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僕の家――正確には僕の祖父の家の、使われていない書斎――が、文芸部の〝臨時出張部室〟に決定してしまった。
それからは、放課後になるとすぐ、風間さんを筆頭にして、花部さん、八津谷がなぜか僕の席に集合し、乗り気でない僕を三人で追い立てて〝臨時出張部室〟に向かい、祖父が出したお茶とお菓子を摘まみながら、最近読んだ本の感想を言い合ったり、冊子のテーマについて議論したり、その日出された宿題を消化したり、なんの関係もない雑談をしたりする、そんな日々が始まった。
風間さんがにこにこと楽しげに話題を振り、八津谷が興味なさそうにしながらも律儀に応じる。花部さんは祖父の書籍コレクションに過剰に興奮しつつ(本当に鼻血を出した時は驚いた)、自分が話す時になるといつものしおらしい雰囲気に戻る。そんな騒がしい彼らを、僕は部屋の隅で本を読みながら、眺めていた。
「うわ、このお煎餅美味しい! ねえ、勇輝もこっち来て一緒に食べようよ。熱いほうじ茶と合わせると最高だよ」
風間さんはいつの間にか、僕を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。父が母の姓である星乃家に婿入りした関係上、祖父も〝星乃〟だから、呼び分ける時だけ僕を下の名で呼んでいたのがそのまま定着してしまったようだ。
「星乃、数学の宿題終わってんだろ? ここの問題意味分かんねえよ、ちょっと教えてくれ。お前得意だろ?」
「ほ、星乃くん、この本、しばらく借りてもいいですか……? おじいさんにお金払いますから。一万円で、足りるかな……」
僕は小さくため息をつき、読みかけの本を閉じて立ち上がると、彼らの方に歩いていく。
文芸部が始まってからこの家は、放課後はいつもこんな感じで騒がしい。うるさいのは好きじゃないけれど、こうして賑やかにやっていると、姉も母も喜んでるだろうか、なんて思う。……いや、姉も母も、もういない。死者が生者の幸福を願ってるなんて、残された者の都合のいい妄想だ。
「風間さん、その煎餅なら僕は昨日食べたよ。八津谷、その問題は教科書を見れば解法がすぐ分かる。花部さん、お金はいらないから、好きに持ってっていいよ」
「あはは、勇輝、聖徳太子みたいだね」
「聖徳太子に怒られるよ……。ところで、今日は文芸部らしくない時間を過ごしているようだけれど、こんなんでいいの? 前に、文芸部に人生をかけていると豪語した割には、そんなに熱心に活動しているようには感じられないけど」
風間さんは僕の言葉に少し目を見開き、祖父の淹れたほうじ茶を一口飲み込んでから、にっこりと笑って答えた。
「私の言ったこと、覚えててくれたんだ、嬉しい! それに、活動について気にしてくれるってことは、勇輝もようやく文芸部副部長の自覚が芽生えたんだね?」
「いや、別に、そういうわけじゃ……、っていうか、え、副部長?」
初耳だ。どうしてこの人はそう勝手に色々と決めてしまえるのか。
「でも、いいの。熱心な活動ばっかりじゃ気が張っちゃうじゃない? こうやって放課後に友達の家で集まってあれこれお喋りする、そんな時間も楽しい青春の思い出になるんだよ。そしてそういう記憶が積み重なって、後々大人になってからも精神の土台になったりするのさ」
姉の泣き顔が心に浮かんで、ずきんと胸が痛んだ。
(私がやれなかったこと、勇輝はいっぱいやってね。勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり、お母さんに親孝行したり……私の代わりに、いっぱい、やってね)
姉ちゃんが、生きたくても生きられなかった時間。僕に託された未来。でも、そんなの、人との強い繋がりを捨てて自分を守ることを決めた僕には不可能だし、望んでもいない。
僕の胸の痛みなど知る由もない風間さんは、楽しげに続ける。
「それに、創作って一朝一夕でできるものじゃないしね。物語のイメージ、膨らませてるんでしょ?」
「考えてはいるけど、まだ全然、取っかかりも見えてこないよ……」
先週の部活時間で、それぞれの担当作品をどんなものにするか考えるよう宿題が出た。渋々考えてはいるけれど、何も思い浮かばない。世の創作者というものは一体どうやってゼロから物語を生み出しているのだろうか。
「焦らなくていいんだよ。自分の経験とか、好きなこととか、考えてることとか、見た景色とか、伝えたいこと、吐き出したいこと、そういうものが繋がって、重なり合って、自然に物語は生まれてくるんだよ」
そう言われても、大した経験もなければ、好きなものも伝えたいことも思い当たらない。
「思い付かないなら、夏休みが始まったら、みんなで色んな所に行こうよ! 放課後の部活時間はせいぜい一、二時間くらいしか取れないけど、夏休みが始まっちゃえばもう朝から晩まで使えるわけだから、そこからが文芸部の本格始動だよ」
「え、まさか、朝から晩まで僕らを拘束する気……?」
「そりゃそうだよう。人生は一度きり。青春は今この時だけ。光陰矢の如し。それなら、思いっきり頑張って、思いっきり楽しんで、悔いのないようにしないとね!」
「ちなみに、拒否権は……」
「ないよ!」
