パッパカパッパッパーン!
 張りのあるクラッカーの音と、誰かが拍手をする音、実際に「パッパカ」と誰かが口ずさむ声が脳内に響く。誕生日会? それともクリスマス会? 記憶のどこを探しても、私がそんな明るい会に参加する予定のないことを思い出す。パーティは学校で目立つグループの子たちがやるものだ。教室でせいぜい仲の良いおとなしめの友達一人、二人と時々話すだけの私には縁がない。
 それじゃ、この音はなんなんだろう?
 視界は真っ暗で、頑張って目を開けようとしてもできなかった。
 夜、だろうか。それともこれは夢? 夢と言われる方がしっくりくる。視界が見えないほどの真っ暗な時間帯に不可解な音が聞こえてくる方が怖いもの。
 私は息を潜めた。
 暗闇の中で、遠くで何かがピカッと光ったような気がする。
 例えるなら、出口の見えないトンネルの向こうに、外の光がようやく見えたみたいに。
「おめでとうございます! あなたは、“神様”に選ばれました」
「……はい?」
 目は開けられないけれど、脳内で響いてきた声に心の声で返事をすることはできた。
 神様に選ばれた? どういうこと?
 理解がまったく追いつかなくて、ああそうかこれはやっぱり夢なんだと逆に落ち着いた。
「だーかーらー、あなたは——如月朝葉(きさらぎあさは)は“神様”に選ばれたんだって」
 女の子供のような明るいその声は、私の心をずっと向こうに置いてきぼりにする。
「神様って何? これって夢だよね」
「夢と思うならそう思ってくれても構わないけれど。でも“神様”に選ばれたのは疑いようのない事実だよ。一億分の一の確率で、如月朝葉さんは見事“神様”に当選しました! 本当におめでとう〜」
 もし目の前にこの声の主が現れたなら、彼女(?)はキラキラとした眼差しを私に向けてるんだろうな。それぐらい、溌剌とした元気な声だった。
「今ね、外は雪が降ってる。立派な牡丹雪。朝葉は雪の中で目を覚ますの」
「雪の中?」
「うん。覚えてないの? 朝葉、昨日の夕方に事故に遭ったこと」
「事故……」
 少女の声に誘われるようにして、記憶の海がざざっとさざなみを立てる。

 そういえば、そうだ。
 昨日は日曜日だった。私は、幼馴染の男の子、若宮楓(わかみやかえで)と一緒に雪の降る街を歩いていた。私の暮らしている函館市では毎年十一月の初旬から中旬に初雪が降る。十一月九日の昨日も、例年通り今年初めての雪が降った。
 楓に、期末テスト前の息抜きで出かけようと言われたのはつい三日前のこと。二人で休みの日に出かけたのは久しぶりで、私は彼に悟られない程度に、心が浮き立っていた。
 気になっていた映画を見て、カフェで大人ぶって苦いブラックコーヒーを飲んだ。苦味に耐えられなくなった楓は「ギブアップ!」と言って砂糖とミルクを一気にカップに流し込む。私は笑いながら「そんなに入れたらカフェオレになっちゃうよ」とつっこんだ。「いーんだよ。やっぱりお子ちゃまの俺にはカフェオレの方が似合うって」と、子供みたいに歯を見せていた。
「ちょうどテストが終わったらもうすぐクリスマスマーケットかー」と言った彼の横顔はどこか嬉しそうで。私も、今年も楓と一緒にクリスマスマーケットに行けるんだと楽しみなった。
 でも、悲劇は帰りに道に起こってしまったんだ……。
 カフェでゆっくりと過ごしたあと、夕飯前にはお互い家に帰ろうという話になった。
 その前に、私はどうしても行きたい店があった。カフェから徒歩十五分ほどの距離にあるケーキ屋さんだ。実は昨日、二つ下の妹の柚葉(ゆずは)の誕生日だった。中三で受験生だから「ケーキはいいよ」ってつっけんどんな物言いで言い放っていた妹。だが、本当はそれが痩せ我慢だって知っていた。だから私はお母さんと相談して柚葉のケーキを買いに行く約束をしていたのだ。
 その最中のことだった。
 交差点で信号が青になろうとしていた時分だった。
 それまで一緒に信号を待っていた二歳くらいの小さな女の子が、「お腹がすいた」と駄々をこねて隣にいるお母さんが辟易しているのを見た。次の瞬間、女の子が交差点に飛び出したのだ。信号はすでに青になっていたけれど、不幸なことに左折してきた車が不自然にタイヤを滑らせた。
「危ないっ!」
 咄嗟に女の子を守ろうと飛び出した私と楓。女の子の身体を包み込んだのは楓の方だった。ヘッドライトに照らされた私は、ゴンッ、という鈍い衝撃が身体を貫いたかと思うと、そのまま地面に身体を打ちつけた。その後、すぐに意識が途切れて何も思い出せない……。

