麗しの君に。~大正イノセント・ストーリー~

まあ、そうゆうことだと、岩崎は、何事もないかのように言っている。

しかし、月子は、ひたすら岩崎の顔を見つめてしまっていた。

どうして、あったはずの口髭がないのか?いや、口髭がないだけで、これほどまで人相が変わるのか?

頭の中には子供の頃に見た少女雑誌の挿し絵が浮かんでいた。

王子様とお姫様が、シャンデリアの下で躍りながら微笑みあっていた。

まるで王子様……。

そんなことを思ってしまい、恥ずかしさから、月子はますます俯いた。

「き、京介!」

男爵がたまらず、身を乗り出してくる。

同時に、ガシャンガシャンと金属音がした。

並べられていた、ナイフとフォークが床へバラバラと落ちたのだ。

「京一!!何をしているっ!!」

落ちつきがないと、男爵の失態を大おじ様こと、御前様は叱りつけた。むろん、大声で。

「いや、いや、失礼。いや!京介!な、なんたることだ?!」

「確かに、大おじ様のお叱りが飛ぶのですから、なんたることではありますが?」

岩崎は、空々しい笑みを浮かべている。

「吉田!ワインはどうなった!いや、さっさと片付けんかっ!」

怒る大おじの姿に、岩崎は顔をしかめつつ、ポツリと言った。

「大おじ様は、まったくもって声が大きい。食事の席だとご承知でしょう?吉田、大おじ様へ先に、葡萄酒を。そもそも、身内の食事なのですから、ワインなどと気取らず、葡萄酒でよろしいでしょうに」

文句とも屁理屈ともつかない、愚痴りのような事を岩崎は言って、一人、飄々としている。

「京介!」

ついに、男爵が叫ぶ。

口髭の事が気になるようで、それは、それはと、戦慄《わなな》いていた。

「ですから。物を食べるたびに、月子に口元を拭いてもらうのもなんですし、あーんの時に邪魔になる」

「あーん?!あーんですって!!」

今度は芳子の叫びと共に、ガシャンガシャンと音が響いた。

「あー!清子!お願いっ!」

落としてしまったナイフとフォークを拾ってくれと、芳子は、清子を呼んだ。

「芳子!なんだ!みっともないぞ!」

これまた、大おじのご機嫌を損ねてしまい、芳子は、しゅんとする。

「あー、とにかく、私は、口髭を剃りました。邪魔になる。それだけのことです。兄上も義姉上《あねうえ》も、落ち着いてください。そして、大おじ様もお静かに」

片付けに配膳にあたふたしている吉田と清子へ、岩崎は食事を始めるとその場を仕切った。

「い、いやまあ、そうだが、京介!」

男爵は、まだ落ち着かず、当然、しゅんとしつつも、芳子は、チラチラと岩崎へ視線を送っている。

「まあ、なんだ、皆、この調子だ。月子、そう固くならなくてもいい」

岩崎に言われても、月子はナイフもフォークも使えない。座っているだけで、精一杯だった。

「あ、あの……ですが……」

とりあえず、何か言わねばと答えた月子へ、

「京一、あれが、京介の見合い相手か……」

大おじが、ふんと端を鳴らし、凝視する。

ついに来た。

ふとそんなことを思い、月子の体はこわばった。

西洋式の作法に詳しい御前様とやらの、月子へ向けられる視線は、ひどく冷たいものだった。

これから、食事が始まる。自身の失態を進んで見てもらうような状況になる。

大目玉どころか、今以上に見下されることだろう。

それが当然なのだ。月子だけが平民なのだから。

場違いも甚だしいと言われるのを待っているかのような月子の隣では、岩崎が優しく微笑んでいた。

「大丈夫」

そう月子へ囁くと、岩崎は大おじを睨み付けた。