決行当日の朝七時。課題の期限でもある、この日。
五人は教室で作戦の最終確認を行っていた。

「作戦は頭に入ってる?」
「うん、ばっちりだよ」

 由香里の問いに彩葉を初め、全員が肯定の意を示す。その反応に由香里は満足気に微笑んだ。

「タイムリミットは迫ってきてるわ。すぐに取り掛かりましょう。全員、あれは持ってきてくれた?」
「ワイヤレスイヤホンだろ? ちゃんとあるぜ」

 光輝がそれを片耳に装着したのを確認してから、由香里はスマホでグループ通話を開始した。

「グループ通話を常時繋げて連絡を取るわ。何かあったらすぐに報告してちょうだい」
「わ、わかった」

 快星も少し固い声で返事をした。その声色には緊張が滲んでいる。たが、それは彼だけではなかった。
 今回ばかりは誰もが各々の場面で緊張を見せている。

「皆さん、大丈夫ですわよ。この私がいるのですから。失敗するはずありませんわ」

 絶対的な自信を持ち、こんな状況でも気丈に振る舞う真緒を見て、四人の肩の力が抜けていく。
 真緒と犬猿の仲である光輝も、彼女の図太さに思わず笑ってしまうくらいだ。それにつられるように、他の三人にも笑顔が戻っていく。

「そうね、失敗はありえないわ……行きましょう」
 
 由香里が短く指示を出し、作戦が決行された。手筈通り用務員室チームと職員室チームの二手に別れる。
 先に目的地へとたどり着いたのは、由香里と真緒の用務員室チームだった。
 真緒が悠々とした足取りで用務員に話しかける。

「失礼、少しお時間を頂きたいの」

 その声はイヤホンを通して、他の四人にも伝わった。その頃、職員室チームも目的地にたどり着いたようで、各々が作戦に取り掛かろうとしていた。
 
「彩葉、ドアの鍵頼むぞ」
「うん、任せて」

 彩葉は光輝の言葉に答えてから、鍵を持つ先生の元へ駆け寄って行った。
 光輝はというと、さっきから何やらチラチラと時計を確認している。

「どうしかした……? 時計ばっかり見てるけど」

 時計と光輝の顔を交互に見る快星の顔には、はてなマークが浮かんでいる。

「ああ、俺は俺の役割を果たさねぇといけねぇからな……三、二、一」

 光輝がカウントダウンを終えたその瞬間、職員室内に大音量で音楽が流れはじめた。耳を劈くその音に全員が顔を顰め、耳を塞ぐ。
 このチャンスを逃さず、彩葉は鍵を素早く手に取って二人と合流した。

「なにこの音。耳が壊れそう。音楽流すなら事前にそう言ってよ」
「悪ぃ悪ぃ。でも結果オーライだろ。それにこの音楽ももうすぐ止まる」

 彩葉は光輝を問い詰めるが、彼は悪びれる様子もなく肩をすくめた。直後、音楽は頃合を見たかのようにピタリと止まった。

「タイミングばっちだ。ほら、先生も職員室からぞろぞろと出てきたぞ」

 光輝の視線を追うように、彩葉と光輝は職員室の入口に目を向ける。

「まあ、確かにそうだね……でも次からはちゃんと教えてよ」
「へぇ、もう次のこと考えてんのか。やる気満々じゃねぇか」

 彩葉はため息をつきながら、快星に鍵を手渡した。快星の手には緊張からくる汗が滲んでいる。

「快星、託すよ。この次のステップが一番大事なんだからね」
「うん。大丈夫、絶対に失敗しない……はず」
「おいおい、"はず"じゃねぇだろ。そこは言い切れ。ここまで来たんだ。やるしかねぇぞ」

 光輝は快星の肩を数回叩き、少し笑ってみせた。その軽口に、快星もようやく笑顔をみせる。

「そうだね。頑張るよ」

 一方、用務員室チームでは由香里の潜入が完了していた。
 用務員はというと、真緒の巧みな会話術と華やかな笑顔で完全に注意を逸らされていた。
 由香里は事前に真緒に教わった通りの操作方法で、監視カメラの映像を手際よくすり替えていく。
 
「みんな、聞こえてる? 監視カメラの映像処理が終わったわ。そのまま部屋に入ってちょうだい」

 その合図に快星はこくりと頷いた。ここからは大人数で動くのは得策ではないため、彼の一人行動だ。音をあまり立てないように部屋に近づいていき、彩葉から預かっていた鍵でドアを開ける。

