「……」
電気、ウナギくん……?
ロボットの口から出てきた珍妙な名前に、全員がきょとんとした表情を浮かべている。
が、僕だけは少し違っていた。“ウナギ”という響きに、自然と眉根を寄せる。
——皆木聖って、お前に似つかわしくない名前だよなあ。あ、そうだ、「ミナギ」じゃなくて「ウナギ」って呼ぼ。だってお前、痩せっぽっちでひょろながくてちょうど良いじゃん。
ケッケッケッ、と嗤いながら最初に僕にそのあだ名をつけたのは、武史だっただろうか。その時から、僕のこのクラスでの呼び名は「ウナギ」になった。表立ってそう呼んでくる人もいれば、陰でこそこそと悪口を言うのに使っている連中もいた。僕は、たった今目の前で「電気ウナギくん」などと名乗り出たロボットを見つめて、汗を一筋垂らす。
「きっしょい名前だな。んで、ゲームってのはなんなんだよ」
「きみ、確か飯島秋雄くんだったか。ちょっとはゲームマスターを敬った方がいいよ? あ、あと、ワタシは絶対に嘘は言わないので、あまりワタシの発言を疑うのもよくないですからね。その辺り、ご注意を」
「ああ、なんだって? うぜえんだよっ」
相当ストレスが溜まっているのか、秋雄の目は血走っている。今にも電気ウナギくんに飛びつきそうな勢いだ。
だが、ストレスが溜まっているのは僕たちも同じだった。
早くこの状況をなんとかしてほしい。スマホを返して欲しい。家に帰りたい。
「彼と不毛なやり取りをしていても進みませんからね。ゲームについて説明しますね? きみたち二年二組の八人は今、見ての通り教室に閉じ込められています。時刻は夜の十一時です。さて、教室に閉じ込められたきみたちですが——これからゲームに参加していただきます。題して、『あなたは誰の大切な人?−人質リレーゲーム−』です!」
「人質リレーゲーム……?」
「人質」などという物騒なワードが出てきて全員がざわつく。タイトルだけを聞いても、一体どんなゲームをさせられるのか、想像がつかない。
「ひとまず詳しいルールを説明しますね。口で伝えるだけじゃ分かりにくいから、黒板にルールを書きまーす、はい!」
はい、という合図とともに、黒板に突如現れた文字に、誰かが「ひっ」と悲鳴を上げた。魔法でも使ったんだろうか。突然黒板に文字が浮かび上がるなんて、とても現実だとは思えなかった。
それでも、書かれたルールを自然と目で追ってしまう。
内容はこうだった。
◎『あなたは誰の大切な人?−人質リレーゲーム−』ルール
・これから皆さんには簡単なゲームに参加していただきます
・ゲームは全部で最大八ラウンド
・一ゲームごとに、「人質」が指名されます
・「人質」はゲームに参加できません
・「人質」が指名されてから五分以内に、ゲームに参加する人を立候補で決定してください
・「人質」になるのは各人一回のみ、必ず一度は「人質」になります
・ゲームに参加できるのは、毎ゲームごとに一人だけです
・五分以内にゲームの参加者が現れなければ「人質」は命を失います
・ゲームを途中で放棄すると命を失います
・指示なく教室から出ると命を失います
・ゲームの参加者がゲームにクリアできなければ、「人質」とそのゲームの参加者の両方が命を失います
・ゲームの参加者がゲームにクリアすれば、「人質」と参加者はそのターンは両方生き残ることができます
・生き残るには、最大八回のゲームが終わるまでに、“「人質」として生き残ること”&“一度ゲームに参加してクリアすること”が条件です
・最後まで生き残った人は、なんでも願いを叶えることができます。ただし、命を失った人を生き返らせることはできません
「なんだ、この訳の分からんゲームは……」
ルールを読み終えた武史が呟く。他のみんなにも、怯えや戸惑いの表情が浮かんでいる。
「命を失う? 生き残る?」
混乱を極めた一樹の声と、「はんっ!」と大きく鼻を鳴らす秋雄の声が同時に響いた。
「こんなこと書いて俺たちを惑わそうってか。ばかばかしい! 大体、“命を失う”なんてどうやってやんだよ。そもそもここはただの教室だろ。窓だってちょっと開いてんだし、一階だぞ。助けを呼んだり逃げたりできるはずだ! まったく、高校生だからってなめんじゃねえよっ」
吐き捨てるように言った秋雄の台詞を聞いて、僕ははっとする。
そうだ、ここは一階だ。
それに目を覚ましてからずっと雨樋から流れる水の音が聞こえていた。ということは、どこかの窓が開いている可能性が高い。さっと窓の方を見つめると、確かに教室の一番後ろの窓が空いていた。
「そうだ、俺はもうこんな意味不明な茶番劇に付き合ってる暇ないんだ。さっさと退場させてもらうぜ!」
「おい、ちょ!」
窓の方に駆け寄っていく秋雄を、真紘が咄嗟に止めようと手を伸ばした。だが猛スピードで進む秋雄にその手は届かず、あっという間に秋雄は窓を開け放つ。窓から両足をひょい、と飛び越えた瞬間——ドンっ! という地鳴りのような音が響いた。
「!?」
全員がその場に固まる。
秋雄の身体が、ドスンと窓の向こうの地面に崩れ落ちたのが分かった。
「一体何が……」
震える声を上げたのは一樹だ。女子三人は目の前で起こったことに、ただただ呆然として震えている。
「死んでる」
秋雄の様子を確認しに行った真紘が呟いたのと、亜美が「きゃあっ!」と悲鳴を上げたのは同時だった。
「こ、これはどういうこと!?」
春香が叫ぶ。電気ウナギくんは呆れた様子で「あーあ」とため息を吐いた。
「ちゃんとルールに“指示なく教室から出ると命を失います”って書いたのに。馬鹿だなあ、秋雄くんは」
先ほどまでとは打って変わって、ゾッとするような低い声だった。電気ウナギくんの言葉に、全員が黒板の方に視線を移す。確かに書いてある。指示なく教室から出ると命を失う、と。
目の前で秋雄が死んで、ようやく全員が事の大きさを実感させられていた。
もしかして、窓が開いていたのはわざとか?
