その後、クラスの出し物の準備に向かった。着物を着た僕たち四人が教室に入ると、クラスメイトが騒がしく押し寄せて、あっという間に取り囲まれた。夏美が文芸部の衣装であることを説明し、ついでにちゃっかりと宣伝もしていた。
僕たちのクラスは、教室内で縁日風の屋台をやることになっている。駄菓子、お面、綿あめや、型抜きに、射的。子供用のビニールプールに水を張って、スーパーボールすくいもある。
屋台っぽい雰囲気を出すための枠組みを設置していると、クラスの女子に声をかけられた。
「星乃くん、書生さん衣装めっちゃ似合うね! 文芸部の展示絶対行くよ」
「後で一緒に写真撮ろうねー」
「あ、うん……」
これまで一度も話したことがなく、名前も知らない相手だったけれど、相手は僕の存在や名前を知っているということに、少し驚いた。僕が周りに無関心すぎるだけで、みんな案外クラスメイトというものを認識しているものなのだろうか。(後でこの話を八津谷にしたら、爆笑された……)
クラスの店番担当は順番制なので、文芸部員全員が図書室にいないということはなさそうだった。やがて教室内の屋台の設置も終わり、校内放送で一般客への開門が始まることがアナウンスされた。
文芸部一同は図書室に移動し、来客を待つ。八津谷も花部さんも夏美も、みんなそわそわとして落ち着かない。僕もそれは同じで、机の間を往復したり、意味もなく冊子を積み直したり、何度も深呼吸を繰り返したりしている。
こんなに緊張するのは、きっと、自分がとても頑張ったからだ。
部のみんなと何度も話し合って、何日も悩みながら展開や言葉をひねり出して、物語を創った。部誌を手に取ってもらうために、試行錯誤して演出もこだわった。
だから、こんなにも成功を願っていて、こんなにも、怖いんだ。
もし、この文芸部に入る前の僕のまま、文化祭なんてどうでもいいと投げやりな自分だったら、クラスの手伝いもそこそこに、ひとけのない場所を探して終わりの時間まで本を読んで過ごしていたかもしれない。もしかしたら、頑張っている人たちを見て、バカバカしいと鼻で笑っていたかもしれない。
そんな、あったかもしれないもう一人の自分を思うと、その仄暗い孤独にぞっとした。
この部活に入ってよかったと思うし、強引にでも巻き込んでくれた夏美に、感謝の気持ちが湧き起こる。
彼女の様子をちらりと窺うと、窓の外をぼんやりと眺める横顔が見えた。その表情は、なぜかどこか、寂しそうに感じた。
少しして図書室の外から賑やかな話し声が近付き、先ほどクラスの準備中に僕に声をかけたクラスメイトの女子たちが四人のグループで入ってきた。
「うわっ、何これ、すご! クジラ!?」
「えー、アートってやつ? あ、上見て、流れ星じゃん、カワイイ!」
展示を見てはしゃぐ女子たちの中から、一人が僕の方に歩み寄って言う。
「や、星乃くん、約束通り来たよー」
「い、いらっしゃいませ」
「あははは、星乃くんその格好でいらっしゃいませとか言うとマジで書生カフェみたいじゃん。ってかこれキミが作ったの? すごくない? あ、これが文芸部の冊子だね。もらっていいの?」
「もちろん、どうぞ」
「やったー、絶対読むね。アタシこれでも本とか読む方でさぁ」
冊子を手にして笑う彼女を、別の女子が小突いた。
「あんたが読むのファッション誌くらいじゃん。星乃くん狙いが露骨すぎてウケるんだけど」
「言うなしー! てか写真撮ろうよー」
取り囲まれて何枚も写真を撮られた。勝手に腕を組んできた時は驚いた。人との距離感がおかしいんじゃないだろうか。
気になって夏美の方を見ると、目が合って、ふいと視線を逸らされた。どこか悲しそうな表情をしているように見えたのは、気のせいだろうか。
その後四人組は、八津谷、夏美、花部さんの順に展示を見て、それぞれいくつか言葉を交わして、最後に僕に手を振って図書室を出ていった。クラスメイトと話をしている時の夏美は、普段の快活な様子に戻っていた。
やれやれといった具合に八津谷が腰に手を当てて言う。
「最初の客はクラスの女子かよ。まあそんなもんか」
「あ、あたし、話したことないグループだったから、緊張しちゃいました。でも、衣装や展示を見てかわいいって言ってくれて、嬉しかった……」
花部さんは少し興奮しているのか、頬が赤くなっていた。八津谷が続ける。
「ま、騒がしかったけど、ほどよく肩の力は抜けたよな。それより星乃、目ぇつけられてる感じだったじゃねえか。こりゃあ文化祭マジックでカップル誕生か?」
「やめてよ、僕はあの人たちの名前も知らないってのに」