「もしかして私、死んだの……?」
 自分の脳内で響いた心の声がわずかに震えていた。
「はい、残念ながら」
 明るい女の子の声が余計に残酷な色を帯びている。暗闇で見えた微かな光から目を逸らしたくなる。
「そっか、死んだんだ。……でもそれなら雪の中で目を覚ますってどういうこと?」
 本当は今すぐにでも泣き叫びたかった。受け入れたくない。受け入れてはいないけれど、不可解な声と話をしていると、自然と自分が本当に死んだのではないかと思ってしまう。そう信じ込まされた。
「それを今から説明しようと思って! あのね、さっきも言ったけどあなたは今日から“神様”になります。神様として、現世に現れることのできる能力が与えられました。でもその能力を使うのには条件があって。それが、『雪の降る日だけ、現世に姿を現すことができる』という条件です! あともう一つ、現世で“神様”の姿が見えるのは、『一ヶ月以内に命を落とす人』だけです」
「えっと……ちょっとまって」
 いろいろと話が飛躍しすぎて、やっぱり理解が追いつかない。
 脳内の“声”が次の言葉を発する前に、なんとか今言われたことを頭の中で整理してみた。

一、私は昨日の交通事故で死んでいて、“神様”に選ばれた
二、“神様”は雪の降る日にだけ、現世に姿を現すことができる
三、私の姿が見えるのは、一ヶ月以内に命を落とす人だけ

 ……うん。なんとなく話は分かった。けれど、“神様”に選ばれて現世にいくことに何の意味があるのかは分からない。それに、一ヶ月以内に命を落とす人と会うって、つまり……。
「“神様”というより“死神”だね——」
 禍々しい響きをもったその単語を心の中で呟くと、女の子の声はうふふ、となんだか怪しげに笑った。
「まあ、そう思うよね〜、普通に考えたら」
「……ねえ、どうして私が“神様”に選ばれたの? それと、あなたは誰?」
「わたし? わたしはねえ、“八十神(やそがみ)さん”って呼ばれてるよ」
 声は、私の最初の質問には答えずに二つ目の疑問にだけ答えをくれた。
「八十神? 神話とかに出てくる神様?」
「うん、だぶんそう。わたしもよく分かってないのー。みんながそう呼ぶだけだから。あんまり深く考えないで。とにかくわたしもあなたと同じ神様」
「はあ」
 彼女が言う“みんな”というのは一体誰のことだろうか。神様たち? 彼女以外にもいろんな神様がいて、その他の神様たちが彼女のことを八十神と呼んでいる……という解釈でいいんだろうか。
「あ、もし嫌だったら今のうちに言ってね? 現世に留まりたくない、今すぐ成仏したいって思ってるなら、別の人を当選させるから」
「当選……。“神様”になる人をまた選び直すってこと?」
「そう。だって死んだ人間が現世に戻りたいって願うのは普通じゃない? 好きで死んだ人以外、生きたいと願う人はいくらでもいる。だからもしあなたが“神様”として現世と繋がれることを望まないなら、もっと他に、切実に現世に戻りたいと思ってる人を選ぶから」
「……そっか」
 そこまで話を聞いた時、私の中である種の強い気持ちが芽生えるのを感じた。
 死にたくない。
 誰もが当たり前に持ち合わせている感情が、ようやくひゅうっと湧き上がってきたのだ。
 私はまだ十七歳の高校二年生で、やり残したことはいくらでもある。
 立派な将来の夢なんてないけれど、ぼんやりと学校の先生になりたいと思っていた。
 美味しいご飯だってたくさん食べたかったし、綺麗な景色だって見てみたい。
 それに——……。
「楓……」
 一番気になるのは、一緒に事故に遭った楓のことだ。
 保育園時代からの幼馴染で、ずっと私の——大切な人だ。
「ねえ、楓は、若宮楓は無事なの?」
 八十神さんに聞いて分かることなのかはしれないが、どうしても気になって聞いた。
 すると頭の中で、八十神さんがフッと軽く息を吐いたのが分かった。
「ああ、若宮楓くんね。彼なら大丈夫。なんとか軽傷で済んだみたいだよ」
「良かった……」
 とりあえず、楓が無事だと聞いて安心する。
「で、どうするの? “神様”になってみる? ちなみに、雪の日に現世に現れることができるだけだからね。会いたい人に会えるとか、いつでも現世に行けるとか、そういう魔法みたいな力はないよ」
「うん、さっき教えてもらった条件の通りだよね? 遠くからでもいい。楓のこと、遠くからでも眺められるならそれで」
「了解で〜す! それなら、他の人を当選させるのも無しにするね。じゃあ、如月朝葉、早速あなたに“神様”の力を与えまーす!」
 八十神さんがそう唱えると、私は全身がまばゆい光に包まれていくような気がした。自分の身体という実態を感じられないから、視界が真っ白になるのが分かっただけだけれど。
 それから「頑張ってね」という八十神さんの無邪気なエールとともに、私の意識はふっと途切れた。