外に逃げられることを予想させておいて、実際は誰かがそこから逃げ出そうとする展開を待っていた。「勝手に外に出ると命を失う」ということを、全員に知らしめるために、わざと、罠を——。
「ど、どうやって殺したんだ……!」
発狂した様子の一樹が電気ウナギくんに食ってかかる。僕も同じ疑問を抱いた。きっとこの場にいる全員が同じことを考えているだろう。
「あれ、気づかなかった? 皆さんの左胸についている電気パッド。そこに、ワタシの方で致死量の電流を流すことができます。ちなみにそれを勝手に外すと問答無用で“命を失う”ので、気をつけてくださいね」
電気ウナギくんの言葉に、僕は咄嗟に自分の着ているシャツを捲りあげる。そこには確かに、一辺が十cmほどの正方形の電気パッドが装着されていた。言うなればAEDで使われるパッドのようなものだ。
違和感は覚えていた。けれど、この奇怪な状況を理解しようと必死で、自分の服の下を確認する時間がなかった。
全員が電気パッドの存在を認識したのを確認した電気ウナギくんは続けてこう言った。
「さて、プレイヤーが一人減ってしまったから、今からやるゲームは最大八ラウンドじゃなくて、七ラウンドに変更になりました。一人一回“人質”になったとして、最大七ラウンド。その前に誰かが脱落してしまったらどんどんゲームの回数は減っていくから気をつけてね。なんてったって、生き残るには“人質”になる他に、“ゲームに参加してクリアする”のが条件なんだからね」
電気ウナギくんに言われてはたと気づく。
確かに彼の言う通り、誰かが序盤でゲームに失敗し、二人分の命が失われてしまったり、参加者が現れなかったりした場合、その分ゲーム回数が減ってしまう。そうなると、場合によるが、残りゲームの数と参加できるゲームの数が合わなくなり、結果的にゲームに参加する椅子取り合戦になることが予想された。
「それと、勘違いしないでほしいのは、ワタシは何も皆さんに意地悪しようと思ってこんなゲームをしようとしているわけではないってこと。これも、皆さんの願いを叶えるためだということをお忘れなく!」
「願いを叶えるため……?」
どういう意味だろう。黒板のルールの最後には確かに「最後まで生き残った人は、なんでも願いを叶えることができます」って書いてあるけれど。命を賭けてまで、こんなゲームしたいと思う人間がどれだけいるだろうか。
「さて、色々と不満に思っているところはあると思うけど、早速ゲームを開始します。まずは第一ゲーム。人質は——貴田春香さんです!」
「あ、あたし!?」
一番最初に名前を呼ばれるとは思ってなかったのか、春香の肩がビクンと跳ねた。
「ちょっと、どうしてあたしが——」
「文句を言っても無駄です。貴田春香さんが人質です。さて、今から五分以内にゲームの参加者を一人決めてください。五分以内に参加者が現れなければ、貴田春香さんの命が失われます。それでは、ゲームスタート!」
電気ウナギくんが声高らかに合図を放つと、あたし以外の全員がじっと顔を見合わせた。
ピ、ピ、という電子音がどこからともなく聞こえてくる。電気ウナギくんのお腹のところにいつの間にかタイマーが表示されていた。制限時間五分のカウントダウンだ。電子音がなる度に、あたしの心臓は震え上がっていた。
「ど、どうすんだ……? 誰がやんだよっ」
普段は勇ましくクラスメイトを従えている武史の声が震えている。あんなにいつも自分本位に振る舞ってるのに、こんな時だけびびってる。
「誰でもいいから助けて!」
あたしは必死で叫ぶ。自分の命が懸っているんだから、全身で助けを求めるのも普通だろう。ていうかなんなのよ、武史は! いっつも、でかい態度で皆木のこといじめて楽しんでるくせに、こんな時だけ縮み上がって。本当に意気地なしっ。
他のメンバーも、それぞれの出方を伺っている。
女子メンバーの亜美がずっと俯いてるのを見て、あたしはチッと舌打ちした。あいつはいつもそうだ。自分に都合の悪いことは我関せずと言った様子で、必死に関わらないようにしている。そのくせ自分可愛さに、皆木のことをいじめてるやつらの指示を聞いて、皆木の教科書を盗んだことがあるのを知っている。表立ってはいじめを止めようとしない卑怯者。
まあ、堂々と皆木のことを無視しているあたしが言えることじゃないけど。
もう一人の女子、天沢雪音に至っては、終始反応が薄い。
いや、目の前の出来事に驚きすぎて、言葉も出ない様子だ。
そもそも彼女はここ一ヶ月ほどずっと学校に来ていない。原因は知らない。たぶん、クラスに馴染めないとかくだらない理由だろう。彼女が女の子の友達と楽しそうに笑ってるところを、あたしは見たことがなかった。
「——俺がいくよ」
誰もが他人と目を合わせないようにして、ただ時が過ぎるのを待っているかのように思われた時、一人の男が手を上げた。
「真紘くん……」
湯浅真紘だった。あたしが想いを寄せている人。まさか、彼があたしを助けるために名乗り出てくれるなんて。
「いいのかよ、真紘っ。一回目だし、どんなゲームが来るかも分かんないぞ!? 失敗したらお前も——」
一樹が尋ねる。せっかく真紘くんが立候補してくれたのに、水を差すようなこと言うなよっ。
「ああ。どのみち一回はゲームに参加しないと自分も助からないからな。それに女の子が困ってるとこを、見過ごすわけにはいかない」
なんて、なんて格好良い人なんだろう。
まるで本物のヒーローだ。あたしだけの。真紘くんは本当にあたしを助けてくれる。そんな予感がした。
「議論は終わりましたか? 第一ゲームの参加者は湯浅真紘くんでいいですかー?」
電気ウナギくんの疑問の声に、真紘くんは深く頷いた。
「はあい、では決まりです。第一ゲームは湯浅真紘くんに挑戦していただきます!」
そこで、ピピ、という電子音が止まった。残り二分二秒のところで、タイマーが停止した。
「それでは第一ゲームのルールを説明します。第一ゲームはこれ、『トランプで大きい数字を引いた方が勝ちゲーム』です」
「……え?」
間の抜けた声を上げたのは自分だったか、他の誰かだったか。
そのあまりにも簡単すぎるゲームの内容に、この場にいる全員が拍子抜けしていた。
