アラームが鳴るよりも先に目が覚めた。布団の中で二度寝を試みたが、一度覚めてしまった目は再び眠りにつくのは難しい様で諦めて起きることにした。
 
 とうとう今日が来てしまったーーーー。

 そんなことを考えながら乱れた寝具を整えてゆっくりと出かける準備をしていく。
  

**

『今度結婚することになった』

 久しぶりに会った長年の想い人からの突然の結婚報告により、最近私は大失恋を経験した。
 正直かなりショックだった。いや、だいぶショックだった。
 しかし、祝いの席で泣くものかとなんとかその場では踏ん張り、泣くのは家に帰ってからと決めていた。一人になってから泣いてしまうのだろうと思っていたけれど、意外にも頭は冷静な様で一人になっても涙は出なかった。
 
 押し寄せてきたのは長年の片想いと初恋が終わった「悲しさ」ではなく、あの時好きだと伝えていたらどうだったのだろうという「後悔」だった。
 答えのない問題を一人でずっと考えていた夜、一本の電話が鳴った。電話の声はさっきまで思い出話を募らせて一緒に笑い合っていた相手だった。
 話の内容から酔っ払って私を冷やかしているかと思い電話を切ろうとした時、さっきまで私をからかっていた声が急に優しく聞こえた。
 声だって話し方だってさっきと何も変わっていないのにーーーー。

 そして衝撃の事実を知る。

 どうやら電話の声の主は私の長年の片想いに気付いていたらしい。私だけの秘密だと思っていたはずなのに、知らないうちにいつも隣にいる人にバレていたことに驚き、同時に鏡なんて見てないのに自分の顔が今日一赤くなることが分かった。

 ーーーーしかし、それもまたすぐに更新されるなんて思ってもいなかった。

『……ずっと好きだった。星来の一番になりたい』

 ストレートに想いを伝えられ、自分の顔が耳まで真っ赤になっていることが分かった。
 
 顔が熱い。きっとこれはお酒のせいだ。

 そう思いたかった。

 私が話す間もなく電話が切られ、また一人の夜に戻る。
 一番身近にいたはずなのにずっと気が付かなかった照明の想いを、私は初めて知った。
 彼は今までどんな想いで私と太陽と一緒にいたなのだろうかーーーー。

 私はこの日、大失恋と告白の一大イベントを同時に経験した。




 そして今日、照明と二人で出かける。太陽の結婚祝いを買いに行くのだ。照明と二人で出かけることなんて今まで何回も合った。だから別に気を張る必要なんてない。

 いつも通りにしていればいい。
 いつも通り過ごせばいい。

 
 そう自分に言い聞かせる。分かっている。頭では分かっているが、いろんなことを考えてしまう。今日は今までと状況が違うのだ。

 照明はずっと前からーー私が太陽を好きになったタイミングから私の長年の片想いに気づいており、そのことを私は最近知った。それだけでも気まずいのに、照明が私のことを好きだということに気付かずに一緒に過ごしていたのだ。
 その想いを知ってしまったからこそ、どんな顔をして会えばいいか分からずあわせる顔がない。

 太陽の結婚祝いを買いに行く約束はもともとしていたため、重い腰を上げクローゼットを開ける。
 左から順に何を着ようかとハンガーを動かしていくが、なかなか決まらない。

 いつもならすぐに決まるはずなのに。

 動きやすいようにと、お気に入りのワイドデニムと白いTシャツを一度手に取ったが、再びクローゼットに戻した。

 あまりにもラフ過ぎる? そう思ったからだ。

 今度は最近買った水色のワンピースに手を伸ばして、すぐに手を戻した。

 気合入れすぎって思われるかな? 今度はそう思った。
 
 そんなことを考えながら服を選んでいるのでなかなか決まらず時間だけが過ぎていく。
 これでは埒があかないと思い、結局ラフになり過ぎず決まり過ぎない去年買ったモカ色のジャケットとパンツのセットアップに決めた。
 服を選ぶのに時間がかかり過ぎたため、急いで前髪をヘアクリップで止めてメイクに取り掛かる。
 テレビを時計代わりにしながら日焼け止め、下地、コンシーラー、ファンデーション……とベースメイクを進めていく。

