シーン2
 この学校を運営するのは、家電から介護用ロボット、ロケット開発まで手広く扱う大手企業だ。全国に児童養護施設を持ち、一ヶ所、この辺鄙な山奥に高校三年生限定の学校を構える。
 高校三年生になると、施設の子どもたちは一斉に隔離施設のような学校に編入させられる、と聞いた時、直美は修行僧のような生活をさせられるのかとビクビクした。
 けれど実際は、スマホも外出も禁止されてはいるが、校則はないに等しく、成績に応じて小遣いは貰えるし、それで好きなものを通販で購入できるから、むしろ快適な生活を送れている。
 なにより、情緒不安定な教師がいないというのが良い。ここでの「先生」はチタン製のリストバンド。先生について校則には、『充電時以外は常に装着すること』と記されている。
「俺らさ、卒業試験は睡眠耐久試験じゃないかって話してたんだよ。寝たら脱落。最後まで起きてた奴が合格」
 卒業試験を明日に控える晃平が言った。
 直美は密かにお菓子を作って彼にプレゼントするつもりでいたのだが、調理室にいるところを見つかってしまった。しかもクッキーは大失敗。ビニール袋に入れて捨てようとしていたところだった。
「それか宝探し。ちょっとガキっぽいかな。でもクラスによって試験期間が違うって言うし、普通の筆記試験じゃないと思うんだよ」
 卒業試験で何をするのかは誰も知らない。ここで、先生が教えてくれないことを知るのは不可能だ。
「先生に聞いたらさ」
「『答え、られ、ません』でしょ?」
 無機質な先生の声を真似すると、晃平は「あははっ」と弾けるように笑った。彼はちょっとしたことでもすぐに笑ってくれる。
「試験内容についてはね。でも、試験期間は教えてくれた。平均して四日間だって」
「ながっ」
「ふふ、勘弁してって感じだよね。でもさ、ヒントとか残しておけば、その後のクラスの試験は、ちょっとは短縮できるんじゃないかな」
「ヒント?」
「うん、俺、頑張って残してみるよ。他のクラスに早く試験終わってもらわないと、直美にも会えないし」
 晃平は一組で、直美は五組だ。試験期間中、他のクラスは寮で待機。平均して四日間ということは、二十日間も会えないことになる。
「これ、ちょうだいよ」
 気を抜いていたら、クッキーの入った袋を奪われた。
「だめっ! それ失敗作なのっ!」
「直美の作ったものならなんでも嬉しいし、まずかったらそれはそれで眠気覚ましに試験の役に立つよ。ってか、普通に持ってたい」
 そんな風に言われてしまうと、取り返す言葉が出てこない。
「まずいって、忠告したからね」
「うん、覚悟しとく」
 晃平は人懐っこく笑った。遠くから、晃平を呼ぶ声が聞こえてくる。
「行かないと。ヒントのこと、頭入れといてね。机の中にでも入れとくから」
 晃平はそう言って、失敗クッキーの入った袋を掲げ、調理室を出て行った。

シーン6
 試験当日。五組の学生を乗せたバスが寮を出発した。
 山の周囲をぐるりと回るように、緩やかな坂道を上がっていくと、途中で急勾配な直線道路に変わる。この先、頂上までに三ヶ所、ガラス張りの守衛室が設けられているが、人がいるのを見たことは一度もない。
「あれ?」
 だからそこに人がいるとなれば、学生の視線がいくのは当然で、
「えっ、ロボット?」
「なになに?」
 学生らは背伸びをしたり、移動したりして、守衛室の中に立つソレを見ようとする。
「見た?」
「見れなかった。なに?」
「なんかロボットっぽかったんだけど」
「ターミネーター的な?」
 二ヶ所目の守衛室が近づいてくる。学生が右側の窓へごっそり移動し、バスが傾く。
「マジだ。なにあれ」
「どう見てもロボットだけど、でもなんで?」
 あれ、血じゃない?
