――魂はどこから来て、どこへ行くのか。
 ――死んだことのない私には分からなかった。

 

「どうした、有紗?」
「……いや、ちょっと待って」
 青信号なのに立ち止まったままの私を見て、幼馴染の拓海が首を傾げた。

 軽い頭痛がする。その原因を探して周囲に目を配る。
 そして――脇を走り抜けようとした子供の腕を掴んだ。

「何を――え」

 急に手を引かれて、子供が足を止める。
 不満げにこちらを振り返ろうとして、息を呑んだ。

 子供の鼻先を大型のトラックが高速で走り抜けていったのだ。
 あのまま飛び出していたら、怪我では済まなかっただろう。

「こらー! 危ないだろ! ちゃんと信号見ろよ、運転手!?
 ……大丈夫だった?」

 私は叫ぶと、子供に怪我がないことを確かめて歩き始める。
 ……幸い、信号はまだ青だった。

「……そう言えば、ここは事故が多いらしいな」
「だろうねぇ」

 拓海がちらりと脇を見る。そこには花瓶が置いてあった。
 私には被害者も『何人か』見えている。

 昔から私には不思議な能力があった。
 先ほどのようなことが良く起こる。

 霊感というのだろうか。幽霊が見える。声も聞こえる。
 ひょっとしたら触ることもできるかもしれない。

 そのおかげなのか、私は直感が鋭いらしい。
 未来予知とはいかないが、違和感があれば大体は何かが起こる。

「……大変だな」
「慣れたよ」

 拓海の言葉に軽く返して、学校へと急ぐ。
 今日からテストの補習だった。



「……随分遅いな」
「すみません! 小学生を事故から救ってました!」

 数学教師の今泉が開口一番に小言を呟いた。
 スーツで固めたこの若い教師は顔が良い癖に口が悪い。

「? 病院まで付き添ったのか? それならまあ……」
「……いえ、手を引いて飛び出すのを防ぎました」
「じゃあ、どうせ間に合ってないだろう」
「ははは……」

 補習を受けているのは私たちだけだ。
 拓海は常連だが、私は初めて受ける。

 全部で二日間。今日と明日だ。
 せっかくの春休みなのに夕方まで潰れることになる。

 おかしいなぁ……。
 今回の答案は自信作だったのに……。



 午後の授業中だった。
 そいつは突然現れた。

「……!?」

 私は思わず目を逸らす。
 教室に一人の幽霊が入って来たのだ。

 ……やばい。あれは多分やばい奴だ。
 ……嫌な予感が収まらない。

 その幽霊はこの学校の女子制服を着ていた。
 背丈は平均くらいか? 正確には分からない。

 ――なぜなら。
 ――その幽霊には首がなかったのだ。

 幽霊が私を見た。
 体を向けただけだが、見たのは間違いないだろう。

「……っ」

 そのまま、幽霊は私の方へと歩み寄って来た。
 ……そして、私の右後ろに立った。

 まさかこれは。
 取り憑かれたということだろうか。

 正直、それからの補習なんて手に付かなかった。
 気が付けば夕方になっていた印象だ。

 無理もないだろう?
 首無し幽霊に取り憑かれているのに、補習なんて理解できるか。



 帰り道、私たちは公園を歩いていた。
 当然、幽霊は付いてくる。

「なぁ、何かあったのか?」
「……うん。ちょっとやばそうなのがいる」

 私の様子に気が付いて、拓海がささやいて来た。
 振り返らないように気を付けながら、私は返す。

「でも、悪霊と言うには違和感があるというか……」
「どんな奴だ?」
「首がない」
「……悪霊だろ」
 そりゃそうだ。

「ま、ちょっと休んで行こう」
「…………」

 そう言って、拓海は近くのベンチに腰掛けた。
 恐らく、私が家では相談できないことを知っているからだろう。

 家族にはこの手の話をあまりできない。見えないし、聞こえない。
 それに、あまり心配を掛けたくはなかった。

 そこで、ふらっと幽霊が動いた――

「あ」
「……どうした?」
「動かないで」

 ――拓海の目の前までやって来た。

 幽霊はベンチに座る拓海を指さした。
 そして――右手の親指の先をグロテスクな首元に持ってきて、ゆっくりと左から右に動かした。

「拓海? 殺害予告……?」
「何だ、今何されてんの……? さ、殺害予告?」

 幽霊が首を横に振る。いや、首はないんだけど。
 え、何、聞こえてるの?

 今度は私を指さして、もう一度座っている拓海を指さした。
 私と拓海……?

「私たちが?」
「二人になった……」

 そして――もう一度同じジェスチャーをした。
 結局殺害予告ってことじゃん!

「私も一緒に殺すと!?」
「あ、俺は死ぬ前提なのね」

 もう一度、幽霊が首を横に振る。
 ひょっとしたら、本当に聞こえている?

