「今度結婚することになった」

 二人の親友に向けてそう言った。

 片や微笑みながら祝福の表情、片や驚いた後悲しそうな表情をした。
 照明は俺に彼女がいることを知っていたせいか驚くことはなかった。むしろ心から祝福してくれている様子だった。
 星来については……さっきまで酒で赤くなっていた顔が一気に青ざめていた。久しぶりの再会でいきなり俺が結婚発表をするものだから驚いた様だった。
 驚いただけでなく、ショックを受けたのもあるのだろう。

 星来の表情から、まだ俺のことを好きでいてくれていることを知った。
 幼馴染や親友としての好きではなく、異性としての好きだと。
 同時にそんな表情の星来を見る照明の様子から、彼が想いをまだ伝えていない……いや、伝えられていないこと知ったーーーー。

 星来の俺への想いと、照明の星来への想いに俺が気づいていることはきっと二人は知らない。

 二人のことを傷つけたくなくて。
 自分を傷つけたくなくて。
 このまま三人でいたくてーーーー。

 言わなかった。
 言えなかった。
 言いたくなかった。

 気づかなければ良かった。
 気づきたくなかった。

 ずっと言えなかった君たちが知らない俺だけの秘密ーーーー。





 ワンテンポ遅れながらも星来は俺の結婚発表を祝福してくれた。泣きそうなのを我慢しながら。
 泣かずに我慢しているのが星来らしい。だから俺も普段通りに接する。

 昔みたいにからかったり、思い出話を募らせたりーー。
 二人と一緒にいると安心する。
 素の自分でいられる。
 心から信用できるーーーー。

 二人のことが大好きだ。
 ずっとこのまま一緒にいたい。
 この幸せな時間が終わらなければいいのに。

 しかし、楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまう。


 お開きの時間となり、店の外に出て久しぶりに三人で写真を撮った。
 星来が真ん中でそれを挟む様に俺が右隣、照明が左隣に並ぶ。昔から変わらない並び方だ。

「星来、照明今日はありがとうな。結婚式絶対に来てくれよな! 二人は俺の一番の親友だからさ」

 今日のお礼を言って大きく手を振りながら二人と反対方向に歩き出す。「おう」と照明は笑顔で振り返してくた。星来も笑って手を振りかえしてくれたが、笑顔がぎこちなかった。
 結婚発表してからずっと。泣かない様に無理して明るく振る舞っていたのだろう。俺と照明に気を使わせないように。
 
 星来はそう言う奴だ。

 気遣いができて、優しくて、思いやりがあってーーーー。
 ずっと一緒にいたからよく知ってる。 
 だから、俺が今日傷つけてしまったことも知ってるーーーー。

 本当はあんな顔させたくなかった。
 でもいつかは伝えなければいけない。

 二人のことを考えながら一人で夜道を歩いて帰る。






 星来とは幼稚園から一緒のいわゆる幼馴染と言われる関係だった。
 家が近かったこともあり、毎日遊びながら学校に行って帰ってきていた。中学三年間は同じクラスだったが、意外にも小学校の時は一度も同じクラスになることはなかった。クラスは違っても放課後は男女関係なく大勢で一緒に遊んでいた。学年が上がっていくとそれぞれ同性と遊ぶことが増え一緒に遊ぶ頻度は減ったが、変わらず登下校は一緒だった。

 小学校も高学年にもなってくると誰々があの子のことが好きだとか、あの二人は付き合っているだとか、そんな話題が増えてくる。
 みんな面白がって話していたが俺は恋愛に特に興味がなかった。それよりもみんなと外でサッカーをしたり、ゲームのレベル上げをしたりと遊ぶ方に夢中だった。

 
 そんな俺だったが、ある日同じクラスの女子から告白された。
 風間愛(かざまあい)というクラスでも可愛いと評判の子だった。放課後に校舎裏に呼び出され、頬をピンク色に染めて照れながら告白してくれた。

「太陽君のことずっとかっこいいと思ってたの。愛と付き合ってください」

 突然の、しかも人生初の告白に驚いたが人から好意を持たれることは嬉しかった。断る理由も特になく、何よりも「告白された」ということが嬉しくて「いいよ」と返事をすると、風間愛は全身で喜んでいた。
 めでたく「人生初彼女」と思いきや、彼女の次の言葉で俺は困ってしまった。

「じゃあ、星来ちゃんともう話さないで」

 星来は俺の幼馴染であり、親友だ。それに登下校だって一緒だ。話すなと言われても無理だ。

「え、なんで?」
「なんでって、彼女は私だよ? 他の女の子と話さないでよ」

 風間愛が少し不機嫌に言う。そこからどんどん星来に対する悪口が始まる。

「あの子邪魔なの。いつも太陽君の近くにいて。それに実央ちゃんが悠君のこと好きなのに悠君にも媚び売ってるし。あとねーー」

 次から次へと悪口が出てくる。聞いていて胸が痛くなる。
 告白されたのは嬉しい。でも、星来と話せなくなるのは嫌だ。それに、星来のことを悪く言われるのはもっと嫌だ。
 さっきまで告白されて嬉しかったはずなのに、一気に嫌悪感を抱いた。

「……ごめん。それじゃあ付き合えない」

 一度了承しておいて断るのは良くないとは思った。良くないとは思ったが、そんな条件を出されてしまうと流石に付き合うことはできない。
 告白を断ると風間愛は顔を真っ赤にして泣きながら、駄々をこねていたが俺の気持ちは変わらない。泣かせたのは悪かった思う。でも、星来のことを悪く言われるのがどうしても許せなかった。

 大切な親友だから。

 悪いとは思いながらそのまま逃げる様に家に帰った。


 次の日いつもの様に教室に入ると誰も挨拶を返してくれなかった。昨日まで普通に遊んでいたグループから外され、話しかけても無視される。
 いきなりのことで困惑していると、隣の席の悠が授業中にこっそりノートに書いて理由を教えてくれた。
 
【昨日愛に告られたんだって?】

 いつの間にか昨日の出来事が広まっており驚いた。

【なんで知ってるの?】
【元気が愛のこと好きらしくてお前のこと妬んでる】
【ちゃんと断ったよ】
【だから余計に妬んでるだよ。自分が好きな子に告られて挙げ句の果て振ってるしで】

 そんなこと言われても困る。どうしようもないじゃないか。

【そんなこと言われても】
【お前しばらくハブられるぞ。相手が悪い。助けたいけど元気が相手だと俺らも下手に動けない】

 高梨元気(たかなしげんき)はクラスのボス的存在だった。中学生に負けない体格をしており、力も強い。当然並の男子では力では敵わないため、みんな高梨元気には逆らえない状況だった。
 悠が教えてくれた話によると、高梨元気が風間愛のことを好きで、どこで聞いたのか俺が昨日告白されて振ったことが耳に入り、クラスの男子に圧をかけ俺は無視されているらしい。困ったことに、周りも高梨元気が怖くて俺を助けることができないらしい。

【追い討ちかけることになるけど、愛も振られたこと根にもってるっぽいから女子の方も気をつけろ】

 本当に追い討ちをかけられてしまった。しばらく俺は学校に来てもクラスから無視され一人なことが分かった。
【教えてくれてありがとう】とノートに書き、授業中だと言うのに俺は机に伏せた。状況が絶望的だ。