 アイメイクに取り掛かる頃、占いコーナーが始まった。いつもなら気にしていない占いを今日は自然と見てしまう。
 今日の運勢が二位から十一位まで順番に発表されたが、私の星座はまだ発表されていない。残すの一位と十二位……つまり最下位のみだ。

「ごめんなさーい。今日最下位なのは山羊座のあなた! 予想外のハプニングに見舞われるので注意してください」

 どうやら今日の私の運勢は最下位らしい。占いはあくまで占いで信じているわけではないが、何となく今日はショックだった。
 
「ラッキーアイテムは絆創膏! 自分の心に素直になってみて!」

 ラッキーアイテムを紹介され、絆創膏なら家にあるし持ち歩けるからと気休め程度にポーチに入れ時間を確認するともう家を出なければならない時間になっていた。

「うわ、やば! なんでこんな時間経ってるの!?」

 慌てて鞄の中に財布とスマホ、家の鍵を投げ入れていく。普段は見ない占いに気を取られ時間を完全に確認していなかった。今日のセットアップに合う焦茶色のローファーを履き、駅まで走って向かった。





 駅に着くといつもより人が多く混雑していた。どうしてこんなに人がいるのだろうと思っているとすぐに理由が分かった。

「ただいま踏切の信号トラブルにより電車が遅れております。皆様にはご迷惑おかけしてしまい、大変申し訳ございません」

 駅構内にアナウンスが流れた。どうやら電車が遅延している様だ。待ち合わせに余裕をもった電車の予定だったし、すぐに復旧するだろうと思い再開するのを待つことにした。

 電車の再開を待つことにしたーーーーが、なかなか再開のアナウンスが流れない。駅の時計で時間を確認しながら、待ち合わせ時間に間に合わない時間に差し掛かりそうだったため、照明に電話をかけることにした。

 移動中かなと思いながら照明が電話に出るのを待っていると、プルル、プルル、プルルと三コール目で照明は電話に出た。

「もしもし、星来? どうした?」
「照明ごめん、電車が止まってて待ち合わせ時間過ぎーーーー」

 途中まで言い掛けて電話が切れた。電波が悪い? なんて考えながらもう一度電話をかけようとするが、スマホの画面は真っ暗で電源ボタンを押してもつかなかった。
 いきなり壊れた? なんて思いながら色々試してみるが、やはり画面はつかなかった。

「もしかしてバッテリー切れ? いや、ちゃんと充電してたはずなんだけど。コードがちゃんと刺さってなかったとか……?」

 思い当たることといえばそれしかない。でもバッテリー切れなら充電すればいいだけだ。鞄の中からモバイルバッテリーを探すが見つからない。いつも入っているはずなのに。
 違う。スマホと一緒に今日充電していて、出かける前にバタバタして鞄に入れるのを忘れたんだ。
 状況を理解して鞄の中を再度確認すると、入っていたのは財布と家の鍵、それとバッテリー切れのスマホ、ICカードのみだった。
 電車は遅延しているし、スマホのバッテリーはないし、おまけにラッキーアイテムの絆創膏を入れたポーチも忘れていた。出かけてまだ一時間も経っていないのにこれだけ不運が続くなんて、占い最下位は本当らしい。思わずため息が漏れる。
 
 いや、それよりも連絡が取れないまま照明を待たせている方がまずい。待ち合わせに間に合わないことは多分伝わった……照明のことだから察してくれたと思うが、私がいつ着くが分からない。きっとすれ違うと悪いと思って、照明は待ち合わせ場所でずっと待っているはずだ。

 移動手段も連絡手段も断たれてしまったため、私はただ早く電車が再開するのを願った。


 やっと電車が再開し最寄駅に着いた途端、私は走って照明との待ち合わせ場所に向かった。思ったより再開まで時間がかかってしまった。この時点ですでに待ち合わせ時間から一時間遅れている。

 スマホをいじりながら待ち合わせ場所に照明が立っていた。背が高いからすぐに分かった。

「照明ごめん! 遅れて。電車が信号で、バッテリーが……」

 走りにくいローファーで走り、そもそも全速力で走るなんて久しぶりだったこともあり、息が切れ言葉が続かない。それに慌てて言っているから文章も意味不明で、自分でも何を言っているか分からなかった。

