屋上へ上がると、日が傾き始めていた。
このビルは周囲より少し高いところにあり、空がよく見える。
だから、夕日も綺麗に見えている。

──こうやって上を見れるのは、雨夜のおかげだ。

暗闇の中の光を教えてくれたから。
星はとても綺麗な、目印だってわかったから。

──どうか、天の上の母さんと兄貴に届きますように。

俺はヴァイオリンを奏で始めた、

──やっぱり、最初は主よ御許に近づかん、だ。

ヴァイオリンの音色が辺りに響く。
空まで、響き渡る。

──俺は祈る。祈る続ける。そして、弾き続ける。

そう、天に誓った。

「俺、兄貴の年齢、いつのまにか越したぜ。でも、、兄貴には一生、追いつけねぇ。」
 呟きながら次の曲を弾き始めた。

 俺が小さい頃から大好きな、アメイジング・グレイス。
母さんがよく弾いてくれていた。
「お父さんにも、聴かせてあげたい曲」と少し寂しそうに俺に言っていたのが、とても心に残っている。
もし、父さんが、何処かにいるのなら、聴かせてあげたい。
この、アメイジング・グレイスを。
そう思い、今は此処でこの曲も弾いている。

アメイジング・グレイスを弾き終わる頃には、日が沈もうとしていた。
そして、最後の太陽の光が空を照らした時、
「葉月さん!」
 俺を呼ぶ雨夜の声がした。
振り向くと、何か思い詰めた表情の雨夜が立っていた。
「あの、、葉月さん。」
 言いにくそうに言葉を詰まらせた。
「雨夜、、ヴァイオリン、弾いてみる?」
「え?」
「いつも聴いてるだけじゃ、つまんねぇかなって。」
「え、えっと、、。」
 恥ずかしそうに下を向きながらも、興味はあるようで目は輝いていた。
「ちょ、ちょっとだけ、、。」
「うん。、、では、俺が教えて差し上げよう!」
 少しふざけてみせ、雨夜の気持ちを軽くした。

「此処を押さえて、この弦を弓で弾く。、、そうそう。」
 雨夜が恐る恐る、ヴァイオリンを弾いた。

「うまいうまい!綺麗な音だ。」
 俺が笑顔で褒めると
「すごい!音、鳴りました!弾けました!」
 俺に向かって微笑んでくれた。
「うん!すごい!」
「ありがとうございます!葉月さん!」
 嬉しそうな雨夜に思わず目頭が熱くなった。
「、、?どうしたんですか?葉月さん?」
「、、うんん。よかったって思って。」
「え?」
 ランタンの灯りの元、不思議そうな顔で見つめてくる雨夜。

「笑ってくれて、よかった。」
 ポツリと呟いた俺は雨夜に笑いかけた。

すると、逆に雨夜の顔は沈んだ。
「え?、、雨夜?」
「、、ごめんなさい。」
 悲しそうにそう一言、俺に向かって言った。
「、、。」
 俺は意味がわからなくて、雨夜の次の言葉を待った。

「今日、、本当は葉月さんに、話さないといけないことがあったんです。あることを、、聴いてもらおうと、思ってたんです。でも、、言えなくて。話す、、勇気が出なくて。葉月さんなら、わかってくれる、受け入れてくれる、そう、思ってるんですけど、、話せなかった。いつも私に明るく接してくれる、一緒に仕事をする葉月さん、っていう、私たちの関係が、壊れちゃうんじゃ、ないかって。不安になったんです。」
 一気に涙ぐみながら、そう伝えてくれた。

「、、そんなに焦って伝えてくれなくても。」
 軽く息を吐きながら俺は口を開いた。
「え?」
 雨夜があっけに取られたように目を開いた。
「、、雨夜が俺に話したいって思った時に話してくれたらいいよ。」
 慌てる雨夜が面白くてつい口元がニヤける。
「でも、、。」
「俺は、待ってるから。」
 優しく、微笑んだ。
雨夜が息を呑むのがわかった。
「待ってるから。」

ランタンに照らされ、まるで俺と雨夜、2人だけで時が流れている感覚がした。

「ありがとう。葉月さん。」
 俺の言葉を噛み締めるように言った。
俺は黙って頷いた。

──俺は、雨夜が伝えてくれる日を、待ってるから。ゆっくりでいいから。雨夜が俺に、伝えたいって思った日に、伝えて欲しい。ってか、何を話されるんだろ?、、まぁいっか。その時わかるんだし。

そう心の中で気楽に思った。
が、後に語られる雨夜の過去は、想像していないものだった。