最後までお読み下さって、ありがとうございます。
以上で作品は完結となります。私が建林さんから受け取った資料のうち、重要な点については過不足なく伝えられたことと思います。
ここで作品の補足として、私の個人的な解釈をいくつか添えておこうと思います。
まず、月夜巳をいわゆるサイコパスだとする説ですが、私はこの意見に異を唱えたい。彼は本当に心の優しい人物だったと思います。でなければ、島の人々が六十年も守り神として慕い続けた説明がつきません。直向きに亡き母の想いを考え続け、無我夢中で答えを求めた結果、《いとまじ》の解釈を間違えてしまったのではないでしょうか。
《いとまじ》に関する伝承は、その全てにおいて過去に犯した罪を忘れまいとする自戒の意識が見られます。
十二年に一度の殺人は、単なる月夜巳の暴走ではなく、島人全員が共有していた罪の意識を、彼一人の手で引き受けるための儀式だったのではないでしょうか?
彼らが慕った月夜巳様は、その才能を全て島の為に尽くすような、慈悲深い人物だった……そう考えれば、罪の意識を共有しない若い世代が、儀式を受け容れず彼を殺してしまったことも、その後、島の人々が皆んなでその儀式を引き継いだことも、納得ができる気がします。
次に《いとまじ》とはなんなのか。「言葉は生き物」と言われます。《いとまじ》は受け取り手によって、その意味が千変万化するまさに“生き物”でした。
そして、確定しないその意味を考え続けてしまうことが《いとまじ》の呪いの本質です。
吉田死刑囚はそれを知ってか知らずか、二人の刑務官に《いとまじ》を伝えました。そして吉田の死によって、二人の中で《いとまじ》は強烈に「死」そのものと紐づけられた。
恐らく八剱看守長が手塚明日菜にやったのも同じことでした。酒井刑務官の死を利用して、彼女の中で《いとまじ》を「死」のイメージに近づける……それが呪いとしての《いとまじ》の使い方。
《いとまじ》のイメージが呪いに近づけば近づくほど、その精度は上がっていく。八剱が狙っていた呪法の完成はそこにあったと思います。もしかすると、彼は《いとまじ》がそんな言葉だと思われるような話を、密かに流布していたかも知れません。広大なインターネットに一度拡散してしまえば、誰もその拡がりを止めることはできませんから。
私は、怖くて調べられていません。ですが、皆さんも調べない方がいいと思います。自分が見ることで更に多くの人の目に留まることになったら? もしそれで、いたずらに悪い《いとまじ》が伝わってしまったら? そのせいで、八剱の考える《いとまじ》が成就したら……一体なにが起きるのでしょう。
万が一、悪いことが起こってしまったとして、貴方はその罪悪感に耐えられますか?
ごめんなさい、少し意地悪でしたね。大丈夫です。私達が《いとまじ》を正しく使えば、被害は最小限に抑えられるはず。言葉の意味が定義されずとも、善い言葉として扱い、その認識を広めることができれば、きっと大丈夫。
建林さん、これでよかったですか? もしどこかで読んでくれていたら、ごめんなさい。私が途中で投げ出していたせいで、期限を過ぎてしまいました。この作品が世に出るのは、ちょうど2025年になります。恐らく、八剱の《いとまじ》を防ぐには時間が足りません。
建林さんは怖くなったんですよね。八剱の手記を読んで、解決したと思った呪いが、もう手の届かない範囲で完了した可能性を知ったから。
だから、日本にいるのは危ないと考えて、どこか遠くへ逃げたんでしょう。
それでも一縷の望みをかけて……いや、完全に関係を絶つために資料を私に託した。私の作品が世に出れば、自身は無関係でいながら、わずかでも善い《いとまじ》を拡散することができる。呪いの威力を削ぐ方法はそれしかない。
判断は正しかったと思います。もし、八剱が生きていたら。2025年に呪いが成就して、彼が還暦と共に完全に月夜巳の力を受け継いだとしたら、日本全土の加護を名目に、どんな未曾有の災厄が起きるかは想像に難くありませんから。
いま日本に住んでいることが、正直なところ、怖い。でも、未来で《いとまじ》が善い言葉となれば、その性質も転化するはずだと信じています。
これを書いている時点で私は、2025年になにが起きたか知りません。そして、それより未来の日本が、どうなるのかも分かりません。
いま、貴方がこの作品が読んでいる現在、まさに起こっているであろう世界情勢の目まぐるしい変化も、私にはとても計り知れないことです。
果たして、そんなちっぽけな私の試みが、時を超えて成功するかどうか……私にできるのは、ただ切に、この世が平和であって欲しいと願うことだけです。
ここまで怖い話ばかりで、不安にさせてしまいましたね。このままでは《いとまじ》に悪いイメージがついてしまいそうです。仮にも言葉を扱うことを生業にしている物書きの私が、作品を呪いの拡散として世に広めるなんて、決してあってはなりません。だから、そうならないように、最後に善い《いとまじ》の使い方を記して、締め括りとさせていただきます。
読者の皆さんの中に、もしこのオカルト話を信じて下さる方がいらっしゃったら、次の例を参考に《いとまじ》を実践して下さい。
例えば、思い出したくない記憶が浮かんだとき。
例えば、未来への漠然とした不安に襲われたとき。
例えば、想いの伝わらない相手に執着しそうになったとき。
例えば、ひとつの考えに囚われそうになったとき。
例えば、誰かに心ない言葉を投げられたとき。
例えば、不意に誰かを傷つけそうになったとき。
それら全てに《いとまじ》と、無心で唱えて忘れましょう。
この言葉は、私たちを守り、あなたが前を向いて生きるためのおまじないです。
以上で作品は完結となります。私が建林さんから受け取った資料のうち、重要な点については過不足なく伝えられたことと思います。
ここで作品の補足として、私の個人的な解釈をいくつか添えておこうと思います。
まず、月夜巳をいわゆるサイコパスだとする説ですが、私はこの意見に異を唱えたい。彼は本当に心の優しい人物だったと思います。でなければ、島の人々が六十年も守り神として慕い続けた説明がつきません。直向きに亡き母の想いを考え続け、無我夢中で答えを求めた結果、《いとまじ》の解釈を間違えてしまったのではないでしょうか。
《いとまじ》に関する伝承は、その全てにおいて過去に犯した罪を忘れまいとする自戒の意識が見られます。
十二年に一度の殺人は、単なる月夜巳の暴走ではなく、島人全員が共有していた罪の意識を、彼一人の手で引き受けるための儀式だったのではないでしょうか?
