね!また一緒させてください!それではー!』
 勢いのあるメッセージを残し、アーサーはそのクエストを閉じてしまった。海里は再びベッドに寝転がり、天井を見つめた。
「あー……うっざい系と繋がったなこりゃ……」



 次の日の夜八時、海里がゲームにログインをするとホーム画面にメッセージの受信を知らせる手紙のマークが点滅していた。
『ソルトさん、お疲れ様です!昨日レベ上げ頑張りました!遠隔攻撃も出来る様になったので是非一緒に周りませんか?』
 アーサーからのお誘いメッセージだった。昨日の今日では大したレベル上げにはならないだろうと、フレンドページを開き、彼のレベルを確認すると昨日より五つは上がっていた。
「まぁ、最初は上がりやすいからな……」
 思わず呟いて海里は返事を打った。
『良いですよ。新しくどこ解放されました?そこ付き合います』
 すると、昨日同様に光の速さで返事が来た。
『やった!ありがとうございます!すぐ開くので待っててください』
 これまた同時にクエストの誘いがやってくる。まるで息つく間も無く喋りかけられているようだった。
 これ、絶対リアルじゃ友達になれないタイプ……。
 軽い舌打ちをして、海里は机の椅子にどかりと座ると誘われたクエストに参加するボタンをタップした。


 その次の日もその次の日も。夜八時になると海里のもとにはアーサーからのメッセージがやってきた。飽きもせず海里に声をかけてきては一緒にゲームをする。時間にしては一時間やそこらで、長い時でも二、三時間程度だった。昼間にアルバイトをこなし、家に帰って時間になったらログインする……そう習慣がついてきた頃、いよいよ新学期が始まる前日になった。
『明日からは八時じゃなくて夜九時過ぎログインなので。あとは朝簡単なクエ周回しています』
 海里はその日、いつものクエスト周回が終わった時にメッセージを飛ばした。
『了解です。そちらも夏休み終わる感じですね?もしかして学生さんですか?』
『まぁ、そんなところです』
『俺、高校二年です』
 アーサーは聞いてもいない事を言い出した。海里は答えるか一瞬悩んだが、どうせ会うこともない。そう踏んで、返事を返した。
『俺も同じです』
『めちゃくちゃ奇遇じゃないですか!あ、てか、タメなら敬語やめません?って言う俺が敬語だけど!』
「うわぁ……」
 思わずリアルな声が漏れた。こういうタイプは出会ってすぐに関係を持ってはいけないとしてきた海里にとっては天敵そのものだった。しかし、どうせ会うことはないのだ。リアルでこの様なタイプの人間に声をかけられたら、受け答えなんてまずしたくはない。否、出来ないだろう。
『まぁ、別に良いですけど』
『じゃあ、決まり!今日からタメ口!』
『了解』
『あ、なんか急に冷たく感じる!』
『それじゃ、俺これからレベ上げするから』
『ちょっと!それ付き合うってば!』
『回復薬ないんだろ。また明日』
 一方的にメッセージを切り、海里は宣言通りレベル上げのため、ステージを選択した。少しだけ胸のあたりが熱く感じる。何だろうか、この変な感じは。明日から学校だと言うのに、急に嬉しい様なむかつく様な、微妙な感情が入り混じり、それをどうにか消したい一心で海里はゲームに没頭した。


 結局、気がついた頃には眠ってしまっていた様で母親の声で目が覚めた。小言を言われながらリビングに降りたが、いつもより数分起きるのが遅くなった程度で済んだ。