 案の定、給食の時間も昼休みも掃除の時間も誰も話しかけて来ることはなかった。なんなら目を合わせようとしてもそらされてしまう始末だ。
 
 知らない人たちから無視されるのは別に平気だ。でも、昨日まで普通に話していたクラスメイトから孤立させられるのは、分かっていたとしてもなかなかしんどい。

 誰とも話すことなく一日が終わった。とぼとぼと一人で廊下を歩いている俺の姿を見て、五人グループの女子がクスクスと笑っていた。

「夜久星来のどこがいいんだろうね。愛の方が絶対可愛いのに」

 風間愛の取り巻きの女子達だった。

 顔が可愛くたって性格は最悪じゃないか。人の悪口だって簡単に言うし。

 反論したかったが余計に拗れそうだったので言葉を飲み込んだ。

 下駄箱に向かうと、先客がいた。

「遅い!」

 星来がむすっとした顔で俺を待っていた。確かに今日はいつもより下駄箱に着くのが遅かった。今日初めて学校で友達と話した気がする。

「ごめんごめん。お待たせ」

 両手を合わせて謝ると、星来が不思議そうな顔をして俺を見た。

「……なに?」
「いや、なんか太陽元気ないと思って。なんかあった?」
「なんもないよ」

 咄嗟に嘘をついた。嘘をつく予定なんてなかったのに。でもなんとなく、星来にクラスメイトから無視されていることを知られたくなかった。

 いつもと同じ帰り道を二人で歩く。今日の給食が美味しかっただとか、体育の持久走が疲れただとか話ながら。普段通りにしているつもりなのに、しばらくクラスで無視されることが気になって会話が上の空になっていた様だ。

「太陽やっぱりなんかあった?」

 星来が正面に立ち顔を覗いてくる。

「なんもないよ」

 そっぽを向いて強がる。本当は話を聞いてもらいたかった。でも、なぜだか話せなかった。多分クラスで無視されていることがバレるのが恥ずかしかったんだと思う。

「絶対嘘だ! なんか隠してる!」

 なかなか星来も諦めない。俺がそっぽを向く度に正面に回り込む。何度かそんなやり取りをしていると、俺の方が先に折れてしまった。

「ちょっと考え事してて……。星来ならどうする? 告白を断ったら友達とかクラスメイトに無視される様になったら。俺のことじゃなくて友達の話ね! 友達の!」

 あくまでも自分ではなく友達が困っている程で話す。

「何それ! 他の人巻き込んで外すのは卑怯でしょ! 最低! そんなことしてるの誰!?」

 さっきまでのいたずらげな表情から一変。眉毛を吊り上げて星来は怒り出した。元々友達思いの奴だから無理もない。まさか自分のことだとは言えず星来をなだめる。

「誰にも言わないでって言われてるから秘密。友達がそんな状態だったら星来はどうする?」
「その子を絶対に裏切らない! 周りがその子のことを無視しても私は絶対味方でいる!」

 力強く星来はそう言った。俺の話の中の友達が俺自身だと知らずに。
 
 周りが俺のことを無視しても星来はきっと俺の味方でいてくれる。
 分かっていた。分かっていたけど、言葉にして言われると嬉しかった。
 きっと明日学校に行っても、高梨元気が怖くて、自分が同じ目に会いたくないと今日と同じ様にみんな俺のことを無視するだろう。
 でも星来はずっと俺の味方でいてくれる。今だってこうして星来とは普通に話しているし。そう思うと少しだけ気持ちが楽になった。

「そうだよね。星来はそういう子だもんね」
「え?」
「何でもない。俺もその友達の味方でいるようにする! ありがとう!」

 別れ道で手を振って家まで走った。



 教室の前で息を大きく吸い、吐き気合を入れる。
「おはよう」
 挨拶をしながら教室に入るが……返事は返ってこない。誰も挨拶を返してもらえない俺を見て、高梨元気はニヤニヤ笑っていた。 
 昨日までの自分なら心が折れていたかもしれない。

 昨日までは。
 でも、今は違う。星来がいる。
 絶対に俺を裏切らない。
 周りが俺のことを無視しても星来は俺の味方でいてくれる。

 昨日あれだけ辛かった一人の時間が今日は平気だった。



 一週間位経つと、今まで俺のことを無視していた友達もクラスメイトも前の様に話しかけてきた。あまりにも急だったため不思議に思っていると、悠がまた教えてくれた。今度はノートに書いてではなく、言葉で。

「元気が愛と付き合ったんだよ。お前の悪口で意気投合して。嫌な奴らだよな」

 悠の話を聞いて目が点になった。
 話によれば、高梨元気がこの一週間風間愛にもうアプローチして、二人は付き合うことになったらしい。しかも俺の悪口で意気投合して。聞いていて気持ちがいいものではない。
今まで散々俺のことを無視していた友達もクラスメイトも、何事もなかったかの様に俺に話しかけてきた。

 みんな俺がどれだけ嫌な思いをしていたか。
 一人がどれだけ辛かったか知らないだろう。

 きっと星来も知らないだろう。
 君の言葉でだれだけ俺が救われたかーーーー。

 元々興味がなかったこともあるが、この出来事に懲りて俺は恋愛ごとが嫌になった。
 そして、星来のことを親友として、恩人として大切にしたいと思った。

 だから、俺が星来のことを異性として好きになることはない。



* 

 中学生になってからも変わらず星来と一緒に登下校していた。親友なのもずっと変わらなかった。
 中学校からは俺と星来が通っていた小学校と、他に二つの小学校が合併し、当然生徒数も増える。

 人数が増えれば増えた分だけの人間関係ができる。小学校でのあの出来事をきっかけに、俺は人のことをよく観察する様になった。
 大人になった今思えば、小学校での一週間程度の無視なんてなんて大したことない。
 でも当時は本当に悲しくて、辛くて、寂しかった。
 だから、あんな思いを二度としたくないと友達やクラスメイトがどんな人なのか、交友関係はどんな風なのか観察する様になっていた。
 結構異常だったと思う。でも、それだけあの出来事は俺のことを傷つけた。

 相手に嫌な思いをさせない様に、八方美人に過ごす。
 嫌われたくなくて。いつも仮面を被っているかように笑って、本当の自分を押し殺して。 

 その甲斐あってか、いつの間にかクラスでも学年でも人気者になっていた。しかし、いい奴を演じれば演じるほど心はすり減っていった。嫌われない様に常に気を張っていたのだから当然と言えば当然だ。
 
 息が苦しい。
 友達に囲まれていて嬉しいはずなのになぜか辛いーーーー。

 そんな時、照明に出会った。



 その日は今でもよく覚えている。
 中学一年の中間テスト前で部活がない日だった。委員会で遅くなり、ほとんど生徒が下校している時間帯で自分も早く帰ろうと教室に鞄を取りに行く、そんな時だった。

 隣の教室から話し声が聞こえ中を覗いてみると、同じ小学校でよく遊んでいた尚と、たしか……サッカー部の鈴木だった。声をかけようと思ったが会話の内容が聞こえ足が止まった。

「早川が太陽のこと好きなんだって」
「まじかよ……。てか、また? 板野も太陽のこと気になってるとか聞いたぞ」
「え! 俺、板野のこと気になってたのに」

 嫌な予感がする。
 大体自分の名前が出ている時の恋バナはいい思い出がない。盗み聞きして悪いとは思いながら、姿が見えない様にしゃがんで廊下から二人の会話を聞いていた。

「太陽のどこがいいんだろうな。顔はまぁ……いい方だとは思うけど」
「みんなに優しいとかそんなんとこなんじゃないの?」
「みんなに優しいって言うか、ただの八方美人だろ。いっつもにこにこへらへらしてみんなにいい顔ばっかしてて正直うざい。俺、実はあいつ嫌いなんだよね」
「俺も」

 二人の言葉がぐさりと胸に刺さる。
 嫌われない様に振る舞っていたはずなのに、そんな風に思われていたのか……。尚については俺は仲が良い方だった思っていたのに、あっちは違った様だ。嫌いなんだって。言葉で聞くとなかなか辛いな。

 次から次へと俺の悪口が出てくる。どうせショックを受けるくらいならすぐに立ち去ろうと思ったのに、足が動かなかった。自分がどう思われているのか知りたいのが半分、ショックで足が動かなかったのが半分。
 ただ黙って二人から出てくる俺の悪口を聞くしかできなかった。

