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 平野神社の近く、ひと気のない路地を選んで猫神様は着地した。

 物理の法則を完全に無視して、ふわりと音もなく降り立ったその様を見ると、やっぱり神様なんだなぁと改めて思う。

「さあ、着きましたよ」

 猫神様はまた()()の体勢になって、私たちが降りやすいようにしてくれる。
 そうして私と蜜柑くんが背中から降りると、ポンッと白煙を上げて元の白い青年の姿に戻った。

 時刻は午後七時半。
 辺りは暗く、人の姿も見えないけれど、平野神社がある方角からは確かな賑わいが聞こえてくる。

 蜜柑くんはキョロキョロと辺りを見渡して、オレンジ色の耳をピンと立てた。

「ボク、この場所を知ってる……。あの人といつも通ってた道だ」

 そう呟くなり、彼は居ても立っても居られなくなったのか、道の先へと駆け出した。

 一拍遅れて、私たちも慌ててその後を追う。

 平野神社の周りをぐるりと半周ほどしてから、再び狭い路地へ入る。
 と、右手に見えてきた木造一軒家の前で蜜柑くんは足を止めた。

「ここ、かも。……ボクがあの人と一緒に住んでいた家」

 彼が見上げたその家は、かなり年季の入った二階建てだった。
 敷地は板塀で囲まれていて、中はよく見えないけれど、人が住んでいそうな気配はある。

 ただ、今は家の明かりが点いておらず、留守の可能性が高かった。

「どこかに出かけてはるのかもしれませんね。ここで待つだけなのも何ですし、一度平野神社の方も見てみますか?」

 猫神様が提案して、蜜柑くんは頷く。

 蜜柑くんがまだ普通の猫だった頃、その人はよく平野神社を訪れていたという。
 ならば桜の咲く今の季節は、夜桜を見に行っていることも考えられる。

 私たちは三人横一列に並んで、平野神社へ続く道を歩いていく。
 一番左側に立った私は、真ん中を歩く蜜柑くんのふわふわの耳を見下ろして言った。

「会えるといいね、その人に」

「うん……」

 と、小さく返事をした蜜柑くんの顔がなんだか曇っているように見えて、私は首を傾げた。

「どうしたの? 何か心配なことでもあるの?」

「……会えるかどうか、自信がないんだ」

 ぽつりと呟くように言った彼の言葉の意味を、私は正しく理解できなかった。
 いつになく神妙な顔をする彼の代わりに説明してくれたのは、猫神様だった。

「我々あやかしは、人間と比べると長い年月を生きます。蜜柑さんがその人と一緒にいたのも、おそらくは二十年以上前のことになります。二十年もあれば、人間は年老いていきますから……」

「あ……」

 二十年。

 その年月は、人間にとっては多くの変化をもたらすのに十分な時間だった。

 二十年もあれば、もともと赤ん坊だった子は成人しているし、若者は中年になる。
 そして老齢の人間ならば、寿命を迎えていてもおかしくはない。

「あの人は……きっと、そんなに若い人じゃなかった。だから早く会いに行かないと、もう二度と会えなくなるかもしれないって思ったんだ」

 蜜柑くんははっきりとは言わなかったけれど、最悪の場合、その人はもう生きてはいないかもしれない。

 だから、できるだけ早く会いにいくために、彼はまだ半人前なのにも関わらず、この現世へと迷い込んだのだ。

「……そっか」

 それまでひとり楽観的に構えていた私は、事の深刻さを理解する。

 せっかく蜜柑くんがここまで来たのに、このまま会えないなんて可哀想だ。

 どうか会えますようにと、二人の再会を心から願ってやまなかった。