親父に会った。もう七〇を超えているのに相変わらず現役で、言語学者として研究や講義を行っている。近い日で予定が空いていたのは幸運だった。
《いとまじ》について教えて欲しい、と言ったとき、親父はなにかを悟ったようだった。
白い髭の隙間から、パイプの煙を吐き出して「あの娘は来てないのか」と聞いてきた。火事のことを伝えると「そうか。生きているなら御の字だな」と、ぽつりとつぶやいた。
やっぱり、苦手だ。まともな言葉のキャッチボールにならない。親父はいつもそうだった。最低限の言葉だけで会話を済ませようとする。母親が泣き喚いたときも、俺が家を出たときも。期待したって無駄だ。
無意識のうちに抱いていた淡い期待に見切りをつけ、彼女となにを話したか尋ねると、親父はシワだらけの瞼を閉じてなにか唱え始めた。
「……ヒトはおもんばかりなく言ふまじきことを口疾く言ひいだし、ヒトの短きをそしり、したることを難じ、隠すことを顕し、恥ぢがましきことをただす。これらすべて、あるまじきわざなり」
「なんだよ。それ」
「『十訓抄』だ。習わなかったか? 否定の《まじ》なんかは、まず古文で習うだろう」
古典文法に則れば、《まじ》は終止形で、資料中の使われ方から禁止・不適当の意味だと考えられる。《いと》はそのままの意味なら「非常に」「たいへんな」と訳されるが、ここでは意味が通らないので、例えば「厭う」のような言葉の発声が訛りで消えていて、もとは《いとふまじ》(嫌がってはいけない)などの、戒めの言葉だったのではないか……というのが親父の推測だった。
「地蔵の前を通るときに繰り返し唱える習慣があるってことは、“くわばらくわばら”みたいに嫌なものに対処するためのおまじないと考えて間違いないだろう。もし《いとふまじ》なら、意味としては、“避けるべからず・嫌うべからず”となるから、嫌なものを遠ざけるのではなく、逆にそれを受け容れる意識を持つことで、その対象から味方と認識して貰ったり、庇護に入ったり、というような効果を願うおまじないになるかな」
唖然とした。こんなに口が回る親父を見るのは初めてだ。つくづく学者というやつは、自分の専門分野となれば生き生きするものだ……俺は礼を言って、すぐその場を去ろうとした。
が、立て続けに驚くこととなった。
「母さんのことは、すまなかった」
親父の口から出た言葉。今まで、一度も言われなかった言葉。どうして、いまさら?
「当時のわたしには、どうしようもなかった。だから、あの時は自分が悪いと認められずに、お前のことまで突き放した。あいつは仕事に蝕まれて、精神を病んでいたんだ。いま考えれば、入院させておけばよかったと思う。けどな、近くに居ればなんとかなると思い込んでいたんだ」
あまりに突然の告白に、俺は静かにそれを聞くことしかできずにいた。
「わたしがすぐそばにいたのに。ずっと一緒にいたのに、それでも死ぬことを選んだあいつを、許せなかった。ただただ、悲しくて……でもな。いまは分かる。わたしが間違ってた。近くにいるだけじゃだめだったんだ。適切な対処が必要だった」
「……俺の目から見て、あのときのアンタは自分の研究につきっきりで、母さんを蔑ろにしてるように見えたよ」
「そうだな。そうなんだ。わたしは、早く仕事を終わらせて、あいつと向き合う時間を作ろうとしてたつもりだった。けれど事実はお前の言うとおり。わたしはただ避けていたんだ」
目の前で肩を落とす男は、もはや俺がずっと苦手だった無口で偉そうな親父ではなかった。亡き最愛の妻を悼む、一人の憐れな老人。そう認識したとき、わだかまりは綺麗に解けてなくなった。
「分かったよ。俺も悪かった。アンタが……父さんが、ちゃんと母さんのことを悔やんでるって知れてよかった。俺はあれからもう、吹っ切れたからさ。仕方なかったんだって。だから色んな不幸にも鈍感になれた。父さんも、あんま気にしない方が生きやすいぜ」
「そうか……わたしもな。仕方なかったと受け入れてはいる。けれどどうしても、やるせない気持ちが襲ってくるときがある。いっそ、忘れてしまいたい。だが、これこそ《いとふまじ》だな。無関心でいることも必要だが、それだけでは本当に大事な時に踏ん張れない」
「……まぁ、これからは月一くらいで顔見せにくるよ」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで十分だ。さぁ、行ってこい。おまえはちゃんと、あの子を守ってやれ」
