文化祭は図書室を借りられるよ!
文芸部っぽく原稿用紙デザインをどこかに使おう(麻友の案)
各自の作品の世界観を現実に出現させるような展示で、来た人の心を掴んじゃう
(こっちは勇輝の発案。さすが私の見込んだ副部長だよ!)
楽しそうにペンを走らせる彼女の横顔を、ちらりと盗み見る。
数日前の夜、僕の部屋で原稿を読んだ後、ベッドの上で手を握られて、彼女の要求通り、僕は夏美を名前で呼ぶようになった。でもその後は学校で会っても特に変な空気になることはなく、普通に接してくる。何を考えているのか、さっぱり分からない。
それに、夏美も物語を書いているはずだけれど、どんな内容なんだろう。僕の作品だけ読まれて、僕は彼女の作品を読まないというのは、それこそ「フェアじゃない」と言えるだろう。けれどそれを切り出すのもなんだか恥ずかしいようで、言わないでいる。
「なんか書記みたいになってっけど、風間も何か考えてるんじゃねえのか? 部長として、この文芸部に人生捧げるとか言ってただろ?」
八津谷が言うと、「よくぞ訊いてくれました」と彼女は満面の笑みになる。
「まあ、私は部長だけど独裁をするつもりはないから、基本はみんなの意見を尊重したいんだ。今出てる案はとっても素敵だから異論もないしね。ただ、一点だけ、みんなが忘れてる大事なことがあるよ」
そこで言葉を止めて、僕らの顔を見渡す。僕含めて三人とも思い当たらないようで、八津谷は首を傾げている。夏美は再度笑顔になって、言った。
「それは……衣装です! 文化祭出店中は、公序良俗に反しなければ好きな格好をしていいことになってるんだ。演劇部なんか宣伝も兼ねて毎年それはもうすごいことになってるらしいよ。吹奏学部は全員で統一して、アイドルみたいな素敵な衣装を用意してる。そこで、我が文芸部は……こちら!」
彼女が勢いよく立ち上がり、書斎の入り口の方に両手を突き出した。そこから僕の祖父が現れる。
「本当にこんなものでいいのかい?」
そう言いながら掲げたのは――
「わあ素敵、書生服ですね!」
花部さんが興奮気味の声をあげた。
祖父が持っているのは、いかにも〝大正浪漫〟といった趣の、着物を重ねた襟なしシャツと、袴、黒い学生帽に、昔の探偵が着ているようなケープ付きのコート――確かインバネスコートという名だ――というセットだった。
「わたしのお爺さんが若い頃に着ていたものらしいけど、きちんと保管されていたし、先日クリーニングにも出したから、綺麗だよ」
「最高だよ、清司さんありがとう!」
夏美の感謝に、祖父は照れるような笑顔を見せた。僕は呆れながら確認する。
「……じいちゃん、まさか呼ばれるまで、ずっとそれ持って隠れてたの?」
「夏美ちゃんの頼みとあらば、断る理由ないからねえ。みなさんの部活のためと思って行動していると、わたしも学生の頃に戻ったような気分だったよ」
「ちょうど二着あるみたいだから、勇輝と慶介は試着してみて。その間、私と麻友は別の用事があるから、着替え終わったらここで待っててね」
そう言って夏美は、困惑する花部さんの腕を引いて、祖父と共に部屋を出ていった。部屋に二人残された僕らはしばし呆然とした後、顔を見合わせる。八津谷が苦笑して肩をすくめた。
「独裁をするつもりはないとか言ってたけど、部長サマの強権政治は健在だな。ま、せっかくだから着てみようぜ。こんな機会はそうそうないだろうし」
スマホで和服の着方を調べて、四苦八苦しながら着込んでいく。晩夏の今は暑くてしょうがないけれど、秋の文化祭の頃にはちょうどよくなっているだろうか。
「おお、いい感じじゃねえか星乃。なんかマジでその時代にいそうな雰囲気だぞ」
「そ、そうなのかな。自分じゃよく分からないよ……」
書斎には鏡がないので、自分の姿を見ることはできない。変じゃないだろうか。
「な、俺はどうよ。インテリ文化人って感じになったか?」
ポーズを取る八津谷の全身を眺める。身長が高いから、衣装の丈が短く感じる。歴史を感じさせる服装と対比して、日に焼けた黒い肌がやけに浮いて見えた。
「うん。帰化したてで日本の文化に頑張ってなじもうとしてる渡来人みたいだよ」
「あっははは、なんじゃそりゃあ!」
その時書斎の扉が開き、夏美たちが戻ってきた。
「おお、いいじゃん二人とも! とっても素敵だよ!」