 アスファルトの上に舞い降ちる、かき氷みたいなふわふわの雪。橙色の光の筋が溶けゆく雪を照らして煌めきの残滓を残す。何度も、何度も、たくさんの雪が一瞬だけ輝いて消えていく。やがて雪は降り積もり、日の光を浴びても溶けてなくならなかった。
「……っ」
 目を覚ますと、さざなみの音の中で、真っ白な地面が目に飛び込んできた。右の頬だけがひんやりと冷たく、慌てて横になっていたガバッと身体を起こす。倒れていたのは砂浜だった。だが雪が降る今、砂浜は一面白く染まり、向こう側に広がる海は半分くらい凍りついている。時折雲の切れ間から差し込む太陽の光が、鈍色だった海を黄金色に染めていた。ゆらゆらと揺れる水面をぼうっとした頭で眺めていると、次第に今自分が置かれている状況が分かってきた。
 雪の降る日だ。
 “八十神さん”から言われた通り、ぱらぱらと粉雪が降っていた。
 両手に視線を落として、グーパー、と交互に握ってみる。
「ちゃんと、動く」
 自分の手を握りしめた時の感触は、生きていた時と変わらなくて頭が混乱していた。“神様”になったら現世に現れることができるって聞いたけど、普通に生きてる時と同じように身体を動かせるってこと? 感覚的には自分が死んだなんて思えないくらい、生身の人間のそれだった。
「本当は死んでなかったりして」
 不意に頭によぎる考えを、無理矢理振り払う。あの事故が全部夢で、さっきまで“八十神さん”と話していたことも妄想だったらいいのに。そう思ってしまうのも仕方がない。だってこんなふうに、死んだ後に何事もなかったかのように現世に降りてくることができるなら、生きているのと変わりがないもの。
 そう思いながら、砂浜から脱するべく、道の方へと歩いていく。景色から察するに、おそらくここは函館市の隣にある北斗市の七重浜(ななえはま)海水浴場だろう。地元の人は「セブンビーチ」と呼んでいる。夏になると海水浴で多くの人が賑わうけれど、雪の日の今日はさすがに人気がなかった。
「今日は何月何日だろう」
 とぼとぼと道の端っこを街の方へと歩きながら、ひとりごちる。車が走るエンジン音は聞こえるけれど、歩いている人はいない。
 八十神さんからは、「雪の降る日に現世に現れることができる」と言われただけで、具体的にいつ降りられるのかを聞いたわけではない。というか、自然現象なので八十神さんに聞いても答えてくれないだろう。
 十一月の函館のことだから、私が事故に遭った十一月九日から、そんなに日にちが経っているとは思えない。十一月の何日なのか。まあ、分からなくても今の私には関係ないことなのかな。
 だって私はもうすでに死んでるんだし——。
 そこまで考えて、ダメだ、と思考を振り払う。どうしても考えがネガティブな方に向かってしまう。昔から私の悪い癖だ。
 テストで上手くいかなかった時、「六十点くらいかな」と最初から最悪の想像をしておけば、実際返却されたテストの点数が八十点だった時、ほっとすることができる。
 つい、ここぞという勝負時に保険をかけてしまう。

 あれは確か、中学三年生の夏だったか。中学最後の運動会の後に、楓に自分の気持ちを伝えようとした。けれど、もし告白が失敗した場合、友達にすら戻れなくなるかもしれないと思うと怖くて。一緒に帰る約束をしていた楓にこんなふうに伝えた。

——楓と、これからもずっと一緒にいたい。

 精一杯の気持ちを伝えたつもりだった。心臓の音はこれ以上ないってくらい激しく鳴っていたし、人生で一番緊張した瞬間だった。けれど、私が楓に伝えた言葉の中にはどこにも楓のことを「好きだ」という気持ちが見つからなかった。
 怖かったから。
 無意識のうちに、その確信的な二文字を伝えるのを避けてしまったんだ……。
 楓は私の告白を聞いて、きょとんとした顔でこちらを見つめ返した。
 それからニカっと白い歯を見せて笑った。

——もちろん、俺だってずっと一緒にいたいって思ってるぜ!