「大丈夫。それよりも息整えな? ほれ、深呼吸」

 私の乱れた髪を整えながら照明が言った。深呼吸をして私の息が整うと照明は穏やかに笑った。
 いつもと変わらない。照明は面倒見が良い。

「お母さんみたいだね」
「手のかかる娘がいると大変だわ」

 二人でふざけて笑い合う。この感じが落ち着くし、心地良い。

「ごめんね、遅れて。待ったよね?」

 両手を顔の前で合わせて改めて照明に謝るが、照明は何とも思っていない様できょとんとした顔をしていた。

「別にいいよ。俺、待つの嫌いじゃないし。あ、でも電話が急に切れたのは驚いた」
「スマホのバッテリーが切れて……」
「だと思った。掛け直しても繋がらないからさ」
「本当にごめーー」
 
 私が言い終わる前に照明が私の手を引いてショッピングモールに連れて行く。

「ほら、行くよ。せっかくお祝い買いに行くのに謝ってばっかじゃ嫌だ」
「でも……」
「じゃあ飯奢って。それでチャラ」
「今日その予定じゃん! この間のタクシー代のお返しで」
「別にそんな気にしなくて良いのに。そしたらデザート付けて。それでいいよ。ほら行くよ」

 照明に手を引かれショッピングモールに入った。






 二人でショッピングモール内を片っ端から周り、太陽の結婚祝いを探したが、なかなか決まらない。
 素敵な物はたくさんあった。でも、ピンと来る物が見つからなかった。もちろん結婚祝いということもある。
 
 でもそれ以上に、贈る相手が太陽ということもあり私たちは妥協したくなかったのだ。

 あっちに行ったりこっちに行ったりと、とにかく歩き回った。次第に、両足の踵がズキズキと痛み始める。今日の服装に合うようにと履いてきたローファーでいつの間にか靴擦れを起こしていたのだ。いや、気づいていなかっただけで、もっと早くから靴擦れを起こしていたのかもしれない。予定外にローファーで全力疾走をした影響も少なからずあるだろう。我慢できない痛みではないが、じわじわと痛みが広がっていく。歩いていると踵の痛みが気になってくる。
 
「ーーーーら。星来!」

 大きな声で名前を呼ばれ驚いて照明を見る。

「大丈夫? 声かけても返事ないし」
「ごめん! ちょっと考え事してた……」
「ならいいけど。ちょっとこの店入ってみようか」

 照明はずっと私に話しかけていた様だが、靴擦れの痛みに注意が向き私は気づいていなかった。照明が指をさした店に二人で入った。

 店内に私達以外の客はおらず落ち着いていた。食器やバスグッズといったギフト物が多く、結婚祝いを買うにはもってこいの店だった。何か良さそうなものをと照明と別れて探していると、反対側から照明が私を呼ぶ声がした。

「これなんてどう?」

 呼ばれた方に向かうと、満足そうに笑う照明と四角い白色の木箱の中に入っている時計があった。

「お祝いにしてはシンプルすぎない?」

 率直な感想を伝えた。
 時計自体はいいと思う。ただ、飾りも模様もなく良くも悪くもシンプルな時計だった。お祝いにしては寂しい気がする。

「時計が入っている木箱の中に花を入れて完成させるんだって。俺達で作る一点物にできるらしいよ。それにサービスでメッセージも入れれるらしいんだけどどう?」

 よく見ると時計の隣の棚にたくさんのプリザーブドフラワーと、この様にプレゼントとして作成できると張り紙があった。

「それならいいかも!」

 買うのではなく自分達で作る。その発想はなかった。でも、これならば私達らしい物が送れる。
 私が返事をするとすぐに照明は店員を呼んで来て、作り方の説明を二人で聞く。

「この中からお好きなお花を選んで時計が見える様に入れていってください。入れたお花の分だけ追加で料金をいただく形になっています」

 説明を聞いてから二人で相談しながら花を選び、配置を決めていく。様々な形、色、大きさの花を選び、一度木箱の中に入れては納得いかず何度も入れ直し、花を選び直していく。なかなか納得がいく仕上がりにならず、二人で意見を出しながら一生懸命考えて作った。

「できた!」

 何度も何度も修正してやっと納得がいく物ができた。二人で完成した時には思わず声が出た。あとは太陽達の名前と祝福のメッセージを入れてもらうだけだ。照明が店員を呼びに行く。

