「かんげつの……?」
初めて耳にする言葉に、私は首を傾げる。
その隣で、猫神様はどこか納得したように頷いて言った。
「『観月の夕べ』は、大覚寺で催される秋の行事ですね。中秋の名月の時期に、池に舟を浮かべて、そこから月を愛でるものです」
どうやらお月見のイベントらしい。京都では有名な行事のようで、無知を晒した私はちょっとだけ恥ずかしくなる。
「わたしの家族は、毎年必ずそれに参加してたの。わたしはずっと家にいたから、実際に見に行ったわけじゃないけど……」
そんな小麦ちゃんの言葉を聞いて、私と猫神様は再びお互いの顔を見合わせる。
今日は、中秋の名月。
小麦ちゃんの記憶が確かなら、彼女の家族はきっと、今年もその場所へ向かっている。
「大覚寺は、ここからそう遠くはありません。バスを使えばすぐでしょう。催しは夕方から夜にかけて行われますから、今から向かえば間に合うはずです」
そこへ行けば、小麦ちゃんの家族に会えるかもしれない。
私たちはすぐさまその場に立ち上がると、一人だけ状況を飲み込めていない柚葉さんを連れて、家を後にした。
◯
日没を迎えた頃。ゆっくりと夜の色に染まっていく嵐山は、人で溢れていた。
柚葉さんの家から、渡月橋までは歩いて五分ほど。そこから市バスに乗って、大覚寺を目指す。
「大覚寺が建てられたんは、平安時代のことらしいで」
バスに揺られながら、柚葉さんは得意げに言った。
平安時代の初め、嵯峨天皇の離宮として建てられたもの。それが後に寺院として改められ、今の大覚寺となったのだという。
「観月の夕べも、もともとは嵯峨天皇が始めたんやって。大覚寺の境内にある大沢池に舟を浮かべて、貴族の人たちとお月見してたらしいよ」
そう楽しげに語る柚葉さんの手元には、例の三方が大事そうに抱かれていた。
そしてお盆の部分には、相変わらずもふもふの小麦ちゃんがちょこんと座っている。
小麦ちゃんはバスの車窓から見える景色をひたすら眺めていた。
夕闇の中、多くの観光客たちが嵐山を往来している。時折そこに人力車が通ったり、記念撮影のために立ち止まる人もいたりして、列が乱れる。
この雑踏の中に、もしかしたら小麦ちゃんの家族がいるかもしれない。
そう思うと、いっそバスには乗らず、大覚寺までは歩いて行った方が良かったのかもしれない。
けれど、それで到着が遅れて、入れ違いになってしまったら元も子もない。
バスを降りた先で、どうか彼女の家族に会えますように。
彼女が無事に家族のもとへ帰れますようにと、私は願ってやまなかった。