女子二人組は、大正らしい色鮮やかな着物に身を包んでおり、その華やかさに思わず目を奪われる。
「ふふふ、驚いた? 女子はハイカラさん風の着物だよ。清司さんのおばあさんが若い頃に着てたものを大事に取ってあったから、貸してくれるって」
そう言って両手を広げると、彼女はくるりと回った。後頭部に付けられた大きめのリボンが揺れる。
「すごいよねえ、大正時代なんて今から二百――あ、百年くらい昔でしょ? その頃にこんなかわいいファッションが流行って、そしてその服が今でもこうして残ってるなんて!」
この家も、確か築百年ほどだ。僕の祖父の祖父母……顔も名前も知らない先祖たちがここに住み始めた頃、この服を着ていたのだろうか。そう思うと、百年後の僕たちがこうして当時の服を着て集まっていることが、とても不思議な縁に感じる。
「す、すみません、星乃くん。ちょっとこの本を持ってみてもらえますか」
挙動不審の花部さんが書棚から抜き取った古びた本を渡され、よく分からないまま手に持った。
「え、なに?」
「ふおおおお、書生さん、書生さんが目の前にい……」
「わっ、麻友、鼻血! 着物に付けちゃダメだよ!」
夏美が慌ててティッシュを取り、花部さんの顔に当てる。八津谷は爆笑し、僕はため息をつく。
こんな、騒がしい時間を、人との関わりを、楽しんでいる自分がいる。
僕はこのまま、変わっていけるのだろうか。
勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり。やれなかった沢山のことを僕が代わりにすることが、星になった姉の願いだった。
大切に想える人と出会って、この世界を愛して、人生をめいっぱい楽しむ。それが、星になった母の願いだった。
僕は、この人たちと一緒なら、人生を楽しめる気がする。この世界を、愛していけるような気さえする。
楽しそうに笑う夏美の笑顔をそっと見る。胸が熱く心地よい痛みで満たされる。
君が僕を変えたんだ。君が僕をここまで連れてきてくれたんだ。
僕は、君を、好きでいていいんだろうか。
君を好きだと、言っても、いいんだろうか。
文芸部っぽく原稿用紙デザインをどこかに使おう(麻友の案)
各自の作品の世界観を現実に出現させるような展示で、来た人の心を掴んじゃう
(こっちは勇輝の発案。さすが私の見込んだ副部長だよ!)
楽しそうにペンを走らせる彼女の横顔を、ちらりと盗み見る。
数日前の夜、僕の部屋で原稿を読んだ後、ベッドの上で手を握られて、彼女の要求通り、僕は夏美を名前で呼ぶようになった。でもその後は学校で会っても特に変な空気になることはなく、普通に接してくる。何を考えているのか、さっぱり分からない。
それに、夏美も物語を書いているはずだけれど、どんな内容なんだろう。僕の作品だけ読まれて、僕は彼女の作品を読まないというのは、それこそ「フェアじゃない」と言えるだろう。けれどそれを切り出すのもなんだか恥ずかしいようで、言わないでいる。
「なんか書記みたいになってっけど、風間も何か考えてるんじゃねえのか? 部長として、この文芸部に人生捧げるとか言ってただろ?」
八津谷が言うと、「よくぞ訊いてくれました」と彼女は満面の笑みになる。
「まあ、私は部長だけど独裁をするつもりはないから、基本はみんなの意見を尊重したいんだ。今出てる案はとっても素敵だから異論もないしね。ただ、一点だけ、みんなが忘れてる大事なことがあるよ」
そこで言葉を止めて、僕らの顔を見渡す。僕含めて三人とも思い当たらないようで、八津谷は首を傾げている。夏美は再度笑顔になって、言った。
「それは……衣装です! 文化祭出店中は、公序良俗に反しなければ好きな格好をしていいことになってるんだ。演劇部なんか宣伝も兼ねて毎年それはもうすごいことになってるらしいよ。吹奏学部は全員で統一して、アイドルみたいな素敵な衣装を用意してる。そこで、我が文芸部は……こちら!」
彼女が勢いよく立ち上がり、書斎の入り口の方に両手を突き出した。そこから僕の祖父が現れる。
「本当にこんなものでいいのかい?」
そう言いながら掲げたのは――
「わあ素敵、書生服ですね!」
花部さんが興奮気味の声をあげた。
