簡易的なホームルームが終わったあと、影波は職員室に忘れ物を取りに行った。その間を利用し、五人は一番後ろの席で緊急会議を開いている。

「あの影波剛とかいう方、少々常軌を逸しているように感じましたわ」

 真緒は頭に手を当て、品のある仕草でふうとため息を吐いた。

「学校のルールを破れなんて言う人見たことないしね。そんなことしてバレたら退学になっちゃうよ。ねぇ、みんなで校長先生にこのこと伝えたらダメかな……?」

 彩葉の大きな瞳には不安が揺れていた。
 
「バカかよ。そんなことしたって影波がしらばっくれればそれで終いだ」

 光輝は冷笑混じりに彩葉の提案を否定する。

「じゃあ、課題を拒否するとかは……?」
「あの先生の話じゃ課題はテストの代わりなんだろ? 拒否すれば成績が落ちるぜ。いいのかよ?」

 椅子に深く腰掛けている光輝は彩葉の言葉に挑発的な笑みを浮かべる。そこにはどこか挑戦を楽しむような表情も含まれていた。

「課題を受けてバレれば退学。拒否しても成績が下がって退学。最悪の二択ね」

 顎に手を当てて考える素振りを見せる由香里を中心として静かで重い空気が流れる。
 その沈黙を快星が控えめに破る。

「そもそも……潜在能力を引き出すってなんなんだろうね……」
「そこが一番引っかかるのよ。ただ潜在能力を引き出すだけならルールを破る必要なんてないはずなのに。それにその言葉自体が曖昧すぎるわ」

 五人が話し合えば話し合うだけ次々と謎が生まれてくる。そんな負の連鎖に終止符を打ったのは意外にも光輝だった。

「今わかることは何もないってことだな。それにお前ら退学退学って言うけど、要はバレなきゃいいんだよ。簡単な話だ」
「簡単な話って……あなた本気で言ってますの? まだどのような課題が出されるかもわからないのですわよ?」

 真緒は呆れたような表情を見せた。綺麗に整えられている眉が吊り上がる。
 そんな真緒に対し、光輝は軽く肩を竦めた。

「本気の本気だ。な、お前らもそう思うだろ?」

 光輝は横にいる彩葉と快星にも同意を求める。

「まあ、確かに言われてみればそうかも……」
「えっと、うん。怖いけど……みんながやるなら僕もやるよ」

 彩葉と快星の賛同は弱々しかったが、光輝は満足気に笑みを浮かべた。

「そうこなくちゃ面白くねぇよな。それで、お前らはどうすんだよ」

 まだ答えを出していない真緒と由香里は顔を見合わせお互いに頷く。

「鷹宮さんの口車に乗せられているようで何だか癪ですけど、やる道しか残されていないなら仕方ありませんわね」
「ええ、私も江崎さんと同じ意見よ。でも私がやるのはあくまで様子見のため。一回目の課題で影波先生が私たちに何をさせたいのか見極めてみせるわ」

 由香里の瞳に揺るぎない決意が宿る。
 見据えるものが違えど、五人の意見が一つにまとまったように見えたその直後、教室のドアが静かに開かれた。
 入ってきた影波に視線が向けられる。その眼差しには興味と疑念が入り乱れていた。

「お、どうやらやる気は持ってくれたみたいだな」
「私たちは最善だと思った道を選んだだけですのよ」

 真緒は涼やかに返すと、影波は口元を歪めて笑みを浮かべた。

「理由はなんだっていい。君たちがこの課題に取り組んでくれるのならな。それにしてもよかった。他の先生に告げ口されたら、言い訳を考えないといけなくなってしまうところだった」

 そう言いながら高らかに笑う影波の姿は、教師らしさの欠片もなく、狂人そのものだ。
 光輝はその様子を面白おかしそうに見ている。

「それで課題というのは具体的に何なのですか?」

 由香里は影波の笑い声を制し、本題へと話を戻した。影波は一つ咳払いをしてポケットから一枚の紙を取り出し、黒板にマグネットで貼り付けた。

「これが第一の課題だ。じっくり読んで挑んでほしい」

 影波のその言葉を合図に光輝以外の四人が黒板へと足を進める。
 そこには『校内に設置されている成績ランキング表を誰にも見つからずに一時停止させること』と書かれていた。
 その場に動揺が走る。

