「自分はやはり、あの子どもの心を傷つけてしまったのだな」

 そう呟くように言った彼の声には、確かな後悔の色が滲んでいた。

「自分が前世で不甲斐ない姿を見せたばかりに、あの子どもにトラウマを植え付けてしまった……。忘れてくれていればそれでいいと思っていたが、どうやら考えが甘かったようだ」

 その言葉で、私はハッと大事なことを思い出す。
 栗彦くんの目的は、その人に会うことではなく、その人の心が傷ついていないかどうかを確かめることだった。

 栗彦くんからすればきっと、当時のことは忘れていて欲しかったのだろう。
 幼い子どもを泣かせてしまった——前世から続くその後悔は、今でも彼の心に暗い影を落としている。

「栗彦くん……」

 私の肩の上で、しょんぼりとしている栗彦くん。そんな彼に対して掛ける言葉が見つからず、私もオロオロしていると、

「では尚更、早くその人のところに行って、栗彦さんの思いを伝えなあきませんね」

 隣から、猫神様がいつもの優しげな声で言った。

「獣医さんになるくらい動物が好きな人ですから。栗彦さんの感謝の気持ちを知れば、きっと喜ばはると思いますよ」

「しかし猫神どの。自分は、あの子どもの人生に悪い意味で影響を与えてしまったのだ。先ほどの母君も言っていただろう。自分のせいで、動物の命に対する執着心を持たせてしまった。……二十年前のあの日のことがなければ、あの子どもは今ごろ別の人生を歩んでいたかもしれない。それこそ両親の希望通り、この店を継いでいたかもしれない。それだけ重大な影響を与えてしまった自分が、今さらどんな顔をして会いに行けばいいのか……」

 二十年前のことが、想像以上にその子の人生に影響を及ぼしていたと知って、栗彦くんは戸惑っている。
 その子の人生を滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にしてしまった——と、そんな罪悪感が言葉の端に滲み出ていた。

「栗彦さんは、その人の歩んできた人生が間違いやったと、そう思うんですか?」

「……そんなことは」

「立派な人やないですか。動物が好きで、動物の命を助けるために、獣医さんになったんです。きっとご両親も誇りに思ったはりますよ」

 ね、と穏やかに微笑む猫神様の顔を、栗彦くんはゆっくりと見上げた。

「……自分が感謝の言葉を伝えれば、その子は喜んでくれるだろうか」

 そう恐る恐る尋ねる彼に、私は大きく頷いて答える。

「うん。きっと喜んでくれるよ。私がもしその人だったら、すっごく嬉しいもん」

 さすがに獣医さんになれるほどの頭は私にはないけれど、動物が好きだという気持ちは私にもわかる。

 きっと喜んでくれる。
 子どもの頃に助けたかった雀の子が、生まれ変わって会いに来てくれただなんて。

「では、街の方まで戻りましょか。動物病院までひとっ飛びです」

 猫神様が言って、私たちは頷く。
 と同時に、チュン、と雀の鳴く声が合わさる。

 それまで私の左肩で静かに腰を下ろしていた雀は、こちらの会話を聞き終えた後、まるで満足したかのように羽を広げて、遠い秋の空へと帰っていった。