 屈託のない笑顔を見ると、はっきりと気持ちを口にすることができなかった後悔は少しだけ溶けて。“ずっと一緒にいたい”というところだけでも、同じ気持ちで良かったと安堵した。
 その後、高校二年生の今に至るまで、私は楓に想いを伝えることができないままだ。

「できないまま、死んじゃったんだ」
 もう保険をかけることも予防線を張ることもできない。
 楓に好きと伝えられない。
 今頃になって胸を襲いくる猛烈な後悔が、この世からすでにいなくなっているはずの私の胸を締め上げる。
「この気持ちも、雪と一緒に溶けてしまえばいいのに」
 アンニュイな気分に浸りながら、雪が積もりゆく歩道を歩く。目覚めた私が履いていたのは長靴ではなく、いつも履いているスニーカーだったので、滑らないように気をつけた。ザ、ザ、という雪の上を歩く時の独特な音は生まれた時からずっと馴染みのある響きだ。北海道に住んでいる人なら皆同じかもしれないが、冬の凍てつくような寒さは日常の延長線上にあるもの。雪も、例外ではなかった。

 どれくらいの時間歩いただろうか。
 海岸沿いを歩きながら気がつけば函館市内に到達し、明かりの灯る函館駅に着いていた。 
幽体だというのに足はしっかり疲れるんだなあ、なんて呑気に考える。たぶん時間にして一時間半くらいは歩いている。
 目が覚めた時、日の光の感じからして夕方かと思っていたが、違っていた。朝だ。あの海で見たのは朝焼けの光だった。歩いているうちに気温が少しずつ上がっていったのが分かったし、空は少しずつ明るくなっていた。
「ていうか、バスとか電車なら乗れるのかな?」
 他人に自分の姿が見えないのだとすれば、バスや電車に無賃乗車できちゃうかも。タクシーはさすがに難しいだろう。今度実験してみようと思う。
 函館の街までたどり着くと、さすがに歩いている人も多く見受けられた。いつもの日常って感じ。普通と違うのは、この世界から私がいないということ。道ゆく人に、私の姿が見えていないということだ。
「私だけがいない世界、か」
 なんだかいつぞやに流行った漫画のタイトルみたいだ。でも考えてみれば、私が知らないだけで、この世には私のような存在が漂い続けているのかもしれない。俗に言う幽霊だが、私は幽霊だっていると思っている。
『JR函館駅』という文字盤を見上げながら、駅の前のど真ん中に突っ立って、途方に暮れていた。
 今の私の目的って、楓に会うことだけだ。
 ううん、“会う”んじゃない。
 楓のことを一目見ること。
 少なくとも楓が無事で、元気に過ごしていることを確認できれば、突然失われてしまった自分の命の終わりと向き合えるだろう。
 そう思って、とにかく彼がいるはずの函館市まで歩いてきたんだけど。
 今が何月何日なのか分からないんだよなぁ。
 平日なのか、休日なのか。楓はどこにいるのか。病院? 家? 学校? それが分からなければ、彼の姿を確認しにいくことも難しいわけで。
 日付はともかく、駅構内ならばどこかに時計があるかも、と思い立って駅の入り口へと進んでいく。その時だった。
「お姉ちゃん、寒くないの?」
 五歳くらいの男の子が、私のことをすぐそばでじっと見上げていた。「わわっ」と声を上げて、二、三歩たじろぐ。急に声をかけられてびっくりしたー! ……じゃなくて、え、私のことが見えるの!?
 びっくりして彼の目を見つめる。濁りのない瞳に映る自分の顔が驚きに見開かれていた。
「……きみ、私のことが見えるの?」
「ええっ? うん、見える」
「そ、そうなんだー……。へえ」
 何を聞かれたのか分からない、というふうにキョトンと立ち尽くしている少年。現世に降りてきて誰かに声をかけられたのが初めてだった私は、胸がドキドキと鳴るのが分かった。
「ねえ、お姉ちゃんやっぱり寒そう。僕のコート、あげよっか?」
「ん?」
 少年に言われてはたと気づく。函館では十一月でも下旬になれば氷点下を下回ることがあるが、今の私は秋仕様の薄いコート一枚しか羽織っていなかった。あの日——楓とお出かけに行って事故に遭った日の服装そのままだ。
 肌感覚から言えば、今の気温はだいたい五〜六度といったところだろうか。薄手のコートでは確かに寒かった。
 それにしても、「僕のコートあげよっか」だって。ませた少年だなあ、なんて感心してる場合じゃない。
 一体なぜこの子は私の姿が見えるのか?
 考え得る可能性はたった一つだけ。そう、彼が「一ヶ月以内に命を落とす人」だからだ。
 八十神さんから言われた“条件”がぐるぐると頭の中を駆け巡る。目の前に立っている、どう見ても健康そうな少年を見ながらなんとも言えない気分に襲われる。こんなに小さい子が、一ヶ月と経たずに亡くなってしまうの……? 信じられない。というか、八十神さんの言っていた“条件”が本当なのか、まだ検証すらできていない。彼が本当にこの世からもうすぐ消えてなくなるなんて保証はないじゃないか。
「お姉ちゃんどうしたの?」
 深く考え込んでしまって沈黙していると、少年が訝しそうに私の目を覗く。
「……ああ、ごめん。寒くないから、大丈夫だよ。ありがとうね」
 なんとか笑顔をつくってにっこりと微笑んでみせた。けれど、もし本当にこの子がもうすぐ死んでしまったら、どんな気持ちになるだろうかと想像する。たった今出会ったばかりの、赤の他人であることは間違いない。でもやっぱり、幼い命が失われることに、心がいくばくも動かないはずがなかった。
「そっかー、ざんねん」
 肩を落として落胆している彼のことを不思議に思う私。
「残念? 何が?」
「きのうね、アニメで見たんだ。『困ってる女の子を助けてあげたらヒーローになれる』って。だから僕、お姉ちゃんにコートを貸してあげたらヒーローになれるんじゃないかって思って。だけど貸せなかったから、なれない」
 そのあまりにも純真無垢な理由を聞いて、私の目は点になった。
 ヒーローになりたくて私に声をかけてきたの?
 なんて可愛らしい子なんだ。 
 と同時に、「ヒーロー」という響きを聞いて、頭の中に楓の明るい笑顔が思い浮かんで胸がぎゅっと締め付けられた。
「そっかあ、ヒーローになりたいんだね。大丈夫だよ。私に声をかけてくれた時点で、きみはヒーローになれてる。自信持って」
「本当に? 僕、ヒーローになれるの?」
「うん、なれるよ。これからたくさん、困ってる人を助けてあげてね」
「うん!」
 ひまわりが咲いたように笑う少年の笑顔が、楓のそれと重なる。
「あ、そういえばさ。僕、お名前なんていうの?」
「やまかわたける」
「たけるくんか。お父さんとお母さんは?」
 さっきからずっと気になっていたことだ。まだ小学校にも上がっていないような子供なのに、たけるくんのそばには両親らしき人がいなかった。
「駅の中ではぐれちゃったんだー。悲しくなってたら、お姉ちゃんのことを見つけて」
「え、そうだったの? じゃあ一緒にお父さんとお母さん、探しに行こうか」
 私がそう提案すると、彼は「ありがとう!」と言って私の手を引いた。その行動力にびっくりしつつも、彼の小さな手を握り返す。
 久しぶりに触れた誰かの温もりに、心がほっと温かくなった。

