前世の栗彦くんを助けようとしてくれた、優しい子ども。
その子が当時のことを覚えているのかどうかはわからない。むしろ忘れているならそれでいいと栗彦くんは言っている。
当時の悲しい記憶が、その子の胸に残っていないかどうか。
それが心配で、そのことを確かめるためだけに、栗彦くんははるばる幽世からこの現世へとやってきたのだ。
「優しいんですね、栗彦さんは」
猫神様が言って、私も頷く。
前世の恩人を思う栗彦くんの気持ちは、慎ましくて、繊細な思いやりに満ちた優しいものだった。
「事情はわかりました。しかし問題は、その人をどうやって捜し出すか、ですね。栗彦さんの記憶だけを頼りに捜すとなると、時間がかかる可能性がありますが……本来であれば、私は今すぐにでもあなたをあちらの世界へ帰さなあかんので」
こちらの世界に迷い込んだ半人前のあやかしを、あちらの世界へ送り帰す案内人——それが、猫神様の役目だ。
本来ならばこうしている間にも、彼は栗彦くんに元の世界へ帰るよう促さなければならない。
「頼む、猫神どの。自分はどうしても、あの子どものことを確かめたいのだ。あの子が忘れてくれているならそれでいい。それさえ確認できれば、自分は直ちにあちらの世界へ帰ると約束する。だから……」
この通りだ、と栗彦くんはテーブルの上に額を押し当て、土下座をしてみせる。
そんな彼の必死な様子に、猫神様は慌てて「顔を上げてください」と困った顔で苦笑した。
「大丈夫です。少しだけ寄り道をするくらいなら、きっと上の方々も許してくらはることでしょう。ですから、一緒にその人のことを捜してみましょか」
「……猫神どの!」
再び顔を上げた栗彦くんは、心の底から安堵したように破顔する。
私もホッとして、思わず頬が緩んでいた。
「では早速、その人が今どこに居たはるかについて考えていきましょう。栗彦さんがこの京都に迷い込んだいうことは、ここからそう遠い場所ではないと思います」
猫神様はわずかに居住まいを正して、改めて本題に入った。
対する栗彦くんも、小さな背筋をピンと伸ばして答える。
「ここ数日、自分なりにこの近辺を捜索してみたが……記憶にある場所とは少し雰囲気が異なっている気がする。あの子どもがいた場所はもっと緑が多くて、田園風景が広がっていたのだ。前世で最期に見た景色も、田んぼの周りに彼岸花が咲いていたのを覚えている」
「彼岸花……となると、嵯峨野や大原の辺りでしょうか。あの辺りは彼岸花の名所にもなってますからね」
彼岸花は、お彼岸の時期に咲く赤く美しい花だ。
ちょうど今のシーズンは田んぼの畦道や土手に生えているはず。
「もう少し情報があれば、さらに範囲を絞れそうですね。何か、他にも目印になりそうなものはありませんか? どんな些細なことでも構いません。あなたの思い出せる限り、その場所の風景についてわかることがあれば、どんなものでも」