「納得がいく物ができましたか? 一生懸命作られていましたね」
「そうなんですよ。なかなか上手くいかなくて」

 にこにこと笑いながら同年代の女性の店員が照明と歩いて来る。

「彼女さんもいろいろアイディア出してましたね」
「へ?」

 彼女? どうやらこの店員は私と照明が付き合っていると思っているらしい。

「いや、彼女じゃなくて! まだ付き合ってなくて! まだっていうか……えと、俺が片想いしてるだけというか。つまり付き合ってないんです!」

 照明が顔を真っ赤にしてあたふたと私との関係を修正した。絶対に片想いの相手なんて伝えなくてよかったと思う……。こんなに焦ってる照明を初めて見た。

「やだごめんなさい! よく記念日や同棲、結婚前に作られる方が多いもので……」

 店員が慌てて謝る。

「大丈夫ですよ。これ友人への結婚祝いですし」

 なんとなく気まずい空気が流れる中、必要書類を書いて受け取り日時を確認し店を後にした。

 店の外に出ても照明の顔はまだ赤かった。

「照明でも焦る時あるんだね」

 あんな姿を初めて見たため、何気なく言葉が出た。その言葉を聞いて、照明は真っ赤な顔で私の方を向いた。


「俺をなんだと思ってるんだ。……それに、今までと状況が違うし」 

 急に照明が立ち止まった。遅れて私も立ち止まる。

「星来が今日来ないんじゃないかってずっと不安だったんだ……」

 目線を逸らして恥ずかしそうに照明が言った。

「なんで? 約束してたからちゃんと行くよ。あ、連絡とれなくて不安だったとか? それは本当にごめん」

 私が改めて謝ると照明は呆れた顔で私を見た。

「……そうじゃなくて。いや、連絡とれなくなったのは不安だったけど。それよりも、あんな形で……勢いでその、告白しちゃったから嫌われたんじゃないかっておもーーーー」
「嫌いになんかならないよ!」

 照明が言い終わる前に私の声が被さった。

 嫌いになんてならない。嫌いになんかなれないよ。照明は私にとって大切な親友なんだから。

 確かに今日会うのは少しだけ気まずく思っていた。でも、嫌いやもう会いたくないなんて思うことはない。それは今もこれからもずっと変わらない。

「今も昔も私は照明のこと大切に思ってるしこれからも大切にしたいと思ってるよ。そんな悲しいこと言わなーーーー」

 私が想いをぶつけていると、ぐうとお腹の音が鳴った。その音に呆気に取られて何を言おうか忘れてしまい言葉が出てこない。お互い何も言わない静かな時間が流れる。

「あははは! このタイミングで普通鳴る?」

 先に沈黙を破ったのは照明だった。子供の様に声を出しながら大爆笑している。一瞬置いていかれたが、すぐに私も大声で笑った。釣られて笑ったということもあるけど、さっきまで真剣な話をしていたのに空気が読めない私のお腹が面白くてつい笑ってしまった。

「昼飯まだだもんな。食べ行こうか? 今日は星来の奢りなんでしょ?」
「うん。何食べたい?」
「食べさせてもらえるならなんでも」
「またお母さんみたいなこと言ってる」

 さっきまでの雰囲気とはがらりと変わり、私達はいつもの様にふざけ合いながら飲食店がある階に向かって歩いた。




 奢ってくれる人の財布の紐に任せると言われ、結局私が食べたかったイタリアンの店に入ることにした。十四時近かったせいもあり、店内は空いていた。

「ギリギリまだランチ間に合いそうじゃん。何にする?」

 一つしかないメニュー表を私が見えやすい様に照明が開く。

「照明メニュー見えるの?」
「俺はもう決まったから」
「早くない? メニュー表開いたばっかなのに」
「当ててみて」

 悪戯そうに照明が笑う。でも大体何を頼むか察しがつく。

「オムライス」
「正解。分かってるじゃん」

 照明が目を細めながら笑う。昔から変わらない。照明は大体イタリアンの店に入るとオムライスを頼む。それもデミグラスなどではなく、一般的なケチャップのオムライスを。

「昔から好きだよねオムライス」
「まぁね」
「他の人と行ってもオムライスなの?」
「いや、パスタとかを頼むよ。星来と太陽と一緒に行く時だけだよ。オムライス頼むの」
「なんで?」
「子供っぽいって思われたくないから」

