女は悲鳴を上げた。
 私を背後から襲った男は、狂ったように私に対する呪いの言葉を叫び続けながら、ナイフを振り下ろし続けた。
「畜生! この屑が! 俺の妻を!」
 私は背後から刺されていた。

 相手は女の夫で、彼女を尾行して来ていたのだろう。海老のように背を反らしながら悶絶する私を、男はさらに罵倒し続け、そして私の背を文字通り滅多刺しにしたのだ。

「どうして……っ、どうしてこんな屑に……俺の妻が……!」
 どうして?
 そんな事は私が知りたい。私のような人間の欠陥品に、どうして神は、これほどの物々を与えたもうていたのか。
 どうしてあれほどの女たちが私に群がっていたのか。
 どうして?

 私は確かに疑問に思っていた。
 ただし、己が死のうとしていることに対しての疑問は、ただの一度も浮かんでこなかった。
 私は紛いのない阿呆であったが、刺し殺されても文句は言えない屑男だと、その程度の理解はあったのだ。ただ、刺されるという肉体的な痛みだけが苦しく──それでいて、生に対する未練は微塵も浮かばない。

 楽になる時がきたとさえ……思っていた。
 女は悲鳴を上げ続けていたが、私を庇おうとはしなかった。つまり、しょせん私は、その程度の男だったというわけだ。


 地面に倒れたとき、見えたのは、建物の隙間からのぞく細い夜空の断片だった。

 月が見えた。
 私は血だらけで、虫の息で、ぼろきれのようにだらしなく、コンクリートの上に投げ出されていた。
 しかし月が見えた。

 夏の夜、月が、輝いていた。