黒紅の刀

 夏祭りの会場は、先ほどよりもひとが集まり、にぎわいを見せていた。

 この村の掟であろうか、皆一様に朱の(たすき)を肩に結び、男衆の太鼓の音に合わせて、その身を中央で焚かれる炎の色に染めて、あかるく躍らせていた。顔には笑顔の花が咲き、今年一番の活気を見せている。

 浴衣姿の子供たちがけらけらと声をあげながら楽しげに踊っているのを、喜一は遠目に眺めていた。手には女衆が配っていた緑釉の陶器に入った甘酒を握っている。

 皆、普段着よりもあざやかな色彩の浴衣を着ているので、焚き木の周りに大輪の花が咲いたようだった。透きとおった夏夜の中を、梅鼠(うめねず)利休鼠(りきゅうねず)、藍の浴衣が、あかりのように浮かんでゆらめいている。湿度の高い空気の中にいるせいか、薄ぼんやりとして見えるのも風情があった。

 くちもとにうっすらと笑みを浮かべる。まだ酒を入れていないのに、ふわふわと体が心地よい。

 夏の活気良いひとびとの姿が周囲にあり、幸福感に満たされていた。

 肩に、どん、と右から衝撃が走り、(ぬる)く滲んでいた頭が冷まされる。



「うわっ!」



 驚いてからだが倒れそうになり、足を広げて体勢を整える。

 反動で杯から甘酒が飛び出てしまう。白い液体が、舞って地に落ちるのを茫然とみつめる。

 右足の甲に、ぬるりとしたつめたい感触がした。



「あぁ~……」



 縁の際までたっぷりと入っていた白い酒が、半分以下になってしまった。絶望し、怒りを込めた鋭いまなざしを隣の男に送る。

 銀鼠(ぎんねず)の浴衣姿の宗助が、腕を組み、歯を見せて満面の笑顔をこちらに向けていた。額の横に、白狐(びゃっこ)の面を付けている。狐の目元には筆で朱がさされ、妖艶さを出していた。元々精悍な顔立ちをしていたが、その面と浴衣の効能であろうか、普段よりも男の色香が増している気がする。

 それがまた憎たらしかった。



「いきなり何すんだよ!」



 ぶつけられた肩を肩で叩くと、宗助が真横にゆれ、さらに笑いを深めた。

 ほんの少し喜一のほうが、宗助よりも背が高かった。その事実に改めて気付き、はっとする。



(先生の背ぇ、いつの間にか越しちまってたんだよな……。そういえば)



「喜一くん。たのしんでるじゃないの。いいことだ、いいことだ。感心感心」



 宗助はわざとらしく、首を大きく上下に動かしていた。

 喜一はそんな嬉しそうな宗助の顔を見て、釣りあげていた眉を下げた。

 つむじできつく纏めた宗助の髪には、白いものが混じっている。わらっている目尻にも、小じわが目立っていた。



(また白髪、増えたな……)



 喜一は、下唇を上唇でかるく噛んだ。

 宗助の髪を見ていると、黒髪がひとすじも無い、あの唐変木な(つよ)い老人、高虎の姿を思い出す。

 喜一は何だか可笑(おか)しくなり、うっすらと笑った。



(先生も、高虎のじいちゃんみたいな(じじい)になってくれればいいな)



「あ? 何わらってやがる」



 先ほどとは打って変わり、唖然とした顔で自分を見ている宗助に気付き、喜一は取り繕って()ねたふりをした。



「なんでもねえ」



 宗助から顔を隠すように身をひるがえすと、橙茶(だいだいちゃ)の浴衣の袖がふわりとゆれた。今日ばかりは喜一も、いつもの十徳姿ではなく、あかるい色味の浴衣を着て来ていた。祭りを楽しもうという気持ちの表れだった。