 慌てる間もなく、いつも通りのペースで学校へ行く準備をし、家を出た。最悪なのはほぼ夜通しやったレベル上げのせいでスマホの充電がジリ貧になってしまったことだった。念のためモバイルバッテリーを持ち歩いてはいたが、これでは朝の電車内での周回はお預けである。
 まぁ、昨日散々やったしな……。
 早々に諦め、海里は欠伸をしながら駅へ向かった。

 新学期初のホームルームが始まると、教室が嫌に騒ついていた。どうやら転校生が来たらしい。しかし、海里は寝不足が祟って担任の声などほとんど耳に入って来なかった。数回連続して欠伸が出る。うとうととして、首が揺れた。意識を保つだけで精一杯だ。
 どうせ、一言も喋らずに学年が変わるんだろうな。
 そんな風に諦めて、海里は机に突っ伏した。すると、担任の口から自分の名前が呼ばれたのだ。
「浅野は潮田の隣の席だ。潮田、手を挙げてくれ」
 残りの意識で聞き取った海里は、ゆっくり手を挙げた。身体は突っ伏したままだったが、担任はそこに関して何も言わなかった。自分の横の座席が確かに増えている。言われるまで気にも留めなかった。椅子が引かれる音がして、首を横に向ける。そこにはクラス中の視線を集めた栗毛の綺麗な顔立ちをした男子生徒が座っていた。その姿をぼうっと眺めていると、視線がぶつかり、転校生がにこりと笑う。
「俺、浅野渚。よろしく、潮田くん」
「……よろしく」
 海里は反射的に返事をした。自分よりキラキラと眩しくて、鼻につく。挨拶しか交わしていないのに、海里は勝手に心の中でバリアを作った。
 これ以上、話す事はありませんように……。
 海里は顔を隠すように再び伏せた。


 ホームルームが終わり、必要な課題を提出すると海里は鞄を持って昇降口へ向かった。隣の席に注目のイケメン転校生がやってきて、自席にいるだけで騒がしい。更に言えば他の連中は海里には目もくれない。そりゃ、普段から溶け込もうとしない静かな男子生徒には必要最低限話す事などないだろう。そんな所からはさっさとおさらばしたかった。それに今日はバイトも無いため、朝できなかった分、ゲームに時間を費やしたい。そう思うと海里の足は次第に速さを増した。


 帰宅した海里は制服を着替えると、すぐさま電車で中途半端に終わらせてしまったゲームの続きをやり始めた。なんだかんだで一人でやるのは久しぶりだった。いつもあのアーサーという初心者弓兵に誘われるがまま一緒にクエスト周回をしている。ログインをすると大抵あちらもログインしている事が多かったのだが、今の時間はそうでは無いらしい。別に避けている訳では無いが、たまにはゆっくり好きにやりたい。
 さて、今日は素材拾いでも行きますか……。
 どの素材の回収に行こうか、アイテム一覧を開いてクエストを選択している際だった。
 ポコン、という受信メッセージがアプリ内で鳴ったのだ。
 こんな昼間の微妙な時間に誰だ?まぁ、暇なやつなんてそこかしこにいるしな。確か、最近アーサー以外と周回はしていなかったし……。
 メッセージの画面を開き、差出人を確認する。
『ソルト、お疲れ!この時間に周回とか珍しいね』
 なんだ、こいつか。
『まぁ、暇だったから』
 嘘では無い。今日は授業がない日だし、たまたまだった。明日からは通常授業が開始され、この時間は昼休みが終わる時間でもある。教室移動や体育が次に控えていたらログインなんてしていられないだろう。
『そっちもホームルームだけだったんだ?新学期初日ってちょい緊張したりしない?なんか疲れちゃってさ、気分転換にログインしたらソルトが居てラッキーだった!』