祖父が持っているのは、いかにも〝大正浪漫〟といった趣の、着物を重ねた襟なしシャツと、袴、黒い学生帽に、昔の探偵が着ているようなケープ付きのコート――確かインバネスコートという名だ――というセットだった。
「わたしのお爺さんが若い頃に着ていたものらしいけど、きちんと保管されていたし、先日クリーニングにも出したから、綺麗だよ」
「最高だよ、清司さんありがとう!」
夏美の感謝に、祖父は照れるような笑顔を見せた。僕は呆れながら確認する。
「……じいちゃん、まさか呼ばれるまで、ずっとそれ持って隠れてたの?」
「夏美ちゃんの頼みとあらば、断る理由ないからねえ。みなさんの部活のためと思って行動していると、わたしも学生の頃に戻ったような気分だったよ」
「ちょうど二着あるみたいだから、勇輝と慶介は試着してみて。その間、私と麻友は別の用事があるから、着替え終わったらここで待っててね」
そう言って夏美は、困惑する花部さんの腕を引いて、祖父と共に部屋を出ていった。部屋に二人残された僕らはしばし呆然とした後、顔を見合わせる。八津谷が苦笑して肩をすくめた。
「独裁をするつもりはないとか言ってたけど、部長サマの強権政治は健在だな。ま、せっかくだから着てみようぜ。こんな機会はそうそうないだろうし」
スマホで和服の着方を調べて、四苦八苦しながら着込んでいく。晩夏の今は暑くてしょうがないけれど、秋の文化祭の頃にはちょうどよくなっているだろうか。
「おお、いい感じじゃねえか星乃。なんかマジでその時代にいそうな雰囲気だぞ」
「そ、そうなのかな。自分じゃよく分からないよ……」
書斎には鏡がないので、自分の姿を見ることはできない。変じゃないだろうか。
「な、俺はどうよ。インテリ文化人って感じになったか?」
ポーズを取る八津谷の全身を眺める。身長が高いから、衣装の丈が短く感じる。歴史を感じさせる服装と対比して、日に焼けた黒い肌がやけに浮いて見えた。
「うん。帰化したてで日本の文化に頑張ってなじもうとしてる渡来人みたいだよ」
「あっははは、なんじゃそりゃあ!」
その時書斎の扉が開き、夏美たちが戻ってきた。
「おお、いいじゃん二人とも! とっても素敵だよ!」
女子二人組は、大正らしい色鮮やかな着物に身を包んでおり、その華やかさに思わず目を奪われる。
「ふふふ、驚いた? 女子はハイカラさん風の着物だよ。清司さんのおばあさんが若い頃に着てたものを大事に取ってあったから、貸してくれるって」
そう言って両手を広げると、彼女はくるりと回った。後頭部に付けられた大きめのリボンが揺れる。
「すごいよねえ、大正時代なんて今から二百――あ、百年くらい昔でしょ? その頃にこんなかわいいファッションが流行って、そしてその服が今でもこうして残ってるなんて!」
この家も、確か築百年ほどだ。僕の祖父の祖父母……顔も名前も知らない先祖たちがここに住み始めた頃、この服を着ていたのだろうか。そう思うと、百年後の僕たちがこうして当時の服を着て集まっていることが、とても不思議な縁に感じる。
「す、すみません、星乃くん。ちょっとこの本を持ってみてもらえますか」
挙動不審の花部さんが書棚から抜き取った古びた本を渡され、よく分からないまま手に持った。
「え、なに?」
「ふおおおお、書生さん、書生さんが目の前にい……」
「わっ、麻友、鼻血! 着物に付けちゃダメだよ!」
夏美が慌ててティッシュを取り、花部さんの顔に当てる。八津谷は爆笑し、僕はため息をつく。
こんな、騒がしい時間を、人との関わりを、楽しんでいる自分がいる。
僕はこのまま、変わっていけるのだろうか。
勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり。やれなかった沢山のことを僕が代わりにすることが、星になった姉の願いだった。
大切に想える人と出会って、この世界を愛して、人生をめいっぱい楽しむ。それが、星になった母の願いだった。
僕は、この人たちと一緒なら、人生を楽しめる気がする。この世界を、愛していけるような気さえする。
楽しそうに笑う夏美の笑顔をそっと見る。胸が熱く心地よい痛みで満たされる。
君が僕を変えたんだ。君が僕をここまで連れてきてくれたんだ。
僕は、君を、好きでいていいんだろうか。
君を好きだと、言っても、いいんだろうか。
