拝啓、やがて星になる君へ

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 部員全員の作品も無事に完成し、花部さんが原稿をPCで打ち込んでくれた。そのデータを持って学校の印刷室に向かったのは、文化祭まで一週間を切った日の放課後。印刷室には生徒だけでは入れないから、顧問の岩崎先生が同行している。

 岩崎先生は五十代くらいの男性教師で、丸い眼鏡の奥で細められた眼が優しく、親しみやすい柔和な雰囲気で生徒からも人気だった。

 「いやあ、すみませんね。顧問を引き受けておきながら全然顔を出してなくて。風間さんから活動報告は受けてるから、どんなことをしてるかは知ってるんですけど、とても意欲的に活動しているようで、素晴らしいですよ」

 「はい、とっても充実してます!」と元気よく夏美が答えた。

 先生は僕の方を向いて言う。

 「星乃くんのご自宅を部室代わりに使わせてもらっているようですけど、ご迷惑じゃないですか?」

 「あ、いえ……最初は迷惑だったんですけど、もうそれが、日常になってしまったというか」

 僕の答えを受けて、先生は声をあげて笑った。

 「あっはっは、そうですか。この半年で日常になってしまうくらい繰り返したことというのは、この先大人になっても自分の中にずっと残る、一生の思い出になりますし、精神の礎になります。どうかその記憶を、大切に持ち続けてください」

 「……はい」

 部活を始めた頃、夏美も同じような話をしていたのを思い出した。そういうものなんだろうか。僕にはまだ分からない。

 花部さんが持参したUSBメモリを岩崎先生に渡し、先生がノートPCを操作していく。その間に僕たちは印刷用紙をプリンターにセットした。

 「じゃあ、一枚目から始めますよ」

 先生がそう言ってノートPCのキーを押すと、プリンターが動き始める音がした。しばらくすると、B5の白い紙に文字が印刷されたものが、次々に吐き出されてくる。

 「おおー、出てきたぞ!」八津谷がはしゃいで言った。

 僕たちが書いた物語が、冊子という形を得て、この世界に生まれ出る。その第一歩だ。複雑な感慨で、胸が震えた。

 一枚目の両面印刷が終わると、できあがった紙の束を机に置き、二枚目の印刷が始まる。部長の夏美がチェックと指示役になり、八津谷、花部さん、僕の三人は、印刷済みの紙をひたすら半分に折っていく作業を進めた。二つ折りにした紙を順番に重ねて、最後に真ん中をホチキスで止める、〝(なか)()じ〟と呼ばれる作り方を行う予定だ。

 「みんな、地味だけどとっても大事な作業だから、丁寧にやるんだよ! 仕上がりで天地がガタガタだとかっこ悪いからね!」

 「なんで俺だけを見て言うんだよ。俺らの記念すべき第一号の部誌なんだから、真剣にやるに決まってんだろ。ってか、仕上がりを気にするんなら、お前も作業したらどうなんだよ」

 八津谷の指摘に、夏美は右手で後頭部を掻いた。

 「いやー、手伝いたいのはヤマヤマなんだけど、私こう見えて不器用でさぁ。失敗してみんなに迷惑かける未来しか見えないから、こうして泣く泣く身を引いてるってわけなの」

 「ふうん、泣く泣く言うわりには楽しそうな顔じゃねえか」

 「そりゃあ楽しいよ! みんなで作った物語が、こうしてみんなの手で、やっと冊子の形になるんだもんね!」

 そう言って彼女は右手でガッツポーズを作った。夏美の行動にふと微かな違和感を抱いたけれど、その正体について考える暇もなく、次々に紙が刷り上がっていく。今は手を動かすのが最優先だ。