 思ったよりどうでもいい理由だった。

「見栄を張りたいんだよ見栄を」

 私の心を読み取ったかの様に照明は言った。

「私達の時は見栄張らなくていいんだ?」
「お前らといる時の俺は自然体なんで。星来が決まったら注文してて。ちょっとトイレ行ってくる」

 鞄を持って照明が立ち上がる。

「鞄置いてけば? 私座ってるし」
「ん? まぁ、そうなんだけどさ。メイク直しとかあるし」
「照明いっつもすっぴんでしょ?」
「バレた?」

 くだらないやり取りをしてから照明は笑いながらトイレに行った。何にしようかとメニュー表を見ていると、聞くつもりはなかったが数メートル離れているテーブルに座っている女性客の声が聞こえた。

「やっぱ今の人かっこいいでしょ?」
「うん。やっと顔見えて分かった」

 二人の女性客は照明の容姿の話をしている様だった。ずっと一緒にいるからなんとも思わなかったが、照明は容姿が整っている。それは今も昔も変わらない。クラスの中心にいるタイプではなかったが、昔からその整った容姿と気配りができて落ち着いた雰囲気がいいとかで女子達に人気があった。

 だからこそ、なんでそんな人が私のことなんかを想ってくれるのだろう。そう思ってしまう。

 もっと可愛くて性格が良くて照明と釣り合う子がいるだろう。正直言って、私には勿体無いくらいの人だ。
 心の中が雲がかかったかの様にもやもやする。料理の詳細が書かれて写真も付いているのに内容が頭に入ってこない。ペラペラと何度もページを行ったり来たりしていた。

「あれ? まだ決まってなかった?」

 頭の上から声がした。よく知ってる声だ。顔を上げて見上げると照明だった。私が体感しているよりもだいぶ時間が過ぎていた様だ。

「今頼もうとしてたとこ」と言いながら呼び鈴を押して店員を呼んだ。何にするか決めていなかったが、適当に目に入ったパスタと照明のオムライスを注文した。

 改めて正面にいる照明をまじまじと見つめる。
 見た目も良くて、性格も優しくて、気遣いができて、おまけに仕事も優秀で収入もいい。ひとことで言うと完璧な人だった。少女漫画に出てくる様な人だ。

「どうしたの? あんま見られると照れるんだけど……」

 照明は私の視線に気付いて少し困った顔をしていた。

「いやぁ、照明って完璧な人だなって思ってさ」
「完璧な人?」

 不思議そうに照明が私に聞き返す。
 自分が完璧だとこの人は気づいていない様だ。

「うん。だって見た目もいいし、優しいし、仕事だってなんでもできるじゃん? 悔しいけど」

 私に予想外のことを言われたのか、照明はぽかんと口を開けて口元までコップを持っていった手が止まった。視線を上にずらして何か考えてからコップに入った水を一口飲んで静かにテーブルに置いた。

「俺は完璧なんかじゃないよ」と言ってから続けて小さく何か言った。聞き返そうとした時、頼んでいた料理が届き遮られてしまった。

「冷めないうちに食べよう」

 私にフォークとスプーンを渡しながら照明が言い、私は聞き返すタイミングを失った。
 聞き返すことはできなかったが、さっき照明がなんて言っていたか私には聞こえていた。

 臆病なやつなんだ。

 照明はさっきそう言っていた。





 適当にデザートを食べ会計をしようと伝票を手に取ると、正面から引き抜かれた。

「デザートありでこの値段だと安いね」
「そうだね。払ってくるから先店出てて」

 引き抜かれ伝票を返してもらおうと手を伸ばしたが、そんな私の手を華麗にスルーして照明は立ち上がった。

「ちょっと、伝票返してよ。会計できないじゃん」
「俺払ってくから先出てて」

 出口を指さしながら照明が言った。
 流石にそんなわけにはいかない。だって今日は私の奢りの約束だったから。
 この間のーーーー太陽が結婚発表した日のタクシー代を払ってもらったお返しだ。
 伝票を取り戻そうと手を伸ばすが届かない。バタバタと背伸びをしながら手を伸ばす私を華麗に交わして照明はレジに向かった。慌てて追いかけようとするが、鞄の肩掛けがテーブルの角に引っかかり盛大に鞄をひっくり返した。すぐ拾おうにも運悪く完全に肩掛けが引っかかってしまいなかなか外れない。

 もう! なんでこんなに今日はついてないの!

