麗しの君に。~大正イノセント・ストーリー~

芳子は、先程から西条家での扱われ方に文句を言っている。

「うん、結局、男爵という響きに乗っかって来ただけなんだろう。困ったことだ」

男爵は、芳子の言い分に相づちを打ちながら、弟、岩崎と、会話していた。

「京介、まあ、お前には降りかかってこないと思うが、田村には、気を付けた方が良い。あの焦り具合は、何かある。私は、田村の銀行から手を引くつもりだ」

「兄上、投資から手を引くということですか……」

男爵は、大きく振りかぶった。そこまで危険な状態なのか、はたまた、あの騒動がよほど頭に来たのか……。今一つ、読めないと思いつつ、岩崎は、立ち止まる。

結局、(みのる)が、席を外している隙に、そして、田村と西条家を牛耳ろうと結託しているような、野口のおばが大人しくなった所で、岩崎家一同は、撤収というべきか、屋敷を去った。

それでも、去り際、田村と野口のおばが、西条家の挙式は来月執り行うつもりだなんだと、岩崎家一同を引き留めようと、あれこれ話を持ち出して来た。

「……なんでしょうか。あの焦り具合は……」

「そうだろう?京介。そこなんだよ。いくら、家が決めた見合いで、話が進んでいるといってもなぁ。来月祝言とは、焦りすぎている。つまり、田村の銀行は、あまり、かんばしくない、または、西条家の家業が……」

「なるほど、どちらかが、相手側の資産を狙っていると……いや、それなら、田村家から婿に入る訳ですから……。兄上、やはり、銀行業が……」

岩崎は、大通りに続く路上で、立ち止まったまま、兄の忠告のような読みに同意しつつ、渋い顔をした。

「やだわ、結局、田村家も西条家も、岩崎男爵という肩書きどころか、財産が目当て、ということ?!」

ぶつぶつと、(みのる)への、不満を言っていた芳子も、路上に立ち止まり、ちらりと、岩崎に背負われている月子を見た。

「つまり、月子を、当てにしてるという訳か……。しかし、西条家は、今までさんざん、月子のことを……」

そこまで言うと、岩崎は、また、渋い顔をする。

岩崎家へ嫁ぎ、西条家と縁が切れるはずが、今度は男爵家の人間になるがために、月子は、利用されようとしている。

「これでは、何のために、岩崎家へ嫁いで来るのか……」

岩崎が、口惜しそうに言う側から、芳子が、じれったそうに言う。

「あら、それは、京介さん、あなたと夫婦になるためじゃない。月子さんは、あなたに大切にされるためにやって来るのでしょ?」

「うん、その通り。月子さん、道々の話は聞かなかったことにして、存分に京介に甘えるといい。もちろん、私達もついているからね。何かあれば、すぐに言って来なさい。まあ、二人でのんびり暮らすといいよ」

ははは、と、男爵は笑って、岩崎と話し込んでいた件を誤魔化そうとした。

「申し訳ありません。色々とご迷惑をおかけして……」

岩崎は、男爵邸に住んでいないとはいえ、れっきとした、男爵家の人間なのだ。それなのに、訪れた西条家では、(みのる)も含め、岩崎を散々こけにした。いや、男爵夫婦も、だろう。

いくら、突然押しかけたと言っても、あの騒ぎは、ないだろうに。

月子は、いくらかは、自分にも責任のようなものがあると、顔を曇らせた。

仮に、自分が、西条家の実子であったなら、佐紀子にも、邪険に扱われなかっただろう。そして、見合い相手とも、上手く接してもらえただろう。

いや、もしかしたら、自分の相手が、(みのる)だったかもしれない……。

「月子さん、余計なことは、考えないの!」

芳子が、心配そうに語りかけて来た。

「あっ、い、いえ、私は……」

考えていたことが、顔に出ていたのかと、月子は、焦る。

「あのね、京介さんは、月子さんのことが気に入ってるんだから、何も心配することはないのよ。と、言いたいんだけど、また、なんというか、察しが悪くて、女慣れしてないというか?って、慣れてても困るけどね」

ふふっと、芳子は、笑った。

「なんですか、気に入った、だ、なんだと。こ、これは、月子が、足を挫いているから、背負っているのであって、そして、見合いの相手ですから、失礼のないように、とりあえず……」

「とりあえず、押し倒したのか?京介?」

ははは、と、男爵が大笑いする。

「押し倒した?!」

岩崎が、裏返った声を出す。

「やだぁ、京介さん!もう!往来で、大きな声をださいでっ!」

芳子が、顔をしかめたが、その口元は、弛みきっていた。

「大声も、だけど。京一さん?気がついてまして?!ふふふ、いつの間にか、月子、月子よ!やっぱり、あれは、わざと押し倒したのよ!」

芳子が、西条家で、二人して倒れこんだ事をからかってくる。

「な、な、何をおっしゃってるんです?!義姉上(あねうえ)!つ、月子まで、からかわないでください!」

「ほら、月子って言った」

あっと、岩崎は、芳子の指摘に叫び、月子は、その岩崎の背中で恥ずかしさから小さくなった。

くくく、と、男爵は、笑いを噛み締めている。

「と、とにかく、私達は、ここで失礼します!そこを曲がれば、神田方面ですから!」

言い捨てるように、岩崎は、またまた叫び、男爵夫婦から逃げるように、早足で、住み処のある方向へ歩んで行く。

そんな、二人の姿に、芳子は、ご機嫌ようと、笑いながら声をかけた。

それに応じるかのよう、岩崎が、小さく頭を下げている。

「……上手く行きそうだな。芳子」

「ええ、月子さんなら、きっと、京介さんの心をほぐしてくれると思うの。社交界やらなんやかや、色々と、好奇の目は、向けられると思うけれど、そこは、男爵家のためですからね、ちゃんと、月子さんを守りますよ」

うんうん、と、男爵は、芳子の言葉に頷いている。

が。

「うちも、来月辺り、祝言を挙げるかね?さっさと、外堀を固めてしまえば、京介も、昔の事など、忘れるだろうし、いや、それがあるからこそ、早くまとめてしまうのも……ありなのかなぁ?」

「そうですわねぇ。と、いうより!京一さん!もしかして、田村家の(みのる)とやらこそ、訳ありなんじゃないですか?!だから、祝言を急ぐんじゃないのかしら?!そう!破談にさせまいとして!!」

「なるほどねぇ、そうゆう見かたもありますか。まあ、どうあれ、田村の銀行事業は、少し気を付けた方がよろしいということだなぁ……」

だんだんと、小さくなっていく、月子を背負った岩崎の姿を見送りながら、男爵夫婦は、少し困った素振りをみせつつも、嬉しそうに、笑みを浮かべていた。