「あのランキング表を停止させろって言うの……?」

 由香里は信じられないといった様子で目を見開く。

 ――成績ランキング表。
 それは全校生徒のリアルタイム成績が学年毎に一覧で表示される電子掲示板のことだった。

「こ、こんなの……やっぱり無理だよ」

 快星が震える声を出しながら首を横に振った。
 それもそのはず。花高の制度を支えるために欠かせない大黒柱ともいえるランキング表を一時的にでも停止させろと指示されたのだから。
 これがあるからこそ生徒間の競争力が増し、全体的に成績が上がっているといっても過言ではない。

「これをただのルール破りなんて言葉でまとめていいわけがない……ランキング表が停止になったことなんて、花高が創立してから今の今まで一度もないんだ。それをしろだなんて不可能だよ」

 彩葉も快星に同調するように声をあげた。その顔は青ざめてしまっている。

「安心してくれ。俺は達成できる課題しか出さない。君たちにとって難易度はそう高くないはずだ」
 
 影波は穏やかな口調で話すが、説得力の欠片もなく、それを聞いて安堵する者はいなかった。

「影波先生、ひとつ質問をしてもよろしくて?」

 真緒は視線を紙から影波に移し、口元を引き締めながら問いかけた。それに影波は薄く微笑み返す。

「ああ、なんでも聞いてくれ」
「ランキング表の停止という行為が、私たちの潜在能力を引き出すこととどう繋がるのかしら?」

 全員が影波の反応を待ち構えるように息を詰めている。少しの間のあと、影波は静かに答え始めた。

「……君たちも知っての通り、ここは成績至上主義の学園だ。だからこそ勉学に励んでいるんだと思う。そこで君たちに問おう。勉強という武器がなくなったとき、どう自分の価値を証明する?」

 その質問に誰も答えることができない。教室の中に、重苦しい沈黙が広がる。影波の問いかけは、今までの価値観を根底から揺るがすものだった。

「重要なのは課題をクリアすることじゃない。その先にある現実を受け止め、自らが見つけ出した潜在能力をどう活かしていくかを考えることだ」
「お言葉ですが先生、あなたの言っていることは抽象的すぎます。それでは到底納得することはできません」
「確かに今はそうだな。だがこの課題をクリアしたら俺が言わんとする本質に気づくはずだ。いや……、言い方を変えよう。君たちには気づく義務がある」

 由香里は影波の心理を測ろうと試みるが、返ってきたのはまたもや曖昧な言葉だけだった。むしろ、含みのある言葉が増えてしまったくらいだ。
 すると、今まで静かに話を聞いていた光輝がニヤリと笑った。

「潜在能力とか理由とか、今そういうのはどうでもいい」

 低く響いた彼の声に、全員の視線が集中する。

「やってやるよ。勉強勉強ってうんざりしてたとこだ。おい、お前らこっちに来い。作戦を練るぞ。それとも怖気付いたのか?」

 光輝は一人一人の顔をじっくりと見ていく。それにいち早く反応したのは由香里だった。

「私はやるわ。一度決めたことはやり遂げる主義なの」

 それに続き、真緒も名乗りをあげる。

「もちろん、私もやりますわよ。ここで逃げては江崎真緒の名が廃ってしまいますからね」

 その言葉からは彼女らなりのプライドが感じ取れた。
 残るは彩葉と快星。この二人は何かを悩んでいるかのように地に視線を這わせている。
 その瞳にはまだ迷いがあった。先の緊急会議で自らの意思ではなく光輝の意見に流されてしまっていた二人は、由香里や真緒のような明確な決意をもっていない。
 しかし、そんな二人を見て、光輝は少し柔らかな口調で言葉を続けた。

「別に無理にとは言わねぇよ。ただ、お前らが協力してくれるなら、俺たちが課題をクリアできる確率はぐんと上がる」

 その場にいる全員が目を見開く。あの鷹宮光輝の口から人を思いやる言葉がでてくるとは、誰も思わなかったのだ。彼も彼なりに考えるところがあったのかもしれない。
 彩葉と快星は顔を見合わせ、笑みを零す。その表情からはもう迷いは感じられない。

