しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのはゲゲッセンだった。

「やれやれ、おまえが推した花嫁候補はみずから去ってしまったようだ」
「あら、あなたはこれで良かったと思われますか」
「構わん。我がハングリッヒ家の伝統にならい、三人以上の候補者をもって花嫁を選抜した事実は変わらないのだから」

イザベラとシモンヌは顔を見合わせ、これで一対一の戦いだと火花を散らす。

「思えば懐かしいですわ。あなたのときはお父上が領地一帯から候補者を集めましたからね。盛大な晩餐会でした」

ゲゲッセンの父は最高の相手を選ぶべく、管轄する領地中の女性を招いて立食の晩餐会を催した。ゲゲッセンは父に従い、ひとりひとりと対面の面接をおこなった。

一般市民の出身だったトリンケンは、自身が選ばれるとは思っていなかった。けれど招待のお礼として、ある秘密をゲゲッセンに披露した。

トリンケンは魔法を唱えて見せたのだ。

指を躍らせて『祝福の花』を描き出し、束ねたブーケをゲゲッセンに渡した。「あなたがよき伴侶と幸せな日々を送れますように」と、心を込めて。

するとゲゲッセンはその場でブーケを突き返した。「ならばあなた自身に受け取っていただきたい」と、顔を赤らめて。

トリンケンの謙虚で純朴な人柄と、魔法の神秘性がゲゲッセンの琴線に触れ、それがふたりの始まりとなった。

「だが俺の後悔も察してほしい。市民が貴族の家に入るとどれだけ苦労をするか、おまえは身をもって知っているだろう。一般市民の血を入れるなど、愚かで不幸なことだと散々蔑まれたではないか」
「あら、わたしは苦労なんて思ったことは一度もありませんわ。愚かで不幸なのは、そんな古い価値観に支配された方々のほうですから」

財産目当てとか、色気で誘惑したとか、はたまた魔女ではないのかと。過去にはあらゆる愚弄があったが、それを乗り越えてようやっと幸せな今がある。

「あなたがわたしを愛し、妻として認めてくださっただけで、じゅうぶんに幸せです」

トリンケンは扉に向かって声をかける。

「セバスチャン、よろしいかしら」

扉が開き、セバスチャンが姿を見せる。その後ろにはニーナが身を隠していた。トリンケンの意図を察したセバスチャンがニーナを引き止めていたのだ。

「あの子の笑顔を奪ってしまった罪人は、いったい誰なんでしょうね」
「そっ、それは……」
「ニーナの涙が、誰よりもリアンを大切に想っている証拠だとは思いませんでしたか?」
「むぅ、だがしかし……」
「ニーナはしっかり者で芯の強い子です。どんな苦労が待っていたって、ふたりなら乗り越えられるはずです」

トリンケンはたじたじの夫から視線を外し、リアンに向き直る。

「リアン、わたしはただ、あなたが人生をともにしたいと思う相手を選んでほしいだけ。わたしが愛した、大切な息子なのですから――」

リアンはぐっと奥歯を噛みしめて立ち上がり、ニーナの目の前に歩み寄る。目の前にひざまずいて手を取り、勇気を振り絞ってこう告げた。

「ニーナ、これからもいっしょに泣いたり笑ったりしよう。もっと大きな冒険をしよう。そしておいしい食事を、一緒にお腹いっぱい食べよう」

ニーナは拭き取ったはずの涙がまた溢れてきた。けれどさっきの涙とは違う。喜びがきらめく宝石のような涙だ。肩を震わせて思いを吐露する。

「リアン……ごめんなさい。あたしだって、ちゃんと伝えればよかった。リアンが誰よりも大切なひとだってことを――」

トリンケンは息をつき、数回、両手を軽く合わせる。母から始まった拍手は伝播し、シェフや使用人を巻き込む盛大な喝采に昇華した。

リアンとニーナは見つめあって顔を赤らめる。まるで初めて恋に落ちた少年と少女のように。

祝福の中で最後のメニューが差し出される。

「さて、スイーツのおかわりは自由ですので、心ゆくまでどうぞ」

セバスチャンはそう言い、レッドベリーのタルトタタンを取り分けて皆の目の前に並べる。

淹れたコーヒーの芳醇な香りが、にぎやかさを取り戻したダイニングルームに広がっていった。