「好きな女子がそいつのこと好きだからって妬むなよ。そう言うとこなんじゃないの? お前らじゃなくてそいつが選ばれるのって」

 尚でも鈴木でもない声が言う。死角で見えなかった様で教室にはもう一人いた様だった。

「そいつにお前らなんか嫌なことでもされたわけ?」
「いや……」
「だったらそんな悪口言ってんじゃなくて、自分の力で早川と板野を振り向かせてみろよ。何もされてないのに人の悪口言うな」

 ガラガラと教室の扉が開き、しゃがんでいる俺と声の主の目が合った。しまったと思いながらも、今さら立ち去ることもできない。彼は振り返って尚と鈴木を見た後、あっちでちょっと話そうと廊下を指差した。頷いて返事をして二人に気づかれない様に移動した。

「さっきの聞いてた?」
「まぁ……慣れてるから平気」
「慣れてるからって……」

 彼は怪訝そうな顔をして何か言いたそうな表情をした。

「あんまり気にするなよ。えーと……太陽? ごめん、俺名字知らなくて。隣のクラスだよね?」
「太陽でいいよ。ありがとう、三橋」
「俺のこと知ってるの?」

 驚いた様に目の前の彼が言った。

 よく知ってる。
 君は三橋照明。隣の小学校出身で隣のクラス。バレー部の次期エース候補。おまけに新入生代表も務めていた優等生。文武両道を文字で現した人だ。

「男バスと男バレはたまにコートが隣になるから。バレー上手いよね。それに新入生代表も務めてたから知ってるよ」

 本人にその気が無くても三橋照明は目立つ存在だった。背が高いと言うこともあったが、存在そのものが。
 だから彼に嫌われてはいけない。大勢が敵にまわってしまう可能性があるからと思っていたが、むしろ彼は陰口を言われていた俺を気遣ってくれていた。話したことはなかったが、いい奴なのかもしれない。

「隣のクラスだからあんたり話したことないよね? 小学校も別だし」
「そうだね。北小ってバレー部あったの? 二、三年と混じってても三橋上手いし」
「部活としてはなかったけど、俺はクラブチームに入ってたから。……なんか俺が太陽って呼んでるのに、名字で呼ばれると変な感じがするから照明って呼んでよ」

 照明は笑って言った。初めて話した時は俺の陰口に不快な思いをしていたためか不機嫌そうな表情をして、自分がしゃがんでいたこともあり、身長も高いため少し怖い印象だったが笑うとこんな柔らかくなるんだと思わず見惚れていた。

「……えっと、俺なんか変なこと言った?」

 俺が何も言わずじっと照明の顔に見惚れているため照明が困惑しながら言った。

「あ、ごめん。なんか最初機嫌悪かったし背も高いからちょっと怖くてーー」

 しまった。余計なことを言ってしまった。嫌な思いをさせてしまったかと思い照明の顔を見上げる。

「太陽って素直って言うか馬鹿正直って言うか面白いな。本人にそれ言っちゃうんだ」

 俺の心配とは裏腹に照明は目を挟めながら大爆笑していた。予想外の反応に呆気に取られたが、自分でも確かにそうだなと思い俺もつられて笑った。
 久しぶりに心から笑った気がする。初めて話したはずなのに素の自分でいられた気がした。

「男バレと男バスでコート隣になることあると思うからこれからもよろしくな、太陽」
「こっちこそよろしく、照明」

 この出来事をきっかけに俺と照明は仲良くなった。
 こいつと一緒にいると楽しい。居心地がいい。そんな風に感じる奴だった。照明もそう思ってくれたのか、クラスは違ってが一緒にいる時間が増えた。
 そうなると必然的にそこに星来もそこに加わる。
 
 心から信用できる親友が二人もできた。
 この二人を一生大切にしようと思った。


 二年生になると嬉しいことに俺と照明は同じクラスになり、俺達はクラス発表の日にハイタッチをして喜んだ。反対に星来は一人だけクラスが違うと不満そうな表情で拗ねていた。そんな星来を見て俺達は笑った。クラスは別でも三人の関係は変わらない。

 一緒に過ごす時間が長くなる中で、照明が星来のことが好きだと知った。
 親友の好きではなく「恋愛」としての好きだと。
 あまり表情が変わらない照明が星来の前ではころころと表情が変わる。俺には見せない少し照れた様な表情をしたり、昔俺に告白してきた風間愛と同じ様に頬を薄ピンク色に染めて星来と話したりしていた。
 星来は……はというと、照明の気持ちに気付いていない様だった。そんな姿を見ているとちょっと照明に同情した。 
 いたずら心で照明をからかってみようと思ったが、俺が照明の星来への想いに気付いていると知ると、照明はきっと星来に想いを伝えなくなるんじゃないかと思ってやめた。

 照明も星来も俺もこの三人の関係を大切にしている。

 でも本当は二人のことをよく知ってるからこそ、お似合いだと思ったし付き合って欲しいと思っていた。

 ところが「恋愛」と言うものは難しい。
 ある日、星来が俺のことを好きだと気付いてしまった。
 星来からの好意は当然嬉しい。俺も星来のことが好きだから。照明のことも好きだ。二人のことが好きだ。

 でも俺の好きは星来と違う。

 星来への好きは照明への好きと同じなんだ。
 つまり、「異性」としての好きではなく、「親友」としての好きなんだ。

 照明は星来の俺への想いに気付かないで欲しい。
 星来は照明の想いに気づいて欲しい。

 俺はどうすればいいーーーー?

 この大好きな二人との関係をーーこの三人での関係を壊したくない。
 ずるいと思う。だけど許してください。
 本当にこの二人が好きなんだ。大切なんだ。

 二人の想いに気付いていながら、俺は何も言わなかった。言えなかった。

 このまま三人の関係は変わらず俺達は中学を卒業した。






 星来はギリギリまで勉強を頑張って志望校を上げ、照明は俺達と同じ高校に通いたいと志望校を下げ、三人で同じ高校に進学した。

「また一緒かよ」と口では言っていたが、三人で同じ学校に通えることが本当はすごく嬉しかった。
 俺は文系、星来は理系、照明は特進だったため、同じクラスになることができなかった。他の高校はどうだか知らないが、進学した高校では何かしらの部活に入らないといけない校則があった。俺はバスケ部に入るつもりはなく、何かしらの文化部に入って幽霊部員をしようと思っていた。二人も同じ様だったらしく、それならばと三人で新しい部活を作ろうと提案すると、ノリノリで二人も賛成してくれた。せっかく同じ高校に入れたのに同じクラスになることもできないため、何か青春っぽいことがしたかった。

 顧問を無理やり探して、部員も三人しか集まらなかったものだから、部活ではなく同好会としての扱いだった。

 別に何でもよかったんだ。この三人で過ごすことが大切だったから。

 顧問になってくれたのは、田巻先生という古典のおじいちゃん先生だった。タレ目で丸顔なふくよかなお腹をしていた定年間際の先生で、その見た目と田巻という名字をもじって、影で生徒から「たぬじい」と呼ばれていた。
 他の先生方が顧問になるのを嫌がる中、たぬじいだけが快く了承してくれ、部室となる部屋まで借りてくれた。そんなものだから、無理やり顧問を頼んでおきながら悪いことをしてしまった様な気もしていた。
 しかし、俺の考えとは裏腹にたぬじいはなんとも思っていなかった様だった。

「青春ですな。大人になると一緒に過ごせる時間は少なくなります。今を大切にしなさい」

 そう言ってむしろ同好会を作るという行動を誉めてくれた。
 活動内容も曖昧でだらだらとやっているものだから当然部員は増えず、俺たちの卒業後は廃部になったらしい。この三人で過ごす時間が大切だったから、部員が俺達三人だけだったのはむしろ都合がよかった。だから廃部になったことに対してじゃなくて、三人で過ごした思い出の場所がなくなったことが残念だった。