 「印刷したての紙って、熱いんですね。あたし、初めて知りました」

 丁寧に折り目を付けながら、花部さんが言った。岩崎先生が大きくうなずく。

 「そう、そうなんですよ。レーザープリンターは高熱で紙にトナーを定着させる仕組みですからね。最近はようやく涼しくなってきたのでまだいいんですが、この部屋はクーラーもないから、夏場なんて地獄ですよ。教師の大変さを少しでも理解していただけたなら幸いです」

 確かに、プリンターが排熱しているせいもあるのか、この部屋は暑い。着ていた制服のブレザーを脱ぎ、長袖シャツを肘まで捲り上げた。八津谷も花部さんも袖を捲って作業している中、印刷結果のチェックをしている夏美だけは、額に汗を浮かべているけど長袖のままだ。

 思い起こせば、夏休み明けに夏美は、左腕を怪我したと言って包帯を巻いていた。その日は半袖の制服だったけれど、その数日後から、まだ暑さがしぶとく続く残暑の中でも、彼女はずっと長袖を着ていた。八津谷や花部さんに理由を訊かれて、冷え性だとか、日焼け対策だとか答えていたけれど、それは本当なんだろうか。もしかして、左腕の怪我で傷跡が残っていて、それを隠そうとしている、とか。

 「……夏美、暑くない?」

 「うん、平気だよ。勇輝は優しいね」

 笑顔を向けられ、心臓が優しく握られるように痛んだ。思わず視線を逸らしてしまう。

 「てかお前ら、いつの間にか下の名前で呼び合ってるよな。付き合ってんのか?」

 八津谷の唐突な爆弾発言に、体感温度が一気に上がった。

 「ち、違――」

 「あはは、そういうのじゃないよ。ねえ、勇輝」

 「あ、ああ、うん……」

 どうして僕は、悲しくなっているんだ。付き合っているわけでも、想いを伝えたわけでもない。それなのに、夏美に冷静に否定されて、たったそれだけのことで、こんなにも悲しくなるのは、どうして。

 「青春ですねえ」と岩崎先生が目を細めて(のん)()な声で言う。「私みたいなおじさんには、あなたたちが(まぶ)しくて仕方ないのです。若い時には、つらいことも苦しいことも沢山あって、足を止めてしまいたくなる時もあると思いますが、時が過ぎ去ってしまえば、全ては思い出に変わっていきます。私が保証します。だから、恐れずに、ゆっくりと、一歩ずつ、前に進んでいってほしいです」

 「センセー、今そういう話してんじゃねえんですけど?」

 「あっはっは、それは失礼しました。八津谷くんは厳しいですねえ」

 その後は会話が途切れ、僕らは黙々と作業を進めた。紙を折っていると、そこに印刷されたみんなの作品を読みたくなる衝動に駆られるけど、中綴じの製本段階では中央の一ページ以外は左右で内容がちぐはぐになるから、読むことはできない。今はとにかく、冊子の完成を目指すだけだ。

 本文のページが刷り終わった後は、パステルブルーの紙に、表紙のデザインを印刷する。イラストと部誌タイトルは八津谷が担当を名乗り出ていたが、恥ずかしいのかもったいぶってなのか、印刷当日まで見せないと言っていた。

 「ふふん、俺の超自信作を見てビビるがいいぜ」

 そう言って彼が取り出した紙を見て、全員が感嘆の声を上げた。

 毛筆による力強いタッチで、『文芸部部誌〈風花星谷〉第一号』と書かれていて、その下には、これも筆と墨で描いたのか、ザトウクジラが荒々しくも雄大に海を割って、紙面いっぱいに飛翔していた。

 「えっ、すごいです! これ、八津谷くんが?」

 「慶介すっごいよ! プロみたい!」

 「ふうむ、お見事ですねえ」

 全員に絶賛され、照れた時のクセなのか頭をガシガシと掻きながら、八津谷が言う。

 「いや俺さ、文化祭展示の案出しでは何も言えなかったから、俺も何か役立ちてえなって思ってたんだけど、表紙デザインの話になった時にこれだってピンときたんよ。じいちゃんが水墨画やってて、昔叩き込まれたからさ。そん時は嫌で嫌でしょうがなくてよ、早く野球やりてえって思ってたんだけど、こうして役に立ったんなら、天国のじいちゃんにお礼言わねえとな、ハハハ」