 相変わらずの早さで、返事が送られてくる。ゲーム内のメッセージでこんな内容を送るのはこいつだけだろうと思うと、呆れて溜息が出た。
『共闘なら後で良いか?俺、欲しい素材があるんだ』
 長くなりそうなので、海里からメッセージを切ろうとした。どうせ夜になったらいつも通り一緒に回る羽目になるのだ、今の時間は自分のために使いたい。
『ならそれ手伝わせてよ!』
『お前のレベルじゃ入れない』
 海里がやろうとしていたのはアーサーのレベルでは入れない条件付きのステージだった。
『えー!あとどのぐらい必要?』
『あと十は必須』
『なら二日で上げるからそのクエスト待って!今日は別のやって!』
『待つ意味がわからない』
 斜め上の返事にまた溜息が漏れる。自分がやりたいステージだというのに、何故この会ったこともない同い年の男の我儘を聞かなければいけないのだ。
『良いじゃん、一緒にやったら楽しいだろ』
『ただの周回だろ』
『まぁ、良いじゃん。な、約束!とりあえず俺レベ上げするから!また後でな』
 一方的にメッセージを切られた。また後で、という文句を見て、海里は眉をしかめた。
 夜九時にはログインしているだけであって、別に共闘する約束ではない。でも、きっと、そういう事なのだろう。彼の言いたいことは理解するが、腑に落ちない。そもそも、何故自分のやりたいステージを彼のレベルに合わせて止めないといけないのかも理解できなかった。
 無視したところで罰は無いというのに、海里は仕方なく別のステージをタップして一人でクエストに挑み始めた。


 九月になったというのに気温が下がる様子も無く、朝から陽射しがきつい。べったりと肌にくっつくワイシャツが気持ち悪く、海里は教室につくなりシャツの裾を出して下敷きで風を送った。教室の天井に設置された扇風機はただ室内の篭った熱を掻き回す程度にしか役に立っておらず、頼みのクーラーは付いているくせに室温は変わらない。職員室で集中管理をされていて、温度設定を変えることも自由に出来ず、結局人力で風を作る他ならない。クラスの女子が手持ち扇風機を持ちながら会話をしているが、これも授業中は使用禁止だった。
 いい加減、職員室と同じ設定気温に変えるべきだ。
鞄から取り出したタオルで汗を拭いながら海里は席につく。いくら扇いでも気休めにしかならない。途中のコンビニで購入したお茶のペットボトルを開け、喉を潤すがもう温くて少し肩を落とした。
 もう帰ってシャワー浴びて着替えたい……。
 海里は気を紛らわせるために、スマホを机に出してクロ帝にログインした。
 朝だし、ホームルーム始まるまで適当に周回するか。
 ふらっとフレンド一覧を開くと、アーサーがログインしているマークが表示されていた。昨日の昼間にレベルを十は上げてくる宣言をした彼を思い出す。
 ゆっくり自分のペースでやりゃ良いのに。
 サポートに回って貰えば経験値は倍なのだが、途中離脱をする可能性があるため声をかけるのはやめておいた。
 上げると言ったのは彼だ。自分は関係ない。はっきりとそう答えを出すと、海里はクエスト画面を開いた。どのステージに行こうかまたドロップ一覧を確認していると、背後から誰かが海里の椅子にぶつかった。
「うぁっ!」
 ドサッと音が鳴り、海里が振り向くと浅野が鞄を落とし、ロッカーに手をついてバランスを取ってどうにか立っていた。
「あ、ごめん!俺、ちょっとスマホ見てて……」
 画面に夢中で足元を見ていなかったと言う。鞄を拾い、机に置くと浅野はスマホを持ったまま手を合わせながら海里に頭を下げた。
