姉の体に異変が起きたのは、僕が小学六年、十一歳の秋の夕方だった。
居間で本を読んでいる時、「背中の感触が変だからちょっと見てほしい」と姉に言われた。シャツを捲り上げると、それはすぐに目に入った。
水着の日焼け跡が残る小麦色の滑らかな背中に、肩甲骨が二つの小さな山を作っている。その中央辺りに、直径十センチほどの歪な円形で、灰色に変色している箇所があった。恐る恐る指で触れてみると、人間の皮膚とは明らかに違う感触。固くて、温もりはなく、無機質で、まるで、そう、石のような――
夕飯を作っていた母を呼んで見てもらうと、青ざめた顔で姉を病院に連れていった。その様子から、姉の身にただならぬことが起きているのだろうかと、一人で留守番する僕も不安に駆られていた。
二人は一時間ほどで帰ってきたけれど消沈しきった様子で、僕の質問にも答えずに姉は自分の部屋に閉じこもった。母も頭を抱えるだけで教えてくれず、結局その日は冷たくなった夕食を一人で食べた。
姉が〝星化症〟と呼ばれる病気に罹患していると母から知らされたのは、それから二か月ほどが経った時だった。学校に行かずに部屋に引きこもり、友達のお見舞いも断り続けていた姉の状態について、弟である僕にはきちんと話しておこうと考えたのだろうか。
寒さが皮膚を通って心まで浸透してくるような、十二月の夜だった。
「勇輝、お姉ちゃんはね、来月……星になるのよ」
「え、どういうこと?」
母は、星化症について慎重に言葉を選びながら、僕に教えてくれた。
人間の皮膚の一部が石のように固くなって、それが少しずつ拡がっていく。硬化した箇所は、夜になると星のように淡く発光する。発症から三か月ほどで硬化は全身に拡がり、最後は流星のような光となって空に昇る。光が消えた後、その人の体だったものは、一つの岩の塊、〝星塚〟となって残る。
昔から地域に限らず稀に発症していた病気の一種だけれど、感染性はない。今の医療技術では、治療方法も、延命手段も、発見されていない。
「お姉ちゃんに、会いたい?」
優しい声で問われ、僕は迷うことなくうなずいた。
母と二人で姉の部屋に入ると、姉はベッドの上に横になっていた。部屋の明かりは薄暗く、顔まで隠すように布団を被っていて、そうしていると星化症なんてものにかかっているようには見えず、ただ穏やかに眠っているだけみたいだ。
母が声をかける。
「美樹、勇輝とお話し、できる?」
「……やだ」
「この先、どうなるか分からないから、今のうちに。……ね?」
答えがないのは、了承の代わりなのだろうか。母は姉の顔を覆う布団をそっと持ち上げていく。
姉の姿を見て、僕は息を呑んだ。叫びそうになるのをなんとか堪えた。
顔は、最後に見た時よりも少しやつれているけれど、記憶の中と変わらない、綺麗に整った姉の顔だ。
けれど、パジャマの襟元から出る首周りの皮膚が、微かに光を放っている。真夜中の星が地表に落とす光みたいに、弱々しいけれど静かに澄んだ、白く優しい輝き。
それは、二か月前には背中の一部だけだった硬化が、首周りまで拡がっている、ということだった。
友達のお見舞いも断り、姉が部屋から出ようとしないのは、誰にも会いたくないからだと、ずっと思っていた。もしかしたら部屋に閉じこもるようになってしばらくの間はそうだったのかもしれない。でも今は、もうこのベッドから出ることもできなくなっているのだと、僕は気付いた。
「……姉ちゃん」
「お母さんから聞いたんでしょ? お姉ちゃん、もうすぐ星になるから、もう、勇輝と遊んであげられない。ごめんね」
僕はぶんぶんと首を横に振る。謝ることなんて何もない。
「あーあ、やりたいこと、いっぱいあったのにな。行ってみたい場所もあるし、読みかけのマンガの結末も気になるし、またあのお店のクレープ食べたいし、友達と笑いたいし、思いっきり走りたいし、学校に……好きな人だって……いるのに」
言いながら姉は顔をくしゃくしゃに歪ませ、ぽろぽろと涙を流した。それを見て、鼻の奥がつんと痛くなり、視界が滲む。でも、僕が泣いちゃダメだ。一番つらいのは、姉ちゃんなんだから。
姉は泣きながら続けた。
「私がやれなかったこと、勇輝はいっぱいやってね。勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり、お母さんに親孝行したり……私の代わりに、いっぱい、やってね」