「そうだったな、あははは!」
そんな会話をしていると、次のお客さんが入ってきた。小学生くらいの小さな女の子を連れた若い夫婦だ。女の子は八津谷の置いた野球盤を見つけると飛びついて、彼からやり方を聞きながら二人で遊び始めた。夫婦は部屋を一周して展示をじっくり見た後、僕の展示エリアに戻ってきた。
「ここで読んでいってもいいんですか?」
男性にそう訊かれ、慌てて答える。
「あっ、はい、もちろんです」
夫婦は椅子に座り、それぞれ冊子を手に取ってページを開いた。プレッシャーにならないように離れて、そっと見守る。
僕たちが書いたものを、目の前でお客さんが読んでくれている。以前僕の部屋で夏美が初めて読んだ時と同じような、いや、それ以上の緊張と不安が、心を占めていく。
夫婦はページを進めながら、目元を拭ったり、真剣な顔をしたり、クスクスと笑ったりしながら、最後まで読んでくれた。
そして立ち上がって、穏やかな微笑みで僕に言う。
「とてもいい部誌でした。どれも面白かったです」
「あ、ありがとうございます!」
「私たち、この高校の卒業生なんです。妻とはクラスメイトで、二人とも読書が好きで、在学中は文芸部がないのを残念がってたんですけど、今日文化祭のパンフレットを見たら文芸部ができてるのを知って、最初に見に来たんですよ」
「そうなんですね……」
その時、野球盤の勝負がついたのか、女の子が嬉しそうに叫んだ。八津谷が大げさに悔しがる声もする。女の子は走って母親に飛びついた。
「お母さん、わたしプロに勝ったよ!」
「あらそう、すごいね。すみません、遊んでもらって。おかげで集中して読めました。ありがとうございます」
「いえいえ、最高に熱い勝負でしたよ。嬢ちゃん、またいつかやろうな!」
「うん!」
八津谷と女の子はサムズアップを掲げ合い、家族は笑顔で図書室を出ていった。僕は緊張と疲れで深く息を吐く。
「はあ……お客さん、僕が部長だと勘違いしてないかな。こういうの慣れないから、夏美がここに立っててくれない?」
僕の言葉に、夏美は優しく笑って首を横に振った。
「ううん。勇輝には色んな人と関わってほしいから、やっぱりその位置は勇輝じゃないとダメだよ」
「なんでだよ。こういうの君の方が好きだろうし、得意だろ」
「私ね――」
何か言いかけた彼女の言葉は、新しくお客さんが入ってきたことで途切れた。
僕たちのクラスは、教室内で縁日風の屋台をやることになっている。駄菓子、お面、綿あめや、型抜きに、射的。子供用のビニールプールに水を張って、スーパーボールすくいもある。
屋台っぽい雰囲気を出すための枠組みを設置していると、クラスの女子に声をかけられた。
「星乃くん、書生さん衣装めっちゃ似合うね! 文芸部の展示絶対行くよ」
「後で一緒に写真撮ろうねー」
「あ、うん……」
これまで一度も話したことがなく、名前も知らない相手だったけれど、相手は僕の存在や名前を知っているということに、少し驚いた。僕が周りに無関心すぎるだけで、みんな案外クラスメイトというものを認識しているものなのだろうか。(後でこの話を八津谷にしたら、爆笑された……)
クラスの店番担当は順番制なので、文芸部員全員が図書室にいないということはなさそうだった。やがて教室内の屋台の設置も終わり、校内放送で一般客への開門が始まることがアナウンスされた。
文芸部一同は図書室に移動し、来客を待つ。八津谷も花部さんも夏美も、みんなそわそわとして落ち着かない。僕もそれは同じで、机の間を往復したり、意味もなく冊子を積み直したり、何度も深呼吸を繰り返したりしている。
こんなに緊張するのは、きっと、自分がとても頑張ったからだ。
部のみんなと何度も話し合って、何日も悩みながら展開や言葉をひねり出して、物語を創った。部誌を手に取ってもらうために、試行錯誤して演出もこだわった。
だから、こんなにも成功を願っていて、こんなにも、怖いんだ。
もし、この文芸部に入る前の僕のまま、文化祭なんてどうでもいいと投げやりな自分だったら、クラスの手伝いもそこそこに、ひとけのない場所を探して終わりの時間まで本を読んで過ごしていたかもしれない。もしかしたら、頑張っている人たちを見て、バカバカしいと鼻で笑っていたかもしれない。
そんな、あったかもしれないもう一人の自分を思うと、その仄暗い孤独にぞっとした。
この部活に入ってよかったと思うし、強引にでも巻き込んでくれた夏美に、感謝の気持ちが湧き起こる。