 直美が口を開くより先に、誰かが言った。「ねぇあそこ、血じゃない?」
「血? まさか」
「見てあれっ!」
 三ヶ所目の守衛室が見えてきた。電話ボックスのようなガラス張りの守衛室には、赤い、血のようなものが付着している。中にいるのはSF映画に出てくるような、銀色の男性型ロボットだ。
 通り過ぎると、今度はもっと近くに目を奪われた。車道スレスレに、筆で描いたような赤色の線がある。まるで、ずずっ、と死体を引き摺ったような……想像したら、「ひっ」と短い悲鳴が漏れた。直美だけでなく、皆が同じ反応をしていた。
 今にも雨の降りそうな空が、校舎が見えてくる。傾斜がなくなり、バスが前庭に侵入する。
 アスファルトには赤黒いシミがぽつぽつと点在していた。水たまりのように大きな円もあれば、カラーボールを思いっきり投げつけたような躍動的なものまで。
「ね、ねぇ……あれやっぱり血だよっ!」
「どういうこと……?」
「ねーえ! 卒業試験って何すんのっ!?」
 金切り声が車内に響く。答えたのは、最後尾に座る男子学生だった。
「狩猟だろ、ハンティング! 山に放たれたイノシシとか……シカを捕まえるのが試験なんだよ、たぶん……いや絶対、絶対そうっ!」
 まさかこれらの血痕が人間の、ましてや同級生のものだなんて、信じたくない。直美は心の中で賛同しかけ、けれど視線が、正面玄関のガラス扉に縫い止められた。
 開け放たれたガラス扉には、赤い、手のひらの痕がベッタリと付着していた。希望を捨てきれない学生への、とどめの一発。直美はザッと血の気が引いた。
 
シーン9
「卒業、試験、を、開始、します」
 腕に巻かれたチタン製のリストバンド……先生が言った。
「敵を、一人残らず、殺して、ください」
 え、なに? 直美は思わず先生に視線を注いだ。
「機械と、人間、どちらかが、ゼロ、に、なったら、終わりです。制限時間は、ありません」
 直美は守衛室の中にいた、銀色の人型を思い浮かべた。人間と同じ骨格でありながら、人間味のカケラもない精密な機械……ゾクリと怖気がした。やはりあれと戦うのだ。あれの攻撃力はどんなものだろう。
 
シーン12
 茂みから顔を出すと、銀色のロボットが目に止まった。銀色のロボットは、カービン銃を握っている。カチリ、と安全装置を外し、足を挫いて倒れている女子学生に銃口を向ける。
「誰かっ! 誰か助けっ」
 パン、と空気を切り裂く音。額を撃ち抜かれた彼女はくたりと倒れた。
 直美は息をのんだ。
 ロボットと言えば商業施設で受付したり、料理を運ぶ程度のものでしかなかった。それが、あのロボットは人間のような滑らかな動作で歩き、カービン銃の安全装置を外し、人間を仕留めた。ロボットに対する認識を、改めなくてはならない。

シーン14 
 晃平の無事を確認する方法はないかと考え、左手首に巻かれた先生に意識がいった。震える声で、「先生……」と呼びかける。
「一組が勝ったのは、どっち?」
 聞いた瞬間、胸が苦しくなった。聞くんじゃなかったと思った。
「一組、は、人間、です」
 先生が答えた。一組は人間が勝った……直美は安堵し、ほっと胸に手を当てた。

シーン33
 蓮司は仲間と共に、守衛室にいた銀色のロボット三体を倒した。教室に戻るなり、負傷した大野を手当てする。
「お前……う、腕っ……」
 苦しげに手当てを受けていた大野が、ギョッと目を見開き、蓮司の腕を指差した。蓮司の隣で、吉田が「あっ」と声をあげる。
「俺は大したことない。今はお前の手当てが先だ」
