黒紅の刀

 あれはいつの日だったか。

 今日のように、昼は真白な太陽が肌を焼くように照りつけ、夜にはその名残(なごり)が、わずかに漂って、肌をじわりと濡らしていたかと思う。

 まだ影虎のような年頃の、背の低い(わらべ)だった高虎は、うっすらと筋肉をまとった腕の産毛(うぶげ)に浮く、小雨のような汗のつぶをうっとうしく、手のひらで払っていたように思う。

 そんなくだらないことだけを、年老いた今でもなぜか覚えているので、人生とは、とんと不思議だ。

 父に呼ばれた和室の、障子からさす真夏の陽光が、まばゆいばかりにかすかな虹色をはらんでいて、目を細めたことさえ、記憶にあざやかであった。畳の青々としたにおいも。

 正座した父と己の、膝頭の間に置かれた刀の黒き鞘が、夜光貝のように、こまかな(あお)い粒を煌めかせていたことも。

 その蒼に、若くつややかな瞳がしっくりと吸い込まれている時、弾かれるように目の前の父から低い声をかけられた。

 高虎は父の声色が好きだった。大人の男の低い声。いつの日か自分も、それを喉に持つ日が来るのだろうかと、未だなめらかだった少年の細い喉に、指先で触れたこともある。



「高虎、これはなんだ」

「……我が家に代々伝わる宝刀でございます」



 高虎は若い声で、ありのままを答えた。

 父はそのとき、目の前に置かれた刀に、水平に手のひらをかざすように、触れるか触れないかの距離でそっと止めた。



「そう。これは宝刀。名前は世に聞こえているが、呪いを持つ刀から見れば、いわゆる『普通』の刀だ」



 父の目の色が、刀の鞘の色とひとしく染まったように見えた。

 高虎は息を呑んだ。

 父の目の奥に、自分の知らない、青にあおを重ねていったような夜が広がっていた。

 父は目をあげた。そこには、夜の中に金色の恒星(こうせい)がひとつ、ぽかりと浮かんでいた。黄金(きん)の矢で、己の幼い心臓を射抜くようで、気づけば暑さも忘れ、息を止めていた。



「高虎、この世には『吸血刀(きゅうけつとう)』という、呪われた刀が二口(ふたふり)ある」



 父の声は、いつの間にか暮れ落ちていた、透き通った夜の空気に溶けて、しんと畳の上を平行に流れていった。