◯
「ねえねえ。おねえちゃんはお名前なんていうの?」
四条通を東へ歩きながら、私の左腕にくっついた彼は無邪気にそう尋ねてくる。
「私はね、天沢桜っていうの。キミは?」
「へえー。おねえちゃん、サクラっていうんだ。お花の桜かな? ボクはね、蜜柑っていうんだ」
「蜜柑くん? かわいい名前だね」
彼のふわふわのオレンジ色の耳を見ていると、確かに蜜柑って感じがする。
なるほど、猫に蜜柑。
あとはコタツがあれが完璧だな——なんてくだらないことを考えていると、不意に人の視線を感じた。
私が改めて周りに目をやると、道を行き交う人の何人かが、私の方をチラチラと見ていた。
不思議そうにしていたり、どこか気味の悪そうな顔をしていたり。
(ああ、そうだった)
こういう視線は、あんまり好きじゃない。
でも仕方ないよね、とも思う。
周りの人たちはみんな、私の隣にいる蜜柑くんのことが見えていないのだ。
彼らからすれば、私は一人でおしゃべりしているように見えているはず。
昔はこういう場面を学校の友達に見られて困ったことになったりもしたんだけど、今日は久々だったから油断してた。
でもまあ、気にしない。
この街にはまだ友達と呼べる友達もいないし、それに何より、今は蜜柑くんのためにも猫神様を見つけることが先決だ。
そうこうしているうちに、私たちの足は道の突き当たりまで辿り着いた。
目の前に聳える立派な朱色の門を見上げて、私は言う。
「さあ、着いたよ。神様がいそうな場所」
四条通の東の果て。
石段を登った先にあるのは、『祇園さん』の呼び名で親しまれている八坂神社だ。
平日の昼間にもかかわらず、多くの人が出入りしているそこには、本殿の他にもたくさんの摂社と末社とがあり、それぞれの場所で別の神様が祀られている。
それだけ多くの神様が集まる場所なら、蜜柑くんの捜している猫神様も見つかるかもしれない——と、そう思ったのだけれど。
「ここって、神社……だよね? 猫神様は、多分ここにはいないよ」
そんな彼の反応に、私は面食らった。
「えっ。そうなの? 神様って、神社にいるものじゃないの?」
「んっとね。猫神様は神様だけど、神社にいるわけじゃないんだ。もっとこう……お店みたいな場所にいるって聞いたよ。お料理屋さんがいっぱい並んでるところとか」
お店みたいな場所。
ということは、どこかの飲食店の神棚にでも祀られているのだろうか。
「そ、そっか。じゃあ、もっと別の場所を探さないとだね」
蜜柑くんからの情報を元に、私たちは四条通を再び練り歩く。
お料理屋さんがいっぱい並んでいるところ——もしかしたら四条河原町の辺りかな? と思って、私はそこへ向かった。
東西にまっすぐ伸びる四条通と、そこへ垂直に交わる河原町通。
その交差点を中心として、辺りには多くの店が軒を連ねて賑わっている。
「うーん……。お料理屋さんはいっぱいあるけど、ちょっと雰囲気がちがうかも」
蜜柑くんは残念そうに言って、ふわふわの耳をしょんぼりとさせる。
「猫神様がいるのは、もっと静かで、古いお座敷があるところなんだ」
古いお座敷。
もしかしたら、どこかの老舗だろうか。
この四条通付近で、そういう雰囲気のお店がたくさんあるところ、となると、
「もしかして、先斗町のことかな……?」
私が言うと、蜜柑くんは両耳をぴょこりと立てて食い付いてくる。
「あ。そんな名前だったかも!」
どうやら当たりらしい。
先斗町というのは、この四条通の途中、鴨川の手前を曲がったところにある細長い路地のことだ。
風情のある日本家屋が並ぶ花街で、たまに舞妓さんが歩いていることもある。
「よし。それじゃあ、そこに一緒に行ってみよっか」
「うん!」
蜜柑くんは嬉しそうに私の左手をギュッと握ってくる。
そこから目的の場所までは、歩いて十分とかからなかった。
「わっ、すごい。この路地だけ、なんだか他の道と雰囲気がちがうね」
先斗町は、車が通れないほどの狭い路地である。
その細長い空間に、日本情緒ただよう木造家屋が立ち並ぶ様を見て、蜜柑くんは感嘆の声を上げた。
「うん、やっぱりこの辺りかも。猫神様がいるところ」
どうやらこの路地のどこかにいるらしい。
もう少しで、猫神様に会える。
けれど、店がたくさんありすぎて一体どこへ入ればいいのかわからない。
気軽に中へ入って確認できればいいのだけれど、なんだか敷居の高そうなお店や、一見さんお断りのところもあって、ちょっと入りづらい雰囲気がある。
さてどうしようか、と私が頭を悩ませていると、
「あっ!」
と、急に蜜柑くんが大きな声を上げた。
一体どうしたのかと見てみると、彼の瞳が見つめる先に、一匹の白猫がいた。
路地の奥、細い道の真ん中で、ちょこんと座ってこちらを見つめ返す白猫。
その可愛らしい姿をまっすぐに見ながら、蜜柑くんは言った。
「猫神様だ!」
「えっ……?」