応永二〇年 一月一日
 新年を迎えてから半日で太陽が燃え尽き、大混乱となる。婆の提案で、皆で祈祷(きとう)をしようと寺に向かったところ、本堂でなにやら気配を感じた。
 扉を開け、松明(たいまつ)で中を照らしてみると、得体の知れぬ三人衆が一堂に(かい)していた。彼らのうち、二人は刀を持った武人(ぶじん)。彼らが見守っているのは、雪のように白い肌をした女で、お産の最中だった。痛みに耐えるため刀の(さや)を握り、必死に身体をくねらせていた。
 皆、その様子を息を止めて見守る。まもなく、赤子の泣き声が響き、気づけば太陽が煌々(こうこう)と輝いていた。

応永二十年 一月三日
 婆の言うことには、今年は癸巳(みずのとみ)で、十干(じっかん)において陰の水とされる「(みずのと)」と、十二干において陰の火とされる「()」が相剋(そうこく)となる暗号(あんごう)異常(いじょう)干支(えと)にあたるらしい。先日、太陽が燃え尽きたのはそれが原因だという。
 そして、問題のあの白い御子が産まれた二月一日は日干支で辛巳(かのとみ)四柱推命(しちゅうすいめい)において、陰の金である「(かのと)」と陰の火「巳」が相沖(そうちゅう)となり、こちらも異常干支。
 異常干支に産まれた子は、霊感に優れているとされ、白い御子が産まれた時に太陽が再び燃え始めたのは、あの子の力で癸巳の流れが変わった証拠だという。
 本堂で見つかった三人は(かたく)なに身元を明かさないため、処遇(しょぐう)は協議中。

応永二〇年 一月五日
 三人の処遇が決まった。身元不明の大人を、三人も(かくま)うことはできないと判断。彼らが所持していた財宝については、島の共同財産として使わせてもらう事になった。白い御子様に関しては、満場一致で婆が引き取ることに決まった。

 静かに処遇を受け入れた、一人目の男の遺言を記す。
「我が生涯は、ただ両親の無念を晴らすために浪費された。あの子には、どうか自分の人生を謳歌(おうか)させてやって欲しい」

 抵抗の激しかった二人目の男については、今際(いまわ)(きわ)()いた言葉を遺言として記す。
「あの白い御子は尊い子だ、必ずこの世に何かをもたらすぞ」

 最後に姫君の遺言。お産の影響か声が掠れていたため、聞き取れた範囲で記す。
「おお、よしよし。泣かないで……この子がいつか、親の……を尋ねたら、どうか……いとまじと、伝えて下さい」


応永二〇年 一月八日
 婆により、白い御子は“月夜巳(つくよみ)”と命名された。