「ごめんマジで」
 ふと手元のスマホを見ると、アーサーがレベルを上げるまでやるなと言ったクエストを選択してしまっていた。
「……別に、怪我とかしてないし」
「そっか、良かった!本当ごめんな、次から気をつける!」
 浅野はそれだけ言うと、席に座って海里と同じ様にスマホに視線を落とした。
 イケメンがスマホ中毒かよ。どうせ、昨日連絡先交換したクラスの女子にでもメッセージを返しているんだろう。いや、前の学校に置いてきた彼女かもしれない。どっちでも良いけど。しかし、どうしようか……。
 別に、相手からはどのクエストを選択した回数などのログは見ることは出来ない。ただ、クリアした場合はフレンド一覧を開くと最後にどのクエストに入ったのかだけは表示されてしまう。
 面倒な事になった。相手は現在ログイン中である。下手したらこの瞬間、この時に既に見られてしまったかもしれない。焦ってクエストを離脱しようとしたが、こういう時に限って誤タップなんてものをしてしまう。離脱するだけして、別のステージを開き上書きをしようとまたクエスト選択画面を出した。すると、最悪なタイミングでアプリ内のメッセージ受信を確認した。メニューからメッセージを開き、差出人を確認する。アーサーと書かれた差出人のアカウント名を見て海里はチリ、と胸が痛むのを感じた。
「潮田くん、顔色……悪いけど大丈夫?」
 隣の席でスマホと睨めっこをしていたはずの浅野が声をかけてきた。
「保健室行くならついていこうか?て言っても、俺まだ保健室知らないけど……」
 にこりと笑いながらそんな事を言う。揺れる栗毛と少し離れた所でも分かる長い睫毛が綺麗だと思った。
 こんなに暑いのに、涼しそうな顔をして……。
「潮田くん?」
 ぼうっと、見つめてしまい我に帰る。さっきの保健室のくだりは笑う所だったのかもしれないが、今はそんな気分ではなかった。
「大丈夫」
 海里は素っ気なくそう答えると、メッセージ画面を読まずに閉じて、クエスト選択に戻った。
「なんかあったら言ってね。隣の席のよしみだし」
 どっちが転校生だよ、と思わずツッコミを入れたくなる様な台詞を言われたが、海里は適当な生返事をしてゲームを再開した。新しいクエストを開いたし、とにかく煩くアーサーに言われる事はないだろう。変に焦った気持ちが指先に現れて、おかしな方向に攻撃を打ち込んでしまった。
「あれ……」
 同じく机でスマホの画面を見ていた浅野が小さな声を漏らした。海里は気に留めず、そのまま横で出てきたエネミーに攻撃を繰り出している。チラリと横目で浅野の様子を伺うと、彼は下唇を突き出し、眉を寄せて不貞腐れながら画面を見ている。
 気になる女子からの返事が期待とは違ったと見た。ま、どうせゲーオタの自分には全く関係の無い話。勝手に落ち込め、リア充め。
 海里の頭の中でそんな言葉が早口で浮かぶ。そうこうしながらも、クエストをクリアしてホーム画面に戻った。メッセージの受信ボックスが点滅を繰り返し、海里は眉間にしわを寄せる。海里は意を決してメッセージを開いた。
『おっはよー!今日は朝から周回?少しなら付き合えるよ!』
 身体中の力が一気に抜けて行く気がした。勘繰って焦って、馬鹿みたいだと思った。海里はスマホをカバンに投げ入れ、机にぐったりと突っ伏した。机に頬をくっつけ、ゆっくりと深呼吸をする。メッセージは昼休みに返せば良い。焦って無駄に疲れた。今日から通常授業が開始されることに恨みを覚える。
 海里はそのまま担任が教室に入ってくるまで起き上がることは無かった。