「今から、ワタシと湯浅くんが一枚ずつ順番に、裏面に伏せられたトランプを引きます。より大きい数字を引いた方が勝ちです。同じ数字を引いたらやり直し。ジョーカーは抜いてあります。それだけです」
「そ、そんな簡単なゲームでいいのかよ……というか、完全に運じゃねえか!」
武史が吠える。あたしも、同じ気持ちだった。
「おいお前、インチキとかしてないだろうな?」
今度は一樹が。確かに、トランプを用意するのが電気ウナギくんならば、何かインチキをされる可能性もある。そうなったら真紘くんが勝てる可能性は0だろう。
「安心してください。こう見えてワタシ、勝負はフェアに行う主義でして。さっきも言った通り、ワタシは嘘をつかないのでね」
「……分かった。じゃあ始めてくれ」
今この場で一番冷静なのは、他でもない真紘くんだった。どうして? どうしてそんなに落ち着いていられるの? 運だけで、自分とあたしの命運が決まってしまうゲームなのに——そこまで考えて、真紘くんの身体がわずかに震えていることに気づいた。
彼も、怖いんだ。
それなのに、あたしを助けるために、名乗り出てくれている。
その事実に、こんな時なのに胸がときめいた。
「それではゲームを始めます! このトランプを使いましょう。まずはワタシから引きますが、引いたら裏返しにして、まだ見ないようにしてください〜」
ボン、とどこからともなく電気ウナギくんの手のひらの上に現れたトランプの山から、彼(彼女?)は裏返しのトランプを一枚引いた。
「はい、じゃあ次は湯浅くんの番です。どうぞ〜」
その一言に、真紘くんがゴクリと唾をのみこむのが分かった。
あたしだって同じだ。ずっと身体は震えている。真紘くんが引いたカードと電気ウナギくんの引いたカードの数字の大きさだけで、あたしたちの運命が決まってしまうんだから……。
ようやく決意が固まったのか、真紘くんがぎゅっと唇を固く閉じたまま、トランプを一枚引いた。これで二人ともカードは手の中だ。
「それじゃあ、一気に表に返します。湯浅くん、心の準備はおーけー?」
「……ああ」
ドク、ドク、ドク。
痛いくらいに心臓が激しく鳴る。ああ、もう早く! 裏返すなら早くしてっ。
スッと、それぞれがカードを表向きにして出した。誰もが固唾を呑んでこの状況を見守っている。あたしはもう、心臓が止まりそうなほど緊張していた。
「結果——ワタシのカードがハートの4、湯浅くんのカードがスペードの9。湯浅くん、ゲームクリア!」
電気ウナギくんが勝敗を告げる声が高らかに響き渡った刹那、あたしの身体からへなへなと力が抜けていくのが分かった。
「だ、大丈夫か、貴田」
「うん……真紘くん、ありがとう」
身体から一気に力が抜ける。崩れ落ちそうになっていたあたしを、真紘くんが支えてくれて顔が火照る。こんな時なのにあたし、馬鹿だなって思う。
「はーい、第一ゲームは湯浅くんの活躍で二人とも助かりました! おめでとうございます。良かったですね〜貴田さん。んじゃ、続いて第二ゲームを始めますね。次の人質は、パッパカパッパーン! 皆木くんに決まりましたー!」
おどけた声で第二ゲームの「人質」を発表する電気ウナギくん。呼ばれた名前を聞いて、その場の空気の温度がサッと冷たくなったのが分かる。
なんていったって、次の「人質」は皆木——二年二組の“ウナギ”だから。
みんなの視線が、じっと皆木へと注がれた。
「僕が……人質」
電気ウナギくんに指名をされて、心臓をぎゅっと掴まれたような心地がした。実はこのゲームのルールを説明されてから、僕は生き残る道を端から考えていない。
だって……だって僕は。
このクラスのいじめのターゲットであり、ずっとこの世界から消えたいと思って生きてきたのだから——。
「それでは皆さん、制限時間五分以内に皆木くんを救う、ゲームの参加者を決定してください。よーい、スタート!」
ピ、ピ、と電気ウナギくんのお腹のタイマーが時を刻み始める。僕が消えたいと思っているかどうかに関わらず、例外なくカウントダウンは始まっていく。みんなが周りを窺って視線をキョロキョロとさせているのが分かった。
「皆木——“ウナギ”を助けたいなんて思うやつ、いる〜? いたら出てこいよっ」
ねっとりとした声で一番に声を上げたのは武史だった。全員がサッと僕から視線を逸らす。誰も、何も言いたくないという反応だった。
「俺はもちろんパス! 誰が皆木なんかのために命賭けるかってんだ」
一樹も武史と同じように、ゲームに参加するつもりはないようだ。そうだろう。そうだと思っていた。
「そんな簡単に不参加を決めてしまってもいいのか? みんな、一度はゲームに参加しないと生き残れないんだぞ」
唯一、僕のいじめにいつも物言いたげな顔をしている真紘が反論の声を上げる。だが所詮真紘も、矢面に立って僕を守ってくれるようなことは、これまでに一度もなかった。
「それでも皆木を守ろうとは思えねえよっ。俺は別の誰かが人質になった時に参加するから」
「……そうか」
武史たちにこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、真紘が黙り込む。
——皆木、お前生きてるの辛いだろ? 消えた方がましって思わねえのか。
——よく学校来れるな。
ぐわん、ぐわんと、いつどんなときにでも僕の頭を支配するのは、武史をはじめ、クラスメイトたちに投げつけられてきた泥水のようなどす黒い言葉だ。僕の心はいつだって、誰かのサンドバッグ。殴られ、蹴られ、時に言葉だけでない嫌がらせの数々をされてきた。消えたいと思わない方が、おかしいというのに。
僕がいじめられる原因は、ただ僕がみんなのストレス発散の捌け口にちょうど良かっただけ。人生ってそんなもんだろ? 一挙手一投足に、常に誰かを納得させられるだけの理由を持ち合わせているわけではないってこと。
「誰もいないなら、だったらもう一回俺が——」
罪悪感に押しつぶされそうになったのか、第一ゲームに参加した真紘が正義感を振りかざす。やめておいた方がいいよ。きみは、僕なんかのために闘う必要はない。一度ゲームをクリアしているのだから、もう一度命の危険に晒される必要はない。そう、彼に向かって口を開きかけた時だ。
「私がやります」
すっと、視界の端で手が伸びた。ぎょっとしてその人の方を見やる。
