「よっしゃー! 勝ったんだ! やっとこの気味悪い教室から出られる」
真っ暗な教室に乱雑に置かれた椅子たちを順番に見ていく。なんて没個性の塊なのだろう。その全ては成績悪い上に、このゲームに負けた哀れな生徒。ああはなりたくないよ。私は何が何でも椅子になりたくなかった。
私はギャル。好きな服装をして、メイクをして、ネイルを塗る。そうすれば自分は自分でいられる。他人と区別することができるんだ。それこそが個性。個性を引き出すことこそが私の生きがい。
だから私は何が何でも椅子になりたくない。椅子になれば、人でいられなくなるのはもちろん、お洒落もできなくなる。私の生きがいがなくなってしまう。でももうその心配は杞憂に終わった。
「先生、私もう行くね」
私はさっき不良が必死に開けようとしていた戸に手をかける。それを引こうとしたが、なかなか動かない。もしかしたら立てつけが悪いだけだと思い込んで、今度は力いっぱい戸を引く。だけど戸はビクともしない。昔からの風習に固執する頑固親父のように。
なんで? もうゲームは終わったでしょ?
すると椅子を引きずる音が後ろから聞こえた。振り返ると先生が椅子を端に片付けている。さっきまで男の姿をしていたはずの椅子と、私が座った女の姿をしていたはずの椅子。その二つを片付け終えると、教室内は一部に椅子の山があるだけで他はほとんど何もない綺麗な状態になった。
私は再び安堵する。もう椅子は並べられていないから、少なくともゲームは行わないんだなと確信を得られたからだ。
「先生、戸が開かないんですけど。先生がやってるんでしょ。早く開けてくださいよ」
すると先生は顔を上げて私と視線が合うなり、にこりと笑みを浮かべた。純粋に楽しくて喜んでるわけじゃなくて、何かを企んでいそうな笑み。次第に私は恐怖を覚えてきた。何、怯えてるの私? 椅子取りゲームで最後の一人になったでしょ。あの煙草男の手を引っ掻いたのは私。あの時はやばかった。ああでもしないと体の大きい男には勝てないからね。
あとの二人はくだらない恋に溺れて自滅したから本当に運がよかったと思ってる。だからそんな不気味な顔してないでさっさと開けてよ。
すると先生は黒板の方に足を進めた。もう何回も見てきた動作だ。だけどその動作が今までの動きと重なりすぎて、私は違和感を覚える。不良男だった椅子に座る動作。ポケットからスマホを取り出す動作。そしてスマホを操作する……。まさか……。
勘づいた次の瞬間、今までノイローゼになるくらい聞いてきた旋律が再び耳の中を通る。アップテンポで陽気な音楽。これは、椅子取りゲームの音楽だ。さっき先生が片付けてたから当たり前だけど椅子は一つも置かれていない。椅子の山が隅にあるだけ。そっか、あそこから取りに行けば……。
突然静けさが教室内を包む。音楽が止まった。もちろん私は椅子に座っていない。
「残念だったね」
その声の方に顔を上げると、先生は一層不気味な笑みを浮かべていた。
「何言ってるの? 私勝ったでしょ? そもそも椅子なんてなかったし、私が最後の一人になったんだから」
そう、私は最後の一人になったのだ。他に誰もいない。不良の男も煙草臭い男も、恋に現を抜かした男女も。
「あなたは馬鹿だね。学年最下位なだけあるわ」
ふふ、と笑う先生。笑い方まで不気味だなと思った。って私学年で一番成績悪かったの?