 学校から帰宅したのは夕方の六時を過ぎていた。陽が落ちてもまだ蒸し暑いこの時期は帰宅だけでもかなりの汗を掻く。海里は部屋に鞄を放り投げると、真っ直ぐシャワーを浴びに浴室へと向かった。
 その後、部屋でいつものゲームを開始しようとしたが、母親にコンビニまで買い物を頼まれたりタイミングが合わず、結局アーサーに宣言した通りの時間にログインをする事になった。
 ベッドに座り、スマホの画面をタップする。アプリを起動し、軽く首の体操をした。先日アーサーに伝えたのは夜九時で、今はその数分前だ。どうせいつもと同じ様に時間になったらメッセージが来るだろうと踏んで、海里は手持ちアイテムを確認し、集めた素材を使ってレベルを上げて行く。そうこうしている間に、時間は九時を過ぎていった。
 いつもなら時間ぴったりにアーサーからのメッセージがあるのだが今日は無い。気になった海里はフレンド一覧を確認すると、アーサーの名前の横に『ログイン中』のマークが表示されている。レベルは昨日よりも今朝よりも上がっていた。
 あいつ、レベル上げに夢中で時間忘れてるのか。
 そんな風に思った海里は初めて自分からメッセージを飛ばす。
『今日は共闘しないのか?』
 気がついていないのか、それともクエスト中なのか。いつも即座に返ってくる返事がない。何もしないで待つのも無駄だと思い、海里は自分もレベル上げのためにクエストを開いた。
 しかし、時間が経ってもアーサーからの返事は無かった。もう一度一覧を開くとまだログイン中の表示が付いており、レベルは先ほど確認した時よりも一つ上がっているのが分かった。かなり真剣にやっているのだろうと思い、海里は別のログイン中のフレンドにメッセージを飛ばした。
『ソルトさんおつですー。なんか久しぶりですね!共闘おけです。すぐ行けます』
 顔文字を混ぜたメッセージが返ってきたのですぐにクエストを開き、返事をした。言われてみればアーサー以外のプレイヤーと周回するのは久しぶりだった。お盆明けからはほぼ毎日、同じ時間からアーサーとしか絡んでいない。今まではとにかくその時にログインしているフレンドに声を掛けたり、掛けられたりで遊んでいた。それが久しぶりで、なんだか不思議な気分になる。

 結局、アーサーからの返事はないままその日は終わってしまった。スマホを充電器に刺し、海里はベッドに横になって天井を見つめた。蛍光灯の明かりが眩しくて、目の奥がツンと痛い。あれだけ人の話を聞かずに今日も今日も、と誘ってきた奴が静かになるのは気味が悪い。気になって仕方なかった。もしかして、昼の誤タップを見て約束を破られたと思われてしまったのだろうか。いや、たかだかゲームだ。高校二年にもなってそんな小さな事を気にする奴などいないだろう。海里は一息ついて部屋の電気を消した。





 今朝はザァザァと煩い程雨が降っていた。傘を刺しての登校程、面倒なものはない。学生は荷物も多い上に、公共の交通機関を使う。それにこういった悪天候の日は自転車通学組も交通機関を使うため車内の人口密度が急に高くなりがちだ。案の定、海里の通う学校は駅からすぐの場所にあるため今朝は電車通学がやたらと多い。濡れた傘を持っている人達との間隔を取るのに神経を使ってしまい、ソーシャルゲームなどは出来やしなかった。
 教室に着き、鞄を机の横に引っ掛けた海里は早速ゲームの画面を開く。朝の騒ついた教室の煩さが急に消える様な気がした。ゲームのホーム画面を開くが、メッセージが来た様な通知はない。
 ……は?