 蓮司はそう言って、自分の腕を押さえた。違和感に目を見開く。おずおずと触れた部分を見ると、額からブワッと汗が噴き出した。
 どういう……ことだ……
 ふと、視界に黒いものが見えた。銀色の自分の腕から目を逸らし、顔を上げると、委員長が自分に銃口を向けていた。
「夏川くん……大野くんから、離れて」
 いかにも真面目そうな女子委員長は、鈴のような美しい声を震わせ、言った。
「誰が手当てするんだ。お前らビビってできねぇだろ」
 蓮司は動揺する気持ちを堪え、大野の手当てを再開した。
「いいから大野くんから離れてよっ!」
 銃口がブンブンと上下した。
「下せ、鬱陶しい」
 動揺し、蓮司の手から包帯が落ちる。伸ばした銀色の手に、教室中の視線が集う。
「んなもん、クラスメイトに向けんなよ……夏川は、ロボットやっつけたんだぞっ」
 吉田がフォローしてくれた。でも彼はチラチラと蓮司の腕を気にしている。
「守衛室にいたロボット……三体、倒してくれたんだよね?」
 教室の隅で膝を抱えて座る女子生徒が言った。
「倒したって言ってんだろっ!」
 吉田が怒鳴る。
「じゃあ……何で先生、何も言わないの?」
(試験は、まだ終わってない……)
 教室にいる者全員が、同じことを思ったのだろう。教室の空気が変わった。
 まだ手当ての途中なのに、大野が怯えるように後退る。
「先生」
 大野が震える声で言った。
「機械は何体?」
「九時、十、七分現在、機械、の、数は、十、五体、です」
 ゴクリと喉が鳴った。十五体、その数字が持つ意味を考えたくない。
「先生、人間は、何人?」
 今度は委員長。
「九時、十、八分現在、人間、の、数は、十、九人、です」
 教室には二十六人の学生がいる。
 
シーン36
 蓮司は森の中へ逃げ込んだ。
 まだ信じられない。俺が機械? まさか。
「わっ」
 暗くて近づくまで分からなかった。茂みの中に人がしゃがんでいた。しかも、その前にはクラスメイトの遺体が並んでいる。校庭にないと思ったら、こんな場所に運び込まれていたのか。
 しゃがんでいたのは佐久間だった。クラス一の男前だ。
 佐久間が振り返り、蓮司の銀色の腕を見た。
 蓮司はゴクリと唾液をのんだ。佐久間は……無表情。そして静かに「お前も機械か」と言った。
「お前も……って……」
「俺もそうだ。だからここにいる」
 蓮司はそこでやっと、彼の前にある遺体が、バラバラに分解されていることに気づいた。
「お前、自分の体が機械だって、知ってたか?」
 はっきり「機械」と告げられ、蓮司はギョッと目を剥いた。
「知らなかったろ。俺も知らなかった」
 佐久間は銀色に剥いた男子生徒の股間から、親指サイズの陰茎をグリッと外した。
 ほらよ、と軽々しく放り投げられ、咄嗟に両手でキャッチする。思わずまじまじと見てしまった。尿道だろう、貫通している。蓮司は股間が竦んだ。自分もこれと同じとは、思いたくない。
「俺たちの尿が黄色いのは、中からライトで照らしているからだ」
 陰茎を失った股間を覗き込みながら、佐久間は言った。
 ガサガサと足音が聞こえ、蓮司は振り返った。佐久間の親友、陣内だ。この森の中で摘んだのだろうか、両手いっぱいに花を持っている。
「大丈夫、陣内も機械だ」
 佐久間が言った。
 陣内は蓮司の腕を見て、すぐに察し、ぎこちなく「おっす」と笑った。
 けれど分解された男子生徒を見て、「何してんだっ!」と気色ばんだ。
「やめろっ! なんでそんなことするんだよっ!」
 陣内が佐久間を遺体から引き剥がす。佐久間は抵抗せず、すんなり遺体から離れた。