 白い歯を見せて笑う八津谷は、日焼けしていて分かりにくいけれど、頬が少し赤くなっているように見えた。褒められ慣れてないのかもしれない。

 「星乃の小説にザトウクジラが出るって聞いてたからさ、久々に筆と墨を引っ張り出して描いてみたんだ。あ、ちなみにこの部誌名は〈ふうかせいこく〉って読むんだぜ。分かるか? 俺ら創部メンバー四人の苗字から一字ずつ取ってんだよ。結構いいだろ」

 花部さんが一字ずつ指さしながら確認する。

 「風間、花部、星乃、八津谷……本当だ。一字取って並べるとこんなに素敵な言葉になるんですね、あたしたち」

 「なるほど。風に花は舞い、星は渓谷に降る……。文芸部らしい風流を兼ね備えていますね」と岩崎先生。

 「部長の私の名前が先頭にあるのも含めて、最っっ高だよ慶介!」

 夏美が興奮気味にそう言った。僕も素直にそれに続く。

 「うん、すごくいいよ。正直びっくりした。僕の小説を表紙絵の題材にしてくれてありがとう、八津谷」

 「ヘヘヘ、やめろよみんな、照れるぜ!」

 八津谷の力作をスキャナで取り込んで、奥付データも追加して、表紙用の紙に印刷していった。その紙も慎重に半分に折って、これまで重ねてきた本文に被せ、大型のステープラーで中央を留めて――

 「私たちの、初めての部誌が……完成だよ!」

 夏美が右手で持った冊子を高々と掲げて、周りが拍手する。みんなが達成感に浸って興奮しているのが分かるし、僕もそうだった。
 「な、な、さっそく読もうぜ! もう読んでいいんだろ?」

 八津谷の言葉を皮切りに、全員が待ちきれなかったように完成した冊子を手に持ってページを開いた。でもすぐに岩崎先生に中断される。

 「気持ちは分かりますが、印刷室の次の利用予定があるので、撤収しましょう。冊子は図書準備室に保管しておきますので、みなさん手分けして運んでください。読み耽るのは、自分の分を一部持ち帰ってからでもいいでしょう?」

 「ちぇっ、しゃあねーな」と言って、八津谷は手に持っていた冊子を山に戻した。

 できあがった三百部の冊子をダンボール箱に詰めた後、夏美は別の仕事があるとかでいなくなったので、僕と八津谷で何往復かして図書準備室まで運んでいく。花部さんは恐縮していたけど、重い荷物を持たせるのも悪いから、先に帰ってもらった。

 全部運び終わる頃には息も絶え絶えで、腕の筋肉が言うことを聞かなくなっていた。

 「ハハハ、情けねえなあ副部長」

 と、図書室の床に座り込む僕を見て、八津谷が笑った。乱れた息を整えつつ、僕は答える。

 「はあ、はあ……僕は君と違って、運動なんて体育の授業くらいだから」

 「何をするにも体力は大事だぜ? 今度から俺と朝のジョギングすっか?」

 「……考えておくよ」

 「にしても風間は妙だったな。こういう時は最後まで残るようなタイプだけど」

 「まあ、部長には色々雑務があるんじゃない」

 「そんなもんかね」

 八津谷は積んだ箱の山から部誌を抜き取って、僕に差し出した。彼も一部を手に持っている。

 「じゃあ……帰って読むか! 正直ずっとワクワクしてんだわ。待ちきれねえ」

 「うん、分かるよ」

 彼の手から冊子を受け取ると、手首を掴まれてぐいと引かれ、立ち上がった。窓の外はもう、秋の夜が広がっていた。