 三人で過ごしたあの場所はもうない。
 一番楽しかったあの時にはもう戻れない。






 高校卒業後はそれぞれ別の進路となり、バラバラになった。俺と照明は大学は違えど東京に行き、星来は地元に残った。
 新しい環境や初めての一人暮らしで慣れるまで大変だったけど、それなりに友達もできて充実した日々を送っていた。たまに告白されて振って陰口言われて……時折嫌な思いをするけれど、心から信じられる二人がいるから何とも思わなくなった。

 大学二年になった時、友達に誘われて興味本位で入ったアカペラサークルにすごく可愛いと噂の一年生が入ってきた。
 名前は「日向葵(ひなたあおい)」。一目見て噂の一年生が彼女だと分かった。

 小さな顔にタレ目の可愛らしい大きな瞳、艶のある鎖骨まで長さのある黒髪、華奢で小柄な体型。上京して間もないこともあり、都会に洗練されておらずメイクもほとんどしていない素朴な見た目だったが、逆にそれが彼女の素材の良さを引き立てていた。確かに可愛い。でもいつも下を向いていて目線がなかなか合わなかった。

 そんな姿が男子には高ポイントだったらしく学年問わず彼女はモテていた。同級生や先輩の男子によく囲まれているせいか、女子と一緒にいる姿をあまり見なかった。

 ある日、偶然教室の前で何もせず突っ立っている日向葵を見つけた。動こうとせずいつもの様に下を向いている。

「教室入らないの?」
「え?」

 後ろから急に声をかけたものだから日向葵は驚いて振り返った。俺が扉に手をかけようとするとその手を日向葵が止めて首を横に振った。下を向いて何も言わず無言の時間が過ぎる。様子が変だと思っていると、教室の中から話し声が聞こえた。

「ぶっちゃけ日向葵うざくね? せっかくかっこいい先輩多いのにみんなあの子ばっかじゃん」
「絶対あれキャラ作ってるよね」
「いいよね。見た目で得してる人はさ」

 教室の中には同じアカペラサークルの一年女子二人と、二年女子一人が輪になって椅子に座ってお菓子を広げながら話していた。
 彼女達からの自分に対しての陰口を聞いて日向葵はギュッと下唇を噛んで俯いていた。彼女が教室の中に入らない理由が分かった。

 同時に誰かと似ている気がした。
 誰だっけ? 

 少し考えて思い出した。
 分かった。昔の俺だ。

 恵まれた容姿は時に嫉妬の対象になる。
 よく知ってる。
 悪いことをしているはずじゃないのに陰口を言われる理不尽さと、恐怖を。

 肩をトントンと軽く叩き日向葵の目線を上げ、あっちでちょっと話そうかと指をさした。誰もいない別の教室に入り、椅子に座って日向葵と初めてちゃんと話をした。

「大丈夫?」
「えっと……あの、ごめんなさい」

 彼女との初めての会話は謝られることから始まった。

「日向さん謝ることないでしょ? 悪いことしてるわけでもないし」

 日向葵は顔を上げて俺の顔を見た。大きな瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。

「頑張って勉強して行きたい大学に入ったのに……。いつもこうなんです。普通にしてるだけなのにあざといとか、ぶりっ子してるとか言われて。男の人が寄ってきても怖いし、いきなり告白されても付き合えないし、断れば今度は調子乗ってるだとか変な噂流されるし。私だって好きでこの顔で生まれてきたわけじゃない!」

 日向葵は大粒の涙を流しながら俺に思いをぶつけた。突然のことで驚いたが、同情してしまうところもあった。

 同時に昔の自分の姿が重なる。

 俺も星来と照明がいなかったら、きっとこんな風に思いが爆発してしまっていたのだろう。俺にはあの二人がいた。でも、彼女には俺の様に心から信頼できる存在がいないのかもしれない。
 陰口を言われたり一人になることがどれだけ怖いか俺は知っている。

 星来と照明が俺を助けてくれた様に、今度は俺が誰かのためになりたいーーーー。

 そう思うと体が勝手に動いた。

「スマホある?」

 自分の連絡先のQRコードを表示する。

「何か辛いことがあったら連絡して。辛いことじゃなくてもいい。今日こんなの食べたとか、何でもいいから」
「え?」

 俺の行動に日向葵は驚いていた。まぁ、いきなり辛いことでも、今日こんなの食べたよなどの連絡してって言われると戸惑うよな。しかも先輩に。連絡するしないは彼女の自由だから任せる。ただーーーー。

「一人で抱え込まないこと! 君の気持ちはよく分かる。俺も同じ経験したことあるから。だから、何か辛いことがあったら吐き出して」

 そう言うと、二人だけの教室で日向葵は声を出しながら泣いた。そんな彼女の横に座り、俺はティッシュを渡して泣き止むまで一緒にいた。






 それまでまともに話したことがないこともあり、葵は遠慮して中々連絡をしてこなかった。そのため、連絡しやすい様に逆に俺から「今日は寝坊して一限間に合わなかった」とか、「この前食べたラーメンが美味しかった」とか、どうでもいい様なことをメッセージで送り続けた。最初は「そうなんですね」とか「私も朝が苦手です」とか当たり障りのない返事が返ってきていたが、しばらく続けていると葵の方からメッセージを送ってくる様になった。葵が自分のことを話してくれる様になり嬉しかった。そこから俺と葵の距離は縮まった。

 本当の彼女は面白い子で、俺と好きなものが似ていて、周りが彼女を暗くしているだけでよく笑う子だった。
 今まではキャンパス内ですれ違って俺が手を振っても葵は小さく会釈をするだけだったが、控えめにだが手を振り返す様になったり、葵の方から挨拶してくれる様になった。
 何よりも初めて会った時と比べるとかなり表情が明るくなった。下ばかり見ていた目線が上がり、顔がよく見える様になった。そんな彼女の変化にガッツポーズをして喜んでいる自分がいた。

 元々かなり……いや、だいぶ可愛い子が笑うとちょっとドキッとした。少し葵を意識してしまう自分がいる。

 友達もできた様で葵が一人でいる姿が見えなくなった。そのせいかより明るくなり、よく笑う様になった。
 メッセージも今日は誰々と遊んできただとか、こんなことをしただとか友達との内容が増えていた。俺以外にもちゃんと話せる相手ができた様だ。

 嬉しく思う自分と、少し寂しく感じる自分がいる。

 以前の姿が想像できないくらいよく笑い明るくなったのだから、当然彼女は前以上にモテる。誰々が告ったけど振られただとか、誰々が日向葵のことが好きだとか学年は違えど噂はよく耳にしていた。 

 しかし、それだけ告白されているのに葵は誰とも付き合わなかった。「好きな人がいる」と言って全て断っていたらしい。

 そんな噂を「へー」と興味なさそうに口では言ってたが、その話を聞いてほっとしている自分がいた。
 友達と楽しそうに過ごしている姿を遠目で見ては微笑ましく思い、同時に何とも言えないもやっとした感情が胸の辺りで突っかかる。

 この感じは何なのだろう。
 そう思っていたがある日分かった。

 俺は気付いてしまった。
 葵のことが好きだと。

 星来や照明に対する好きとは違う「好き」だと。
 自分が恋をしていると知った。生まれて初めて恋だった。

 この気持ちに気付いてからは、葵からの何気ないメッセージに心から喜び、早く返信が来ないかと待ち遠しく思っていた。
 「好き」だと伝えたかった。でも葵には好きな人がいて振られるのが怖かった。 