「他の四人より私って成績悪い?」
あのカップルはまだしも、あの不良とか煙草ばっか吸ってた男たちより成績が悪いとか、納得できないし。だけど先生は真っ直ぐに真実を告げる。
「えぇ。今日呼んだ五人の中であなたが一番成績悪いわよ」
そう言うと先生は笑い声を大きくさせた。それがさっき流れていた陽気な音楽に似ていたから本当に不気味だ。
「とにかく早くここから出してよ。友だちと遊ぶ約束してるんだから」
するとなぜか先生は私に近づいて来る。何で近づくの? まさか、今から私のことを椅子にするつもりなのか。
「ちょっと、椅子取りゲームで勝ったんだから、私を椅子にする気はないでしょ」
すると先生はきょとんとした表情になる。だけどすぐに先生は笑い始める。
「馬鹿って可哀想。本当に自分が最後の一人になったと思ってるんだ」
「はぁ⁉ 何言ってんの? 私が最後の一人よ。あなたこそ馬鹿なんじゃないの」
その言葉に反応した先生は鋭い目でこちらを睨みつけてきた。だけど口角はこれ以上上がらないと思わせるほどに急角度で吊り上がっている。
「最後の一人? 何言ってるの? まだ私がここにいるのに」
その瞬間血の気が引いた。そんな。
先生は音楽を流している時、ずっと座っていた。音楽が止まった時もきっと座っていたはずだ。確か、誰かが椅子に座ってなかったのを見てから立ち上がっていた気がする。先生は最初からこのゲームに参加してたんだ。そもそも先生は一言も私は参加しませんとは言っていなかった。
「馬鹿って本当に可哀想。手遅れになってから私が最初からずっと参加してたことに気づくんだから」
一歩ずつ先生が近づてきた。距離を取ろうと後ずさりするが、足が何かに当たって止まる。後ろを見るとそこは教室の戸だった。力を入れて開けようとするも、戸は微塵も動かない。もう諦めろとでも言うように。
「先生に敬語は遣えないわ、挙句の果てに暴言を吐くわ。そんな馬鹿を私が見逃すとでも?」
やがて先生は足を止める。手を伸ばせばもう届く距離にいた。こうなったらもう……。私はネイルで彩られた長い爪の先を先生に向ける。そのまま勢いよく先生の顔めがけて突き刺そうとしたが、その前に手首が冷たいものに包まれた。
先生の手。おそらくこの寒い教室によって冷やされたのだろう。椅子になってしまうという恐怖や絶望に包まれると思っていた。だけどその感情は現れない。きっともう私に感情がなくなったんだと思う。そうだよね。椅子だもん。感情を湧かす脳があるはずない。でも案外いいかもしれない。さっきは没個性だってけなしてたけど。だって椅子って勉強しなくてもいいし。
馬鹿だということは先生に言われなくても私が一番よく知っている。だからこそお洒落して頭が悪い分、見た目をよくしようと思った。まぁ、もともとお洒落は好きだけど。でもそれ以上に私は勉強が嫌いだ。だからこれでよかったのかもしれない。やがてそんなことも考えられなくなってくる。意識が遠くへ連れていかれるような感覚。
これが私の小さな脳内での最後の考え事だった。
真っ暗な教室に乱雑に置かれた椅子たちを順番に見ていく。なんて没個性の塊なのだろう。その全ては成績悪い上に、このゲームに負けた哀れな生徒。ああはなりたくないよ。私は何が何でも椅子になりたくなかった。
私はギャル。好きな服装をして、メイクをして、ネイルを塗る。そうすれば自分は自分でいられる。他人と区別することができるんだ。それこそが個性。個性を引き出すことこそが私の生きがい。
だから私は何が何でも椅子になりたくない。椅子になれば、人でいられなくなるのはもちろん、お洒落もできなくなる。私の生きがいがなくなってしまう。でももうその心配は杞憂に終わった。
「先生、私もう行くね」
私はさっき不良が必死に開けようとしていた戸に手をかける。それを引こうとしたが、なかなか動かない。もしかしたら立てつけが悪いだけだと思い込んで、今度は力いっぱい戸を引く。だけど戸はビクともしない。昔からの風習に固執する頑固親父のように。
なんで? もうゲームは終わったでしょ?