 二人で駅構内を歩き回ること十五分ほど。
 たけるくんのお父さんとお母さんは、改札の前できょろきょろと辺りを見回していた。
「たける!」
 彼の姿を認めたお母さんが、大きな声でたけるくんを呼んだ。
「ママ、パパ!」
 繋がれていた手が外れて、たけるくんがパタパタとご両親の方へ駆けていく。私の前ではヒーローぶっていたけれど、やっぱりまだまだ小さな子供だ。ママとパパに再会できでよかったね、と心の中で呟いてから、そっと身を翻す。
「お姉ちゃん!」
 彼らのそばから離れようとしたところで、たけるくんが私のことを呼んだ。慌てて彼の方を見ると、たけるくんは満面の笑みを浮かべていた。対してご両親は、当たり前だけれど「え?」と驚いている。私とはもちろん視線も交わらない。彼らには私のことが見えていなかった。
「ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんは僕のヒーローだね!」
「ヒーロー……」
 嬉しそうにそう叫ぶ彼に、私はその場でぽつりと呟くことしかできなかった。
 誰かにそんなふうに言ってもらったのは初めてだった。学校ではいつも、教室の隅で本を読んでいるか、控えめな友達同士で他愛もない話をするだけの私が、ヒーローなんかになれるはずがない。でもたけるくんにとって私がそう見えたなら、これ以上嬉しいことはなかった。
 たけるくんのご両親は、虚空に向かって話しかける息子のことを訝しく思ったのか「行くわよ」と、彼の手をぐっと引いた。「えーまだお姉ちゃんとばいばいしてないのに」という不満の声を聞きながら、私も彼らのそばからそっと離れる。
 これ以上、あの家族には関わるべきじゃない。
 そう思いつつ改札の向こうへと消えていくたけるくんの背中を見送るのはとても寂しかった。