 想いを伝えたらこの関係が終わってしまうのではないか。そう思うと怖くてずっと言えなかった。
 サークルの先輩と後輩という関係のまま、ずるずると時間だけが過ぎていった。
 





 気付けば俺は大学四年生になっていた。

 葵に気持ちを伝えられないまま卒業が近づいていた。卒業してしまうと今までの様に気軽に会うことができなくなる。
 きっとこの想いを伝えないまま卒業すると後悔する。
 葵は変わらず好きな人がいると言って告白をずっと断り、誰とも付き合わなかった。

 それだけ彼女には好きな人がいるのだから結果は分かっている。
 きっと振られるだろう。

 でも、この想いを伝えずに卒業するのは嫌だった。ちゃんと自分のこの感情と向き合いたかった。
 
 就活で内定をもらった想いを伝えると自分の中で決め、先日無事に内定をもらった。

 もう後には引けない。

 心を決め誰もいない教室に葵を呼び出した。
 初めて葵と話したあの教室に。
 あの時は下を向いて泣いていた彼女は今、俺の顔を見て微笑んでいる。

「就活お疲れ様です。お祝いに今度飲みにいきましょう」
 
 小さな紙袋に入ったお菓子を渡しながら葵が言った。その紙袋を「ありがとう」と言って受け取ってから深呼吸をする。体がガチガチに固くなっているのが分かった。緊張している。

 落ち着け自分。

 そう言い聞かせるがなかなか体の固さが取れない。顔は暑いのに指先は冷たい。

「太陽さん?」

 何も言わない俺を不思議そうに葵が見る。

 早く言わなきゃ。分かってる。でも言葉が出てこない。
 昨日ちゃんとイメージしてきたのに。
 何やってるんだ俺。かっこ悪い。

 伝えたい。
 「好き」だと伝えたい。

 でも言えない。口が動かない。
 自分の体じゃないみたいだ。

 怖い。
 みんなこの恐怖に負けないで想いを伝えてるんだなんてすごいな。

 「好き」というたったニ文字が言えない。
 
「葵」
「はい」

 ふーっと長めに息を吐いて覚悟を決める。

「俺……葵のことが好きだ」

 声を絞り出してようやく言えた。勇気を振り絞って伝えた想いは、昨日イメージしていた声や言い方と全然違った。
 でもそんなのどうでもいい。想いを伝えたかったんだから。

 驚いた様に目を見開いて葵は固まっていた。

「いきなりで驚くよね。ごめん。好きな人いるって聞いてるから振られるのは分かってるんだけど、言わないでこのまま卒業するの嫌だったから……」
「嬉しいです……でも、ごめんなさい」

 結果は分かっていた。予想通りに俺は振られた。だから別にショックなんて受けなかった。

「大丈夫。好きな人いるんだよね」

 そうだ。君にはずっと好きな人がいるんだ。きっとかっこいい人なのだろう。

「はい……目の前にいます」

 顔を赤くしながら葵が言った。

 そうだよね。好きな人いるんだよね。目の前に……。目の前に?

「え?」

 驚いて声が漏れた。

「私ずっと太陽さんのことが好きでした」






 予想外のことに驚いて言葉を失った。

 葵が俺のことを好き? 
 まさか。嘘だ。

「太陽さんがいたから私は大学を辞めずにすみました。友達だってできた」
「それは葵が頑張ったからだよ」

 葵は首を横に振った。

「私……自分では全然思ったことないんですけど、人よりちょっと見た目がいいみたいで、そのせいで嫌な思いもたくさんしてきて、自信もなかったし友達もいなかったんです。全部自分が悪いんだって思ってた」

 苦笑いをしながら葵が言った。

 知ってる。だから初めて話した時、君は泣いていた。

 友達がいなかったのも自分に自信がなかったのも葵のせいなんかじゃない。周りが葵の容姿を見て特別扱いして嫉妬して、彼女の自信を奪っていたんだ。何ひとつ葵は悪くなかった。

「そんな自分が嫌で、変わりたくて両親の反対を押し切って、たくさん勉強してこの大学に来たのに、早速陰口言われて後悔してた時に太陽さんと会いました。名前の通り、周りをパッと明るくする人で私もこんな風になりたいなって思ってた」

 俺のことをそんな風に思っていたなんて知らなかった。

「太陽さんと初めて話したあの時から気づいたらあなたのことを目で追っていました。憧れの先輩から……」

 途中で言葉を言いかけ葵が口をぐっと閉じた。言葉を選んでいるかの様に、口をもごもご動かしては口を閉じる動かしては閉じるを繰り返していた。

「憧れの先輩から好きな人に変わったんです」 
「俺ら両想いってこと……?」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にして葵が縦に首を振った。
 改めて確認すると嬉しかった。本当は大声でこの喜びを表現したかったが、好きな人の前ではかっこよく見せたいという気持ちが勝ち、喉元まで出かかった声を飲み込んだ。

 同時に葵からごめんなさいと断られたことを思い出す。

「両想いだと知れて俺は嬉しい。でも、葵の中で何か引っかかってることがあるのなら、よかったら教えてくれないかい?」

 自分勝手かもしれない。でも、両想いなのに振られた理由をどうしても知りたかった。

「私も太陽さんが私のことを好きだと言ってくれて本当に嬉しいです。本当なんです! 嘘じゃないです!」

 誤解されない様にと葵は一生懸命弁明していた。

「大丈夫。分かってるよ葵が嘘をつくなんて思わないよ」

 俺がそう言うと葵はほっとした様に笑った。

「今の私じゃ太陽さんの隣に並べないんです。自信を持って太陽さんの横に並べる人になりたい。強くなりたいんです」

 葵が真剣な眼差しで俺を見ながら言った。続けて彼女の思いが話される。


「太陽さんのことが好きです。……でも今の私じゃ釣り合わないです」 

そんなことないと伝えるが、葵は首を横にゆっくり振った。

「きっと今付き合ってしまうと私は弱い私を嫌いになります」

 葵は自分を変えようと一生懸命なんだ。
 陰口を言われ下を向いてばかりいたか弱い彼女はもういない。
 目の前にいるのは前を向いて自分の芯を持った葵だ。
 変わろうとしている彼女の邪魔をするわけにはいかない。
 次に会う時は葵に負けない様にもっと誇れる自分でいたい。

「そっか。俺の想いを聞いてくれてありがとう」

 最後に俺の想いを最後まで聞いてくれたお礼を伝え、先に教室を出た。

 俺の恋が終わった。みんなよりもかなり遅い初恋だった。






 その日は家に帰っても電気も付けず、食事も取らず当然風呂にも入らず、ただぼーっと真っ暗な部屋な窓から見える三日月を眺めていた。

 どうやら人生初の失恋が、自分で思っていた以上にショックだった様だ。

 ふと時計を見ると時刻は深夜二時。俺を置いていく様に時間だけが過ぎていた。

 普通ならばみんな寝ている時間だ。
 分かっている。分かっているが、誰かに話を聞いたもらいたい。

 こんな時間に電話をかけるのは迷惑だと思う気持ちと、この行き場のない気持ちを誰かに話したい気持ちが交互に出てくる。

 申し訳ないと思いながら電話帳から名前を探し電話をかけた。トゥルルトゥルルと呼び出し音が鳴るが、中々電話に出ない。それもそうだなと思い、諦めて電話を切ろうとすると寝ぼけた声で照明が出た。

「……太陽? どうしたこんな時間に? なんかあった?」

 少し慌てている懐かしい声。久しぶりに聞く照明の声に心がほっとする。

「照明聞いてくれよ、振られちゃったー」

 落ち込みたくないからわざとおどけて言う。

「……俺はお前のママじゃないぞ」

 少し間を空けてから照明が言った。口ではそう言っているものの、夜遅くにしかも寝ていたところを起こしたのだろうに、めんどくさがらず電話も切らずに俺の話を聞き慰めてくれた。