彼女の様子をちらりと窺うと、窓の外をぼんやりと眺める横顔が見えた。その表情は、なぜかどこか、寂しそうに感じた。
少しして図書室の外から賑やかな話し声が近付き、先ほどクラスの準備中に僕に声をかけたクラスメイトの女子たちが四人のグループで入ってきた。
「うわっ、何これ、すご! クジラ!?」
「えー、アートってやつ? あ、上見て、流れ星じゃん、カワイイ!」
展示を見てはしゃぐ女子たちの中から、一人が僕の方に歩み寄って言う。
「や、星乃くん、約束通り来たよー」
「い、いらっしゃいませ」
「あははは、星乃くんその格好でいらっしゃいませとか言うとマジで書生カフェみたいじゃん。ってかこれキミが作ったの? すごくない? あ、これが文芸部の冊子だね。もらっていいの?」
「もちろん、どうぞ」
「やったー、絶対読むね。アタシこれでも本とか読む方でさぁ」
冊子を手にして笑う彼女を、別の女子が小突いた。
「あんたが読むのファッション誌くらいじゃん。星乃くん狙いが露骨すぎてウケるんだけど」
「言うなしー! てか写真撮ろうよー」
取り囲まれて何枚も写真を撮られた。勝手に腕を組んできた時は驚いた。人との距離感がおかしいんじゃないだろうか。
気になって夏美の方を見ると、目が合って、ふいと視線を逸らされた。どこか悲しそうな表情をしているように見えたのは、気のせいだろうか。
その後四人組は、八津谷、夏美、花部さんの順に展示を見て、それぞれいくつか言葉を交わして、最後に僕に手を振って図書室を出ていった。クラスメイトと話をしている時の夏美は、普段の快活な様子に戻っていた。
やれやれといった具合に八津谷が腰に手を当てて言う。
「最初の客はクラスの女子かよ。まあそんなもんか」
「あ、あたし、話したことないグループだったから、緊張しちゃいました。でも、衣装や展示を見てかわいいって言ってくれて、嬉しかった……」
花部さんは少し興奮しているのか、頬が赤くなっていた。八津谷が続ける。
「ま、騒がしかったけど、ほどよく肩の力は抜けたよな。それより星乃、目ぇつけられてる感じだったじゃねえか。こりゃあ文化祭マジックでカップル誕生か?」
「やめてよ、僕はあの人たちの名前も知らないってのに」
「そうだったな、あははは!」
そんな会話をしていると、次のお客さんが入ってきた。小学生くらいの小さな女の子を連れた若い夫婦だ。女の子は八津谷の置いた野球盤を見つけると飛びついて、彼からやり方を聞きながら二人で遊び始めた。夫婦は部屋を一周して展示をじっくり見た後、僕の展示エリアに戻ってきた。
「ここで読んでいってもいいんですか?」
男性にそう訊かれ、慌てて答える。
「あっ、はい、もちろんです」
夫婦は椅子に座り、それぞれ冊子を手に取ってページを開いた。プレッシャーにならないように離れて、そっと見守る。
僕たちが書いたものを、目の前でお客さんが読んでくれている。以前僕の部屋で夏美が初めて読んだ時と同じような、いや、それ以上の緊張と不安が、心を占めていく。
夫婦はページを進めながら、目元を拭ったり、真剣な顔をしたり、クスクスと笑ったりしながら、最後まで読んでくれた。
そして立ち上がって、穏やかな微笑みで僕に言う。
「とてもいい部誌でした。どれも面白かったです」
「あ、ありがとうございます!」
「私たち、この高校の卒業生なんです。妻とはクラスメイトで、二人とも読書が好きで、在学中は文芸部がないのを残念がってたんですけど、今日文化祭のパンフレットを見たら文芸部ができてるのを知って、最初に見に来たんですよ」
「そうなんですね……」
その時、野球盤の勝負がついたのか、女の子が嬉しそうに叫んだ。八津谷が大げさに悔しがる声もする。女の子は走って母親に飛びついた。
「お母さん、わたしプロに勝ったよ!」
「あらそう、すごいね。すみません、遊んでもらって。おかげで集中して読めました。ありがとうございます」
「いえいえ、最高に熱い勝負でしたよ。嬢ちゃん、またいつかやろうな!」
「うん!」
八津谷と女の子はサムズアップを掲げ合い、家族は笑顔で図書室を出ていった。僕は緊張と疲れで深く息を吐く。
「はあ……お客さん、僕が部長だと勘違いしてないかな。こういうの慣れないから、夏美がここに立っててくれない?」
僕の言葉に、夏美は優しく笑って首を横に振った。
「ううん。勇輝には色んな人と関わってほしいから、やっぱりその位置は勇輝じゃないとダメだよ」
「なんでだよ。こういうの君の方が好きだろうし、得意だろ」
「私ね――」
何か言いかけた彼女の言葉は、新しくお客さんが入ってきたことで途切れた。
