「私が初めてウィルに出会ったのは、まだ小さい頃ね。でもよく覚えているわ……貴方はあの頃からとってもハンサムで、すぐに私の王子様になったの……」

 確かに、もっとずっと若い頃の私は、もう少しまともな兄だったかもしれない。
 こんな私ではあるが、無垢な少年時代もあったという訳だ。

「勉強が出来て、テニスも得意で、背が高くて、勇敢で。男の子にからかわれて泣いていた私を助けてくれたこともあったわね。大きな喧嘩をして先生に怒られて、大変だったわ」

 そんなことが?
 正直なところ、私はそれを覚えていない。しかしエリーは嘘を吐いているわけでも、空想を並べているわけでもなさそうだった。
 彼女の瞳はまっすぐ私の顔を据えている。

「でも、義父さんとお母さんが亡くなって……貴方はたった一人で、沢山のお金と、大きなお屋敷と、さえない義妹を守らなくちゃいけなくなったんだわ」

 そう、ふざけた事故で両親が亡くなったころ、私はまだ未成年だった。

 成人するまでという期限付きの弁護士後継人がいたが、この人物はあくまで事務的で、私は実質上たった一人で、魑魅魍魎の跋扈する上流社会を渡り歩くこととなったのだ。

「そのころから急に……ウィルは冷たい人になったわ。ううん、冷たくならなくちゃいけなかったの。自己防衛として。私たちを守るために。貴方自身の心を守るために」

 そう、だったの、だろうか。
 よく覚えていない。

 しかし、よくよく思い出そうとすると、私にはその当時の記憶がほとんど抜けているのだ。ぽっかりと記憶に穴を空けたように、存在しない……。
 もしくは氷河の中に埋まり、凍結してしまったように、見えない。

「テニスに熱中しはじめたのも、その頃ね」
 確かに。
「よく皆が言っていたわ。貴方のプレイは憑かれたようだ、って。プレイをしている時、貴方は貴方だけの世界をまわりに築く……って。褒める人もいたけど、私はそれを聞く度に怖くなった。貴方が、何かから逃げるためにラケットを振り続けているように見えて……いつか、本当にどこか、手の届かない世界へ行ってしまいそうで」

 エリーの表情は、しだいに曇っていった。
 その曇りは、雨を降らす。エリーの瞳から涙が溢れるのを、私は見た。

「行かないで……ウィル、お願いだから……行ってしまわないで……」