すると椅子を引きずる音が後ろから聞こえた。振り返ると先生が椅子を端に片付けている。さっきまで男の姿をしていたはずの椅子と、私が座った女の姿をしていたはずの椅子。その二つを片付け終えると、教室内は一部に椅子の山があるだけで他はほとんど何もない綺麗な状態になった。
私は再び安堵する。もう椅子は並べられていないから、少なくともゲームは行わないんだなと確信を得られたからだ。
「先生、戸が開かないんですけど。先生がやってるんでしょ。早く開けてくださいよ」
すると先生は顔を上げて私と視線が合うなり、にこりと笑みを浮かべた。純粋に楽しくて喜んでるわけじゃなくて、何かを企んでいそうな笑み。次第に私は恐怖を覚えてきた。何、怯えてるの私? 椅子取りゲームで最後の一人になったでしょ。あの煙草男の手を引っ掻いたのは私。あの時はやばかった。ああでもしないと体の大きい男には勝てないからね。
あとの二人はくだらない恋に溺れて自滅したから本当に運がよかったと思ってる。だからそんな不気味な顔してないでさっさと開けてよ。
すると先生は黒板の方に足を進めた。もう何回も見てきた動作だ。だけどその動作が今までの動きと重なりすぎて、私は違和感を覚える。不良男だった椅子に座る動作。ポケットからスマホを取り出す動作。そしてスマホを操作する……。まさか……。
勘づいた次の瞬間、今までノイローゼになるくらい聞いてきた旋律が再び耳の中を通る。アップテンポで陽気な音楽。これは、椅子取りゲームの音楽だ。さっき先生が片付けてたから当たり前だけど椅子は一つも置かれていない。椅子の山が隅にあるだけ。そっか、あそこから取りに行けば……。
突然静けさが教室内を包む。音楽が止まった。もちろん私は椅子に座っていない。
「残念だったね」
その声の方に顔を上げると、先生は一層不気味な笑みを浮かべていた。
「何言ってるの? 私勝ったでしょ? そもそも椅子なんてなかったし、私が最後の一人になったんだから」
そう、私は最後の一人になったのだ。他に誰もいない。不良の男も煙草臭い男も、恋に現を抜かした男女も。
「あなたは馬鹿だね。学年最下位なだけあるわ」
ふふ、と笑う先生。笑い方まで不気味だなと思った。って私学年で一番成績悪かったの?
「他の四人より私って成績悪い?」
あのカップルはまだしも、あの不良とか煙草ばっか吸ってた男たちより成績が悪いとか、納得できないし。だけど先生は真っ直ぐに真実を告げる。
「えぇ。今日呼んだ五人の中であなたが一番成績悪いわよ」
そう言うと先生は笑い声を大きくさせた。それがさっき流れていた陽気な音楽に似ていたから本当に不気味だ。
「とにかく早くここから出してよ。友だちと遊ぶ約束してるんだから」
するとなぜか先生は私に近づいて来る。何で近づくの? まさか、今から私のことを椅子にするつもりなのか。
「ちょっと、椅子取りゲームで勝ったんだから、私を椅子にする気はないでしょ」
すると先生はきょとんとした表情になる。だけどすぐに先生は笑い始める。
「馬鹿って可哀想。本当に自分が最後の一人になったと思ってるんだ」
「はぁ⁉ 何言ってんの? 私が最後の一人よ。あなたこそ馬鹿なんじゃないの」
その言葉に反応した先生は鋭い目でこちらを睨みつけてきた。だけど口角はこれ以上上がらないと思わせるほどに急角度で吊り上がっている。
「最後の一人? 何言ってるの? まだ私がここにいるのに」
その瞬間血の気が引いた。そんな。
先生は音楽を流している時、ずっと座っていた。音楽が止まった時もきっと座っていたはずだ。確か、誰かが椅子に座ってなかったのを見てから立ち上がっていた気がする。先生は最初からこのゲームに参加してたんだ。そもそも先生は一言も私は参加しませんとは言っていなかった。
「馬鹿って本当に可哀想。手遅れになってから私が最初からずっと参加してたことに気づくんだから」
一歩ずつ先生が近づてきた。距離を取ろうと後ずさりするが、足が何かに当たって止まる。後ろを見るとそこは教室の戸だった。力を入れて開けようとするも、戸は微塵も動かない。もう諦めろとでも言うように。
「先生に敬語は遣えないわ、挙句の果てに暴言を吐くわ。そんな馬鹿を私が見逃すとでも?」
やがて先生は足を止める。手を伸ばせばもう届く距離にいた。こうなったらもう……。私はネイルで彩られた長い爪の先を先生に向ける。そのまま勢いよく先生の顔めがけて突き刺そうとしたが、その前に手首が冷たいものに包まれた。
先生の手。おそらくこの寒い教室によって冷やされたのだろう。椅子になってしまうという恐怖や絶望に包まれると思っていた。だけどその感情は現れない。きっともう私に感情がなくなったんだと思う。そうだよね。椅子だもん。感情を湧かす脳があるはずない。でも案外いいかもしれない。さっきは没個性だってけなしてたけど。だって椅子って勉強しなくてもいいし。
馬鹿だということは先生に言われなくても私が一番よく知っている。だからこそお洒落して頭が悪い分、見た目をよくしようと思った。まぁ、もともとお洒落は好きだけど。でもそれ以上に私は勉強が嫌いだ。だからこれでよかったのかもしれない。やがてそんなことも考えられなくなってくる。意識が遠くへ連れていかれるような感覚。
これが私の小さな脳内での最後の考え事だった。