彼らが慕った月夜巳様は、その才能を全て島の為に尽くすような、慈悲深い人物だった……そう考えれば、罪の意識を共有しない若い世代が、儀式を受け容れず彼を殺してしまったことも、その後、島の人々が皆んなでその儀式を引き継いだことも、納得ができる気がします。
次に《いとまじ》とはなんなのか。「言葉は生き物」と言われます。《いとまじ》は受け取り手によって、その意味が千変万化するまさに“生き物”でした。
そして、確定しないその意味を考え続けてしまうことが《いとまじ》の呪いの本質です。
吉田死刑囚はそれを知ってか知らずか、二人の刑務官に《いとまじ》を伝えました。そして吉田の死によって、二人の中で《いとまじ》は強烈に「死」そのものと紐づけられた。
恐らく八剱看守長が手塚明日菜にやったのも同じことでした。酒井刑務官の死を利用して、彼女の中で《いとまじ》を「死」のイメージに近づける……それが呪いとしての《いとまじ》の使い方。
《いとまじ》のイメージが呪いに近づけば近づくほど、その精度は上がっていく。八剱が狙っていた呪法の完成はそこにあったと思います。もしかすると、彼は《いとまじ》がそんな言葉だと思われるような話を、密かに流布していたかも知れません。広大なインターネットに一度拡散してしまえば、誰もその拡がりを止めることはできませんから。
私は、怖くて調べられていません。ですが、皆さんも調べない方がいいと思います。自分が見ることで更に多くの人の目に留まることになったら? もしそれで、いたずらに悪い《いとまじ》が伝わってしまったら? そのせいで、八剱の考える《いとまじ》が成就したら……一体なにが起きるのでしょう。
万が一、悪いことが起こってしまったとして、貴方はその罪悪感に耐えられますか?
ごめんなさい、少し意地悪でしたね。大丈夫です。私達が《いとまじ》を正しく使えば、被害は最小限に抑えられるはず。言葉の意味が定義されずとも、善い言葉として扱い、その認識を広めることができれば、きっと大丈夫。
建林さん、これでよかったですか? もしどこかで読んでくれていたら、ごめんなさい。私が途中で投げ出していたせいで、期限を過ぎてしまいました。この作品が世に出るのは、ちょうど2025年になります。恐らく、八剱の《いとまじ》を防ぐには時間が足りません。
建林さんは怖くなったんですよね。八剱の手記を読んで、解決したと思った呪いが、もう手の届かない範囲で完了した可能性を知ったから。
だから、日本にいるのは危ないと考えて、どこか遠くへ逃げたんでしょう。
それでも一縷の望みをかけて……いや、完全に関係を絶つために資料を私に託した。私の作品が世に出れば、自身は無関係でいながら、わずかでも善い《いとまじ》を拡散することができる。呪いの威力を削ぐ方法はそれしかない。
判断は正しかったと思います。もし、八剱が生きていたら。2025年に呪いが成就して、彼が還暦と共に完全に月夜巳の力を受け継いだとしたら、日本全土の加護を名目に、どんな未曾有の災厄が起きるかは想像に難くありませんから。
いま日本に住んでいることが、正直なところ、怖い。でも、未来で《いとまじ》が善い言葉となれば、その性質も転化するはずだと信じています。
これを書いている時点で私は、2025年になにが起きたか知りません。そして、それより未来の日本が、どうなるのかも分かりません。
いま、貴方がこの作品が読んでいる現在、まさに起こっているであろう世界情勢の目まぐるしい変化も、私にはとても計り知れないことです。
果たして、そんなちっぽけな私の試みが、時を超えて成功するかどうか……私にできるのは、ただ切に、この世が平和であって欲しいと願うことだけです。
ここまで怖い話ばかりで、不安にさせてしまいましたね。このままでは《いとまじ》に悪いイメージがついてしまいそうです。仮にも言葉を扱うことを生業にしている物書きの私が、作品を呪いの拡散として世に広めるなんて、決してあってはなりません。だから、そうならないように、最後に善い《いとまじ》の使い方を記して、締め括りとさせていただきます。
読者の皆さんの中に、もしこのオカルト話を信じて下さる方がいらっしゃったら、次の例を参考に《いとまじ》を実践して下さい。
例えば、思い出したくない記憶が浮かんだとき。
例えば、未来への漠然とした不安に襲われたとき。
例えば、想いの伝わらない相手に執着しそうになったとき。
例えば、ひとつの考えに囚われそうになったとき。
例えば、誰かに心ない言葉を投げられたとき。
例えば、不意に誰かを傷つけそうになったとき。
それら全てに《いとまじ》と、無心で唱えて忘れましょう。
この言葉は、私たちを守り、あなたが前を向いて生きるためのおまじないです。
