「さて。次はどちらへ向かいましょか。あやかしの気配は……今は北の方角に一人、西の方角に三人ですね」
再び立ち上がった猫神様が言って、犬神様は小さく溜息を吐く。
「この調子だと、時間がかかってかなわん。……銀弥め、後でしっかり処罰を受けてもらうぞ」
忌々しげに彼が呟いた、そのとき。クスクスと笑う声がどこからか届いた。
その声に釣られて、私たちは一斉に頭上を仰ぐ。
すると、ホームに設置された屋根の上に、一人の男性が腰掛けているのが見えた。
薄墨色の着物に、藍色の羽織を肩からかけた青年。見た目の年齢は私の少し上くらいで、十代終盤といったところ。
襟足が長めの髪は銀色で、意思の強そうな瞳は燃えるような赤。その口元は斜めに吊り上がり、まるで嘲笑するような表情をこちらに向けている。
「これだけ近くにいるのに気づかないなんて、鈍感だなぁ。そんなんじゃ、いつまで経っても俺を捕まえられないぞ?」
まるでケンカを吹っ掛けるようなその発言で、私はハッとする。
と同時に、犬神様は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「銀弥……」
ぬらりひょんの銀弥さん——と思しき青年が、そこにいた。
一体いつのまに現れたのか。
たまらず息を呑む私の隣で、猫神様は特に驚いた様子もなく、いつもの穏やかな口調で話しかける。
「おや、銀弥さん。お久しぶりです。気配がなかったんで、気づきませんでした。大きくなりましたね。お元気そうで何よりです」
拍子抜けするほど平和な彼の反応に、犬神様は「貴様は黙っていろ!」と唾を飛ばす。
「久しぶりだなぁ、猫神様。あのときは世話になったな。道案内も美味い料理も、ほんと助かったぜ。その優しさ、隣にいる犬っころとは大違いだ」
そう言ってケラケラと笑う銀弥さんに、「誰が犬っころだ!」と犬神様が噛みつく。
「おい銀弥。貴様、遊ぶのも大概にしろ。今すぐ俺と一緒に幽世へ帰ってもらうぞ」
「ははっ。そう怖い顔すんなって。心配しなくても、十一月になったら大人しく帰るさ。だからそれまでは、俺の好きなようにさせてもらう」
「何?」
常に笑みを絶やさず飄々としている銀弥さんは、やがて私の方に視線を向けて、ちょっとだけ驚いた顔をした。
「へえ。こりゃ珍しい。人間の女の子を連れてるのか。うちの曾孫よりちょっと下ぐらいか?」
「え……?」
物珍しそうにこちらを見つめる彼に、私はどう反応したものかと戸惑う。
「って、こんなところで油を売ってる場合じゃないな。そんじゃ、またな。くれぐれも俺の邪魔はしてくれるなよ、犬っころ」
言い終えるが早いか、彼はドロンッと黒煙を上げて、その場から一瞬にして姿を消してしまった。
「あっ、こら! くそ。逃げ足の速い……」
誰もいなくなった屋根を見つめ、犬神様は唇を噛む。
私は銀弥さんの口にしたことを頭の中で反芻しながら、少しだけ不思議な気持ちになった。