「この試験に勝つには、俺たちは、自分の体について詳しくならなきゃいけない。人間に弱点を握られたら負ける」
 乱れた制服を整えながら、佐久間は言った。
「俺たちは……」
「機械だ。人間に知られたら殺される」
 陣内は悔しげに唇を噛み締めた。
「死にたくないだろ?」
 佐久間はクッと眉根を寄せ、すがるような眼差しで言った。
「受け入れたくないのはわかる。俺だって嫌だ。でもあいつらはとっくに受け入れてんだ。俺たちは機械だって。俺たちを殺さなきゃ、この試験は終わらないんだって……」
 陣内はブンブンとかぶりを振ると、遺体に駆け寄り、しゃがんだ。
 遺体の周りに花を添えていく。
「機械なもんか……俺には、不安も恐怖も感じる心があるんだ」
 花が尽き、「花、採ってくる」と言って、陣内は立ち上がった。
「……機械だからって、俺はクラスメイトをそんなふうに扱うなんて、間違ってると思う」
 陣内は花を採りに行った。
 佐久間は顔の分解に取り掛かった。見慣れたクラスメイトの顔……皮膚をベロンと剥がすと、守衛室にいたロボットと全く同じ、量産型の顔が現れた。佐久間は淡々と分解していく。
「これ、邪魔だから退かしてくれるか」
 そう言って佐久間が視線で示したのは、陣内が添えた花だった。

シーン44
 直美は目尻を吊り上げた。
「はあ? あんたたちが怪しいって言うからやったんじゃない! 私がやるって言ったら、あんたたちホッとした顔してたじゃない! いやらしいっ! 言うだけ言って、手を下すこともできない卑怯者がっ、私を責めんじゃないわよっ!」
 教室の隅に固まる女子生徒が憎らしい。男子もだ。どいつもこいつも役立たず。
「私たち……怪しいって言っただけで、殺してなんて、一言も言ってないよ……」
 弱々しい女子生徒の声に、直美はクラスメイトを殺した罪悪感など消え失せて、はらわたが煮えくり返った。なんなら、目の前で血を流して倒れる遺体にも腹が立った。
(義手なら義手って言いなさいよっ!)
 彼女の腕は皮膚がめくれ、銀色が見えていた。
 ふとひらめき、直美は彼女の前に膝をついた。ベタベタと肩から二の腕を触り、カポッと義手を外す。
「今度は何する気……?」
 聞かれたが答えなかった。他力本願な人間を相手にしているヒマはない。早く晃平に会いたい。そのためにはあと12体、機械を倒す必要がある。
 直美は義手を手に、教室を出た。

シーン49
 調理室には、機械と思われる学生が8人、集まっていた。ここを拠点に、作戦会議をしていたらしい。
 直美は袖から左腕を抜き、制服の中に隠した。そして右手で義手を持った。そんな格好の直美を、彼らはまんまと機械と信じた。
 試験開始から十時間。外はすっかり暗闇だ。廊下のトイレに照明がついていて、調理室はその明かりを頼りにしていて薄暗い。それでも顔の判別はつく。直美は部屋にいる面子を一人ずつ確認した。
「直美ちゃん……」
 加藤という女子生徒が擦り寄ってきた。
「あの……一緒に、トイレ行ってくれる? 一人じゃ怖くって」
 直美は怪訝に眉根を寄せた。これは罠か?
 改めて部屋を見回す。女子は彼女一人だけで、あとは男子だ。
 それに彼女は武器を持っていない。直美は考えを改めた。逆に、彼女を始末することはできないだろうか、と。ここには8人の敵がいる。数では敵わない。一人ずつ、バレないように倒していくしかない。その第一号に、彼女はピッタリではないか?
「いいよ、行こうか」
 でもどうやって殺そうか。銃を使ったら音でバレる。便器に顔を押し付けるか?