 凄くどうでも良かったはずなのに、返事が無いだけで無性に腹が立つ。自分は必ず返してやっていたのに。こいつ、自分勝手にも程があるだろ……。
 海里は舌打ちをしながらスマホを机に伏せた。
「潮田くん、おはよ。機嫌悪いの?あ、雨だから?」
 隣の席の浅野は海里の表情を見て苦笑いをしながら挨拶をした。
「……お前には関係ないだろ」
「あはは!そうだけど。てか、さっき開いてたのってクロ帝?俺もやってるんだ」
 会話をさっさと終わらせたい海里に、浅野はスマホの画面を見せた。
「レベル上げ苦戦してて。フレンドになって一緒にやらない?」
「断る」
「えー、良いじゃん。このクラスなかなかやってる人いないんだよ」
 海里は浅野を無視して机に突っ伏した。
「頼むよ〜。今日までにレベル上げしないと一緒に周回出来ないんだ。そういう約束をしちゃってて」
 どっかで聞いたような約束だった。それが余計に海里を苛立たせる。
「その約束したフレンドとやれば良いだろ」
「んー、そうなんだけど……。あんまり頼ってばかりもなぁって。あと、約束も俺だけしか覚えてなかったみたいだし」
 力なく笑いながら浅野が言った。首だけを彼の方へ向けると、少し寂しそうなのが分かった。
「……フレコ、教えろ」
「え?」
 顔を隠しながら海里は小さな声で言った。
「教える気ないならいい」
「教える教える、やっりぃ!」
 嬉しそうに浅野は椅子ごと海里の真横に移動する。にこにことした表情があまりにもキラキラとしていて眩しい限りだ。
「ちょ、近い」
「良いじゃん!はい、これ俺のフレンドコード!潮田くんゲーム上手そうだし、フレンド少ない俺としてはめちゃくちゃラッキー!」
 ぐっと近づき、かなりの近距離でスマホ画面を見せられた。登校していたクラスの人達は珍しい組み合わせに視線を向けている。しかし、海里は見せられた画面を見てスマホを動かす指を止めた。
「……お前がアーサー?」
「そ。浅野だからアーサー!で、潮田くんは?」
 乗り出した浅野は海里のスマホを取り上げると、画面をまじまじと見つめて固まった。
「え、ソルト……」
 黙り込んでしまった浅野からスマホを取り返すと、海里はまた舌打ちをした。嫌な空気が二人の間に流れる。
「ごめん……その」
「別に。怒ってないけど」
「……あのさ」
 気まずそうな顔をして浅野が何かを言いかけた時、タイミング悪く担任が教室に入ってきた。
「昼休み、話しない?」
 慌てて席を戻しながら浅野が言ったが、海里は返事をしなかった。



 海里は屋上手前の階段に腰掛けた。いつもはここで一人で昼食をとるのだが、今日は海里の三段下あたりで浅野が弁当を広げていた。授業が終わり、そそくさと教室を出ようとしたら、浅野が「潮田くん、約束は」と言いながら海里の腕を掴んだのだ。約束などしたつもりも、する気も無かったが、華奢な身体をしているはずの浅野の力に勝てず、振り切れないまま連れてきてしまった。
「俺さ、夏休み入ると同時にこっちに越して来たんだよ」
 弁当を箸で突きながら浅野が口を開いた。
「県跨ぎだしさ、前の学校の友達と遊ぶのも結構無理あるじゃん?まぁ、電話やメッセもしてたんだけど……やっぱ会えなくなると退屈でさ。そんでクロ帝始めたんだよ」
 聞いてもいない事を話し始め、海里は返事をせずに黙って母親の作った弁当を口に運ぶ。
「ファミコンとかなら父さんが持っていて、やった事はあったんだけどさ。クロ帝みたいなのは初めてで。でもこれストーリーめちゃくちゃ面白いから、続きも読みたくて頑張ってみたんだよ。でも俺下手だし、前の学校の友達にもやってる人いなくてさ。そしたらソルトって名前の人現れたんだ」
 海里の箸が止まる。後頭部しか見えていなかったはずの浅野の顔がはっきりとこちらを見ていた。
「めちゃくちゃ上手いし、優しいし。アドバイスも的確だし、俺めっちゃ嬉しかった。久々に友達と遊んだーって感じして。会ったこともないのにさ」