僕の視線の先では、凛としたまなざしで手を挙げる天沢雪音の姿があった。
このゲームが始まってから、彼女は今まで一度も声を上げていなかった。あまりの恐怖で言葉を発せなくなっているのかと思っていたが、今の冷静な表情を見ると、違うと分かる。彼女はずっと、一人きりで考えていたのだろうか。一ヶ月もの間登校することもなかった教室で、一ヶ月もの間会うこともなかったクラスメイトたちと死のゲームに参加させられて。一人、生き残る道を冷静に考えていたのかもしれない。
「天沢? あんた大丈夫なの?」
先ほど人質として難を逃れた春香がつっこみを入れる。雪音は、「はい」と小さく頷いた。
「失敗しても知らないわよ」
春香はこの場にいる全員のことが——いや、おそらく真紘を除く全員のことが気に入らないのか、刺々しい態度を貫いている。そんな春香には構わずに、雪音は僕をまっすぐに見つめた。
「大丈夫、任せて」
その瞳があまりに美しく、こんな時なのにどうして彼女は綺麗なんだろうかと純粋に気になった。いや、こんな時だからこそ、余計綺麗に見えるのかもしれない。もともと眉目秀麗な彼女だ。命が散るかもしれないという瞬間に、彼女の咲かせている花は、陽の光に向かって大きく伸びをしているようだった。
「はい、第二ゲームの参加者は天沢雪音さんでいいですね? それでは、第二ゲームの説明をします。第二ゲームは、『クイズ! 三十秒以内に答えてね』です」
「今度は運ゲーじゃないんだな。全部運ゲーかと思ってたんだけど」
武史が文句を垂れるように言う。確かに、彼の言うとおりゲームには一貫性があるのかと思っていたが、そうでもないらしい。
「誰も、すべて同じようなゲームとは言ってないよ? 詳細を説明するね。今からワタシが、クイズを二問出します。どちらも三十秒以内に答えて正解したらクリア。どちらか一つでも答えられなかったらアウト。ちなみに、回答権は一回だけ。さあ、ルールは分かった?」
「分かりました」
三十秒以内に、二問のクイズをどちらとも正解する——第一ゲームとは違った意味で、かなりプレッシャーのかかるお題だ。雪音の方を見ると、彼女の額から汗が一筋伝っているのが分かった。
もし間違えれば、僕とともに彼女が死ぬ。
それはなんとしてでも避けたい。
自分だけなら消えたいと思うが、彼女を巻き添いにするのは本望じゃない。
「天沢さん、やっぱり」
雪音に死んでほしくない僕は、彼女にゲームを辞退するように言おうとした。けれど、彼女は僕の方を見て首を横に振る。彼女だって、いつかはゲームに参加してクリアしなければ生き残れないのだ。だからやらせてほしい。そんな決意に見えて、僕はもう何も口を挟めない。
どうか、彼女がこのゲームをクリアできますように。
このクラスでたった一人、僕はきみに、叶わない恋をしているから。
「さあ、もう気は済んだ? さっさと始めるよ。じゃあ、第一問、じゃじゃん!『かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこあわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ』——今、ワタシは何回『ぴょこ』と言ったでしょうか?」
突如早口言葉を喋り出したと思ったら、予想外の問題が飛び出してきた。どんなジャンルの問題が出てくるのか分からないから、雪音はさぞ緊張していただろう。大丈夫だ、この問題なら、冷静になれば解ける……。
「かえるぴょこ、ぴょこ……」
雪音は、指折り数えながらゆっくりと「ぴょこ」の数を数えていた。そうだ、ゆっくりでいいんだ。大丈夫、冷静に数えたら間違えない。
「分かりました。答えは八回です」
十五秒ほど経った頃、彼女が答えを口にした。
「はーい、正解でーす! 簡単だったかな?」
場違いな明るい声を響かせて、電気ウナギくんが「正解」と言った。
ふう、と胸を撫で下ろす雪音。消えたいはずの僕も、一緒になって大きく息を吐いた。
「これで安心してる暇はないよ! 続けて第二問いくよ。じゃじゃん! 『あなたはバスの運転手です。一つ目のバス停で十人、乗ってきました。二つ目のバス停で三人降りて、二人乗ってきました。三つ目のバス停で四人おりて、五人乗ってきました。四つ目のバス停で三人降りて六人乗ってきました』——」
間髪を容れずに始まった二問目に、雪音が慌ててまた指を折り始めた。細い指が何度も動くが、問題を読み上げるペースが早いため、追いついていない様子だ。彼女の額からもう一筋の汗が流れる。この場にいる全員が、息をのむのが分かった。
「『五つ目のバス停で七人降りて、二人乗ってきました。さて、バスの運転手は何歳でしょうか?』」
「……は?」
声を上げたのは一樹だった。
今この瞬間、みんなの頭の中に同じ疑問が浮かんでいることだろう。雪音は数えていた。バスに乗っている乗客の数を。最後に「今何人のお客さんが乗っているでしょうか」という問いが出てくると予想していたからだ。いや、そういう問題が出ると予感させるように誘導された問題だったからだ。
「ど、どういうこと?」
一緒になっていた春香が口を挟む。電気ウナギくんはもちろん何も答えない。亜美も「分からない……」と呼応するように呟いた。
「まずいな、ひっかけ問題だ」
真紘が唇噛みながら答える。彼には答えが分かっているのだろうか。こういう時、外野はまだ冷静に問題の答えを考えられるもの。けれど、自らの命が懸かっている雪音にとっては、冷静ではいられないはずだ。
「えっと……バスの運転手の、年齢……」
雪音の目が泳いでいる。無理もない。予想外の問題が飛び出してきたのだ。問題の意味を噛み砕こうとしている様子だが、空回りしているように見える。電気ウナギくんのお腹のところに表示されたタイマーの数字が確実に一秒ずつ減っていた。
「年齢、バス停、人数……」
ぶつぶつと独り言を呟いている彼女のことを、僕は直視できなかった。
ああ、ごめん、天沢さん。
僕なんかのために、きみが。
消えたい僕のために、きみが命を——。
「分かったわ」
カウントダウンが残り一秒となり、万事休すかと思われた時、彼女はすっと電気ウナギくんの方へ顔を向けた。
「答えは——十八歳」
十八歳?