「……あのさ。もしかして私の声が聞こえてる?」
「おい?」

 危険かもしれないけど、意を決して私は幽霊に話しかけた。
 幽霊は時間を掛けた後、小さく頷いた。

「何か伝えたいことがあるってこと?」
「おいおい……」

 幽霊が首を傾げる。
 まるで老人が訊き返すみたいだ。

「ひょっとして、声が聞き取りにくい?」
「何やってんだお前……いや、お前らなんだろうけど……」

 また時間が経った後、幽霊が頷いた。
 スマホで言うところの、アンテナ数が少ない感じかな。

 私はしばらく考え込んだ。
 何か伝えたいことがあるのは間違いないだろう。

 冷静に考えてみれば、姿だけで悪霊と考えるのは違う。
 この人はこの姿で死んだだけだ。

「ところで文字は? 文字は書けるの?」
「? 書けるぞ?」

 拓海の頭をぱあんと叩く。
 お前じゃねえよ。

 幽霊は首を横に振った。
 そうか。見えないんだ。それに話せない。
 首がないんだから当然だ。目も耳も口もない。

 それでは文字が書けるはずもない。
 それでも見えているし、聞こえているのは不思議だけど……。

 いや、ひょっとしたら完全には見えていないのかもしれない。
 完全には聞こえていないように。

「なるほど。伝えようとしているんだ」
「なんだよ、自分で納得して……」
「ごめんごめん。何でもないよ」
「もう良いのかよ?」
「うん、もう大丈夫」

 拓海が不満そうに立ち上がった。
 私は精一杯の笑みで微笑んだ。

「ありがとう、助かった」

 本心だった。



 次の日の補習は遅くなった。
 今泉の話が長かったせいだ。

 それでもどうにか終わらせると、教室を出る。
 しっかりと幽霊も後を付いて来ている。

 教室を出ると、拓海のスマホが鳴った。
 廊下を歩きながら通話をしている。

 どうやらお母さんからのようだ。
 通話が終わると、拓海は私に深く頭を下げた。

「すまん! 親から買い物頼まれた。今日は先に帰らせてくれ!」
「別に良いよ。急ぎすぎないようにね」

 そう言って、拓海は私とは別方向に走って行った。
 幽霊と二人で家へと歩く。もう慣れてきたのが少しだけ嫌だった。
 
 幽霊は慌てた様子で何かを伝えようとする。
 しかし、私は気にせずに歩いていく。

 歩きながらスマホを開いた。
 メッセージアプリで拓海に短い言葉を送る。

 やがて、公園に入る。昨日、幽霊が騒いでいた公園だ。
 すっかり日は落ちてしまっていた。

「?」

 公園に入ってすぐに、背後から妙な視線を感じて振り返る。
 しかし異常は見当たらなかった。再び歩き出す。

「……!」

 しかしすぐに気のせいではないと分かった。
 急いで走り出す。幽霊もついて来た。

 ……いや、きっと間に合わないだろう。
 全力で走るが、私は帰宅部歴十年の大ベテランだ。

 少しずつ足音が迫ってきた。もう隠すつもりもないらしい。
 ちょうど拓海が座っていたベンチの横を通り過ぎようとした時だった。

「……!」

 腕をがしっと掴まれる。
 振り返ると、目出し帽にマスクを付けた男がすぐ後ろにいた。

 声を上げるより早く、口を押えられる。
 男は素早く懐からナイフを取り出した。

 私にナイフを突きつけると、男はナイフの先で一方を示す。
 その方向を見て、私は思った。

 ――やっぱりだ。

 男が示したのはベンチの向こうだった。
 そう。ちょうど幽霊が指さしたのと同じだ。

 あの時は拓海がいたけれど、おそらく幽霊にはそこまで見えなかった。
 だから、幽霊はベンチの向こうを指さしたつもりだったのだ。

 まず、私を指さした。
 次に、ベンチの向こうを指さした。

 そして――親指で首を切る動作をしたのだ。
 それも『首のない』幽霊が、だ。

 ――やっぱり、私はここで死ぬんだ。

 私は男に腕を引かれながら、ちらりと幽霊を見た。
 だとしたら、この幽霊の正体は……。

「……来た」
「!?」

 その足音に私が笑うと、男は驚いた声を上げた。
 足音はどんどん大きくなる。

「何やってんだお前!?」
 拓海が全力で男をぶん殴った。

 先ほどメッセージアプリで『昨日のベンチで幽霊に襲われてる』と送ったのだ。
 予想通り、拓海は全力で走って来てくれた。

 格闘技経験もある拓海を相手に、男は完全に意識を失ったようだ。
 私はスマホを取り出すと、警察に連絡を取った。

「さて……」

 ひとまず、これで解決だろう。
 拓海には後でお礼をしなきゃいけない。

「……あなたは」
 私は振り返ると、幽霊を真っ直ぐに見据えた。

 首のない幽霊。
 私がここで死ぬことを知っていた。

 そうだ……きっと。
 きっと私はここで『首を切られて』死ぬはずだったんだ。

 私は幽霊を見ることが出来る。私は未来を感じることが出来る。
 なら、未来の幽霊を見ることだって出来るのかもしれない。

「助けてくれたのね?」

 幽霊が消えていく。
 最後に見えたのは確かに私の笑顔だった。



 この件はすぐに大事件になった。
 犯人は数学教師の今泉だったのだ。

 それも、私のテストを改竄して補習を受けさせる徹底ぶりだ。
 もしも拓海が私と別行動を取っていなければ、何か手を打っただろう。

「……まったく、良く無事だったな」
 拓海が能天気に呟いた。

「うん」
 私が上の空で返事する。

「まあ、良いけどさ……あれ!?
 首無し幽霊はどうした? 襲われたんじゃないのか?」

 未だに状況を分かっていないバカが騒ぎ出した。
 しかし、私はそれどころではない。

「あ、そうか! 首無し幽霊は自分で倒したんだな?」
「……あはは」

 納得した様子の拓海に思わず噴き出してしまう。
 首無し幽霊の後に数学教師……ボスラッシュじゃないんだから。



 ――あの子は元の世界に帰ったのだろうか。
 ――あるいは過去が変わって、消えたのだろうか。

 ――魂はどこから来て、どこへ行くのか。
 ――死んだことのない私には分からなかった。