麗しの君に。~大正イノセント・ストーリー~

そして……。

お咲が言ったように、男達はまるで子供になっていた。

出前の盛り蕎麦を取り合っているのだ。

まさか、中村が現れるとは思ってなかった為に、二代目は盛り蕎麦を三人前しか注文していなかった。

岩崎、月子、そして、二代目本人の物という訳なのだが、お咲は、子供だから、台所にあるものを見繕ったので良いと思ったと、二代目が三人前と注文した理由を言うと、今度は、お咲が、にく太郎の唄で抗議し始める。

いや、良く聞くと、蕎麦太郎だ。

まあ、要するに、蕎麦が足りないと男達が、駄々をこねているだけのことなのだが、即興の唄まで入ったものだから、うるささは半端なものではなない。

「お咲!蕎麦太郎とはなんだ!」

岩崎が、これまた吠える。

「お咲の蕎麦がないから、蕎麦太郎がやってくるんだ!」

「蕎麦太郎ったって、そんなものいやしないだろっ!」

「いないけど!くるんだよっ!」

お咲も負けていなかった。岩崎へ噛みつく。

「あの……お蕎麦は、三人前。ならば、旦那様、二代目さん、中村さんのお三人でお食べになられたらいかがでしょう?」

「月子ちゃん!名案!」

二代目が弾けるが、中村が慌てた。

「ちょっと待て!それじゃ、月子ちゃんの蕎麦がない!そもそも、おれは、すぐ帰るつもりだったし……」

始めから頭数に入ってないのだからと、中村は、下宿に帰ると腰を上げようとした。

「……じゃあ!お咲は!中村がいなくても、お咲のがないよっ!蕎麦太郎ーーーー!」

涙目になりながら、お咲は、だっと縁側へ駆け出し、蕎麦太郎とやらを呼んだ。

「あっ、そうだ、もともと、お咲ちゃんは、無かった……じゃあ!お咲ちゃん!私と一緒におにぎりたべましょう!お、おに、おに太郎よっ!!」

とっさに、月子が、べそをかきそうになっているお咲へ呼び掛ける。

「……月子、この場合、にぎり太郎じゃあないのか?」

「おお!京さん、いいねぇ。握り太郎!ってさぁ、寿司みてぇだなぁ」

岩崎の発言に、二代目は何か浮かぬ顔だが、月子は、とにかく、お咲の機嫌を取りたかった。

おにだろうと、握りだろうと、なんでもよかったのだ。

それよりも、事の発端、蕎麦を何とかしないといけない。

伸びてしまうと思った月子は、ぱくりと、おにぎりを食べると、空々しい声をあげた。

「お咲ちゃん!美味しいーー!お米がふかふか、甘くて美味しいよ!」

そんな月子の一言に、お咲の肩が、ピクリと揺れる。

「……米。米ーーーー!」

バタバタと居間へ戻ってくると、目をランランと輝かせ、月子が食べているおにぎりを見た。

「……だなぁ。お咲は、米も、まともに食ったことないよなぁ。たかが、おにぎり、されど、おにぎり、ってことだよねぇ……」

月子から、渡されたおにぎりを嬉しそうに頬張るお咲に、二代目は呟き、中村も頷いているが……。

「そんなものなのか?お咲の家は農家だろう?米を作っているのではないのか?」

帝都暮らしというか、男爵家生まれというか、つまりは、上流の暮らしになれている岩崎が、ずれた事を言う。

二代目、中村は、あきれ返る。

「京さん、米騒動ってもんがなんで起きたのか、いや、そもそも、子供のお咲がなんで、ここにいるのか、考えてみなよ……」

岩崎は、二代目に言われ、はっとした顔をし、すぐに、ばつが悪そうにした。

「お咲ちゃん?玉子焼き作ってあげようか?」

月子の労りに、お咲は、また、歓びの声をあげた。

「なあ、ここは、月子ちゃんに任せて。おれ達は、盛り蕎麦ってことにしたら、おさまるんじゃないか?」

中村の提案に、岩崎も二代目も、素直に箸を取る。

こうして、ひと悶着起こったが、なんとかかんとか、皆、食事にありつけた。

そうこうするうち、柱時計が時を告げる。

「おっと、もう、こんな時間。おれ、下宿に帰るわ。明日の事は、明日考えるという部分ありきだが、岩崎、学生達は皆やる気になっている。それが、花園劇場だとしてもな。だから、おれ達を信用してくれ!」

熱く語る中村に、岩崎もその言い分に同意する事で頷いた。

玉子焼きを、皆の分もと多めに作って台所から戻って来た月子は、神妙だが、やる気に溢れている岩崎達の姿に、どこか、ほっとする。

「おっ!玉子焼きかぁ!いいねぇ。一杯やりたいとこだなぁ!」

「私達は、演奏会が控えているんだぞ!何が一杯だっ!!」

たちまち、岩崎の激が二代目へ降りかかる。

中村も神妙な面持ちで、うんうんと、頷いている。

「そうだよー!一杯だなんて、だめだよー!明日、桃太郎唄えなくなったらどうするの?!」

口を米つぶだらけにしたお咲が、中村をチラチラ見ながら、二代目へ言った。

「えーー!俺、別に唄わねぇし、演奏もしねぇし!けど……木戸賃の計算があるなぁ……」

二日酔いでは、集まった入場料金の計算ができないと二代目は真顔になる。

「金かよっ!」

中村から突っ込まれつつも、いけないかぃ?と、二代目は、飄々と言い放ち、出されている玉子焼きを口へ放り込んだ。