 頭の中であれこれ考えながら、直美は廊下に出た。
 女子トイレに入るなり、強烈な異臭で思考が散った。直美は思わず鼻を覆う。
 加藤はよほど我慢していたのか、個室に駆け込んだ。
 直美はとてもその場にいられなかった。悪臭に吐き気を覚えた。
 一体なんの臭いだろう。視線を素早く走らせるが、タイル敷きのトイレにおかしな点はない。
 ジャーッと水の流れる音の後、加藤が出てきた。恥ずかしそうに直美に微笑みかけ、洗面台へ行く。臭いに気づいている様子はない。
(どういうこと……?)
 彼らは人間のように食事をして、排泄をして、眠気もある。
 一年間、一緒に過ごしていたのに、直美は機械が紛れていると気づかなかった。
 でもそれは、「機械が紛れている」ことが前提になかったからで、本当は小さな違和感がたくさん転がっていたんじゃないか。
 所詮は機械。人間とは違う。見分けるのは簡単で、機械の仕組みを理解したら、武力以外の方法で、彼らを倒すことができるんじゃないか。
 直美は悪臭を我慢し、トイレの奥へと踏み込んだ。ドアを開けていく。
「直美ちゃん……どうしたの?」
 そのドアを開けた瞬間、直美はヒッと悲鳴を上げ、後退った。加藤も「キャーッ」と悲鳴をあげる。
 唯一の和式便所だった。片足を水の中に突っ込み、絶命している女子生徒がいた。股の間から尿と便が垂れている。
「うっ」
 加藤が鼻を覆った瞬間、直美は機械の嗅覚の仕組みを、うっすらと理解した。
 悲鳴を聞きつけ、調理室から男子生徒がやってきた。みな、トイレの中の惨殺死体を見て、「うっ」と顔をしかめる。
 間違いない。こいつらは、視覚で得た情報で臭いを感じている。見えないものの臭いはわからないのだ。
 ハッとし、直美は調理室へ急いだ。調理室には誰もいない。今のうちだ。
 直美は調理台に飛びついた。ガスの元栓を開き、次の調理台へ移る。
 あいつらは気づかない。この部屋を、ガスで満たすのだ。

シーン51
 蓮司はパンを持ったままだった。トイレの前には、悲鳴に駆けつけた学生が集まっている。
 トイレは明るい。蓮司はそれまで食べていたパンが、プレーンではなく、自分の苦手なあんバターだと知った。
 ゾワっと鳥肌が立った。どうして、気づかなかったんだろう。惨状を見た後で、食欲などないが、確かめずにはいられなかった。ひとくち食べると、口の中に苦手な味が広がった。
 不意打ちにパンチをくらわされた気分だ。自分には味覚がない。ならこの「まずい」という感覚は、一体なんだ。
 これを「プレーンだ」と言って、暗闇の中で渡してきた佐久間は、蓮司の戸惑いの視線から逃れるように、調理室へと去っていく。
「あれ? お前、あずき食えたっけ?」
 田中という男子生徒に問われ、蓮司は苦笑した。ゆるゆると首を振ると、パララッと何かが床に落ちた。えっ、と視線を落とす。銀色のネジが散らばっていた。
 ハッとし、耳に手を当てた。知らないうちに、負傷していたのだ。片耳がもげたそこは冷たいチタンだった。
「……間違ってる」
 蓮司が口を開くと、田中は首を傾げた。
「俺たちは、負けるべきだ」
 周囲にいた学生が、ハッと息をのんだ。
「何言ってんだよ」
 田中がぎこちなく笑う。他の学生も、「そうだよ」と無理して笑った。
「俺たちが勝つには、あと十七人も殺さなきゃならない。俺たちは十二人……いや、十二体だ」
「数は関係ない。大事なのは質だ」
 田中の返しに、蓮司は思わず目をみはった。
「質っ! 俺たち機械が、人間よりも価値があるって言いたいのかっ!」
「当然だろうがっ!」
