そのまま冬は過ぎて、春になった。

 当初、わずかではあるが見込まれていた私の目覚めは、結局この頃になっても起こらなかった。
 私は相変わらず眠り続け、エリーは相変わらず私の元を訪ね続け、クラークソンはそんなエリーを励まし続けていた。

 そして、気が付けば春は終わり、灼熱の夏が始まっていた。

 エリーは高校を卒業し、希望していたカレッジに入学して、文学を学んでいる。彼女の夢は作家だという。
 こんなことも、私は、植物人間になって初めて知ったのだ。


 私が植物人間となってから一年が経つと、さすがのエリーも、少しずつではあるが、希望を失いはじめていった……。
 私の枕元で泣くことが多くなった。

「目を覚まして……ウィル、お願いだから……もう、負けてしまいそうで怖いの……」

 エリーはいまだクラークソンを男として受け入れていなかった。
 しかし、根強いクラークソンの求愛に、彼女が一種の救いを見出してもいるのも確かだった。

 滑り止めといってしまえば言葉は悪いが、事実、エリーが悲しみに崩れ落ちたとき、彼女を本当に支えてやれるのはクラークソンの方だったのだから、当然ともいえる。
 ──私ではなく。


 ある真夜中のことだ。
 季節はいつだったか、何年目だったか覚えていない。一年を過ぎたころ、私は年月の節目を数えることを放棄していたからだ。

 クラークソンが私の枕元へ来た。
 そしてしばらくの間、この医師は私の顔をまじまじと見つめ続けた後、顔を歪め、ゆっくりと瞳に涙を溜めていった。

「どうしてお前なんだ……なにも出来ないくせに……」
 固く拳を握りながら、クラークソンは低い声で言った。

「彼女が、お前を守るためにどれだけ努力をしているのか、知っているのか? 人妻に手を出して刺された、最低な男であるお前をだ……。おい、聞こえているんだろう?」

 私は答えなかった。

「返事くらいしろよ! 僕は、お前のようなぼろ布に負けなければならないのか!」

 私は答えなかった。

「もう……もう、いいだろう……なぁ、エリーを開放してくれ。彼女は素晴らしい女性だ。幸せになる資格があるんだよ……」

 薄暗い病室の中、クラークソンの抑えた嗚咽が漏れた。
 私は、答えなかった。



 それから何日か、何週間かが過ぎたころ、エリーが私の耳元に小さな告白をした。

「ウィル……私は、駄目な子ね」
 疲れた顔をして、僅かな自嘲の笑みを見せながら。

 エリーは真面目で慎み深かったが、自身を嘲るようなタイプではなかったから、私の心は痛んだ。しかし、そうだ……クラークソンの言うとおり、私には何も出来ない。

「本当はね、私、心のどこかで、貴方が目覚めなければいいと思っているの……。今のウィルは私だけのものだけど、目を覚ましたら、また綺麗な女の人たちのところへ行ってしまうって、分かっているから……」

 そう言って、エリーは私の頬に触れ、慈しむように肌を撫でた後、涙を零した。

「ごめんね……」



 ついに私は、汚いぼろ切れどころか、不幸の病原となったのだ。

 私の命は二人の人間の幸せを邪魔し、財産を切り崩し、病院の一角に生かすことも殺すこともできない邪魔者として横たわっている。

 私は死ぬことさえ出来なかった。
 ──生きることも出来ないくせに。

 私は、医師や看護士の手がなければ排泄の始末さえ出来ない身でありながら、クラークソンの恋路を塞いでいた。私はエリーを泣かせていた。私は何も出来なかった。何も。

 苦しみは永遠に思えた。
 この冬があけることはないのだと、この氷河が溶けることはないのだと、いつしか諦めはじめていた。

 それでも私には夢があった。
 ──ある朝、私は何事もなかったかのように目を覚まし、周囲を驚嘆させて、エリーの瞳を喜びの涙で濡らす……そんな夢が。

『私はエリーに触れ、彼女に愛を告白し、すべては過去のものとなるだろう』

 私と彼女は結ばれ、どこか郊外に美しい家を建てて、週末は青い芝生の上で駆け回る子供たちを眺めながら、お互いの肩を抱き合う。
 私は、多分、家からそう遠くないところに、スポーツ用品店でもはじめるだろうか……。

 私が帰ると、エリーは私を待っていて、両手を広げて迎えてくれる。


 エリー、エリー、エリー。

 私には夢があった──叶わない夢が。