『屍食鬼の館』に着いた雪は、忙しくしていた。
龍胆と菫は重症だ。はやく治療しなければ、命に関わる。もっとも、あやかし者だ。どんな治療が効くのか、見当もつかないが、何もしないよりはマシだろう。
とりあえず、動きやすくするため、雪は髪を布で結う。ぱたぱたとせわしなく、部屋の戸を閉めた。



幸い、ふたりの血は止まっていた。さすがあやかし。すでに治癒が始まっている。下手な薬より、自然治癒に任せるほうが早そうだ。・・・ならば。
「えっと。まずはお湯を沸かさなきゃ」
血だらけの体を拭くためにも、湯がいる。
雪は桶を持つと、裏口から、井戸へと繰り出した。
花散里は湧き水が湧いている。井戸の水は透き通り、夜の闇の中でも透明度がある。
病弱ゆえ、何年も寝たきりだった雪は、全身の骨が悲鳴を上げるのを感じながらも、賢明に釣瓶を引き、重い水を汲み上げた。やっとの思いで、桶に水を流し込む。
寒風が吹きすさぶ。
飛び散った水が着物の裾を濡らし、雪の足は真っ赤に腫れた。
だがそんなことは、些末なことだ。
龍胆を助けたい。
菫を守りたい。
(わたしは、役に立てる。今度は、看病される側じゃなくて、する側になれる)
熱心に看病してくれた二人。今こそ、恩返しがしたい。
すると、強風が吹いて、髪を結っていた布がほどけ、飛んでいってしまった。
「あっ」
雪は駆け出す。布は軽々と風に遊ばれ、ついには、裏庭の桜を超えて飛ばされてしまった。
この家には、結界が張られている。ずっと閉じこもっていた雪は知らないが、桜の木が境界線で、それ以上出れば、人に姿を見られ、あやかしにも気取られてしまう。
そんなこととは露知らず、雪は境界線を超えてしまった。
「――お嬢さん。落とし物かい?」
・・・・・・初めて聞く声。
雪はぎょっとして、布を拾う手を止めた。
風が長い黒髪をなぶる。
その男は、片眼鏡の金鎖を揺らし、小憎らしいほどいい笑顔で、ひらひらと手をふった。