一体どこからそんな答えを出したのか分からない。真紘以外の全員の目が点になっていた。
「天沢雪音さん、正解でーす! おめでとうございます!」
クラッカーでも鳴りそうな勢いで、電気ウナギくんがパチパチと拍手喝采を送る。ふう、と大きく息を吐く雪音。
「どういうことだ?」
答えの意味が分からない武史が、真紘に視線を送った。
「電気ウナギくんが最初に言った台詞を思い出してみろ。『あなたはバスの運転手です』——つまり、バスの運転手は回答権を持った天沢だということになる。天沢の年齢は十八歳。だから、バスの運転手の年齢も十八歳というわけだ」
なるほど、そういうことだったのか……。
言われてみれば簡単な問題だが、問題文を一言一句丁寧に聞いていないと閃かない。雪音はちゃんと冷静に考えていたのだ。僕は、彼女の奮闘ぶりに胸の奥から込み上げるものを感じた。
「ありがとう……天沢さん」
「いいえ。聖くんが無事で良かった」
——聖くん。
耳慣れない呼び名を口にすると共に、雪音がほっとした表情を浮かべて微笑んだ。その笑顔がすごく可愛らしくて、こんな時なのに胸がツンと疼いた。
おかしいな……僕はずっと、この世界から消えてしまいたいと思っていたのに。
雪音の笑顔を見られて、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
「はいはい、危なかったですねー。あと一秒で二人とも死んでましたよ? でも良かったですね〜助かって。ナイスファイトでした」
白々しい口ぶりの電気ウナギくんに武史がキレて、電気ウナギくんに掴み掛かろうとした。
「お前、俺たちを弄びやがって……! くだらないゲームでこんなことして楽しいかよっ!」
「おっと、暴力はやめてくださいね。最初に言ったように、このゲームは皆さんの願いを叶えるために始めたことですよ」
「クソッ! 願いを叶えるとか、適当なことほざきやがって」
電気ウナギくんは、あくまで公平な存在だ。多分、僕や真紘、雪音はそのことに気づいている。残りの四人はどうなのか、分からないけれど。
「はいはーい、無駄な問答をしている暇はないよ。次の第三ゲームの人質を発表します。次の人質は——小沼亜美さんです!」
その刹那、びくん、と亜美の肩が大きく跳ねた。顔面蒼白になった彼女は見るからに絶望の色を浮かべている。
「さあ、第三ゲームで人質になる小沼さんを救うためのヒーローをみんなで話し合ってね。制限時間はもちろん五分。よーい、スタート!」
そんな、無理だよ……。
これ以上、このデスゲームに付き合わされるなんてっ。
私は、私は何も……悪いことなんて、してないのに。
電気ウナギくんのお腹のタイマーは嫌でもカウントダウンを始める。私は、自分の顔が引き攣っているのを感じながらみんなの顔を見た。案の定、全員が顔を逸らしている。
どうして? 誰も助けてくれないの……?
そう叫びたかったけれど、私だって前回と前々回のゲームの時、今のみんなと同じような反応をした。自分にはヒーローなんて荷が重いから、誰かが名乗り出てくれるのを待った。たとえ自分がゲームに参加しなければ生き残れないとしても、自ら死へと続く階段に一歩踏み出すのが怖かったから。
それに、私はなんとなく……どうしてこのメンバーが集められたのか、分かっている。分かった上で私が死ぬことなんてないって思ってる。
今この場に集められたメンバーは、皆木聖のことをいじめている人たちだ。
大村武史を筆頭に、大村くんに付き従う綾部一樹、女子の主犯格の貴田春香、偽善者っぽい湯浅真紘、亡くなってしまったけれど、飯島秋雄だって、皆木くんのことをストレスの捌け口にしていた。
ただ一人……天沢雪音だけは、私もよく知らない。彼女はそもそも不登校気味で、皆木くんと絡んでいるところを見たことがない。けれど、美人な彼女のことだから、表面上はいい子ぶって、貴田さんたちと一緒に皆木くんをいたぶっている可能性はある。
教室で目覚めたメンバーを見た時、私はこのゲームは皆木くんが考えだした復讐なんじゃないかって予想していた。電気ウナギくんだって、皆木くんのあだ名の“ウナギ”にちなんでいるのは一目瞭然だから。
だからここで死ぬのは私以外のみんなであって、私が死ぬ理由なんて、ないはずだ。
私は——私は、積極的に皆木くんのことをいじめてなんかいない。
——ねえ小沼〜あんたちょっと、ウナギの教科書盗んでこいよ。
——やらないと今度はあんたのこと、ウナギよりも酷い目に遭わせるから。
貴田さんをはじめとする「一軍女子」たちの高らかな笑い声が記憶の海を駆け抜ける。やめて! やるから、盗るから、私をいじめないでっ。
皆木くんの教科書を盗んだのは、正当防衛だった。
だって、やらないと私がやられる番になる。
私は脅されたんだ。気が強くて見た目がいいことを理由に女王のように振る舞う女子たちに。私は被害者。ねえ、だから誰か、私を守って……!