「侵入成功したよ。プログラムの書き換えやってみるね」

 快星は部屋の中に入ると、指定されたコンピューターの席に座った。部屋には緊張感が漂っているが、イヤホン越しに聞こえる仲間の声が彼の背中を押す。

「焦らないで、快星。手順通りにやればうまくいくはずよ」

 由香里の冷静な声が彼の耳元に響き、快星は深呼吸して気持ちを落ち着けた。
 キーボードを叩き、プログラムにアクセスしようとしたとき快星の頬を嫌な汗が伝った。

「ど、どうしよう……パスワードがかかっててアクセスできない」

 その言葉に、全員が一瞬で凍りつく。これは想定外の出来事だった。快星もパニック状態に陥っている。そんな中、由香里は冷静な声で快星を落ち着かせようとする。

「大丈夫よ。落ち着いて。どこかにパスワードが書いてそうな場所はない?」
「そ、そんなこと言われても……あるのはパソコンだけだよ」

 弱々しい声がイヤホンに流れる。この課題は失敗に終わってしまうかもしれない。そんな考えが全員の頭をよぎり出したとき、彩葉が何かを思い出したように声をあげた。

「あっ、パソコンの裏だよ! 今すぐ確認してみて」

 早くと急かされ、快星は慌てたように裏を覗き込む。するとそこには『t25031』と書かれていた。

「あった……」
「急いで入力して!」

 安堵している暇もなく、急いでそれを入力すると画面一面にプログラムのコードが表示された。それを見るやいなや快星は上書きを始めた。
 その間にも由香里と真緒は監視カメラの映像を守り続け、光輝と彩葉は先生を見張っていた。職員室での騒ぎも一段落し、いつ先生がわからない状態だった。

「快星、できるだけ急いでくれ。先生が戻って来るかもしれねぇ」

 光輝の言葉に快星はタイピングの手を速める。パソコンと格闘すること早数分、ついにモニターに『上書き完了』の文字が表示された。

「……やった。みんな上書きできたよ」

 その報告にイヤホン越しの仲間が安堵の声を漏らす。

「さすがよ。あとは見つからないようにその部屋を出て、合流するだけね。教室で待ってるわ」

 快星はデータを保存し、ばれないように設定を戻してから教室を後にした。職員室の外では光輝と彩葉が手を振っていた。
 
「とりあえず教室に戻ろうぜ。話はそれからだな」

 もう一つの由香里と真緒の用務員室チームも話のタイミングを見計らい、その場を離れようとしていた。

「お話を聞いてくださってありがとうございます。では、失礼しますわ」

 真緒は美しい笑みを浮かべながら、軽くお辞儀をする。由香里も監視カメラを元に戻す作業が終わり、無事二人は合流することができた。
 全員が教室に揃ったのは、それから数分後のことだった。誰にも怪しまれることなく戻ることができて、全員の顔に安堵の色が広がる。
 
「ランキング表のことだけど……昼休みくらいに一時停止するよう上書きしておいたよ」
「やるじゃねぇか」

 光輝が頭をわしゃわしゃと撫でると、快星は弾けるような笑顔を見せた。他の三人はそれを優しい眼差しで見守る。

「快星のおかげね。でも安心するにはまだ早いわ。ちゃんと確認しないと」
「その通りですわ。まだ課題を達成したわけではありませんからね。ところで羽田さん、なぜパスワードが書かれている場所がおわかりになりましたの?」

 真緒の一声で話題が変わる。その問いに彩葉は照れくさそうに答えた。

「あぁ、それは鍵持ってた先生が物忘れが激しいって言ってたから、もしかしたらと思って。確証は何もなかったんだよ」
「おかげで助かったよ……ありがとう」
「みんなの協力あってこそだよ! それに一番の功績者は間違いなく快星だしね」

 その言葉に賛同するように、全員が頷いた。

――そして迎えた、昼休み。

 五人は成績表を確認するために、職員室横まで来ていた。周りには既に人だかりができている。

「ランキング表が止まってるぞ。どうなってるんだ?」
「わからない。今、先生たちが原因究明してる最中らしいよ」

 そんな会話があちこちから五人の耳に入っていく。

「……やった。課題達成だ」

 快星が小さく呟くと、周りの四人もばれない程度にガッツポーズをする。何かを見つけたのか、彩葉がある生徒を指さした。

「ねぇ、あれ見て」

 言われた通り、彩葉の視線の先を追う。
 そこにはほとんどの生徒が戸惑っているなか、嬉しさに頬を緩めながら泣きだしそうに鳴っている生徒が数人いた。
 その生徒たちは彩葉らの視線に気づくと、そそくさとどこかへ行ってしまった。

「あいつらの後つけてみようぜ」
「え、つけるの? でも課題は達成したんだし……これ以上危険を犯さなくてもいいんじゃないかな……ほら、他クラスとの過度な接触は禁止されてるし」
「影波はこの課題を通して俺たちに何か気づかせようとしてる。要はランキング表はきっかけに過ぎず、あとは俺達の行動次第ってことだ」
「確かに一理ありますわね」

 光輝の話に納得できる部分があったようで、真緒も賛同するように頷いた。

「鷹宮の言う通り、後を追ってみましょう。何かわかるかもしれないし」

 五人は視線を交わし小声でやり取りを終えると、一定の距離を保ちながら後を追い始めた。

「……どこに行くつもりなんだ?」

 光輝が低い声でぼそりと呟く。階段を下り、別の校舎へと移っていくその姿を見失わないように細心の注意を払う。足音を立てないように歩き続け数分後、生徒たちは一つの教室へと入っていった。
 快星がクラスを確認するためにドア付近に視線を向けると、そこには『O組』と書かれていた。花高の最下層クラスだ。