 怒ったところで誰も答えてなんてくれない。

「……何してんの? ほら行くよ」

 呆れた顔をしながら照明が私のことを見た。いつの間にか会計を済ませ、テーブルの横にしゃがみながら引っかかった肩掛けを外す。私の手ではなかなか外れなかったのが嘘かの様に、照明の手では簡単に外れた。呆気に取られて思わず照明の顔を見る。

「星来は焦りすぎなんだよ。落ち着けばちゃんとできるのにさ」

 私の鞄を持って照明は店の外に出た。私も置いていかれない様に後をついて行く。

「はい。気をつけて持って」
「……ありがとう」

 手渡された鞄を受け取る。また照明に借りができてしまった。改めて本当になんでもできる人なんだと思った。

「あ! お金! いくらだった?」

 忘れてはいけない。今日は私の奢りの約束だ。

「いいよ別に。俺の方が稼いでるし」

 事実であるからぐうの音も出ない。

「……それにあれは口実だったんだ」
「口実?」
「星来ともう少し一緒にいる口実。二件目に誘う勇気がなくて次会えるか分かんなかったから」

 恥ずかしそうに照明が言った。

 ずっと気になっていた。
 照明は私のどこが好きなんだろう。

「照明は私のこといつから好きだったの?」
  
 突然の私の質問に「え?」と声を出して照明が驚く。

「えっと……」

 少し困った顔をしながら手を口元に持っていったり、手を組んだりと照明は落ち着かない。

「中一の夏。……一目惚れだった」

 私と目を合わせない様に照明は小さく呟いた。

「顔がタイプだったってこと?」

 目を合わせないまま照明が頷く。
 照明の見た目ならもっと可愛い子が似合うんじゃないかな……。
 
「俺、あんまり女子得意じゃなかったんだけど、気さくに話してくれたし星来は違った。一緒に過ごす時間がすごく短く感じた。それだけ俺が素でいられたんだ」

 中一の夏ってことは、私が太陽のことを好きになる前から私のことを好きだったっていうことだ。

「最初は確かに見た目だったかもしれない。でも、一緒に過ごしていくうちに笑った顔とか、見えないところで努力してたり、汚れ役をかってでたりしてるところに惹かれたんだと思う。星来のこと意識してたからこそ、太陽のことが好きになった瞬間が分かった。……だから俺は想いを伝えるつもりはなかったんだ。もし伝えたら三人でいられなくなるかもしれないって思ったから……」

 一通り話し終えると照明は恥ずかしそうに笑った。照明がそんな風に思っていたなんて知らなかった。なんでもできて完璧な人なのに、私のことを話す時に照れるため少し可愛いと思ってしまった。
 


「この後どうする? 天気もいいし散歩でも行く?」

 照れているのを隠す様に照明が言う。
 このショッピングモールを出てすぐのところに海がある。高校生の頃、よく三人で歩いた海だ。懐かしく思うのと、もうあの頃には戻れない寂しさを感じる。

 太陽に片想いしていたあの頃にはもう戻れない。
 今その場所を歩くことで、ある意味大失恋から吹っ切れる機会になるかもしれない。
「せっかくだから行こう」と答え、私達は外に出た。




 海に繋がる橋を渡っていると時間帯的に放課後の時間でもあるため、昔の私達の様に制服姿で歩いている高校生がちらほらといた。その姿を見てまた高校生の頃を思い出す。あの時が一番楽しかったのかもしれない。

「俺らもよくここ歩いたよね」
「同じこと思ってた。よくこのショッピングモールの中でアイス買ってさ、三人で食べながら歩いてたよね?」
「誰が奢るかじゃんけんで決めたりしたよね」
「ね! 大体私か太陽だったけど。照明じゃんけん強いよね」
「二人が弱いの。何出すか分かりやすかったし」
「え! 何出すか分かってたの?」
「うん」