「あれ〜誰も名乗り出ないみたいだね。残り時間は一分を切ってるよ」
電気ウナギくんの言葉にはっとしてタイマーを見やる。「分」のところがゼロになり、五十九、五十八、と秒を刻む数字だけが動いていた。
「だ、誰か……助けてください」
絞り出した声はびっくりするほどか細かった。
「俺が——と言いたいところだけど、他の人がいくべきだ。貴田、大村、綾部、皆木。まだゲームに参加してないきみたちの誰かが参加した方がいい。じゃないと、今後はゲームの取り合い合戦になるぞ……?」
一番冷静な湯浅くんがまだゲームに参加していないメンバーに問いかける。そうだ、そうだよ。ゲームに参加しないとみんな、死んじゃうんだよ……? 早めに参加しておいた方が自分の身のためだって!
「……」
それでも誰も、手を挙げなかった。
第二ゲームで人質だった皆木くんは申し訳なさそうに俯いている。
大村くんと綾部くんは言わずもがな。貴田さんは私を睨みつけて怖い顔をしていた。
「みんな、どうして」
三十、二十九、二十八。
秒針はどんどん数を減らしていく。
これ以上タイマーを見ていられない私は電気ウナギくんから顔を逸らした。
「小沼、あんたはずっと、皆木のことで自分は関係ないって顔してたよね。あたし、そんなあんたの被害者ヅラが気に入らなかったの。だから悪いけど、あんたを助けるために命を懸けるのは嫌かな」
「貴田さんっ! 皆木くんのことを積極的にいじめていたあなたがそれを言うの? 私よりもあなたの方が断然悪いことをしているのに!?」
「ふん、自分が死にそうになってからようやく吠えるなんて、みっともないわね」
「何を……!」
「わ、私がやる……」
見かねた様子の天沢さんが手を挙げかけた。けれど、貴田さんに「やめときなよ、無駄死にするよ」と天沢さんのことを睨みつけたところで、ピピーーッ!! というタイマーの音が鳴り響いた。
「残念、時間切れです」
冷酷な声が降ってきた。電気ウナギくんの声は相変わらず高く、作り物めいた声なのに、この時ばかりはどうしてかどす黒く感じられた。
「ゲームの参加者が現れなかったので、人質の小沼さんは失格となります。それではさようなら」
「やだ、やだやだやだやだ! 死にたくないよおおおおおっ!!」
あまりの恐怖に初めて教室の中で大声を上げる。他のみんなが唖然とした様子で震えている表情が目に焼き付いた。
その刹那、ドンッ! という凄まじい音と共に、身体中を貫く痛みを感じたのが、最期だった。
小沼が死んだ。その衝撃に身体の震えが止まらないうちに、次の人質として俺、綾部一樹の名前が呼ばれた。そろそろ人質の番が巡ってくるかと思っていたところだが、さすがにこればかりは、心の準備もクソもなかった。
「今度は小沼さんみたいにならないように、誰か綾部くんを助けてあげてくださいね? じゃないとゲームの楽しみもなくなっちゃうしー。きっかり五分以内に、誰か名乗り出てください。はいスタート!」
「ふざけやがって……っ」
思いのままに適当なことを言う電気ウナギくんへの怒りは、今この場にいる全員がMAXになっているに違いない。
「さすがに次は誰か参加しないと……ね」
小沼に言いたいことをぶつけるだけぶつけて見殺しにした貴田が、白々しく吐き出す。小沼の件に関しては立候補しなかった俺も同罪だが、何もあんなふうに最後にいじめることなかったのに。女ってやつは本当にえげつねえことをしやがる。
なんて、武史の隣で皆木のことを散々いじめてた俺が言えることじゃないけどな。
残りのゲームはこの第四ゲームを入れて多くてあと四回。まだ人質になっていないのは、武史、真紘、天沢の三人だ。そして、ゲームに参加していないのは、俺、武史、貴田、皆木の四人。後になればなるほど参加者のプレッシャーは大きくなる。そうなる前に、ここは早いところゲームに参加するのが賢明な判断だ。
そんなことは誰もが分かっている。分かっているのに、さっきの第三ゲームでは誰も名乗り出なかった。ゲームに参加するということは、その分今すぐに死ぬ可能性を高めてしまうことになる。躊躇するのは当たり前だ。
どうせゲームに参加することで死ぬ確率が上がるなら、自分が好きだと思うやつを守るために名乗り出たい——そんな人間の心理を巧みに利用した、心底胸糞悪いゲームだ。
電気ウナギくんのお腹のタイマーを確認する。残り時間三分二十二秒。刻々と迫り来る死へのカウントダウンに、自然と俺の心臓は鼓動を早めた。
「おい、誰か参加してくれるよな? 参加しないみんな死ぬんだぞ? 小沼の時みたいに誰もゲームに参加しないってことは、自分が生き残る可能性を捨てるのと同じだ!」
ゲームに参加することで死ぬ確率が五十%になる——そう考えるのは、人質ではないみんなだ。俺は今、人質になっている。みんなの気持ちは分からなくもないが、今は自分が生き残るために誰かに名乗り出てもらうしかない。
「一樹さあ、人にもの頼むのに、ちょっと上から目線すぎ」
浅はかな俺の心理に貴田が噛み付く。
「はあ? なんだって? お前はいいよな。真紘に色目使ってすぐ助けてもらえて」
「色目なんて使ってないわよ! 真紘くんは心が綺麗だから自分から名乗り出てくれたんでしょ」
「さあ、どうだか。お前、真紘のこと妄信してるみたいだが、そいつは偽善者だぞ。俺たちが皆木をいじめてるの知ってて、先生に告げ口だけしてさ、実際皆木のこと積極的に助けようとはしない」
「ふん、大村の後ろにくっついていじめてる本人が何を言うのって感じよね〜?」
その台詞はそっくりそのままお前にも返してやるぞ!