 構内の電光掲示板で時刻を確認すると、今は朝の八時らしい。家族連れが多いところを見ると、平日ではなさそうだ。十二月ならばもっと寒いと思うから、十一月であることはなんとなく予想できた。
 となれば、楓は家にいるだろうか。
 平日ならば学校に向かっている最中だろうが、休日ならまだ寝ているという可能性も高い。事故の怪我で入院していたら病院にいるかもしれないが、八十神さんによると楓は軽傷らしいし、家にいる確率の方が高いんじゃないだろうか。
 そうと分かれば私の行動は早かった。
 楓の家も私の家も、函館駅よりももっと南——夜景で有名な函館山のある方向にある。駅から歩くと三十分以上かかると思ったが、ここは実験のためバスに乗ることにした。
 駅前のバス停から見慣れた函館バスにひょいっと乗り込み、きょろきょろと周りを見回す。どうやら成功したみたいだ。バスの運転手にも、他の乗客にも不審がられているところはない。椅子が空いていたので腰掛けると、歩きすぎた足の疲れが癒えていった。
 バスに揺られている時間はほんの十分程度だった。
 私や楓の家から一番近いバス停で降り立つと、冷えた空気は変わらないままだったが、少しだけ雪の勢いが弱まっていた。
 バス停から楓の家まで、徒歩十分。坂道があるのでまた少し疲れてしまった。幽体にしては不便な身体だ。
 やがて住宅地の中に現れた二つの家。右側の白い屋根の家が我が家——如月家で、左側の黒い屋根の家が楓の家——若宮家だ。
 私たちは生まれた時から家がお隣さん同士で、幼馴染だった。
 二階の部屋の窓から楓の部屋の窓までほんの三メートルほど。
 私たちはよく、お互いの部屋の窓越しに話をしている。……いや、していた、のだ。
 楓の家に行く前に自分の家の表札をそっと撫でる。「如月」という名字の下に並んでいる、健一(けんいち)雪子(ゆきこ)、朝葉、柚葉(ゆずは)という家族の名前を見て胸がツンとする。「朝葉」はもうこの家にはいない。だからと言って、両親がここから私の名前を消すことはないんだろう。
 本当は自分の家族の様子だって覗いてみたかった。
 けれどまだその心の準備ができていない。
 私の遺影の前で悲嘆に暮れる両親や、妹の柚葉の顔なんて見たくないに決まっている。
 迷いつつ、ひとまず自宅の前を通り過ぎて若宮家の方へと進んだ。
「一階にいるかな?」
 もしも朝ごはんを食べているタイミングならば楓は一階のリビングにいる可能性が高い。が、今日が平日だとしたらもう家にはいないだろう。 
 残念ながら私には宙に浮くなどという力はないらしい。地に足をつけて歩くしかない、幽霊の成り損ない。自分がひどく中途半端な存在に思えた。
 一階ならば、裏の方へと回りさえすれば、少しだけ窓から中が見える。そう思いながら楓の家の裏へと歩き出したのだが、そこで雪が止んだ。
「え?」
 雪が止んだ瞬間、歩いていた足がぴたりと止まり、なぜだか私は動けなくなった。
「どういうこと?」
 混乱しながらもなんとか足を動かそうと身体に力を込める。けれど、やっぱり一歩もその場から動けなくて。そうかと思えば、身体がひゅっと軽くなり浮き上がるような感覚がした。
「あ」
 飛べる、と一瞬思ったのだが違った。
 まるで、ゲームの世界の住人がテレポートするみたいに、自分の身体がこの世界から遠く離れていくのを感じた。
 気がつくと私の視界は真っ暗で、楓の家の前から身体はすっと遠のいていた。


***

「雪が止んだらそりゃこっちに戻ってくるよ、朝葉」
 頭の中に現れる八十神さんの声に意識がはっと覚醒した。
「雪が降る日にだけ現世に降りられるって、雪が降っている時だけってことだったんだ……」
「うん、そうだよ。だからまた次に雪が降る時が来るのを待つしかないね」
「なるほどね」
 改めて、自分がもうこの世のものではなく、存在するのに条件のつけられた特殊な存在とだということを再認識させられた。
 あと少しで、楓の姿を拝めたかもしれないのに。
 残念な気持ちが芽生えたが、まだまだチャンスはいくらでもあるだろう。焦って楓に会いにいく必要はない。
 なんとか気持ちを宥めて落ち着かせる。
「そんなに楓に会いたいの? どうして?」
 私の心を見透かしたかのような質問が飛んできて、どきりとする。
「そりゃ、幼馴染だもん……気になるよ」
 本当はそれだけじゃない。
 私は楓のことが好きだ。
 だから彼の様子が気になるのは当然のことじゃないか。
 どうして当たり前のことを聞くの——そう問い返したかった。
「ふうん。幼馴染ねえ。でもさ、それなら楓にとっても朝葉は大切な人だってことでしょ? そんな人が死んじゃって、すごく落ち込んでるんじゃない? 朝葉は沈んでる楓のことを見て、どうするつもりなの?」
「それは……」
 言われてみれば確かにそうだ。
 ううん、気づかないふりをしていた。
 普段、太陽みたいに明るい笑顔を振りまく楓が、私の死によってひどく落ち込んでいたら嫌だなって、心配していた。もし意気消沈している楓を見たら、私はきっと胸が締め付けられるだろう。だけど、その一方で、楓から大切な存在だと思われていたことを嬉しく思うかもしれない。
 切なさと、喜びが、混ざり合って溶けていく。
 きっとそんな複雑な気持ちになることは間違いない。
 けれど、やっぱり私は……。
「楓に、会いたい」
 彼の姿を一目でいいから見たい。
 彼が私のいない世界でもちゃんと生きてくれていることを確認したい。
 成仏するのは、その後でもいいはずだ。
「そっかー、会いたいんだ。まあその気持ちは間違いじゃないと思うけど。悲しくなっても知らないよ?」
「……うん、分かってる。ちょっとだけ、最後に彼のことを見守りたいだけだから」
「了解了解。あ、どうやらまた雪の降りそうな日がきそうだよ」
「え、もう?」
 八十神さんの言葉に驚く。まだ彼女と数分しか会話をしていないのだ。
「ここでの時間の流れ方は現実のとは違うよ。んじゃ、いってらっしゃ〜い」
 気の抜けた声に見送られて、私の身体はまた、ひゅるるるると現世へと運ばれていく。自動的に、川上から川下へと水が流れていくように。
 そこで再び、意識がぷつりと途切れた。