「光輝にそこまで言われちゃやるしかないよね」
「うん、僕にできることがあるかはわからないけど……」
 
 その光景を見ていた影波が拍手をし始めた。それは唐突なもので五人は反射的に身構えた。

「今度こそ覚悟が決まったみたいだな。この課題の期限は丁度一週間後、火曜日の午後四時までだ。健闘を祈っているぞ」

 影波はそれだけを言い残し、教室を後にした。異質な空気が辺りを包み込む。
 取り残された五人は一箇所に集まり、課題達成のための作戦を練ることにした。

「とりあえず、まずは情報をあつめましょう。期限まであまり時間がないし」

 由香里が自分のスクールバッグから大きめの地図を取り出し、机の上に広げた。

「あなたの鞄の中にはこんな物まで入っていますの?」
「備えあれば憂いなしってよく言うでしょ?」

 薄く微笑みながらそう答える由香里に、真緒は感嘆の息を漏らす。
 
「成績ランキング表について何か知ってることがあったら教えてちょうだい。どんな些細なことだって構わないから」
「うーん、ランキング表は職員室横のホールに設置されてるひとつだけ……ってことくらいしか私はわかんないな。花高の生徒はみんな知ってることだから役には立たないと思うけど」

 彩葉は地図に指を滑らせ、職員室横の空きスペースを指さした。そこにペンでマークをつける。

「十分よ、ありがとう。みんなはどう? 他に何かわかることはない?」

 由香里が三人の顔を見比べる。すると快星がおずおずと手を挙げた。

「あの、僕ランキング表がどこの端末で操作されてるか知ってるよ。えっと確か……職員室奥にパソコンが何台も置かれた部屋があるんだ」

 快星がその場所を指さそうとするが、職員室付近にそのような部屋は記されていない。

「あれ? 描かれてない……」
「快星、本当にここにあったんだよね?」
「うん、間違いない……と思う」

 彩葉の言葉に快星は自信なさげに頷いた。
 光輝もその位置を確認するため、椅子から身を乗り出し、地図を覗き込む。

「ふーん、ここにあるはずなのか。てかお前は何でそんなこと知ってんだ?」
「一年生のときにランキング表の運転研修に参加したんだ。機械にはそれなりに興味があったから……」

 快星の言葉に全員が耳を傾けた。光輝が地図をじっと見つめたまま口を開く。

「研修ねえ。そんなのあったか?」
「一年生のときのことは覚えてないけど、少なくとも去年はなかったよ」
「だとすれば学校側の何らかの意図があって、ここの場所を隠された可能性が高いですわね」

 真緒は彩葉の発言を考慮したうえで、慎重に言葉を選びながら口を開く。その冷静な指摘に全員が頷くように反応した。

「ひとまずはその部屋があることを前提に計画を立てましょう。快星、中の構造は思い出せる?」
「う、うん。ペン借りてもいいかな?」

 快星は由香里が持っていたペンを借りて、地図の端に簡単な部屋の図を描き始めた。二年前の記憶を手繰り寄せるようにペンを走らせていく。

「……こんな感じだったと思う。入って正面奥のパソコンがランキング表を管理してるはずだよ。あと、ここに監視カメラが一台設置されてたような気がするんだけど……」

 自分で書いた図の左端を指さしながら、快星はそう言った。

「監視カメラくらいならなんとかなりそうですわね。問題は職員室にいる先生方ですわ」

 真緒は腕を組みながら次に話を移そうとするが、他の四人は彼女の意図をすぐには理解できず、首をかしげた。

「えっ、ちょっと待って。どうにかなるって……どうするつもりなの?」
「この学園の監視カメラは全てお父様が経営してる会社の製品ですの。ですから操作方法も私の頭に入っていますわ。それに監視映像は用務員室で一括管理されてますのよ。だから隙をついて忍び込めれば、対処できるというわけですわ」

 胸を張り、真緒は彩葉の問いかけに自信満々に答える。
 
「で、でも用務員さんはどうするの? 江崎さんの言う通り監視カメラの対処はできても、用務員さんがそこにはいるんだよね……?」
「安心なさい。私、用務員さんとは仲がよろしいの。私からお話を持ちかければ必ず聞いてくださるはずですわ。監視カメラの操作程度なら私が教えれば誰でも可能でしてよ」