 田中は大声で言い切った。
「人間なんてなぁ、まんこに精子ぶちこみゃあ簡単にできんだよ」
 彼は幼少期、酷い虐待を受けていた。でもその過去すら偽りなのだ。偽りの過去によって作られた人格は、結局のところプログラムでしかない。
「でも機械は違う。こりゃ相当金かかってんぜ。とんでもねぇ技術の結晶だ。これで人間が勝ったらな、学校としてはガッカリだろうよ」
 田中は卑屈に口角を引き上げた。
「この試験の目的は、この一年間の集大成。人間に紛れて生活した機械が最後、人間を超えることを要求された、機械のための試験だ」
「それに人間が付き合わされて死ぬなんておかしい。間違ってる」
 蓮司も言い返す。
「俺たちだって人間さ。きっとこの試験で死んだんだ」
 田中の推理に、蓮司は目を丸くした。
 田中は先生に視線を落とす。
「俺たちは一年間、先生に感情を収集されていたんだよ。そうとしか思えない。俺には昔の記憶がある。あれは現実だ……あいつらっ、やることやって俺のこと作っておきながらっ、お前なんていらねぇっつって、ポカポカ殴ってきやがった! 俺の扱いっ、あの家じゃ家電以下だった!」
 田中は両目を血走らせ、蓮司に詰め寄った。
「今の俺には価値があるっ! 今の俺にはっ……家電以上の価値がっ……」
 血走った両目から涙が溢れた。
「よくできてんだろ。涙まで出るんだぜ」
 蓮司はたまらず目を背けた。
「……そんなこと、言うな」
「お前は赤ちゃんポストだったよな。速攻いらねぇって捨てられたんだ」
 キッと睨みつけるが、田中は頬を濡らしながら笑った。
「俺たちは生まれ変わったんだ。自信持って生きようぜ」
 蓮司は後退りながら、カービン銃を肩から外した。田中が目尻を吊り上げる。
 蓮司は銃口を、誰に向けるでもなく、反抗の意思表示として、彼らに向けた。
「お前っ、自分が何してんのかわかってんのか!」
 田中が怒鳴る。
「お前らこそっ、本気で自分に人間以上の価値があると思ってんのかっ!」
 言った。取り返しのつかないことをした、と彼らの表情によって悟った。でもこれが本心だった。お前らだって、自分を騙しきれてないんだろう……っ! 本音を引き摺り出すように、一人一人に銃口を向けていく。
「こんなのバケモンじゃねぇかっ!」
 自身のもげた耳、銀色の露出した部分を親指で指す。興奮したせいか、銀色のパーツがチラチラと落下した。
 安全装置をカチリと外す。田中も銃を取り出した。
「やめろっ!」
 佐久間の声が廊下に響き渡った。
「二人とも銃を下せっ! ガス漏れしてるっ!」
(ガス漏れ?)
 蓮司は鼻をすすったが、ガスの臭いなどしない。
 でも、いつも冷静な佐久間の青ざめた表情で、事実だと確信した。
 ぞくりと鳥肌が立った。自分には嗅覚もないのだ。
 銀色の露出した自分の腕に意識がいく。人ならざるものの証明。自分には感情がある。でも、五感は偽りだ。
 所詮、機械だ。
 蓮司は覚悟を決めた。その覚悟を察したのか、佐久間が飯島の元へ行く。
「逃げるぞっ!」
 飯島の手を引いて、佐久間は全速力で廊下を駆けて行った。
 他の学生も、わけがわからないまま廊下を逃げていく。
「バカなことすんなっ!」
 出遅れた田中が叫んだ。
 バカなこととは、人間の命を奪うことだ。俺が奪うのは、よくできた作り物だ。
 あるはずのない五感が、研ぎ澄まされていくようだった。でも自分に血液は流れていない。血の気が引いても、心臓が波打っても、鳥肌が立っても、それはただの錯覚だ。
 蓮司は引き金を絞った。
 ドゥオオオオオン、と物凄い音と爆風が巻き起こった。
