拝啓、やがて星になる君へ

 旅行の日からしばらくは、母は元気な様子だった。料理教室再開の目標金額が近いからか、仕事にも張り切って出かけていた。娘が星になったという事実を受け入れて、しっかりと未来を見据えているように見えた。

 けれどひと月ほどが経つと、その元気は見る影もなくなり、仕事もいつの間にか辞めてしまっていた。理由を訊いても話してくれず、明らかに無理をしていることが分かるような、寂しさを押し込めた笑顔を僕に見せるだけだった。それは祖父も同じで、母に何があったのか教えてくれず、沈痛な面持ちで深いため息をつくだけ。

 食卓には再び会話はなくなり、重苦しい空気が家全体を満たす。

 もしかして。いや、まさか。でも……。嫌な予感と最悪な想像ばかりが自分の中に膨らみ続けて、心が破裂しそうになる。

 母の不調の理由を誰も僕には話してくれないということが、僕の最悪の予感を裏付けているように思える。そして大人たちが、子供である僕に真相を隠すことで〝守っている〟と分かってしまうのが、自分がなんの役にも立てないガキなんだと思い知らされるようで、たまらなく情けなくて、腹立たしかった。

 夏の終わりが見え始めた、少しだけ涼しい夜。夕食の席で食事に手を付けようともせずに暗い表情でうつむく母と、何も言わない祖父、そして無力な自分。それら全てに苛立って、僕は持っていた箸をテーブルに叩き付け、乱暴に立ち上がった。ずっと溜め込んでいた言葉が、口をついて(あふ)れ出す。

 「なんなんだよ、ずっと暗い顔して! なんで僕には何も教えてくれないんだ! どうして頼ってくれないんだ! なんで相談もしてくれないんだよ! 僕ってそんなに頼りないかよ、そんなに信用ないのかよ! そりゃ、知らされたって何もできないかもしれないよ。傷付くかもしれないよ。でもこんな空気じゃ悪い方にばかり考えちゃって苦しいんだよ! 隠すんなら徹底的に隠せよ! (だま)すのなら最後まで騙してよ!」

 気付くと涙が流れていた。滲んだ視界の中で、母と祖父の悲痛な表情が見えた。二人は顔を見合わせ、うなずく。母が真剣な表情でこちらを見るので、僕は溢れる涙を拭い、椅子に座り直した。

 「勇輝、ごめんね。あなたを信用してないわけじゃないの。ただ、わたしの覚悟ができてなかっただけ。だからおじいちゃんにも黙ってもらってた。……でも、それじゃ、あなたを信用してないってのと、同じだったね……。だから、よく見て、勇輝」

 そうして母は、着ているブラウスの首元のボタンを、ゆっくりと一つずつ、外し始めた。三つのボタンが外れたところで、両手で襟元を持ち、開いていく。

 見たくない、と思ってしまう。知らされないことで守られている自分が情けなくて、何か力になりたくて、あんなに大声を出したのに。その真相を知るのが、怖いと思ってしまう。でも、引き付けられたように目を逸らせない。

 母の首元の、肌色の皮膚が、開かれた襟から見えていく。そしてそれが目に入った。

 二つの鎖骨の真ん中から胸の方に拡がっているのは、姉の背中に見つけたものと同じ。灰褐色にくすんで、石のようにざらついて見える表面は、それ自体が淡く光を放っている。

 「なんで……。十万人に一人じゃなかったのかよ……。なんで、姉ちゃんの次は、母さんなんだよ。なんで、なんで、うちばっかり……」

 そして母は、精いっぱいの優しい表情を浮かべて、めいっぱいの穏やかな声で、僕に絶望的な未来を告げた。

 「……勇輝、お母さんね、二か月後に、星になるの」