 快星が別の方面から持ってきた問題にも、焦ることなく淡々と答えていく。そこに安心感を覚えた由香里は彼女に全てを任せることにした。

「わかったわ。用務員室に関しては真緒さんの指示に従いましょう。お願いしてもいい?」
「ええ、もちろんですわ」

 真緒の快い返事に由香里は微笑むと、また目線を地図へと戻した。不安要素を一つ一つ確認しながら話を進めていく。

「残ってる問題は職員室にいる先生方の注意をどう逸らし、部屋に入るかね。鍵もかかっているだろうから、どうにかしないといけないわ」
「それなら俺にいい考えがあるぜ」

 幼い子供が悪戯を思いついたときのような悪い笑みを光輝は顔一面に浮かべ、人差し指をピンと立てた。

「校内の火災報知器を鳴らすんだよ。そうすりゃ先生は職員室から飛び出てくるはずだ」

 そんな後先考えない発言に由香里がため息を吐く。他の三人も同じように呆れたような、困ったような表情を見せた。

「火災報知器が鳴れば用務員さんは火元を確認するために、監視カメラの映像を必ず確認するはずよ。それでもし映像が操作されていることに気づかれたら、すぐに先生に報告が行くでしょうね」
「でもそれくらいしなきゃ面白くねぇだろ?」

 それには誰も答えようとしない。あの快星ですら光輝と目を合わせないように視線を泳がせている。
 
「わかったわかった。火災報知器はやめといてやるよ。でもこれは俺に任せてもらうぜ。こういうのは得意だからな」
「……じゃあ、鷹宮に任せるわ。でもやりすぎちゃダメよ。意識を逸らせる程度でいいから。肝に銘じておきなさいよ」

 由香里は釘を刺すように言いながら、光輝をじっと見つめた。周りが覚えている不安感とは裏腹に、当の本人は心配するなといわんばかりの余裕の笑みを浮かべている。

「よし、これであとは鍵だけだな」

 光輝が腕を組みながら話を変えると、快星が控えめに口を開いた。

「あの……鍵は先生が持ち歩いてるんだと思う。僕が研修に参加したときは教頭先生が持ってたよ」
「また厄介な御方が持ち歩いていますわね」

 口元に手を持っていき、真剣な顔つきで考える真緒に向かって彩葉が「ちょっといいかな」と言葉を投げかける。

「もしかしたら私その鍵取って来れるかもしれない」

 視線が彩葉に集まる。一拍置いた後に、真緒は眉をひそめた。

「……盗む気ですの?」
「違うよ! 盗むわけじゃない。ただ一時的に拝借するだけで。先生と話すのは好きだし、その隙をつければと思って……」

 彩葉は両手を左右にぶんぶんと振って身の潔白を主張するが、言っていることは何一つ変わっていない。
 慌てた様子で話す彼女を見た真緒は、口元を手で隠し上品な笑みを零した。

「冗談ですわよ。そんなの今更ですし、あなたができるというのなら任せますわ。皆さん、異議はございます?」

 それには全員が首を横に振る。どうやらこれで大まかな計画は立てられたようだ。

「それじゃあ、改めて役割を振り分けるわ。まず、真緒さんが用務員さんを引き付けてる間に、私が監視カメラの映像を操作する。そして鷹宮が職員室の先生方の注意を逸らす。事前に彩葉が奪取しておいた鍵を使って、快星のが職員室奥の部屋に潜入し、ランキング表の管理端末を操作する。これでいいかしら?」

 四人は由香里が振った役割を真正面から受け止め、それに同意するように頷く。けれど、その中で一人、快星だけは顔を曇らせていた。

「ぼ、僕がランキング表を……?」

 重い責任が彼にのしかかる。由香里はそんな快星の不安を取り除こうと言葉を放った。

「そうよ。機械に詳しくて、研修にも参加してる。あなた以上の適任者はいないわ。でも……もしどうしても嫌なら私と役割を交代してもいいのよ?」

 由香里の優しい提案に、快星は視線を巡らせたあと首を小さく横に振った。

「……ううん、やるよ。みんなの期待を裏切るわけにはいかないから」

 決意を顕にした快星の肩を光輝は後ろから軽く叩く。

「お前度胸あるじゃねぇか、気張れよ」
「う、うん!」

 快星が力強く頷くと、五人は互いに顔を見合わせた。

「――これで、作戦は決まったわね。この課題、絶対に達成するわよ」

 由香里がそう言うと、全員が息をのんだ。その表情には不安と緊張、そして先程はなかった僅かな好奇心が確かに浮かんでいた。