 燃え盛る炎に焼かれながら、佐久間は人間だろうに、どうするつもりだったんだろうと、蓮司は思った。

シーン60 
「待てっ、待てっ! 俺は機械だっ! お前の仲間だっ! ひいいっ! なんでっ! おいっ、やめろっ!」
 命乞いのために、躊躇なく「機械だ」と言う飯島がおかしかった。
 蓮司はグッ、と両手に力を入れた。銀色の手は、強烈なパワーを秘めていそうだ。
「ぎやぁああああああああっ」
 オレンジの皮を剥くような感触だった。
 額と前髪に銀色の隙間ができた。ベリベリと髪を剥がしていく。かつらのような髪には、小さな吸盤が密集している。自分もこうだったのかと思ったら、吐き気がした。
「ああああああっ!」
 人間的要素がベロンと剥がれ、銀色の後頭部が露出した。剥ぎ取り、ほっぽった。続けて額の隙間に指を入れ、顔面の皮膚を剥いだ。そのままフェイスマスクとして使えそうなほど、綺麗に取れた。それも草むらに投げ捨てる。
「よく分かってんじゃねえか。お前は人間じゃねぇよ。心のない機械だ。何が花だ。弔いにかこつけて、現実逃避してただけだろう。佐久間はずっと試験のこと考えてたぞ。花、触らなかったのはな、手がかぶれるからだ。お前はかぶれねぇのに、自分だけかぶれたら機械じゃねぇってバレるからっ……」
 蓮司が言うと、飯島は銀色の口をハクハクさせた。
「ナンデ、ナンデ……オマエ……ナツカワ、レンジナノカ……?」
 首を圧迫しているからか、飯島の声は電子音のようだった。
「ああそうだよ。ガワは全部燃えた」
 蓮司は頭のてっぺんから爪先まで銀色だ。守衛室にいた、あの人型ロボットと同じ姿になってしまったが、なんとか生きていた。
「あいつは分かってたんだろうな。機械を勝たせる気でいても、お前は信じないって……分かってたから、隠してたんだろうなっ」
 もがく陣内に底なしの怒りを覚えた。死ね、死ね、お前なんか死んじまえ。自分の残酷な一面に身震いした。陣内を殺すことに、一片の迷いも、罪悪感もない。あるのは、まだ殺すには早いという嗜虐心だけだ。
「どうしてあんなことができるっ! お前のために死のうとしていた男にっ!」
「ソンナ、ダッテ……ダッテ、アイツ……ニンゲン……」
「ああそうだ。あいつは人間だっ! 俺たちバケモンとは違うっ!」
 カン、と遠くで銃声が聞こえ、我に返った。陣内はぐったりしている。
「おい」
 肩を叩くが、反応はない。死んだか。煮え切らない怒りが不快感に変わった。目の前にいるのは見慣れた陣内ではなく銀色のガラクタだ。これに、自分はムキになっていたのか。
 蓮司は立ち上がり、ふらふらと森の中を彷徨った。カチャ、カチャ、と足音を鳴らしながら。
 花を見つけ、気づけば摘み取っていた。佐久間の遺体に添えるのだ。一体、この感情はどこからくるのだろうか。
 蓮司は笑った。ガコン、と顎が外れ、戻らなくなった。

シーン78
 直美は立ち上がろうと机の脚を掴んだ。ガタンと横倒しになったその中から、ひらりと一枚の紙切れが落ちてくる。まるで意思を持った生き物のように、それは直美の目の先で止まった。
 おぼつかない筆致で記された言葉。何度も何度も目で追った。押し出されるようにして涙が溢れてくる。視界がにじんでもうその文字は読めないが、それは直美の頭の中で、彼の声となって、再生された。
「クラスの中にはロボットが紛れてる。みんなよくできてるから、気をつけて。直美はどっちかな? どっちでもいいから、生き残ってね。俺は先に外で待ってるよ。それと、直美がくれたクッキー、おいしかったよ!」