僕は「うん、うん」と何度もうなずいた。うなずくことしか、できなかった。
居間で本を読んでいる時、「背中の感触が変だからちょっと見てほしい」と姉に言われた。シャツを捲り上げると、それはすぐに目に入った。
水着の日焼け跡が残る小麦色の滑らかな背中に、肩甲骨が二つの小さな山を作っている。その中央辺りに、直径十センチほどの歪な円形で、灰色に変色している箇所があった。恐る恐る指で触れてみると、人間の皮膚とは明らかに違う感触。固くて、温もりはなく、無機質で、まるで、そう、石のような――
夕飯を作っていた母を呼んで見てもらうと、青ざめた顔で姉を病院に連れていった。その様子から、姉の身にただならぬことが起きているのだろうかと、一人で留守番する僕も不安に駆られていた。
二人は一時間ほどで帰ってきたけれど消沈しきった様子で、僕の質問にも答えずに姉は自分の部屋に閉じこもった。母も頭を抱えるだけで教えてくれず、結局その日は冷たくなった夕食を一人で食べた。
姉が〝星化症〟と呼ばれる病気に罹患していると母から知らされたのは、それから二か月ほどが経った時だった。学校に行かずに部屋に引きこもり、友達のお見舞いも断り続けていた姉の状態について、弟である僕にはきちんと話しておこうと考えたのだろうか。
寒さが皮膚を通って心まで浸透してくるような、十二月の夜だった。
「勇輝、お姉ちゃんはね、来月……星になるのよ」
「え、どういうこと?」
母は、星化症について慎重に言葉を選びながら、僕に教えてくれた。
人間の皮膚の一部が石のように固くなって、それが少しずつ拡がっていく。硬化した箇所は、夜になると星のように淡く発光する。発症から三か月ほどで硬化は全身に拡がり、最後は流星のような光となって空に昇る。光が消えた後、その人の体だったものは、一つの岩の塊、〝星塚〟となって残る。
昔から地域に限らず稀に発症していた病気の一種だけれど、感染性はない。今の医療技術では、治療方法も、延命手段も、発見されていない。
「お姉ちゃんに、会いたい?」
優しい声で問われ、僕は迷うことなくうなずいた。
母と二人で姉の部屋に入ると、姉はベッドの上に横になっていた。部屋の明かりは薄暗く、顔まで隠すように布団を被っていて、そうしていると星化症なんてものにかかっているようには見えず、ただ穏やかに眠っているだけみたいだ。
母が声をかける。
「美樹、勇輝とお話し、できる?」
「……やだ」
「この先、どうなるか分からないから、今のうちに。……ね?」
答えがないのは、了承の代わりなのだろうか。母は姉の顔を覆う布団をそっと持ち上げていく。
姉の姿を見て、僕は息を呑んだ。叫びそうになるのをなんとか堪えた。
顔は、最後に見た時よりも少しやつれているけれど、記憶の中と変わらない、綺麗に整った姉の顔だ。
けれど、パジャマの襟元から出る首周りの皮膚が、微かに光を放っている。真夜中の星が地表に落とす光みたいに、弱々しいけれど静かに澄んだ、白く優しい輝き。
それは、二か月前には背中の一部だけだった硬化が、首周りまで拡がっている、ということだった。
友達のお見舞いも断り、姉が部屋から出ようとしないのは、誰にも会いたくないからだと、ずっと思っていた。もしかしたら部屋に閉じこもるようになってしばらくの間はそうだったのかもしれない。でも今は、もうこのベッドから出ることもできなくなっているのだと、僕は気付いた。
「……姉ちゃん」
「お母さんから聞いたんでしょ? お姉ちゃん、もうすぐ星になるから、もう、勇輝と遊んであげられない。ごめんね」
僕はぶんぶんと首を横に振る。謝ることなんて何もない。
「あーあ、やりたいこと、いっぱいあったのにな。行ってみたい場所もあるし、読みかけのマンガの結末も気になるし、またあのお店のクレープ食べたいし、友達と笑いたいし、思いっきり走りたいし、学校に……好きな人だって……いるのに」
言いながら姉は顔をくしゃくしゃに歪ませ、ぽろぽろと涙を流した。それを見て、鼻の奥がつんと痛くなり、視界が滲む。でも、僕が泣いちゃダメだ。一番つらいのは、姉ちゃんなんだから。
姉は泣きながら続けた。
「私がやれなかったこと、勇輝はいっぱいやってね。勉強したり、部活したり、友達と遊んだり、誰かと恋をしたり、お母さんに親孝行したり……私の代わりに、いっぱい、やってね」
僕は「うん、うん」と何度もうなずいた。うなずくことしか、できなかった。
