拝啓、やがて星になる君へ

 家から一時間ほどの距離にある海の近くの旅館を祖父が予約してくれて、朝から車に乗り、その町に向かった。

 岩が多く遊泳に適さない海だからか、夏休みであっても海岸に人は少ない。水着も持ってないし初めから泳ぐつもりでは来ていないから、その方がありがたい。

 波打ち際をゆっくり歩いて、綺麗な貝殻を探して拾い集め、ヒトデやカニを見つけて笑った。つばの広い麦わら帽子をかぶり、柔らかな白いロングワンピースを着て海風に吹かれる母は、どこか少女のようにも見えた。

 旅館は、小さくて古いけれど落ち着く雰囲気で、窓から海が見える和室だった。広い温泉で疲れを取り、慣れない浴衣を着て、豪勢な夕食を前に祖父も母も修学旅行に来た学生みたいにはしゃいでいた。

 夜、酒に酔った祖父のいびきがうるさくてなかなか眠れないでいると、隣の布団の母に名前を呼ばれた。

 「勇輝、まだ起きてる?」

 「うん」

 「旅行、提案してくれてありがとうね。今日は本当に楽しかった」

 「少しは気晴らしになったなら、よかったよ」

 躊躇うような間を開けて、母は続けた。

 「……本当はね、今も、美樹のことを考えちゃうんだ。家族旅行なのに置いてきちゃってよかったのかな、とか、あの庭で一人きりになって、寂しい思いをしてないかな……って」

 「……考えちゃうのは、当たり前だよ。家族なんだし」

 「そうね。でも、そうやってずっと美樹のことに囚われて、悲しい、寂しい、つらい、ってばっかり考えて、勇輝のことを大切にできてなかったなって、やっと気付いたんだ。ごめんね、不甲斐ないお母さんで」

 「そんなこと、ないよ」

 母は「ありがと」と言ってから、一つため息のような呼吸を挟んで、続けた。

 「美樹は星になっちゃったけど、勇輝も、わたしも、おじいちゃんも、今を生きてる。未来がある。それなら、その未来をしっかり生きないといけないよね。そうしないと、美樹に怒られちゃう」

 「うん、うん、そうだね」

 気晴らしになればいい、くらいの気持ちで提案した旅行だったけれど、姉の死からずっと消沈していた母がそんな風に前向きになってくれたのなら、これ以上嬉しいことはない。あの時勇気を出して誘ってよかったと思うし、今の自分を少し誇らしくも思えた。

 「お母さんね、あと半年くらい働けば、今のおじいちゃんの家で料理教室を開ける目標金額が貯まるんだ」

 「え、すごいじゃん」

 「そうしたら、勇輝と過ごせる時間も増えるから、こうしてお喋りしたり、一緒にお茶飲んだりするのに、付き合ってくれる?」
 その光景を思うと、胸が温かくなった。

 「うん、いいよ」

 「ありがと。ああ、楽しみだな。……それにしても」

 「なに?」

 「おじいちゃん、すごいいびきだね」

 ちょうどその時、ひときわ大きないびきが「ぐごごごご」と地鳴りのように響いて、僕と母は堪え切れずに噴き出して、しばらく笑い転げていた。

 姉ちゃん、見てるかな。姉ちゃんが寂しくないように、僕たちはまた、楽しく生きていくよ。姉ちゃんが生きられなかった時間を、やれなかったことを、僕が、しっかりと受け継いでいくよ。

 母と二人、涙を流して笑いながら、そんな風に考えていた。