 宗助は喜一の全身を下から上へ眺めやると、馬鹿にするように目を眇める。



「お前さんにしては、珍しい色の着物着て来てるじゃないの」

「まあ、俺ももう大人ですからね。こういう色も似合うようになったんだよ」



 喜一は、歯を見せて笑い、袖を広げた。

 ふたりの姿を、雪洞の(あかり)が穏やかに照らしていた。

 釉薬で塗られたようなこってりとした闇が、首すじや着物の影にまとわりつく。

 喜一は、宗助との間に永遠にこんな他愛もない時間が流れ続けていくんだろうな、と頭の片隅で薄ぼんやりと思っていた。



「あれ、誰だ……?」

「あ?」



 喜一は言葉を失い、呆然と前方をみつめた。

 宗助のこぶしの動きが止まる。

 夏祭りの雪洞(ぼんぼり)が枝に結ばれた木々の間に、ちいさな少女の影があった。ゆっくりとこちらに近付いてくるその姿を、瞳を細めてみつめる。

 雪洞の灯りが、その姿を舐めるように映し出した。途端、喜一と宗助は瞠目し、息を止める。



「あいつ……、何で……」



 喜一の赤かった顔は一気に青ざめ、驚愕にひらかれてゆく。

 それは、影虎だった。

 灯りのもとに照らし出された影虎の姿は、肩で揃えた黒髪、頬や首すじ、黒い浴衣まで、全身が血まみれであった。

 そして、右手で握っているのは――



「刀……」



 宗助は確かめるようにつぶやいた。

 影虎の白い手に握られているのは、刀身の黒い刀であった。なめらかなその鋼の肌をつたい、切っ先からぽたぽたとしずくが落ち、地を濡らしている。それは赤く、黒い大地を汚してゆく。

 いつも爛々(らんらん)と、まぶしくひかっている昼の太陽のような金の瞳は、半分まぶたが落ち、暗く陰っている。星のひとつも映さずに。



「影虎……?」



 喜一のこめかみを、ひとすじのつめたい汗が流れ落ちる。

 土と草が溶けた水に入り混じって、生々しい血のにおいが漂ってくる。

 その根源は、彼女だった。

 辿るような足取りで、ゆっくりとこちらに近付いてくる影虎の姿は、まるで幽鬼のようだ。身の丈に合わない、長い刀の切っ先が地を擦り、金物と砂が削れる不快な音が、彼らの耳朶(じだ)を打つ。

 影虎は、うつむかせていた顔を少しあげた。そして、足を綺麗にそろえて、歩みを止める。

 彼女が歩みを止めたと同時に、祭りの場の中央にいた半裸に(はかま)を履いた男衆たちが、大きく腕を振り下ろし、太鼓を打つ。

 腹に響く音がどおん、どおん、と木霊(こだま)する。

 浴衣姿の村人たちは、その音に活気づけられ、さらに踊りの陽気さを増してゆく。うすぼんやりとした重なりがうごめき、雪洞がほのかに揺れる。

 あかるいその場に不釣り合いな、張り詰めた空気が流れていた。

 鈍い耳鳴りがするのは、己の体から発されているものだと、喜一は気づいた。

 影虎は、何かに弾かれたようにはっと顔をあげた。首を動かし、辺りを見渡すその瞳に、ようやく祭りの灯りと自分たちの姿が映ったように見えた。  夏祭りのひとびと。灯りと炎のあかるい色彩。    そして、自分をみつめている、宗助と喜一の、見たこともないほどに驚愕した顔。 「あ、あ……」  刀を握った彼女の右手が、遠目にもわかるほど激しく震えだす。  震えは止まらず、額から流れる汗が顎や首筋を伝い、黒い浴衣の合わせをじわじわと濡らしてゆく。

 喜一の目には、その震えが彼女の抱える底知れない恐怖を物語っているように見えた。



「おい……、影虎!」



 喜一の叫ぶような声が響く。

 影虎は弾かれたように大きく瞳を見開いたが、その焦点は定まっていない。祭りの灯りを映しているはずの瞳は虚ろで、まるで何も見ていないかのようだった。

 短く浅い吐息を漏らし、彼女はふたたびゆらりと足を前へ動かす。意図せず動き出したかのような足取りは、もう誰にも止められない。つま先で蹴られた土が、きらきらと舞って彼女の黒く赤い体を包んでゆく。

 彼女の全身からは、焦燥とあきらめが混じり合ったような、形容しがたい気配が漂っていた。ぬるい夜風の中でも、彼女の周りだけが凍りついているかのように錯覚させた。



 喜一が影虎に近寄ろうとする。だが、宗助はさっと彼の前に腕を出し、その歩みを制した。



「先生?」

「待て、あいつおかしいぞ……。普通じゃねえ。近づくんじゃねえ!」



 喜一は上を向き、師の顔を確かめる。そこには、先ほどまでのふざけた表情は消えており、精悍な男の顔があった。危険を察知し、大切なものを守ろうとするような動物的な本能を感じさせる横顔だ。

 宗助のつむじで髷にまとめた髪が、風に吹かれ、数本髪紐からほつれてゆく。

 影虎がこちらへ向かってくる歩みは、徐々に早くなっていった。