「窓から覗けそうだよ」

 五人は彩葉が示した窓まで行き、ばれない程度に顔を覗かせる。――次の瞬間、目を疑うような光景が五人の眼前に広がった。

 そこにあったのは劣悪な学習環境だった。教室を取り囲む壁には数え切れないほどの落書きがあり、机と椅子の数がどう見ても揃っておらず、いくつかは壊れたまま放置されている。
 教室の片隅には使われていないロッカーが積み重ねられていて、今にも崩れてきてしまいそうだ。教室内にいる生徒の表情はどこか暗く、中には机に突っ伏しぴくりとも動かない人もいた。

「まるでゴミ捨て場だな」

 光輝は眉を顰め、そう呟いた。五人の間に重苦しい沈黙が流れる。
 
「ど、どうなってるの? ここって教室……だよね?」
「ええ、それは間違いありませんわ。ただ私たちの教室とは随分違うようですわね」

 快星も真緒も目の前の現実を受け止めきれないようだった。

「そういえば、私たちがつけてた人たちはどこにいるんだろう?」

 彩葉は教室内に視線を巡らせると、さっきの生徒たちが隅で円になり何やら話し合いをしているのが見えた。五人と彼らの距離は遠すぎてその内容までは確認できない。ただ確実に言えることは、喜びと不安の狭間で揺れ動いているということだけだった。
 
「潜在能力って……なるほど。そういうことね」

 由香里が何かに気づいたように顔をはっとあげる。

「えっ、もしかして何かわかったの?」

 彩葉の問いに由香里が答えようと口を開けたとき廊下の奥から誰かの足音が聞こえてきた。その音はだんだんと五人の方へと近づいてきている。

「ひとまず教室に戻りましょう。詳しくはあとで話すわ」

 五人はすぐに姿勢を低くし、窓から離れた。足音の主とも鉢合わせないように慎重に来た道を戻っていく。やっとA組の教室に戻ってきたときには、全員へとへとだった。
 けれど休む暇はなく、各々自分の席に座ると鷹宮が先程の話を持ち出した。
 
「それで塩沼、ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「もちろんよ。先生言ってたでしょ? 課題達成の先にある現実を受け止めろって。私が思うに"潜在能力を引き出す"という目標は本当の目的を隠すためのカモフラージュだったのよ。だから説明があれほどまでに抽象的だったんだわ」

 そこまでの説明を聞いて、真緒も由香里の言わんとすることが理解できたらしく、ふうと息を吐いた。

「つまり、真の目的は私たちにこの学園の秘密を知ってもらうためだったというわけですわね。まわりくどいやり方ですこと」
「じゃあ、先生は全部知ってたってこと……?」

 その場にいる全員が疑問に思っていたことを快星が呟く。するとその直後、教室のドアが開かれた。視線が一箇所に集まる。
 そこに立っていたのは影波だった。彼はゆっくりと教卓に歩み寄ると、五人を見渡し口を開いた。鋭い目付きに緊張が走る。

「どうやら気づいたようだな。さすがはA組の生徒だ」

 O組の実態を知ってしまった今、五人はそれを褒め言葉として受け取ることが出来なかった。
 
「せ、先生は……何者なんですか?」

 快星は震える声を絞り出す。

「ただの教師だ。それ以外でも以上でもない。少なくとも今はな」

 影波はそう言い終わったあと一瞬目を細め、また話し始めた。

「君たちは本当に賢い生徒だ。だが、ひとつだけ勘違いをしている。カモフラージュのためとは言えど、潜在能力を引き出すというのも一つの大切な目標だ。君たちは遅かれ早かれ必ずそれを考えないといけないようになる。だから俺はあえて先に提示していただけだ」

 それを聞いて、今度は由香里と真緒のみならず全員が顔をあげた。

「君たちに今一度問おう。勉強という武器がなくなったとき、どう自分の価値を証明する?」

 最初にした質問を繰り返す影波の顔には、生徒を試すような色が浮かんでいる。今までの五人なら、きっと何も答えられなかっただろう。だけど今は違う。
 影波が出した課題を達成する過程で、ぼんやりとではあるが、全員が自分の内に秘めた能力に気づきつつあった。

「愚問ですわね。私たちは私たちにしかできないことをする。それだけですわ」

 真緒が自信たっぷりに言い切ると、影波は笑みを浮かべた。他の四人も、それに頷く。
 
「それで――君たちはこれからどうするつもりだ?」

 返ってくる言葉はきっとわかっていた。それでも影波は、彼ら自身が紡ぎ出す言葉を聞きたかったからかもしれない。

「もちろん、この学校の闇を暴きます」
「当たり前だよな」
「そのためなら何だってするよ。籠の中の鳥でいたくはないしね」

 教室内の空気が変わる。もうそこに迷いなんてものはない。あるのは自らの胸に抱いた課題への覚悟だけだった。