女子の代表で皆木のこと散々いたぶっているくせにな。
「あーあ、もう二人とも時間がないし、不毛な議論はやめねえか。俺が参加すればいいんだろ」
俺と貴田が押し問答を繰り返していたところで、武史が手を挙げた。正直驚いた。俺は、武史の権力に惹かれてずっと彼の言うことを聞いてきたが、ぶっちゃけ武史は俺のことなんてどうでもいいと思ってるんじゃないかって感じていた。
「武史、い、いいのか?」
「ああ。どうせどこかで参加しないとダメだ。人質になっていない残りのメンバーの中で助けるなら、一樹だろ」
「武史……ありがとう!」
俺と武史の友情劇場を目の当たりにした貴田は面白くなさそうに、「フン」と鼻を鳴らす。真紘はどこかほっとした様子で、やっぱり偽善者だなって思う。天沢は心配そうに事の成り行きを見守り、皆木に至っては無表情だ。俺たちのいじめのターゲットになっているあいつからしてみれば、俺がさっさと死んでくれた方が良かったんだろうな。
というかこのゲーム、皆木がやり始めたんじゃないか?
自分をいじめているメンバー、いじめを傍観している人間たちに復讐するために。
突如湧き上がってきた疑念も、電気ウナギくんの「参加者は大村くんで決定します」の声で打ち消された。
「それでは第四ゲームの内容を発表します。じゃじゃん! 第四ゲームは『サイコロゲーム』です。サイコロを三回転がして、出た目を足した数が大きい方が勝ちだよ」
彼の手に、どこからともなくサイコロが現れる。ルール自体は最初のトランプの時と同じで、めちゃくちゃシンプルだ。というか、また運ゲーか。俺は咄嗟に武史を見る。彼は最初ゲームの内容に驚いている様子だったが、やがてニッと口の端を持ち上げた。
「本当に、サイコロの目を足して大きい方が勝ちになるんだな?」
「はい、もちろん。ワタシは一切嘘はつきませんよ」
「了解。じゃあ、そっちからどうぞ」
二人分の命が懸っているのに、どうして武史はこうも冷静でいられるのだろうか。この運ゲーに何か策でもあるのか——疑問に思いながら武史の方を見ると、彼はやはりニヤニヤと笑いながら電気ウナギくんがサイコロを振るのを見守っていた。
電気ウナギくんがサイコロを振った。
一回目は三。二回目は五。三回目は……六。
合計すると、十四。
「十四だと……」
なかなか良い目が出てしまい、俺はごくりと生唾をのみこんだ。サイコロを三回振って出た目を足した数の中で一番大きいのは十八だ。六が三回出れば十八になる。そんな中、十四という数字は、こちらにとってはかなり不利な数じゃないか。
「武史」
緊張しながら武史の名前を呼ぶ。武史は俺に向かって真顔で大きく頷いた。大丈夫、安心しろ——そんなふうに言っているように見えた。
「じゃあ次、俺の番だな」
今までに聞いたことのないくらい真剣な声で、武史がサイコロを振りかぶった。
そしてそのサイコロを——水平に投げた。
三回とも、同じ容量で水平に。出た目はすべて六。そうか。武史は最初から六の目を上にしてサイコロを投げたのだ。絶対に六を三回出せる方法を思いついた彼に、俺は心の中で拍手喝采を送った。
「へへ、やったぞ! 足して十八! 俺の勝ちだな。どうりでおかしいと思ってたんだ。デスゲームなのに、運だけで勝ち負けが決まるってのがな。このゲームにもどこか抜け道があるんじゃないかって考えた俺、天才じゃね?」
勝利を手にした武史は満足そうにニタリと頬を緩ませる。電気ウナギくんが、「あちゃー」と声を上げて、武史の方を見た。
「どうやら一矢報われたようですね——という言いたいところですが、大村武史くん。きみ、失格です」
「……は?」
「なんで?」
俺と武史が同時に疑問の声を上げる。背中をツーっと冷たい汗が伝った。
「言ったでしょう? ルール説明の時に、『サイコロを三回転がして、出た目を足した数が大きい方が勝ち』だって」
「ああ、だから三回投げただろ!」
「だーかーらー、投げちゃダメなんだって。ちゃんと転がさないと。大村くん、きみはサイコロを水平に振っただけで、サイコロを転がしていない。先生の言うことはちゃんと真面目に聞かないとね? ルールを破ったので問答無用で失格でーす!」
すっと武史の顔から血の気が引く。ついでに俺も。なんだ、これは。そんなの言葉の綾っていうやつじゃねえか——そう文句を言ってやりたいが、恐怖のあまり喉元で空気が掠れる音が漏れるだけだった。
「き、汚ったねえぞ! おい、良い加減にしろっ。本当に運ゲーだなんてふざけんな! というか皆木、本当はお前がこのゲームを仕組んだんだろ!? お前のせいで俺たちは死なないといけねえんだっ!」
激昂した武史が皆木の首根っこを掴みにかかる。武史も、皆木がこのゲームを始めたのだと考えていたのか。ぼうっとする頭でただそれだけを思う。死を前にした俺は、武史のように猛り狂う気力がなかった。
「ち、違う。僕じゃない。僕はこんなことしない」
「しらばっくれやがって! てめえ、死にてえのか!?」
武史の剣幕にしてやられたのか、皆木が片目をぎゅっと瞑る。そんな二人の間に割って入ったのは、なんと天沢だった。
「大村くん、やめて! 聖くんはそんなことするような人じゃないよ。聖くんのこといじめるみんなとは違う!」
天沢の言葉に、皆木の両目が弾かれたように見開かれる。
「はあ? てめえ、不登校だかなんだか知らねえけど、外野のくせに生意気なこと言いやがって……!」
