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建物の外に出ると、頭上の空はすでに夕焼け色に染まっていた。
午後五時半。
日暮れ前の先斗町では、店の軒先に吊るされた提灯に灯がともり始めている。
「とりあえず、人目につかない場所まで移動しましょか」
そう猫神様に促されて、私たちは再び先斗町を抜けて四条通の方まで出る。そこから別の細い道に入って進んでいくと、やがて人の姿は疎らになっていった。
「さて。この辺まで来れば大丈夫ですね」
猫神様は辺りに人がいないのを確認すると、たちまちボンッ! と大きな音を立てて白煙を上げた。
栗彦くんはわずかに肩を跳ねさせて驚いていたけれど、私にとってはすでにお馴染みの光景だった。
辺りにもくもくと立ち込める煙。それが晴れてくると、私たちの眼前に現れたのは巨大な獣の姿だった。
全長五メートルはゆうに超えていそうな、猫科に見えるもふもふ。
白い体毛のところどころには赤い線のような柄があり、狼のようにシュッとした顔には隈取にも似た模様が浮かぶ。
獣の姿の、猫神様だった。
彼はこうして、自分の姿形を自由自在に変化させることができる。
「おお……。噂には聞いていたが、よもやここまでの迫力だとは」
まるで猛獣のようなその姿に、栗彦くんは目を丸くしていた。
そんな彼を見下ろして、猫神様は巨体に似合わない優しげな声で語りかける。
「どうぞ、二人とも背中に乗ってください。ここから大原までひとっ飛びです」
言い終えるが早いか、彼は私たちが乗りやすいように姿勢を低くして、伏せの体勢になってくれる。
私は言われるがまま、栗彦くんが肩から落っこちないように手を添えて、少しだけ助走をつけて猫神様の背中へ飛び乗った。
ぼふっ、と白い体毛が、私の全身をやわらかく受け止めてくれる。見た目どおりのふわふわの毛は、とても触り心地がよくて、干したてのお布団みたいな良いにおいがする。
「それでは、出発しますね。しっかり掴まっといてくださいね」
言いながら、猫神様は勢いよく地面を蹴って空へ飛び上がる。まるで飛行機が離陸するときのように、私たちの体は重力に逆らってぐんぐんと飛翔していった。
「は、速い……!」
私の耳元で、栗彦くんが感嘆の声を上げる。彼も空を飛ぶのは慣れているはずだけれど、どうやらこのスピードを体感するのは初めてのようだった。
そうして気づいたときには、私たちは燃えるような夕焼け空の真ん中を浮遊していた。パノラマに広がる京都の街が、遥か下で赤く染まっている。
「きれい……」
山の向こうに、日が沈もうとしている。赤と紫に染まる雲の隙間から、黄金色の太陽が最後の光を放っている。
秋は夕暮れ、というフレーズを体現するかのようなそれは、絶景と呼ぶに相応しかった。
「そろそろ着きます。一気に下へ降りますんで、二人とも気をつけてくださいね」
猫神様がそう言った直後。全身が上に引っ張られるような感覚に包まれ、高度が下がっていく。それまで遠く小さく見えていた街並みが、どんどん近づいてくる。
やがて地上の様子がよく見えるようになると、辺りには田畑が広がっていた。四方を山に囲まれた景色の中で、収穫の時期を迎えた稲穂が黄金に色づいている。
さらにその周りでは、田んぼを見守るかのごとく、赤い彼岸花が風に揺れていた。