 昔話をしながら橋を渡りきり海岸沿いを歩いていく。夕陽が海をオレンジ色に照らしていた。

「海に来るなんて久しぶり。大人になると来なくなるよね」
「まぁね。時間がないってのもあるし、泳がなくなるしね」
「まぁ、遊ぶ場所がなかったから海に行ってたってこともあるけど。今は働いてるとお金も免許もあるから車でどっか行っちゃうしーーーーいった!」

 急に踵が痛み出した。昼食で座って休憩していたこともあり、靴擦れをしていたことを完全に忘れていた。突然の私の大きな声で照明は体をビクッとさせ驚いていた。

「ほら、あそこ座ろう」

 照明が私の手を引いて一番近くにあったベンチに連れて行く。

「靴脱いで」

 私をベンチに座らせて、ごそごそと鞄の中からビニール袋を取り出した。

「慣れない靴履いて走ってくるから」

 照明が手際よく私の靴と靴下を脱がせる。靴下の踵部分には時間が経って固まった血と、新しく付いたであろうまだ乾いていない血の汚れがついていた。ビニール袋から消毒液を出してティッシュを濡らし、私の踵に押し当てた。

「いった!」

 傷口が沁みて思わず声が漏れた。

「消毒液なんていつも持ち歩いてるの?」
「そんなわけないだろう。なんか途中から歩き方変だったし、履き慣れてなそうな靴はいてたから多分靴擦れしてるんだろうなって思って、さっき買ってきたんだよ。ちゃんと痛いなら痛いって言いなさい」

 さっきっていつ? あ、あのイタリアンの店に入った時か! トイレに行くって言ってたあの時に買ってきてくれたんだ。

「なんで分かったの? 私そんな変な歩き方してた?」
「俺がどれだけ星来のこと見てきたと思うんだ。分かるよ」 

 照明が小さく笑った。昔から変わらない優しい笑顔だ。
 この人はどこまでいい人なんだろう。いい人すぎる。
 見た目も性格もよくて、仕事だってなんでもできる。
 完璧な人だ。
 そんな人が私のことを好きだと言ってくれた。

 ずっと一緒にいたから知っている。
 照明がどれだけ素敵な人か。

 とても光栄なはずなのに私はいい返事ができていない。どうしてなんだろう?

 自分に問いかけてみる。
 何に引っかかっているのか。  


 あの日の夜、私は大失恋を経験した。
 長年の初恋が突如終わったのだ。そんな私が一人で泣いているのではないかと照明は電話をくれ、私への想いを伝えてくれた。私は照明の想いに気付かず、照明は私の太陽への想いを知っていた。

 想いに気付いていなかったとしても、どれだけ私は照明に酷いことをしていたのだろうか。


 私が照明の想いに応えられないのは、今まで太陽のことが好きだったのに、失恋したから私のことを好きだと言ってくれている照明の方に行くという「罪悪感」があるからだ。

 私が今までなりたかったのは太陽の一番だった。

 それが叶わなくなったからといって、私のことをずっと一番に想ってくれていた照明の方に行くなんて都合が良すぎる。それにとても失礼なことだ。

 だから私は照明とは付き合えない。 

 もっと照明のことを一番に考える人と付き合うべきだ。 
 私では釣り合わない。

 照明への想いが込み上げてくる。

「……照明は照明のことを一番に想ってくれてる人と付き合うべきだよ」

 しゃがんで私の傷口を消毒している照明の顔を見て想いを伝えた。照明がゆっくり顔を上げて私を見た。一瞬驚いた表情をしたが、すぐに微笑みの表情に変わった。

「俺達似たもの同士なのかもね」
「え?」
「昔さ、俺も告られた時に同じことを相手に言ったんだよね。君を一番に想う人と付き合うべきだって」

 その相手を思い出しているのだろうか。照明は懐かしそうに優しく微笑んだ。

「きっと太陽のことがずっと好きだったのに、もう無理だから俺と付き合うなんて都合が良すぎるとかそんなこと考えてるんじゃない?」

 思わず黙り込む。図星をつかれ言葉が出ない。「あたり?」と言いながら照明は目を細めて笑い、ビニール袋から今度は絆創膏を取り出し丁寧に私の踵に貼る。

「そんなこと気にしなくていいのに」
 
 絆創膏を貼り終えたが照明は立ち上がらずしゃがんだままそう言った。

「星来の想いを聞かせて。俺のこと少しでもいいなって想ってたらチャンスをください」

 私の顔を見上げながら照明が言った。笑っていたけど、どことなく表情が固かった。声もいつもの様な包み込む優しい声ではなく、少し震えていた。昔もこの顔を見たことある。いつだっけ?