《いとまじ》について教えて欲しい、と言ったとき、親父はなにかを悟ったようだった。
白い髭の隙間から、パイプの煙を吐き出して「あの娘は来てないのか」と聞いてきた。火事のことを伝えると「そうか。生きているなら御の字だな」と、ぽつりとつぶやいた。
やっぱり、苦手だ。まともな言葉のキャッチボールにならない。親父はいつもそうだった。最低限の言葉だけで会話を済ませようとする。母親が泣き喚いたときも、俺が家を出たときも。期待したって無駄だ。
無意識のうちに抱いていた淡い期待に見切りをつけ、彼女となにを話したか尋ねると、親父はシワだらけの瞼を閉じてなにか唱え始めた。
「……ヒトはおもんばかりなく言ふまじきことを口疾く言ひいだし、ヒトの短きをそしり、したることを難じ、隠すことを顕し、恥ぢがましきことをただす。これらすべて、あるまじきわざなり」
「なんだよ。それ」
「『十訓抄』だ。習わなかったか? 否定の《まじ》なんかは、まず古文で習うだろう」
古典文法に則れば、《まじ》は終止形で、資料中の使われ方から禁止・不適当の意味だと考えられる。《いと》はそのままの意味なら「非常に」「たいへんな」と訳されるが、ここでは意味が通らないので、例えば「厭う」のような言葉の発声が訛りで消えていて、もとは《いとふまじ》(嫌がってはいけない)などの、戒めの言葉だったのではないか……というのが親父の推測だった。
「地蔵の前を通るときに繰り返し唱える習慣があるってことは、“くわばらくわばら”みたいに嫌なものに対処するためのおまじないと考えて間違いないだろう。もし《いとふまじ》なら、意味としては、“避けるべからず・嫌うべからず”となるから、嫌なものを遠ざけるのではなく、逆にそれを受け容れる意識を持つことで、その対象から味方と認識して貰ったり、庇護に入ったり、というような効果を願うおまじないになるかな」
唖然とした。こんなに口が回る親父を見るのは初めてだ。つくづく学者というやつは、自分の専門分野となれば生き生きするものだ……俺は礼を言って、すぐその場を去ろうとした。
が、立て続けに驚くこととなった。
「母さんのことは、すまなかった」
親父の口から出た言葉。今まで、一度も言われなかった言葉。どうして、いまさら?
「当時のわたしには、どうしようもなかった。だから、あの時は自分が悪いと認められずに、お前のことまで突き放した。あいつは仕事に蝕まれて、精神を病んでいたんだ。いま考えれば、入院させておけばよかったと思う。けどな、近くに居ればなんとかなると思い込んでいたんだ」
あまりに突然の告白に、俺は静かにそれを聞くことしかできずにいた。
「わたしがすぐそばにいたのに。ずっと一緒にいたのに、それでも死ぬことを選んだあいつを、許せなかった。ただただ、悲しくて……でもな。いまは分かる。わたしが間違ってた。近くにいるだけじゃだめだったんだ。適切な対処が必要だった」
「……俺の目から見て、あのときのアンタは自分の研究につきっきりで、母さんを蔑ろにしてるように見えたよ」
「そうだな。そうなんだ。わたしは、早く仕事を終わらせて、あいつと向き合う時間を作ろうとしてたつもりだった。けれど事実はお前の言うとおり。わたしはただ避けていたんだ」
目の前で肩を落とす男は、もはや俺がずっと苦手だった無口で偉そうな親父ではなかった。亡き最愛の妻を悼む、一人の憐れな老人。そう認識したとき、わだかまりは綺麗に解けてなくなった。
「分かったよ。俺も悪かった。アンタが……父さんが、ちゃんと母さんのことを悔やんでるって知れてよかった。俺はあれからもう、吹っ切れたからさ。仕方なかったんだって。だから色んな不幸にも鈍感になれた。父さんも、あんま気にしない方が生きやすいぜ」
「そうか……わたしもな。仕方なかったと受け入れてはいる。けれどどうしても、やるせない気持ちが襲ってくるときがある。いっそ、忘れてしまいたい。だが、これこそ《いとふまじ》だな。無関心でいることも必要だが、それだけでは本当に大事な時に踏ん張れない」
「……まぁ、これからは月一くらいで顔見せにくるよ」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで十分だ。さぁ、行ってこい。おまえはちゃんと、あの子を守ってやれ」
