太陽が傾いてオレンジ色になる頃にはみなクタクタになっていて、浜辺に打ち上げられていた流木に並んで腰かけて、寄せては引いていく白波を、しばらく黙って眺めていた。夕陽は水面で光の道を作り、揺蕩うように燃えている。
「……勇輝」
ふと、風間さんが静かな声で、僕の名を呼ぶ。
「うん」
「今日、来てくれてありがとね」
「最初から僕に拒否権はなかったじゃないか」
「それでも、ありがとう。すごく嬉しかったし、楽しかった」
「……そう」
「私、知ってるからね。勇輝は冷たいフリをしてるけど、本当はすごく優しくて、心の中はとても温かくて、でも傷付くのが嫌で、壁を作って生きてるってこと」
思わず息を呑んだ。幾重にも着込んだ鎧の隙間から、いとも簡単に手を差し込まれて、柔らかな温度で心臓を優しく撫でられたような、そんな気分だった。自分でも知らない自分を見せつけられたような。どうして、この人は。
でも認めるのが恥ずかしくて、はぐらかしてしまう。
「想像力が豊かだね」
「ふふっ、文芸部部長ですから。……でも、私、ホントはね」
海風が強く吹いて、僕は目をつむる。風が止み、瞼を開けて彼女の方を見ると、乱れた髪を耳にかけているところだった。今日一日、なるべく見ないようにしていた白い肌や、首筋や、鎖骨や、華奢な手首なんかが目に入り、心臓の辺りに甘苦しく締め付けられるような不思議な痛みを感じた。
一つゆっくりと呼吸をして、この感情をごまかすように、落ち着いた声を出す。
「何か、言いかけた?」
彼女は小さく首を横に振る。
「やっぱり、いいや。勇輝がもっと心を開いてくれたら言うね」
「なんだよそれ。そんな時は来ないよ」
「ふふふ、分からないよ?」
「来ないよ」
「来るよ」
不毛な言い合いになりかけた時、花部さんが「えっ、あれ!」と驚いたような声で言った。立ち上がって海の方を指さす花部さんの視線の先を見ると、水平線まで広がる海の沖合で、一つの黒い塊が海面を割って飛び上がった。それは翼を広げてゆっくりと体を捻りながら、豪快に海に着水する。水しぶきが空に舞い上がった。
「……クジラ?」
八津谷が呟くと、花部さんが興奮した口調で捲し立てる。
「ザトウクジラです! すごい、すごい! ザトウクジラって、ああやって海上に飛び上がってから水面に飛び込む、ブリーチングっていう行動をするんですよ! 体に付いた寄生虫を落とすためとか、コミュニケーションのためとか、ただ遊んでるだけとか諸説あるんですけど。でもこんな所で実際に見られるなんて、すごい奇跡! あれ、でも今の時期に日本の海にいることはないはずなんですけど……異常気象の影響とかかな」
「さすが麻友は色々知ってるなあ。まあとにかく、すごいものが見れたってことだね!」
全員で立ち上がり、波打ち際まで近付く。クジラはその後も何度かブリーチングを行っていた。夕陽が黄金に染める海面を、一頭のクジラが遊ぶように、孤独を歌うように、幾度も飛び跳ねる。そのたびに巨大な光の翼のようなしぶきが上がり、それが無数の宝石みたいにキラキラと煌めく。その光景に、僕は見入っていた。心が、震えていた。
いつの間にか腕が触れ合いそうなほどの近くに立っていた風間さんが、僕に言う。
「ね、海に来てよかったでしょ。この景色は、一人で家に閉じこもってたら見れなかったものだよ」
「……まあ、それは、否定しないよ」
「世界って、こんなに綺麗だったんだね……」
その言葉は僕に向けたものではなく、独り言のような静かな声色だった。
「……勇輝」
ふと、風間さんが静かな声で、僕の名を呼ぶ。
「うん」
「今日、来てくれてありがとね」
「最初から僕に拒否権はなかったじゃないか」
「それでも、ありがとう。すごく嬉しかったし、楽しかった」
「……そう」
「私、知ってるからね。勇輝は冷たいフリをしてるけど、本当はすごく優しくて、心の中はとても温かくて、でも傷付くのが嫌で、壁を作って生きてるってこと」
思わず息を呑んだ。幾重にも着込んだ鎧の隙間から、いとも簡単に手を差し込まれて、柔らかな温度で心臓を優しく撫でられたような、そんな気分だった。自分でも知らない自分を見せつけられたような。どうして、この人は。
でも認めるのが恥ずかしくて、はぐらかしてしまう。
「想像力が豊かだね」
「ふふっ、文芸部部長ですから。……でも、私、ホントはね」
海風が強く吹いて、僕は目をつむる。風が止み、瞼を開けて彼女の方を見ると、乱れた髪を耳にかけているところだった。今日一日、なるべく見ないようにしていた白い肌や、首筋や、鎖骨や、華奢な手首なんかが目に入り、心臓の辺りに甘苦しく締め付けられるような不思議な痛みを感じた。
一つゆっくりと呼吸をして、この感情をごまかすように、落ち着いた声を出す。
「何か、言いかけた?」
彼女は小さく首を横に振る。
「やっぱり、いいや。勇輝がもっと心を開いてくれたら言うね」
「なんだよそれ。そんな時は来ないよ」
「ふふふ、分からないよ?」
「来ないよ」
「来るよ」
不毛な言い合いになりかけた時、花部さんが「えっ、あれ!」と驚いたような声で言った。立ち上がって海の方を指さす花部さんの視線の先を見ると、水平線まで広がる海の沖合で、一つの黒い塊が海面を割って飛び上がった。それは翼を広げてゆっくりと体を捻りながら、豪快に海に着水する。水しぶきが空に舞い上がった。
「……クジラ?」
八津谷が呟くと、花部さんが興奮した口調で捲し立てる。
「ザトウクジラです! すごい、すごい! ザトウクジラって、ああやって海上に飛び上がってから水面に飛び込む、ブリーチングっていう行動をするんですよ! 体に付いた寄生虫を落とすためとか、コミュニケーションのためとか、ただ遊んでるだけとか諸説あるんですけど。でもこんな所で実際に見られるなんて、すごい奇跡! あれ、でも今の時期に日本の海にいることはないはずなんですけど……異常気象の影響とかかな」
「さすが麻友は色々知ってるなあ。まあとにかく、すごいものが見れたってことだね!」
全員で立ち上がり、波打ち際まで近付く。クジラはその後も何度かブリーチングを行っていた。夕陽が黄金に染める海面を、一頭のクジラが遊ぶように、孤独を歌うように、幾度も飛び跳ねる。そのたびに巨大な光の翼のようなしぶきが上がり、それが無数の宝石みたいにキラキラと煌めく。その光景に、僕は見入っていた。心が、震えていた。
いつの間にか腕が触れ合いそうなほどの近くに立っていた風間さんが、僕に言う。
「ね、海に来てよかったでしょ。この景色は、一人で家に閉じこもってたら見れなかったものだよ」
「……まあ、それは、否定しないよ」
「世界って、こんなに綺麗だったんだね……」
その言葉は僕に向けたものではなく、独り言のような静かな声色だった。