武史の手が、今度は天沢の方へと伸びていく。あ、やばい。このまま女に手を出すのか——他人事のようにそう考えていた瞬間、「はいはい、静かにしてね」という電気ウナギくんの声が降ってきて。
バチン! という凄まじい衝撃音が鳴った。途端、電気ショックが身体を貫き意識が遠のく。
「きゃああああああっ!」
ああ、そうか。
俺は結局武史の忠犬ハチ公のままで、死んでいくのか。
それも悪くない。悪くない……なあ。
皆木、悪かったな。
今更謝ってももう遅いけど。
「あーあ、今回はゲームの参加者が失敗しちゃったねえ。ズルをしてるやつらはこんなふうに失格になるので気をつけてくださいね。それじゃあ次、第五ゲームいくよ。人質はもう予想ついてるかな? 湯浅真紘くんです!」
電気ウナギくんに名指しされ、俺はようやくこの時が来たかと覚悟を決める。
最初から、いつかは人質になることは分かっていた。それでもやっぱり、いざ指名をされると言いようもない恐怖に襲われた。
「さあ、制限時間五分以内に、湯浅くんを守るためにゲームの参加者を話し合って決めてください。よーいスタート!」
死刑宣告のように鳴り始めた電子音も、もう聞き慣れてしまっていた。
残っているのは俺、貴田、皆木、天沢の四人。このうち天沢は一度ゲームに参加しているので、今回参加するべきなのは貴田と皆木の二人。そして次のゲームの人質は天沢と決まっていて、第六ゲームにて全てのゲームが終了する。
貴田と皆木にとっては、俺を助けるか、天沢を助けるかの二択ということになる。が、今第五ゲームに参加すれば、それだけ死へのカウントダウンが近づく。
誰も第五ゲームに参加しなければ俺一人で死ぬことになり、少なくとも二人はこのターンは生き残ることができる。少しでも長く生きたいと思うなら、二人が俺を見捨てる選択だってあり得るのだ。
誰でも良い。自分を助けてくれ——そう叫びたいけれど、それはつまり自分と一緒にその人を道連れにして死ぬかもしれないということを意味していた。
「貴田、皆木……二人とも、俺に、構うな」
かろうじて口から絞り出した言葉がそれだった。
俺に構うな。
俺のことはもういい。生死がかかっている以上、俺の気持ちを考える前に、自分の希望を優先して欲しい。そういう意味だった。
四人の間に緊張の沈黙が流れる。
貴田と皆木の二人は何か言いたげな表情をしている。けれど、最初に口を開いたのは意外にも天沢だった。
「湯浅くんはそうやっていつもみんなのヒーローであろうとするね。すごく……良い人なんだ」
突然何を言い出すかと思いきや、ここ一ヶ月ほど学校に来ていなかった彼女は、意味深に俺を見つめた。
「だけど、それって本当に善意からなのかな? 湯浅くんはみんなと一緒になって聖くんをいじめることもないよね。でも、表立って聖くんをいじめから守ろうとすることもなかったんじゃない? 私知ってるんだよ、湯浅くんが皆木くんのことで担任の池口先生に相談したことで、聖くんはもっとひどい嫌がらせを受けるようになったこと。湯浅くんは気づいてなかった?」
「なんだ、と」
柄にもなく自分の眉がぴくんと動くのを感じた。
「ちょっと天沢、あんた何言って」
「私、気づいてた。ここに集められたメンバーはみんな、聖くんのいじめに加担してる人たちだって。湯浅くんは一見、みんなのヒーローみたいに見えるけど、違ったんだね。あなたは自分が善人であるフリをしてるだけじゃないかな。本当に正義感のある人は、聖くんの前に立って、大村くんや貴田さんたちから聖くんを守ると思う。先生に、解決してくれって丸投げするだけじゃなくて」
「いい加減にしなさいよ!」
パァァァァァンッ! と、鋭い音が響きわたる。貴田が天沢の頬を打っていた。
「天沢雪音、あんた普段は全然学校に来ないくせに何様のつもり? 真紘くんのこと悪く言ってるけど、あんたはどうなのよ? あんたこそ教室から逃げて、皆木のこと見て見ぬフリしてるんじゃないの」
「……うん、そうだよ。だからこそ私は今ここにいるんだと思う。……聖くん、今まで本当にごめんなさい」
「いや、天沢さんが謝ることじゃ、ないよ」
しおらしい声で天沢が皆木に頭を下げた時、皆木は驚いているような、切なさを湛えているような、複雑な表情をしていた。
「はんっ、あんたたち何言い合ってんの。ていうか今はゲームの参加者を決める時間じゃないの。あたし、第六ゲームで天沢のためにゲームに参加するなんて絶対にイヤだから、真紘くんを助けるために戦う。いいでしょ、ウナギ」
「あ、ああ」
「はい、もちろんです」
貴田が“ウナギ”と呼んだことで、皆木と電気ウナギくんが両方首肯した。皆木は気まずそうな表情をしている。彼のこんな顔を、俺は今まで何度も眺めてきた。その度に、無力感に襲われて、担任に相談を持ちかけたのだ。
——先生、皆木がクラスメイトにいじめられています。なんとかしてください。
担任の池口は大学を出たての新米教師だった。彼は俺から相談を受けた後、大村や綾部を職員室に呼び出したらしい。そのことで余計に二人に火をつけてしまった。俺はそのことを知り、絶望と焦燥を覚えた。俺のしたことは決して間違っちゃいない。それなのに、翌日以降、皆木の瞳から光が消えた。首筋や額には青あざが目立つようになり、彼は教室で何度も嘔吐を繰り返していた。
俺はそんな皆木を見て、ただただ俯くばかりだった。
俺は悪くない。
皆木を助けようとしたんだ。
それなのにあいつらが。
俺は間違ってなんかいない。