麗しの君に。~大正イノセント・ストーリー~

「ひげーー、ひげーー、にく太郎ーー!!」

お咲の高音が伸びる。

わああーーと、観客の歓声は鳴りやまない。

そこへ、ボン!という音と共に白い閃光が放たれた。

「はいはい!お咲!そのまま、唄っておくれよっ!」

二代目が、洋装姿の二人組を連れて現れた。

一人は手帳に何か記し、もう一人は、カメラで写真を撮っている。

その様子に、新聞記者だとピンときた観客達から、ざわめきが起こった。

日曜日の退屈しのぎに、ちょいと顔をかしてくれ。そんな言葉で二代目に集められていた客達は、新聞記者の登場という、大がかりな仕掛けに、驚きを隠せない。

お咲は唄を止め、眩しそうに目を細めている。

「お嬢ちゃん!気にしないで唄っておくれ!」

カメラを手にする男が、自分の役目を果たそうと叫ぶ。

戸惑うお咲を何とかせねばと、中村が、弓を引き適当にバイオリンの音を流しお咲を唄わせようと試みる。

「お咲ちゃーん!」

「にくにく!」

「ひげ太郎!」

観客も乱入に近い珍客から、お咲を守ろうとばかりに、励ましの掛け声と拍手を送った。

「お咲!」

舞台の下からの兄の声に、お咲は、はっとして、

「おに太郎ーー!!にぎにぎにぎにぎおに太郎!!」

再び軽やかに唄い出す。

「げっ、ますます訳のわからんやつだよ……」

中村は、お咲きの弾けぶりと観客の声援に肩をすくめると、手におえないとすごすご舞台を下がった。

幕の裏からのピアノは、とっくに止まっている。もう、自分の役目はないだろうと中村も見切った様だった。

「あら、中村さん、よろしいの?」

舞台裾でお咲を見ていた芳子が、引き下がってきた中村へ言葉をかけた。

「男爵夫人、しょうがないでしょ。おれの出番はないし。なあ、どうしろって言うんだよ?岩崎」

芳子の隣で控えている岩崎に、中村は同意を求めた。

「……まあ、そうだなぁ。中村、お前の出番はなさそうだが……しかし、あれはなんだ?二代目は何を考えてるんだ?!」

「あら、まあ!なんだか、楽しそう!というよりも、京介さん?!私達は写真を撮られていないわよ?!」

芳子が憤る。

どこまで目立ちたいのかと、岩崎と中村は顔を見合わせたが、その間もお咲は、おに太郎の唄を小躍りしながら唄っている。

それに合わせて、ボン!ボン!とマグネシウムのフラッシュがたかれ、光線を発し続けた。

カメラ担当は、右に左に動き回り、お咲を撮影している。

演劇場では、いつの間にか、おに太郎の唄の大合唱が始まっていた。

「にぎにぎにぎーー!!」

「おに太郎!!」

「えーー!おせんにキャラメル、ラムネは、いかが?」

「亀屋の、おに太郎握りだよぉ!」

幕間が終わってしまうと、売り子が慌てて現れ、お咲の唄に便乗した。ついでに、亀屋の女将、お龍《たき》までが、握り飯を売り始めた。

唄と売り声の掛け合いに、会場は、意味がわからんと戸惑いかけたが、

「おに太郎握り、ひとつくれ!」

「あっ!俺も!」

と、なぜか、次々、亀屋の握り飯弁当が売れ始める。

弁当持参の家族連れも、欲しがる子供をなだめる為に、お龍へ声をかける始末だった。

「いゃぁ、商売繁盛でよかったじゃないかい!」

二代目は、新聞記者達の後ろで呑気に笑っているのだが……。

「田口屋さん!!」

舞台の裾からの、芳子の剣幕にびくりと肩を揺らした。

「私と京介さんは、どうなっているの?!」

いきなりの事に、へっ?!と二代目は声をあげ、幕裾からムッとしながら顔を出している芳子を見る。

「あーー!!夫人!手違いがありましてねぇ、記者さん達の到着が遅れたんですよー!」

「では、田口屋さん!ポーズを取ってもらうということで。こちらも、男爵夫人の姿を撮り忘れというのは、社内的にも不味いんでぇ」

「撮れば一緒ですよ!写真は音まで拾えませんから!」

わははと、カメラ担当の男が笑った。

その間も、観客とお咲の、おに太郎の合唱は続いており、おまけに、劇場の売り子と亀屋も、商売繁盛。飛ぶように品物が売れていく。

「まっ、そうゆうことで、旨くまとまってるじゃないですかっ?!」

とぼけきる二代目に岩崎が、もの申すと身を乗り出しかけるが、中村が必死に制した。

「岩崎!堪えろ!確かに訳はわからんが、お咲が、唄っているんだ!お前の体は大きいし、声も大きい!ここで動けば、舞台が更にめちゃくちゃになる!」

中村は、そう説得し芳子へも、

「夫人!最後に、お咲とハモればいいんですよ!そしたら、唄っている様子が写真に撮れる!」

などと、こちらの機嫌も慌てて取った。

「あら、それもそうね、どのみち、お咲は、私達の合唱に乗っかっていたのだから、皆で最後に決めれば間違いないわ!」

「いや、間違いもなにも、すでに、今の状態が、間違っているでしょう?」

岩崎は、どうなってるんだと不満げだった。

「まあまあ、要らぬ騒ぎを起こすな!岩崎!月子ちゃんが心配するぞ?!」

「……月子が?……確かに、楽しんでいるところに、見苦しい場面は、みせられないな……」

不機嫌な岩崎が、急におとなしくなる。

「なんだそれ。結局、月子ちゃんかよ!」

さすがに中村も呆れ返り、やってられねぇわ、と呟いた。