 ーー思い出したバレーの決勝戦の前だ。
 
 緊張している時の顔だ。

 照明は勉強も部活もいつも完璧に準備して臨むから緊張しているところなんて滅多に見たことがない。

 そんな照明が緊張している。

 私に想いを伝えることに緊張している。
 それだけ私のことを大切に想ってくれている。

 とても光栄なことだ。
 ……でも、いいのかな。都合良すぎないかな。

 ずっと照明の気持ちを知らずに私は太陽に恋していた。

 叶わない恋を。

 もう太陽の一番にはなれない。
 想いを伝える前に私の恋は終わった。

 そのことを知りながら私のことを好きだと照明は言ってくれた。ずっと横で私のことを見てくれていた。
 今も昔も変わらずにーーーー。
 
「私、都合良すぎないかな……。ずっと照明の想いを知らなかったし、太陽とはもう恋人になれないから照明の方にいくってさ」

 本当はちゃんと照明の顔を向いて伝えなきゃいけないと分かっているのに顔が見れない。自分がずるいと思っているから。

「もしかして俺に罪悪感感じてる?」

 目線を合わせずに小さく頷く。
 照明も何も言わなくなってしまった。絶対気を悪くさせた。余計に顔が見れない。ギュッと強く目と口を閉じる。

 大きな手が私の手を優しく包み込んだ。その手が氷の様にとても冷たくて驚いて顔を上げる。照明と目が合った。

「やっと目が合った」

 照明が顔をクシャッとして笑った。

「罪悪感なんて感じないで。今はまだ太陽のことを好きでもいい。俺が星来のことを振り向かせるから」

 その言葉でずっと心の中にあったモヤモヤとした感情と罪悪感が軽くなった気がした。

 「今の私」をーー「太陽のことが好きだった私」を照明は受け入れてくれる。私のことをずるいなんて微塵も思っていない。

 ぽたぽたとゆっくり涙が雫となって落ちてきた。

「私でいいの?」
「星来がいいの」

 落ちてくる涙を照明が指で受け止めた。

 もう迷う理由はなくなった。

「私を照明のーーーー」
「ちょっとまって!」

 私の言葉を照明が遮る。

「俺から言わせて」

 両頬をピンク色にしながら照明は少し照れくさそうに深呼吸をした。

「星来、ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」
 
 答えはもう決まっている。

「私の方こそよろしくお願いします」

 二人とも一瞬照れくさくなり顔を逸らしたが、すぐにお互いの顔を見て笑い合った。
 長年の付き合いだけど、照明は今が一番嬉しそうな顔をしている気がした。

 
 手を繋ぎながらもう少しだけ海岸を歩いていく。
 私達は「幼馴染であり親友」の関係から「恋人」になった。

 照明の大きな手はさっきとは違いとても温かった。

「照明の手、さっきすごい冷たくてびっくりした」
「緊張するとすぐ手が冷たくなるんだよ」

 苦笑いしながら照明が答えた。

「照明も緊張するんだね」
「そりゃするよ。俺をなんだと思ってるの?」
「照明」

 呆気に取られて照明が一瞬言葉を失うがすぐ声を出して笑った。それに釣られて私も笑う。

「太陽驚くかな?」
「まぁ、俺は知ってたけどねとか言うかもね。あいつ人の事よく見てるし」
「私の想いには気付かなかったのに?」
「それもそうか。どんな風に伝えようか。思いっきり驚かせたいな」

 そんな会話をしながら歩いているうちにいつの間にか夕陽は完全に沈み、空には三日月と星が浮かんでいた。

「完全に夜になっちゃったね」と言いながら二人で空を見上げた。

「意外とこの時間まで海にいるのってなかったね。まぁ、あの時は高校生だったのもあるけど」
「それもそうだな。二人でこれから新しいことをたくさんしよう」
「うん」




 私の長年の片想いは叶うことなく終わった。
 私は太陽の一番にはなれなかった。

 でも、なりたい一番ができた。

 照明、君の一番になりたい。