「……しばらく、境内を散策してもよろしいでしょうか?」
緋彩さんが申し訳なさそうに聞いて、私たちはもちろん頷く。
ここへ来たのは緋彩さんのためなのだから、彼女には心ゆくまでこの場所を見てほしい。
三人並んで、さらに歩を進めていく。
すると、正面には法堂と呼ばれるメインの建物が見えてくる。
そして、その手前を右へ曲がったところに、見覚えのある景色が姿を現した。
「あちらが水路閣ですね」
猫神様の指し示す先に、レンガ造りの橋脚があった。
旅行雑誌で確認した場所。
観光客で溢れる境内の中でも、一際ここに人が集まっている。
水路閣は、滋賀県にある琵琶湖の水を京都へ引くために作られた水路・琵琶湖疏水の水路橋だ。
明治時代に作られたというそれは、レンガ造りのレトロなデザインがとてもお洒落で、フォトスポットとしても人気がある。
「これが、水路閣……。写真で見ても素敵でしたけれど、やはり実物を目にした方が味わい深いものがありますね」
緋彩さんはそうしみじみと呟くと、橋脚をじっと見上げて何かを考えていた。
昔のことを思い出そうとしているのかもしれない。
邪魔しちゃいけないと思って、私も猫神様も、無言のまま彼女の様子を窺っていた。
そこへ、さあっと冷たい風が吹いて、たまらず体が震えた。
やっぱり、この服装はちょっと失敗だったかもしれない。長袖のコートを羽織ってはいるものの生地が薄いし、首元もかなり開いていて冷気が入ってくる。
「桜さん」
と、猫神様に呼ばれて顔を向けると、彼はポンッと白煙を上げて、手元に何かを出現させた。
「こちら、ストールです。貰い物なんですが、まだ一度も使ったことがないんで。よければ貰ってもらえませんか?」
綺麗に折り畳まれた、真っ白なストール。それをこちらに差し出されて、私は狼狽える。
「えっ……こんな素敵なストール、貰っちゃっていいんですか?」
私の反応を肯定と受け取ったらしい猫神様は、手にしたそれをふわりと私の首に巻いてくれる。
見た目の通り、やわらかな肌触り。それまで冷えていた首元が、優しい温もりで包まれる。
「あ……ありがとうございます」
「いえ」
目の前まで迫った猫神様の顔が、嬉しそうに微笑む。
私が凍えていたのに気づいてくれただけでも嬉しいのに、こうして紳士的な対応までしてくれるなんて。
嬉しい、と同時に、なんだか気恥ずかしさも込み上げてきて、かあっと耳が熱くなる。
(体がぽかぽかする……)
寒さなんて、一気にどこかへ行ってしまった。
さあっと再び木枯らしが吹いて、真っ赤な楓の葉がはらはらと落ちてくる。
猫神様はそれを愛おしげに見上げながら、そっと手を伸ばしていた。



