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「いつもありがとうございます、猫神様」
午後八時。
例によって自宅マンションの前まで送ってくれた猫神様に、私はぺこりと頭を下げる。
「いえ。お礼を言うのはこちらの方ですよ。今回も桜さんのおかげで、迷えるあやかしを救うことができましたから」
私のおかげ、と彼はいつも言ってくれる。私にできることなんて限られているけれど、それでも彼がこう言ってくれることで、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
「栗彦くんが嬉しそうで、よかったです。あの女の人に、ちゃんと気持ちを届けることができて」
栗彦くんも、あの女性も、最後は笑っていた。
二十年ものあいだ抱え続けていた後悔を、無事に払拭することができたのだ。
「そうですね。……私も栗彦さんを見習って、大切な人にはちゃんと、自分の思いを伝えなあきませんね」
「え?」
ぽつりと呟くように言った猫神様の言葉に、私が首を傾げていると、
「いえ。こちらの話です」
彼はふふっと笑って、何でもないというような顔をする。
なんだろう。
いま、何かをはぐらかされたような……。
「そろそろ茜さんも帰って来はりますね。彼女にもよろしく伝えといてください」
言いながら、猫神様はポンッと白煙を上げて、その手元に見慣れた風呂敷包みを取り出す。
茜さん用のお弁当。先ほど私もご馳走になった彼の手料理が、その中に詰められている。
「今日はお夕食の時間が早かったんで、桜さんも後でお腹が空くかもしれませんから、いつもより多めに詰めてます。よければお二人で召し上がってくださいね」
「猫神様……」
どこまでも気配りのできる彼に、私は感動してしまう。
私がお弁当を受け取ると、彼は再び巨大な獣の姿になって、月明かりの差す夜空へと優雅に飛び去っていった。
「おっ、桜やん! いま帰って来たんか?」
と、ちょうど入れ替わりで背後から声が届く。
振り返ってみると、そこにはスーツにポニーテール姿のアラサー女性、茜さんが立っていた。
「おかえり、茜さん。うん、私もいま帰ってきたところ」
茜さんは、身寄りのない私を引き取ってくれた人物だ。
幼い頃に両親を亡くした私は、今まで親戚の家を転々としてきたけれど、彼女はそんな私を嫌な顔一つせずに受け入れてくれた優しい人。
「こんな時間まで女の子がフラフラしとったら危ないでー? って、あ。その風呂敷ってもしかして、例の美味しいお弁当か!?」
彼女は私の手元を見るなり瞳を輝かせる。
猫神様のお料理はもはや、我が家のご馳走として定着していた。
上機嫌な茜さんと談笑しながら、私はマンションへ足を踏み入れる。
こうして帰る場所があって、優しい人たちに囲まれて、
(私、しあわせだなぁ……)
少し前までは想像もしていなかった日常に、ただただ感謝の気持ちしかなかった。