勘弁してくれ……。僕はまた、大きなため息をついた。
僕の家――正確には僕の祖父の家の、使われていない書斎――が、文芸部の〝臨時出張部室〟に決定してしまった。
それからは、放課後になるとすぐ、風間さんを筆頭にして、花部さん、八津谷がなぜか僕の席に集合し、乗り気でない僕を三人で追い立てて〝臨時出張部室〟に向かい、祖父が出したお茶とお菓子を摘まみながら、最近読んだ本の感想を言い合ったり、冊子のテーマについて議論したり、その日出された宿題を消化したり、なんの関係もない雑談をしたりする、そんな日々が始まった。
風間さんがにこにこと楽しげに話題を振り、八津谷が興味なさそうにしながらも律儀に応じる。花部さんは祖父の書籍コレクションに過剰に興奮しつつ(本当に鼻血を出した時は驚いた)、自分が話す時になるといつものしおらしい雰囲気に戻る。そんな騒がしい彼らを、僕は部屋の隅で本を読みながら、眺めていた。
「うわ、このお煎餅美味しい! ねえ、勇輝もこっち来て一緒に食べようよ。熱いほうじ茶と合わせると最高だよ」
風間さんはいつの間にか、僕を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。父が母の姓である星乃家に婿入りした関係上、祖父も〝星乃〟だから、呼び分ける時だけ僕を下の名で呼んでいたのがそのまま定着してしまったようだ。
「星乃、数学の宿題終わってんだろ? ここの問題意味分かんねえよ、ちょっと教えてくれ。お前得意だろ?」
「ほ、星乃くん、この本、しばらく借りてもいいですか……? おじいさんにお金払いますから。一万円で、足りるかな……」
僕は小さくため息をつき、読みかけの本を閉じて立ち上がると、彼らの方に歩いていく。
文芸部が始まってからこの家は、放課後はいつもこんな感じで騒がしい。うるさいのは好きじゃないけれど、こうして賑やかにやっていると、姉も母も喜んでるだろうか、なんて思う。……いや、姉も母も、もういない。死者が生者の幸福を願ってるなんて、残された者の都合のいい妄想だ。
「風間さん、その煎餅なら僕は昨日食べたよ。八津谷、その問題は教科書を見れば解法がすぐ分かる。花部さん、お金はいらないから、好きに持ってっていいよ」
「あはは、勇輝、聖徳太子みたいだね」
「聖徳太子に怒られるよ……。ところで、今日は文芸部らしくない時間を過ごしているようだけれど、こんなんでいいの? 前に、文芸部に人生をかけていると豪語した割には、そんなに熱心に活動しているようには感じられないけど」
風間さんは僕の言葉に少し目を見開き、祖父の淹れたほうじ茶を一口飲み込んでから、にっこりと笑って答えた。
「私の言ったこと、覚えててくれたんだ、嬉しい! それに、活動について気にしてくれるってことは、勇輝もようやく文芸部副部長の自覚が芽生えたんだね?」
「いや、別に、そういうわけじゃ……、っていうか、え、副部長?」
初耳だ。どうしてこの人はそう勝手に色々と決めてしまえるのか。
「でも、いいの。熱心な活動ばっかりじゃ気が張っちゃうじゃない? こうやって放課後に友達の家で集まってあれこれお喋りする、そんな時間も楽しい青春の思い出になるんだよ。そしてそういう記憶が積み重なって、後々大人になってからも精神の土台になったりするのさ」
姉の泣き顔が心に浮かんで、ずきんと胸が痛んだ。
(私がやれなかったこと、勇輝はいっぱいやってね。勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり、お母さんに親孝行したり……私の代わりに、いっぱい、やってね)
姉ちゃんが、生きたくても生きられなかった時間。僕に託された未来。でも、そんなの、人との強い繋がりを捨てて自分を守ることを決めた僕には不可能だし、望んでもいない。
僕の胸の痛みなど知る由もない風間さんは、楽しげに続ける。
「それに、創作って一朝一夕でできるものじゃないしね。物語のイメージ、膨らませてるんでしょ?」
「考えてはいるけど、まだ全然、取っかかりも見えてこないよ……」
先週の部活時間で、それぞれの担当作品をどんなものにするか考えるよう宿題が出た。渋々考えてはいるけれど、何も思い浮かばない。世の創作者というものは一体どうやってゼロから物語を生み出しているのだろうか。
「焦らなくていいんだよ。自分の経験とか、好きなこととか、考えてることとか、見た景色とか、伝えたいこと、吐き出したいこと、そういうものが繋がって、重なり合って、自然に物語は生まれてくるんだよ」
そう言われても、大した経験もなければ、好きなものも伝えたいことも思い当たらない。
「思い付かないなら、夏休みが始まったら、みんなで色んな所に行こうよ! 放課後の部活時間はせいぜい一、二時間くらいしか取れないけど、夏休みが始まっちゃえばもう朝から晩まで使えるわけだから、そこからが文芸部の本格始動だよ」
「え、まさか、朝から晩まで僕らを拘束する気……?」
「そりゃそうだよう。人生は一度きり。青春は今この時だけ。光陰矢の如し。それなら、思いっきり頑張って、思いっきり楽しんで、悔いのないようにしないとね!」
「ちなみに、拒否権は……」
「ないよ!」
勘弁してくれ……。僕はまた、大きなため息をついた。