 昔と変わらず照明は優しい。俺が女ならきっと惚れているだろう。

「珍しいな太陽が振られるなんて。そんなに好きだったのか?」
「初めてこんな気持ちになった。恋って難しいな……」
「……そうだな」

 照明の歯切れの悪い声から、星来に想いを伝えられていないことを察した。彼もまた恋の難しさに直面していた様だ。

 久しぶりの電話だったこともあり、時間なんて忘れて俺達は朝まで語り明かした。カーテンの隙間から差し込む光で朝が来たことを知る。

「もう五時だ。俺らずっと話してたな」
「起こしてごめんな。寝てたよね?」
「何を今更。それに久々に話す親友の傷心は早めに癒しておかないとな」

 あの頃と変わらない笑い声が電話越しに聞こえた。

 お前本当にいいやつだよ。
 いい親友を持ったと改めて実感する。

「ありがとう。照明もーーーー」

 ちゃんと星来に想いを伝えなよ。

 そう言おうとしたがやめた。余計なおせっかいだ。
 きっと照明には照明の考えがあるのだろう。俺が邪魔するわけにいかない。

「ん?」
「何でもない。ありがとう。俺が女だったらお前と付き合わわ」
「だろ?」

 電話越しに二人で笑い合う。

「失恋が言えなかったらまた電話くれればいいさ」と照明が言って親友との電話が終わった。






 大学生と違い社会人は中々忙しい。

 初めての社会人。初めての環境。初めての業務。初めての成功。初めての失敗。社会人のルール。

 覚えることが多過ぎて目まぐるしく一年が過ぎ去った。
 先輩達に必死にくらいつき、何とか人並みに仕事ができる様になってきた社会人二年目。俺にも後輩ができる。
 
「太陽もとうとう先輩か。新人の子がお前より優秀だったらどうする?」
「やめてくださいよー。リアルにありそうなんで笑えないです。でもまぁ、先輩風を吹かせますけど」

 俺の教育係の空田(そらだ)さんから愛のあるいじるをもらう。口で行っている様に先輩風を吹かせられるかは分からないが、吹かせられる様に努力していくつもりではある。
 というのも今年の新人は全部で五人らしいが、一人飛び抜けて優秀な子が入ってくると噂になっていた。

「優秀だし綺麗な子らしいよ。才色兼備ってやつだな」
「羨ましいですね」
「何言ってんだ。お前だって男版の才色兼備みたいなやつだろうが」
「いて! 男版の才色兼備って何ですか!」

 空田さんに頭をどつかれた反動で体が軽く前に倒れた。

「お前だって入社前から優秀な奴が来るって噂だったし、実際に来てみれば仕事覚える早いしできるしわで俺の出る幕なんてほとんどなかったんだからな。まぁ、その分俺は楽できたからよかったけどな」
「酒の飲み方と麻雀教えてくれたじゃないですか」
「まぁな」

 再び頭をどつかれる。空田さんなりのスキンシップなのだが、高校大学とラグビーをやってきた屈強な手でどつかれるとそこそこ痛いし押され負ける。

「そうそう。その才色兼備の子なんだけど、太陽が教育係になると思うからよろしく」
「え、俺なんですか? そういうのってもっと上の人がやるんじゃないですか? 俺、まだ二年目なったばっかですよ」
「普通はな。お前は別枠。それだけ評価されてるってこと。綺麗な子だからってセクハラはだめだからな」

 ニヤニヤ笑いながら空田さんが言った。彼からの激励なのだが、この人は全くもう……。
 でも自分がそれだけ評価されていることは素直に嬉しかった。頑張ってきて甲斐があった。

「空田さんじゃないんだからそんなことしませんよ」
「お! 言うようになったじゃないか太陽先輩」
「いててて! 空田さんこそセクハラじゃなくてパワハラに気をつけてくださいよ」

 背後から首に腕を回され、プロレス技の様に絞められた。仕事がとてもできて尊敬している先輩だが、この人の心は学生のまま止まっている。俺よりも五つも上なのにいつもこんな感じに絡んでくる。ある程度力加減しながらやってくる辺りは空田さんなりの気遣いなのかもしれない。

 そんな激し目なスキンシップをしていると時刻は九時。朝礼の時間だ。
 部長が職員の前に立ちいつもの様に挨拶から始まる。ただ今日はいつもと違い新入社員の挨拶と紹介があった。

「ーーーーと言うことで、今年の新人だ。みんな困っていることがあればフォローしてください。じゃあ入ってきて順に挨拶して」

 部長の手招きで五人の新入社員が俺達の前に現れる。
 おろし立てのピカピカのスーツに少し緊張した表情。一年前は俺もあちら側に立っていた。少し懐かしく思っていると、一人の女性に目が入った。

 ピンッと伸びた背筋に万人受けする綺麗な容姿と自信に満ちた表情。
 艶々の黒髪を後ろで一つにまとめ、小さな顔にタレ目の可愛らしい大きな瞳は少し辛目のアイラインでキリッとしており、華奢で小柄な体型ながらも他の新入社員よりも大きく見えた。
 一目でこの子が噂の新人なんだろうと分かった。

「日向葵です。先輩方の足を引っ張らない様に精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」

 聞き覚えのある声だった。 
 名前だって知ってる。
 メイクで雰囲気が違うがよく見れば変わっていない。
 噂の新人は葵だったのだ。こんな偶然あるのだろうか。
 
 驚いて葵から目が離れずにいると、俺の視線に気が付いたのか彼女がこちらを向いた。俺だと分かったのか葵も驚いて俺から目が離せない様だ。お互いに見合う不思議な時間が流れた。

 朝礼後、急いで葵の元へ向かう。 

「びっくりした。ここに入職したんだね」
「私だってびっくりしましたよ。まさか太陽さんがいるとは思わなかったから」

 お互いにおかしくて笑い合う。

「何? お前ら知り合い?」

 そんなやり取りを見ていたのか空田さんが話しかけてきた。
 「大学の後輩です」と答えると空田さんは納得した様だった。

「なるほどな。どうりで優秀なわけだ」
「それほどでもないですよ」
「そこは謙遜するところじゃないのか?」
「素直に褒められるとこは褒められようと思いまして。いてっ」

 空田さんにまた頭をどつかれた。「調子にのるな」と言っていながら空田さんは笑っていた。

「太陽が教育係だから分からないことあったら太陽に聞く様に。太陽はセクハラしない様に」
「だからしませんてば空田さんじゃあるまいし」
「ほれ、マニュアル持って早く業務内容説明してこい」

 二人分のマニュアルを手渡され隣の部屋に行く様に促される。空田さんはそういうところは抜け目ないんだよな。

 行こうかと隣の空いている部屋に葵を連れて移動する。
 隣に座りマニュアルを開きながら簡単に業務を説明していく。
 マニュアルに俺が伝えたことや書き足したり、大事なところに線を引きながら葵は一生懸命話を聞いていた。
 横から見える葵の顔は大学時代よりもさらに美しさに磨きがかかっていた。自信がなくどこか儚げな表情は自信を持った芯のある表情に変わっていた。
 まじまじと近距離で見ると思わずドキッとする。

「私の顔何か付いてます?」

 俺からの視線に気付き、不思議そうに葵が言う。

「いやそう言うわけじゃなくて。大学の時も可愛かったけどさらに綺麗になったなぁって思って……。これセクハラか! ごめん聞かなかったことにして!」

 空田さんに冗談ぽくセクハラに気をつけろと言われていたのに、蓋を開けてみれば本当にセクハラしていた。情けない。
 俺があたふたしているのとは反対に、葵はきょとんとしていた。