***

 目を覚ました場所は、楓の家の前だった。
 どうやら一度現世から引き離されたあと、再びやってくると前回いた場所からスタートするらしい。とはいえ、まだ一度目のことなので本当にそうなるか定かではないが。
 日が落ちかけていて、時刻は夕方だと分かった。
 雪はそれほど強くない。この様子だとまたすぐに止んでしまう可能性が高いだろう。
 今日も何月何日なのか、分からない。
 前回目覚めた時とあまり気温が変わらないところを見るに、それほど日にちが経っているように思えなかった。
「そうだ、楓は」
 もし平日ならば楓はまだ部活で学校にいるだろう。休日なら家にいる可能性もあるが、どうだろう。
 そっと楓の家の裏へと回り込むと、庭に面した窓のカーテンが少しだけ開いているのが見えた。楓はリビングにはいない。いるのはおばさん——楓のお母さんだけだ。
 馴染みのある人物の顔を見て、なぜだかほっとする。
 私はもうこの世にはいないのに、異国の地で知り合いに会えたときのような気分に陥った。
 リビングの方を観察すると、ちょうど大きなテレビ画面が視界に入ってきた。おばさんはマグカップを片手にソファに座り、夕方のニュースを見ている。じっと目を凝らすと、テレビ画面の上に「17:15」と時刻が表示されているのが分かった。
 それから、テレビに映し出される映像に目が釘付けになる。

『三日前、十一月二十二日に、函館駅構内で起きた男児殺害事件についてです。被害者は近所に住む山川尊(やまかわたける)くん、五歳。両親と函館から札幌へと向かう電車に乗ろうと改札を潜り、ホームで待っていたところを襲われました。男はその場からすぐに逃げ去ろうとしましたが駅員に取り押さえられました。近くにいた人からは、“男が急に男の子に近づいて刃物で胸を刺すのを見た。一瞬の出来事だった”と証言を得ています——』

「山川、尊くん……」
 咄嗟に口から()の名前が漏れる。

——あ、そういえばさ。僕、お名前なんていうの?

——やまかわたける

 あどけない口調できちんと名前を教えてくれた。私のことを、“ヒーロー”だと言ってくれて。自分もヒーローになりたいんだと笑っていた。改札の中へ去り行く背中は小さかったけれど、どこか頼もしくて。そんな小さな戦士が、殺された……?
「うえっ……」
 咄嗟に吐き気が込み上げて、その場でえずく。
 そんな、馬鹿な。
 何の罪もない尊くんが、どうしてこんなことに?
 ニュースから察するに、通り魔事件だろう。容疑者の男には尊くんに恨みがあるわけでもない。それなのに、ただそこにいたという理由だけで、どうしてあんな小さな子供が殺されなくちゃいけないの?
 私が生きている間だって、似たような事件は山ほどあった。
 けれど、一度関わった人がこんなふうに事件に巻き込まれるのを目の当たりにしたのは初めてだった。これまで周りで起こってきた数々の事件にだって、今の私と同じように自分ごとにしか思えないと感じる人たちがたくさんいたんだ……。
 そこまで考えて、はっと息が止まる。
 楓も、同じなんだろうか。
 ずっと家が隣同士で幼馴染だった私がいなくなって、楓は今の私以上に、ひどい衝撃を抱えて生きているんだろうか。
「はは……」
 私は、なんて浅はかだったんだろう。
 一歩、二歩、とその場から後ずさる。ニュース映像から目を逸らし、楓の家の壁からも遠ざかる。
 楓に会えない。
 こんな気持ちを抱えたまま、落ち込む楓の姿を見てしまったらきっと、私は立ち直れなくなるだろう。
 さっきのニュースから、今日が十一月二十五日だということが分かった。私が死んだのは十一月九日だから、まだ二週間ちょっとしか経っていない。となれば、楓はまだ私の死について、悲しみに暮れているかもしれないのだ。
 そうであってほしいとも思うけれど、そんな彼の姿を見るのは辛かった。
「ごめんね、楓」
 今ここにはいない彼に、精一杯謝った。
 自分がどれだけ楓にとって大切な存在だったのか、それは分からないけれど。
 少なくとも、幼馴染が死んで平気でいられるほど楓は薄情なやつではない。
 雪がちょっとだけひどくなる中、私は当てもなく住宅街の中を彷徨い続けていた。