 笑いながら食べ切っていない弁当に軽く蓋をして、浅野は海里の横に移動してきた。
「だから……昨日の朝はショックだったんだよ。俺さ、ここじゃまだ皆んなと仲良くなれてないし。毎日一緒に周回したソルトが自分の中で一番だったんだ」
 チラリと横目で海里の顔を見ながら言った。何も言わない海里に浅野はまだ続けて話をする。
「女々しいし、ガキっぽくて話してて苛々するんだろ。わかるよ……でもさ、俺」
「あれは誤タップだ」
「え?」
「お前がぶつかったのが原因だ。あのクエストはまだやってもない」
「え……何、それ」
 海里は溜息をついた。話を聞くだけでも面倒な奴だと思っていたが、ここまで察しが悪く面倒なのは予想外だった。昨日の苛立ちが晴れていくのと同時に、別の苛立ちが湧き上がってくる。
「やってねぇって言ってんだよ。勝手に勘違いしやがって。俺はな、さっさとあのクエストクリアして、スキル上げて次のイベントに備えるつもりだったのに、お前がやるなっつーから我慢して……!待ってられねぇから手伝おうとメッセ飛ばせば無視されるし。意味わかんねぇよ。なんだよ、さっきの話。裏切られて傷つきましたって……クッソだるい。だから馴れ馴れしいやつはムカつくんだよ……!」
 捲し立てるような早口で海里が一気喋ると、驚いた浅野は目を見開いた。一瞬、言葉を失い言い返すことをやめていた浅野だったが、ほんの数秒で吹き出して腹を抱えて笑い始めた。
「めっちゃ喋るじゃん、潮田くん!あはは」
「は?なんなんだよ、喧嘩なら買わねぇぞ」
「だって、いつもメッセでも教室でも一言、二言しかくれないし!」
 真横でゲラゲラと笑われ、海里は苛立ったが、昨晩よりも今朝よりもその苛立ちは小さく感じた。
「俺は必要最低限の関わりは持たない主義なんだ」
 突っぱねるように言い、止めていた箸を再び動かす。どうもこの男のペースはやり辛い。それはゲーム中でもリアルでも同じだった。
「それ、つまんないじゃん。あ、ならさ、潮田くんが俺にクロ帝のサポートをしてくれるなら、俺がリアルのサポートをしてあげるよ」
「そんなもん必要ない」
「良いじゃん!俺この近辺まだ良く知らないし」
「俺も知らん。他のやつに聞け」
「じゃあ、俺と一緒に開拓しようよ。レベル上げみたいで楽しいだろ?」
「興味ない」
「えー。行こうよー。俺、せっかくレベル上げももうすぐで約束のレベルだしさぁ。知ってる?この学校近所に有名なケーキ屋あるみたいなんだよね、俺へのご褒美に丁度良いと思わない?」
 浅野が首を少し傾けて話すため、栗色の髪がふわりと揺れた。一瞬ドキリとしたが、相手は男だ。何かの見間違いだと自分に言い聞かせ、海里は浅野から視線を逸らしてあいもかわらず無愛想な返事をした。
「余計興味ない。それに雨の中行くのはもっと嫌だ」
「もー。連れないなぁ」
 下唇を突き出し、わざとらしく頬を膨らませる。整った顔がふざけた顔に変わったのをみて海里は思わず吹き出した。
「なんだその顔」
「意地悪なソルトに怒ってる顔だよ」
「学校でその名前で呼ぶのやめろ」
「ケーキ屋行ってくれないならずっと呼ぶし……」
 浅野は声を小さくしながら、先程蓋をした弁当を開け、続きを突き始めた。変な顔のままちまちまと口へおかずを運ぶ姿は滑稽で、怒る気も失せる。海里は一層深く溜息をつくと、弁当を片付けながら「わかった」と言った。
「え、良いの?」
「ぼっちの転校生はかわいそうだからな」
「ぼっちはそっちじゃん。じゃ、今日の放課後、約束ね?」
「……あぁ」
 海里の返事を聞いて浅野は嬉しそうに笑う。
「やったー!楽しみ!」
「その代わり、今日中にレベル上げしろよ。あのクエストさっさと」
「分かった分かった!ケーキ食べながら手伝ってよ」
「は?一人でやれ」
「えー。手伝おうとしてたくせに」
「煩い。フレンド切るぞ」
「ひっど!」