「なんか珍しいですね、太陽さんがあたふたしてるのって」
「そう?」
「はい。どちらかと言うと頼れる先輩って言うイメージでしたから」
「……今は頼りない?」

 思わず苦笑いする。

「頼りないと言うよりも、私が強くなっただけかもしれないですよ? あなたの隣に立てる様に」

「それってーーーー」
「太陽! 部長が呼んでる」

 俺の声は空田さんに掻き消された。なんとまぁタイミングが悪い……。

「あれ? なんかタイミング悪かった?」

 俺がガクッと肩を落とした姿を見て空井さんが苦笑いする。

「……大丈夫です。部長のとこ行ってきます。ちょっと席を外すので代わりに空田さんマニュアルの説明お願いしてもいいですか?」
 空田さんは「おうっ」と応えて引き継いでくれた。


 そのまま今日の業務時間が終わり、帰ろとした俺の肩を大きなごつごつとした手が捕まえる。振り返らずとも誰だか分かる。この手を持ってる人は社内にあの人しかいない。

「太陽! 飲み行くぞー!」

 体に負けないぐらい大きな声で空田さんから飲みの誘いが来る。

「今日ですか? 俺帰ろうと思ってたんですけど……。あ、空田さんの奢りですか?」
「お前も言う様になったな!」

 大声で笑いながら空田さんが言う。そりゃああなたの下で働いていれば嫌でも言う様になりますよ。……なんて本人には言えないけど。

「いいぞ奢ってやる! まとめて奢ってやる!」
「まとめて?」
「実は僕たちも誘われていて」

 控えめに新入社員の一人である鈴木君が言った。空田さんの後ろには五人の新入社員が立っていた。当然その中に葵もいる。
 これはまた空田さんも思い切ったなぁなんて思いながらも、空田さんらしいなとも思った。早く馴染める様に親睦を深めようとしているのだろう。
 体も声も大きいし体育会系だし、ちょっと暑苦しいところもあるけど空田さんのそういうところは素直に尊敬している。

「分かりましたよ。せっかくなんで行きますよ」

 乗り気じゃない様な声で応えるが、実はちょっと嬉しかったりもする。


 俺と空田さん、五人の新入社員とその他数名の人数で近くの居酒屋に入った。

「新人達よ遠慮せずどんどん飲め! ただし吐かないように! 乾杯っ!」

 ビールジョッキを掲げて空田さんの乾杯の音頭で飲み会が始まった。初めは空田さんの見た目に怯えていた新入社員達も、思ったより気さくな空田さんに慣れたのか笑顔が見られる。
 
 和やかな雰囲気で飲み会が終わるーーーーそう思っていたが……。

「空田さん! ここで寝ないでください! 空田さんってば!」

 飲み会の終盤には空田さんは酔い潰れ、俺に寄りかかりながらそのまま寝そうになっていた。
 豪快な見た目とは反対に実はこの人はあまり酒に強くない。強くないくせに盛り上げようとどんどん飲むので、大体いつも酔い潰れて俺が一緒に帰るのがお決まりのパターンだった。
 全くこの人は毎回毎回手がかかると思いながらも、なんだかんだ空田さんを慕っている自分がいる。

 会計を済ませて居酒屋の前でみんなと別れる。

「あの、本当に大丈夫ですか? 僕達も手伝いますよ」

 酔い潰れた空田さんの肩に慣れた手付きで手を回していると、鈴木君が心配そうに声をかけてくれた。

「大丈夫。ありがとね。いつものことだし、適当にタクシー拾って帰すから。みんなも気をつけてね」

 そう言いながらタクシーを拾うために空田さんを担ぎながら大通りに向かった。

「太陽。水飲みたい……」
「今ですか!? ちょっと我慢してください。もう少ししたらコンビニあるんで」
「今飲みたい」

 空田さんは子供のように大声を出して体を大きく揺らした。体格で負けてしまうためよろけそうになる。

 こんの酔っ払いが!

 よろよろと歩いていると急に空田さんが軽くなった。驚いて左を向くと空田さんの左肩を担ぐ葵がいた。

「え、なんでいるの?」
「なんでって……そりゃぁ、よろよろ歩いて行く先輩達の後ろ姿を見たら心配になりますよ」

 どうやら心配して俺達の後を追ってきてくれたらしい。

「大丈夫だよ。それに帰り遅くなるから気にせず帰りな」
「大丈夫じゃないでしょう? 体格差がそれだけあるんだから」

 確かに俺と空田さんは十五センチ位身長が違うし、高校から運動をしていなかった自分とは違い、大学までラグビーをやっていた空田さんは全身筋肉質でガッチリとしており見た目以上に重い。

「帰り遅くなると危ないからいいから帰りな」
「大丈夫です! それよりほら! タクシー来そうなんで手を挙げちゃますね!」

 丁度タクシーが通りかかり、住所を伝えて空田さんを乗り込ませる。やっと肩が軽くなった。

「ほら、葵も乗って」
「大丈夫です。それに方向反対なんで。あ、出ちゃって大丈夫です」

 タクシーの運転手に葵が声をかけ、タクシーは出てしまった。

「方向反対でも乗ってけばよかったのに。もう一台どっかで拾おう」
「別にいいですよ。歩いて帰れるし」
「こんな夜道を一人で帰らせられません。ほら、タクシー呼ぶよ」

 スマホをポケットから取り出す手を葵が止める。

「もう! 鈍い! 太陽さんと話したかったの!」

 さっきまでの穏やかな声とは違いちょっと勢いのある声で葵が言う。いきなりのことで驚いてぽかんと口が開いた。

「さっき話したじゃん。みんなで」

 俺がそう言うと葵は怪訝そうな顔をして「はぁ」とため息をついた。

「私は二人で話したかったの! 偶然再開できて、しかも同じ会社で! 久しぶりに会って話したいことたくさんあるのに仕方ないけど仕事中は話せないし!」
「俺も久しぶりに会って嬉しかったよ。でも、これからいつでも話せるじゃん」
「そうなんだけどそうじゃなくて! 分かってない! 太陽さん早速新人女子達からモテてるし、周りの先輩方も綺麗な人多いし……。絶対太陽さんのこと狙ってる人いますよ!」
「狙ってるって……俺狩られるの?」

 興奮している葵を落ち着かせようと冗談を言ってみたが効果がなかった様で、「もう! だからそうじゃなくて」と余計に興奮させてしまった様だった。葵はバタバタと落ち着きがない。

「……久しぶりに会ってみて私どうですか?」

 どうですかって言われても……。
 このご時世、「綺麗になったね」なんて後輩女子に言えない。セクハラになってしまう。

「嬉しいよ」

 言葉を選んで伝える。どちみち本心だし。

「それは嬉しいんですけど……。その、見た目とか。綺麗になったとか……」

 下を向きながらもじもじしながら葵が言った。
 本人がそう言ってるなら言ってもいいのかな?

