なんとかして、蜜柑くんがここまで会いにきてくれたことを彼女に伝えたい。

 だから、

「あの。すみません」

 どうしても我慢できずに、私はその人に話しかけてしまった。

 見知らぬ女子高生から急に声をかけられた彼女は、不思議そうにこちらを振り返る。

「あなたは……?」

 そう問いかけられて、私はやっと我に返った。

(しまった)

 何の考えもなしに、衝動的に体が動いてしまった。
 これから彼女にどう説明をするのかも、何の準備もしていない。

 けれど時すでに遅し。
 相手の意識はもうこちらに向いてしまっている。

 もはや腹を括るしかなく、私はしどろもどろになりながら、なんとか言葉を紡ぐ。

「えっと、その……いきなり話しかけてしまってすみません。もし、ご気分を悪くされたら申し訳ないのですが」

 そう前置きしてから、私は改めて彼女の目を見て、恐る恐る尋ねた。

「あなたは昔、猫ちゃんを飼っていませんでしたか? 二十年くらい前に」

「猫?」

 その質問を耳にした瞬間、彼女の瞳が確かな動揺を示す。

「……なんで、そのことを知ったはるんですか?」

 当然の疑問だった。
 お互いに面識すらない人間が、急に過去のことを言い当てたのだ。
 不審に思われるか、気味悪がられるに違いない。

 今までもそうやって、私は人から避けられてきた。

 彼らが私に向けてくる、異様なモノを見る視線。
 あれを思い出すだけで、たまらず体が震えそうになる。

 けれど私は、それでも今は、真実を伝えたかった。

「実は私、人には見えないものが見えるんです。あなたの目には映っていないかもしれないけれど……あなたのそばには今、猫ちゃんがいるんです。ずっと遠いところから、あなたに会いにやってきたんです」

 たどたどしくも、そう私が伝えきった直後。

 彼女は痩せた両手で自らの口元を覆って、

「……ミカンのことですか?」

 信じられないといった表情で、私の顔をまっすぐに見つめた。

「あの子がいま、私のそばにいるんですか?」

 どうやらわかってくれたらしい。

 ミカンという名前は、この現世で彼女と一緒に暮らしていた頃からのものだったのだ。

 当時の蜜柑くんは、人間の言葉をよく理解できなかったと言っていた。
 けれど、彼女が何度も呼んでくれたこの名前の響きだけは、しっかりと覚えていたのだ。

「ミカンは……私のせいで死んでしもたんです。あの日は私の不注意で、窓を開けっぱなしにしてたから……そこから外に出て、車に轢かれてしもうて。私のせいで、可哀想なことをしてしまいました」

 当時のことを思い出しているのか、彼女は口元を覆ったまま、眉根に深いシワを刻む。

 やはり蜜柑くんはその日、事故に遭ったのだ。
 もう二十年も前のことを、女性はつい今しがた起こったことのように、悲痛な面持ちで振り返る。

「私には、あの子の世話をする資格なんてなかったんです。ほんまに、可哀想なことをしてしもて……。あれからもう、命あるものを引き取ることはせんようになりましたけど、それが償いになるはずもありませんから……」

 蜜柑くんはもともと捨てられていた仔猫で、冬の寒い夜に段ボールの中で震えていたという。
 それを不憫に思った彼女が拾って、一緒に暮らし始めたのだ。

「私なんかが拾わなければ……もっと別の人に拾われてれば、あの子は幸せになれたかもしれません。だから……私はあの子に恨まれても仕方がないんです」

 恨まれている、と彼女は言う。

 蜜柑くんがここへ来たのはそんな理由じゃないのに、彼女は勘違いをしている。

「ちがう。ちがうよ」

 いつのまにか、蜜柑くんがすぐ隣までやってきていた。
 彼は女性の目の前に立って、うんと背伸びをして、今にも泣きそうな彼女の頭を撫でている。

 けれどその温もりは、お互いに感じ取ることはできない。