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目的の停留所に着くと、大覚寺は目の前だった。
午後六時過ぎ。辺りはすでに暗く、虫の音が響いている。けれどお寺を出入りする人の数は多い。
敷地の入口には『観月の夕べ』と筆で書かれた看板が立ち、そこで写真を撮る人の姿もあった。
立派な松の木に囲まれた境内へ足を踏み入れ、受付で参拝料を払うと、私たちはすぐさま大沢池の方へと向かった。
池は寺院の東側に広がっている。日本最古の庭池と言われていて、その広さは甲子園球場がすっぽり入るほどの大きさなのだと柚葉さんが教えてくれた。
「わぁ……」
お堂の脇を通って池の方に出ると、そこには神聖な空間が広がっていた。
暗がりの中、夜空を映した水面が見渡す限りに広がっている。そこに淡い提灯の光を灯した屋形船が二隻浮かんでいる。
一隻は、竜の頭を形どった舳先を持つ『竜頭舟』。
もう一隻は、 鷁という想像上の水鳥の首を形どった舳先の『鷁首舟』。
この二隻は一対となっており、合わせて竜頭鷁首という。
古くは平安貴族たちが用いたというその舟に、今もたくさんの人々が乗っているのが見えた。
「あの舟に乗るには予約が要るんやけど、当日券はもう売り切れてるやろうねぇ」
柚葉さんが言った。
舟に乗れるのは一回につき十五分ほどで、月がよく見える時間帯は特に人気なのだという。
よくよく見てみれば、池の端にある乗船場にはまだ多くの人たちが順番待ちをしていた。
「もう少ししたら、月の位置が高くなってくるやろ。そしたら、この池の水面に月の姿が映るんよ。空に浮かぶ月と、水面に映る月……二つの月を舟の上から楽しむっていうのが、この観月の夕べの特徴やねん」
遠い昔、平安時代から親しまれた秋の行事。やんごとなき人々がこの池で舟に乗り、月を愛で、音楽を楽しみ、歌を詠んだという。その風景を想像しただけで、なんとも優雅で幻想的な気持ちになる。
「って、こんな話をしてる場合とちゃうな。あたしら、小麦ちゃんの家族を捜しに来たんやから」
言われて、ハッと私も我に返る。
そうだった。つい風情のある景色に見惚れてしまったけれど、私たちには目的がある。
柚葉さんの持つ三方に目を落とすと、お盆の上では小麦ちゃんが後ろ脚で立ち上がって、キョロキョロと辺りを見回していた。
池の周りにはたくさんの人が集まっている。それぞれ思い思いに月を愛で、談笑し、境内を散策している。お茶席も設けられているようで、縁台に座って和菓子を堪能する人の姿もある。
この中に、小麦ちゃんの家族がいるかもしれない。
「とりあえず、歩いてみますか? ここの敷地は広いですからね」
猫神様が言って、小麦ちゃんはこくりと頷く。
虫の音が響く幽玄の世界で、私たちは歩を進めていった。



