◯
炊き立ての筍ごはんに、かぶの千枚漬けと赤だし。
つやつやのだし巻き卵と、メインは桜鯛の煮付け。
座敷に通された私たちのもとへ猫神様が用意してくれたのは、旬の食材を使った手料理だった。
「わぁ……。ほ、ほんかくてき」
まさかここまでしっかりとしたご飯をいただけるとは思っていなかったので、私は驚きと感動とで目を回してしまう。
やけに美味しそうなにおいがするな、とは思っていたけれど、こうして実物を目の前にすると、手慣れた感じのする盛り付けまでもが美しい。
隣に座る蜜柑くんはすでに食べ始めており、お箸をぎこちなく使いながら「うん、おいしい!」としきりに唸っている。
「あ、あの。私までご馳走になっちゃっていいんですか? それにお代は……」
「お代なんていりません。あなたは蜜柑さんのことをここまで案内してくれはった恩人ですから」
「いえ、そんな。私、行き先に迷ってばかりで全然役に立たなくて……」
道案内を申し出たわりに、ここへ来るまでにあちこち彷徨ってしまった。
ほとんど蜜柑くんと一緒に迷っていただけなので、とても仕事をしたとは言えないのだけれど、
「そんなことないよ! 桜おねえちゃんが一緒じゃなかったらボク、ここまでたどり着けなかったもん」
蜜柑くんはそう、口元にご飯粒を付けたまま私を庇ってくれる。
「み、蜜柑くん……」
彼の優しすぎる言葉にじーんとして、私は思わず泣きそうになる。
「そういうことですから、ほんまに遠慮せんと。それに、私も自分の作った料理でお腹いっぱいになってもらえるのは嬉しいんで」
優しい二人に促されて、私はようやくお箸を手に取る。
そうして最初に口へ運んだのは、メインの桜鯛の煮付けだった。
甘めの煮汁が染み込んだ身が、口の中で解けていく。
「お、おいしい……」
あったかくて、顔全体がとろける。
「お口に合って何よりです」
ふふ、と微笑する猫神様の美しい姿に、視界まで幸せになる。
見た目も綺麗で、優しくて、色んな意味で神様って感じがする。
「それで、蜜柑さん。こっちの世界で会いたい人がいるって言うてましたよね?」
猫神様は私たちの向かいに腰掛けると、ようやく本題に入ったようだった。
(こっちの世界……?)
私が赤だしをすすりながら首を傾げていると、それに気づいた猫神様が補足を入れてくれる。
「こっちの世界いうのは、あなたたち人間が住む『この世』のことで、『現世』といいます。そして私たちのような存在は、本来は『幽世』という別の世界に住んでるものなんです」
「うつしよと……かくりよ?」
急にファンタジーの世界に飛び込んでしまったような気がしたけれど、いま目の前にいる彼らがまさにそういう存在なのだから当たり前か、とも思う。
「私たちが今いるこの場所は、その狭間にある空間で、普通の人間には辿り着けません。あなたのように、私たちの存在が見える特別な人でないと」
言われて、ハッと思い出す。
なんとなく流されるまま私はここにいるけれど、普通の人はそもそも彼らの存在すら認知することができないのだ。
「たまにいらっしゃるんです。あなたのように、我々『あやかし』の姿が見える人間が」
「あやかし……」
彼らのような存在には今まで何度も遭遇してきたけれど、それが『あやかし』と呼ばれるものだというのは初めて知った。
普通の人には見えない、不思議な存在。
それが見える私は、幼い頃から嘘つき呼ばわりされて、周りとうまく付き合うことができなかった。
「普段は幽世に住んでいるあやかしですが、修行を積んで一人前になると、こちらの世界にやってくる者もいます。それ自体は問題ないんですが、稀にこの蜜柑さんのように、まだ半人前にも関わらずこちらの世界へ迷い込む者もいます」
半人前、と言われた蜜柑くんは気まずそうに苦笑して頭をかく。
どうやら彼は道に迷っていただけでなく、世界そのものに迷い込んでしまっていたようだ。
「蜜柑さんのような、こちらの世界で迷子になったあやかしを、あちらの世界へ送り帰す案内人——それが、私の役目なんです」
そう言うと、彼は蜜柑くんの方を見て「ね?」と優しく微笑む。
蜜柑くんは口いっぱいにだし巻き卵を頬張ったまま、「うん!」と頷く。
そうか。
だから蜜柑くんは猫神様を捜していたのだ。
けれど、まだ一つ疑問が残っている。
(蜜柑くんがこっちの世界で会いたい人って、どんな人なんだろう……?)