子どもの姿になった猫神様の、ぷにぷにのほっぺ。そこへ一筋の雫が滑り、月の光を反射させている。

「ど、どうしたんですか。もしかして、高い所が怖かったんですか?」

 自身も空を飛ぶことができる猫神様は、高所にも慣れているはず。だけれど今は、彼は幼い子どもだ。
 小さくなった体に引っ張られて、精神まで幼くなっている可能性は高い。事実、犬神様も普段より泣き虫になっているわけだし。

 けれど、

「……いえ。これは、違うんです。ただ……」

 猫神様はか細い声で言いながら、華奢な指先で頬を拭う。それからこちらを見上げて、私の顔をじっと見つめた。

「え?」

 無言のまま、黄金色の瞳がまっすぐに私を射抜く。何かを言おうとして、けれど口にすることをためらっているような、そんな雰囲気だった。

「猫神様?」

 普段とはどこか違う彼の様子に、私は戸惑う。

「……すみません。これは、悪い意味の涙ではないんです。ただ私は……今、とても幸せで」

「幸せ? 嬉し涙ってことですか?」

「ええ。私は……——桜さん、あなたの隣にいられることが、とても幸せなんです。ただ、それだけなんです」

 私の隣にいることで、彼は幸せを感じてくれている。
 まるで予想もしていなかった彼の発言に、私は面食らった。

(本当に、それだけで……?)

 私と一緒にいられて幸せ、だなんて。そんな殺し文句みたいなことを言われて、動揺しないわけがない。

「……な、なんだか大袈裟じゃないですか? そりゃあ、そんな風に言ってもらえたら私は嬉しいですけど」

「大袈裟なんかじゃありませんよ。少なくとも私にとっては。……いつもは平気な顔をしてますけど。本当は、こうしてあなたと一緒に過ごせる毎日が、涙が出るほど幸せなんです」

 そう言って、ふふっと微笑を浮かべた彼は、いつもの猫神様だった。

 一緒に過ごせる毎日。何気ない日常。
 それをそんな風に思ってくれていたなんて——と考えたところで、私はやっと合点がいった。

「ああ、そうか。人間とあやかしは、本来ならこうしてお話しすることもできないですもんね」

 私は人間で、猫神様はあやかしだ。
 普通の人間にはあやかしの姿は見えない。あの銀弥さんだって、そのせいで今まで寂しい思いをしてきたはず。
 
 そう考えると、私と猫神様がこうして出会えたのも、それ自体が奇跡なのだ。

「ええ。そうですね。……今はまだ、そういうことにしといてください」

「え?」

 何やら含みのある言い方をして、猫神様は再び夜空の百鬼夜行を眺めた。
 この話はここでおしまい、と言わんばかりの彼の横顔は、とても晴れやかで、愛らしい笑みを浮かべていた。