 ***

 それからの私は惰性のように雪が降るたびに現世に舞い降りた。
 なんとなく、楓の姿を見るのが躊躇われて、自宅と楓の家は避けてただ移動するだけの日々。通っていた函館西南高校、近所の公園、観光客がごった返す赤レンガ倉庫、八幡坂、港。どこへ行ってももちろん私の姿が見える人はほとんどいなかったが、たまに目を合わせられる人がいた。
 杖をついたおじいちゃん、観光地を訪れる外国人、まだ二十代ぐらいの女性。
 目が合っただけで私のことが見えているとは限らないけれど、無意識のうちにそっと視線を逸らした。
 ある時は、「ハンカチ落としましたよ」と実際に話しかけてくる人もいた。四十代ぐらいの男性だった。
「ありがとうございますっ」
 お礼を言って頭を下げつつ、その人の顔を直視することができなかった。
「あ、はい」
 彼は私のことを無礼な人間だと思っただろう。
 でも、できないのだ。
 この人たちが、もしももうすぐ死んでしまうのだとしたら……。
 そう考えると、私の姿が見える人と積極的に関わりたいとは思えなくなってしまう。
「どうして私は現世に戻ってきたんだろう」
 不慮の事故で自分が死んだという事実を受け入れたくない自分がいた。
 大切だと思う人の今後を、見守りたかった自分がいた。
 だけど今の私は、楓の姿を見ることもできず、ただ雪の中を彷徨う地縛霊のようだった。

 十二月になったことは知っていた。
 雪の降る頻度が増えて、現世に降りられる時間が増えた。
 私の意思とは関係なしに、私は函館の街を彷徨い続ける。
 十二月半ば、私がこの世を去ってから一ヶ月が過ぎた。
「そろそろお母さん、立ち直ったかな」
 一ヶ月やそこらで、と疑う気持ちと、どうか前を向いて生きていてほしいという願いがごちゃごちゃになっている。久しぶりに自宅へと行こうと決意して、住宅街を歩く。
 家族の様子を見ることができたら、もういいのかもしれない。
 八十神さんに頼んで、“神様”の力をなくしてもらおう。
 そんなことができるのか分からないけれど、頼んでみる価値はある。
 これ以上、誰かの悲しんでいる姿を見るのも、自分が悲しい気持ちになるのも嫌だから。
 
 久しぶりに自宅にたどり着くと、当たり前だけど変わらずに家族団欒の場があることにほっとする。平日の夕方なので、お母さんと妹の柚葉は家にいる時間帯だ。お父さんはまだ仕事から帰ってきていないだろうけれど、二人の姿を見られればそれだけで安心できる。
 鍵を持っているのでそっと玄関の鍵穴に差し込む。カチャリ、という小気味良い音がして鍵が開いた。
 そのまま扉を押して、中へ——。
 そう思いながら取手に手をかけた時、不意に後ろから声をかけられた。
「……朝葉?」
 聞き覚えのある男の子の声。
 目の前の存在を疑って不可解な色を帯び、けれどまっすぐに私の背中へとぶつけられた声。
 毎日のように聞いてきた、大切な人の懐かしい声。
 いつでも味方でいてくれて、喧嘩した後も真っ先に謝ってくれた人の。
 彼は私のヒーローだった。
 もうとっくに止まっているはずの心臓が飛び跳ねて、開きかけた玄関扉をぴたりと閉じた。
「楓……」
 ゆっくりと振り返った先にいる若宮楓の姿を認めて、いろんな感情が込み上げた。
 赤と青と黄色と緑と。絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜてやがて黒くなるインクのように、心がどんどん塗りつぶされていく。楓に会えて嬉しい、という感情はもちろんあった。でもそれ以上に、苦しい。
「楓」
 どうしてあなたがそこにいるの。
 今日は部活ではないの。
 どうして私のことが、見えるの——。
「これ、夢じゃないよな? いや、夢か。だって朝葉がこんなところにいるはずない」
 口では否定しつつも、驚愕と喜びに滲んでいく万華鏡のような彼の顔が脳裏に焼き付けられる。
「ははっ、夢か、幽霊か。それでもいいや。朝葉に会えたなら」
 昔から子犬のように愛くるしいと思っていた笑顔をにっと浮かべて、私を捉えて離さないきみは。
 もうすぐ死んでしまう存在なのだと分かって。
 込み上げてくる涙が、凍りついて雪になってしまいそうだった。