「綺麗になったなって思った。もともとすごい可愛かったし」
  
 本人に伝えるとなると少し恥ずかしい。目線を逸らしながらそう言った。葵の顔が見れない。自分の顔が熱くなるのが分かる。

 葵が何も言わなくなってしまった。
 やっぱり言ったらまずかった? これセクハラ? やばい? 
 数分の沈黙の時間が流れ、耐えられなくなった俺が葵の顔を見ると、葵の赤くなった顔が見えた。

「……嬉しい」

 赤くなった顔を手で押さえながら葵がつぶやいた。葵は一度両手で顔を覆って隠してから、その手を下げ俺の方を見た。

「私、ずっと太陽さんのことが好きでした。告白されたのも嬉しかった。……でも、あなたの隣に立てるほど強くなくて、周りの目が怖かったんです。人気者の太陽さんの彼女になることで言われる悪口と、私と付き合ったことで悪く言われてしまう太陽さんが」

 そんな風に葵は思っていたのか……。
 告白したあの教室。あの時間を思い出す。

「だからあなたの横に自信をもって立てる様に、勉強も見た目も性格だって、変われる様に一生懸命頑張りました」

 だから君は昔よりも遥かに綺麗になったし、入社前から噂になるくらい優秀になったんだね。
 たくさんの努力をしてきたんだね。ちゃんと伝わっているよ。

「太陽さん、好きです。ずっと好きでした……。一度は断ってしまったけど、もしまだチャンスがあるなら私と付き合ってください」

 涙を溢しながら葵が言った。街灯に照らされキラキラと葵の目元が光っている。

 昔一度振られた相手。
 答えはもう決まっている。

 いや、あの時から変わっていない。

「困ったなぁ。先に言われちゃった」

 ゆっくり葵に歩み寄り、小柄な体を優しく両手で抱きしめる。

「俺もずっと葵のことが好きだった。俺と付き合ってください」

 どんどん綺麗になっていく君をやっと捕まえた。
 


  


 大人になると時間が過ぎるのが早いと聞くが本当だった。
 気付けば社会人五年目。葵と付き合って五年経った。

 社内恋愛禁止というわけではないが、何となく恥ずかしかったため、お互いに交際がバレない様に徹底していた。その甲斐あってか本当に俺と葵が付き合っていることを知っている人はいない様だった。自分で隠しておきながら二人だけの秘密だと嬉しい反面、誰かに言いたいと思う自分がいた。

 そしてついにこの日が来た。ずっと心に決めていた日が。
 今日は葵の誕生日だ。
 
 少し……いや、だいぶ奮発して自分では見たことのない値段のレストランを予約して葵の誕生日を祝った。

「誕生日おめでとう」
「ありがとう」

 このレストランにふさわしい様にお互い着飾って、いつもは食べない様な丁寧に盛り付けられた食事に手をつける。

「んー、美味しい! ありがとう太陽。料理も美味しい、雰囲気も素敵だし……結構お値段もするでしょ?」

 食事に満足してくれた様で嬉しかった。同時に値段を心配してくれていた様だが。 

「喜んでくれたなら何より。ちょっと頑張ったくらいだから大丈夫」

 葵はそれ以上何も言わなかった。俺に気を使ってくれたのだろう。笑顔で料理を楽しんでいる。

 俺はと言うと……この後のことが上手くいくかどうか心配で料理の味がしなかった。

 確かにこのコースは結構いい値段がした。でも、葵に楽しんでもらいたかったから迷わず即決だっだ。
 それにもっと高い物も最近買った。

 いつ買おうか、いつ渡そうかずっと迷っていた物を。


 食事を済ませレストランを後にする。
 外の空気がワインでほろ酔いの俺達には気持ちがいい。
 同時に少し緊張する。

「ーーーーよう! 太陽ってば!」

 はっと我に返り、葵に呼ばれていることに気が付いた。

「ごめん、なに?」
「せっかく三日月と星が綺麗だからこのまま散歩して行こうって、何回も言ってるのに全然聞いてないし。どうしたの?」
「ごめん、ごめん。ちょっと考え事しててさ」
「せっかくの料理もあんまり美味しそうじゃなかったしどうしたの?」

 葵に料理が味わえていなかったことがバレていたらしい。

「大丈夫。行こうか」
 
 手を伸ばし葵の手を握る。手を繋ぐと驚いた顔で葵は俺を見た。

「……手が冷たい。もしかして具合悪い? やっぱり散歩しないでこのまま帰ろう」
「え? 大丈夫! 全然元気!」

 葵に言われて初めて自分の手が冷たいことが分かった。 
 自分でも気が付かないほど緊張している様だった。
 今までこんなことなんてなかった。生まれて初めてかもしれない。

「無理しないで。このまま帰ろう」

 俺の手を引いて帰る方向に葵が誘導して行く。
 違う。具合が悪いんじゃない。緊張しているだけなんだ。
 言いたいけど言えなかった。

「本当に元気なんだ。だから、あの、その……少しだけ散歩したいんだけどいいかな……?」
「本当に大丈夫? それならいいけど」

 月明かりに照らされる夜道を手を繋ぎながら歩いて行く。
 準備は整った。あとはタイミング。タイミングだけだーーーー。

 ……っていつだ? 絶対に失敗はできない。

「ねぇ、本当に大丈夫? さっきよりも手が冷たいけど」

 心配そうに葵が俺の顔を覗き込む。
 「大丈夫」と答えながらも心臓がバクバクと鼓動しているのが分かった。
 少し歩いて行くと、おそらく偶然なのだろう。一箇所だけ月明かりに照らされてキラキラと光るベンチがあった。ちょうど人も誰もいない。

 ここだ。ここにしよう。勇気を出せ俺。

 「ちょっとそこで休憩しよう」と声をかけ、二人でベンチに腰掛けた。

「葵」
「ん?」
「あのさ」
「何?」

 ずっとイメージしてきたのにまた言葉が出てこない。
 あの時とーーーー告白した時と同じだ。
 早く言わなきゃ。分かってる。でも言葉が出てこない。
 昨日ちゃんとイメージしてきたのに。
 何やってるんだ俺。かっこ悪い。

「今日はありがとう。私と付き合ってくれてありがとう」

 黙り込んでしまった俺に向かって葵が笑顔でそう言った。

 違う、それは俺の方だ。また先に言われてしまった。
 俺と付き合ってくれてありがとう。

 でも、もう彼氏じゃいられないーーーー。

 上着のポケットから小さな箱を取り出して葵に向けて開く。

「今度は俺から言わせて。葵、俺と結婚してください」

 月明かりがライトとなりシルバーの婚約指輪がキラキラと輝いていた。

「もちろん! 太陽の一番にしてください!」

 返事は秒で来た。
 プロポーズしたとほとんど同時に葵が俺に抱きついた。その勢いに負け、二人でベンチから転げ落ちた。
 葵が俺の体の上に倒れ込み目と目が合った。

「それでずっと緊張してたの?」
「だって一回振られてるし」
「太陽以外の人と結婚するなんて考えられないよ。一番好きな……一番大好きな人なんだもん!」
「俺を一番に選んでくれてありがとう」

 もう一度葵を抱きしめる。
 
 君の一番になれた。






 昔のことを思い出しながら一人で夜道を歩く。
 俺は良い親友を持ち、最愛の人と結ばれた。
 酒が入っていることもあり気分が良い。早く葵に星来と照明の話をしたい。

 早く最愛の人ーーーー。葵、君に会いたい。

 そう思うと自然と手はポケットの中に入り、スマホを取り出していた。
 歩きながらメッセージアプリを開き、トーク画面の上から順に葵の名前を探す。
 一番上は照明。二番目は星来。三番目に葵の名前があった。
 呼び出し音を鳴らしながら葵が電話に出るのを待つ。

「もしもし? どうしたの? また飲み直すの? 楽しむのもいいけど、飲み過ぎない様にね」

 電話に出たかと思えば、早々に飲みすぎない様に注意されてしまった。

「葵」
「んー?」
「俺を君の一番にしてくれてありがとう」

 俺の言葉に葵が驚く。突然の臭いセリフだったかもしれない。だけど、その言葉が自然と出てきたのだ。

「どうしたの急に。酔ってる?」
「それもあるかも。早く今日の話……俺の親友の話を聞いて欲しい」
「今日飲み会行く前にも聞いたじゃん。……まぁ、それだけ大切な友達なんだよね。気をつけて帰ってきなね」

 ふふふと笑いながら葵は電話を切った。

 俺を一番に選んでくれた人の元に帰る。

 このままあの二人とーーーー星来と照明とこの関係がいつまでも続いてほしい。

 
 二人が幸せに過ごせます様にーーーー。
 夜空に浮かぶ三日月と星を見ながらそう願った。