この業界に入って早五年。

 私は二度目のドームライブの舞台に立とうとしている。

 自分で言うのもどうかとは思うが、私は今、「日本で一番売れているアイドル」である。



 幼い頃にとあるアイドルのPV(プロモーションビデオ)を見た。歌って踊って可愛く笑う画面の向こうの「アイドル」という存在に強烈な憧れを抱いた。

 子ども心に本当に可愛らしかった。そして美しかった。常に輝くような笑顔を振りまき見ている人に夢のようなひとときを与えるアイドルを見て、私もこんなふうに歌って踊りたい、見ている人たちを楽しませたいと思った。

「アイドル」になりたい。初めてそう思った瞬間だった。


 それから十年ほど経って、私は偶然にも今の事務所でオーディションが開催されることを知った。

 これはチャンスだと思った。私は親にオーディションが開催されることを伝え、出てみたいと頼んだ。

 当時は十六歳だった。高校一年になったばかりの頃である。親としては私にもっと高校の雰囲気に慣れたり勉強を頑張ったりしてほしいと思っていただろう。

 しかし私の頼みを聞いた親はそのようなことは一言も言わず、表情にも一ミリも出さなかった。

「本当にやりたいと思うなら、全力で頑張って来なさい」と、私の背中を力強く押してくれた。

 そして私はオーディションを受けに行った。一次選考、二次選考と順調に駒を進めていった。

 私は最終選考まで残った。

 なぜそこまで残れたのか今でも不思議でならないのだが、とにかく私は残った。

 最終選考は、事務所の社長だというおじさんと合格者のプロデューサーになるという女の人が選考者だった。

 これまでにない緊張感と威圧感に驚きつつも、全力で選考に挑んだ。

 その結果、全国から集まった数千人という応募者の中からたった一人、十六歳のなんの変哲もない女子高生がアイドルとしてデビューすることが決定した。

 それが私、アイドル・月永あかりである。


 アイドル・月永あかりが誕生してから、人気はうなぎのぼりだった。

 アイドル一年目で初めてリリースした楽曲は凄まじい人気を誇った。

 現代のシングルCDの売上枚数としては異例の百五十万枚を超えた。

 テレビ・ラジオでも大きく取り上げられ、普段通りの生活していてその曲を聞かない日は一日も無いというくらい、様々な場所で使用された。

 テレビの名だたる有名音楽番組やゴールデンタイムに放送される人気バラエティ番組に呼ばれるようになった。

 デビューしたその年の大晦日には、月永あかりは人生で初めての紅白歌合戦の舞台に上がった。

 これが、家族と一緒に過ごさない初めての大晦日になった。


 デビュー二年目には、初めての武道館ライブが行われた。

 チケットは即完。当日は武道館の座席が満員になり、武道館の外にもなんとかして月永あかりを見たいと望む人々が押し寄せた。

 続けて出した2nd、3rdシングルも絶大な人気になり、1stシングルに続いてCDの売上が百五十万枚を超えた。

 動画再生サイトでも順調に再生回数を伸ばし、ストリーミング総再生回数も億超えを連発していった。


 三年目には、初めてのドームライブツアーを敢行した。

 武道館ライブが超満員で、三年目でも事務所の顔として変わらず活躍を続けている月永あかりだが、ドームツアーでも同じようにいくとは限らない。

 月永あかりも三年目になり、人によってはそろそろ飽きてくる頃だからだ。すでに人が離れ始めている可能性もゼロではない。もちろん、日頃の人気ぶりを見る限り、月永あかりの人気に陰りなど全く無いのだが、万が一ということもある。

 事務所の関係者はそのような一抹の不安を抱えつつもドームツアー開催を公表した。

 結果、売り出したチケットは武道館ライブ同様即完。全国五箇所のドームをまわり、すべての公演で超満員、グッズもほぼ完売状態になり武道館ライブ以上の大成功を収める事となった。


 四年目には五枚のシングル楽曲をリリースした。すべて、CD販売開始から二ヶ月足らずで売上枚数が百万枚を超えた。

 更には、月永あかりの名前を冠したテレビ番組の放送が開始。最初は深夜帯での放送だったが、放送開始から三ヶ月後には放送予定が組み直され、ゴールデンタイム枠での放送になった。

 放送する時間帯が変わってからは視聴率も飛躍的に上昇し、朝の連ドラのように視聴率トップテンの常連番組へと成長した。

 この年も、月永あかりの異常なまでの人気を世に知らしめることになったのだった。


 そして今年、五年目。

 今年はこれまでにリリースした全楽曲と今回発表される新曲をまとめた月永あかり初の1stアルバムが販売される事となった。このためにすべての楽曲で新しいMV(ミュージックビデオ)を撮影した。

 そのことも大きな話題を呼び、このアルバムは瞬く間に売上が三百万枚を超えた。

 そして、この売上への感謝、支えてきてくれているファンたちへのお礼の意味をこめて、再びドームツアーを開催する運びとなった。

 今回は全国七都市のドームを巡るツアーとなっている。会場数がこれまでで最も多く、また、前回のライブよりも二割ほどチケット料金を上げていたため、事務所の関係者は流石に即完は無いだろうと考えていた。

 しかしその考えはものの見事に打ち砕かれた。

 今回もチケットは販売開始とともに売り切れ、グッズなどの予約もほぼ限界まで達した。

 想像以上の売上に社長が腰を抜かすほど驚いていたのは記憶に新しい。



 そして私は今、約五万人が集まったドームの舞台へと上がっていく。

 ドームが暗転、私の乗った装置がゆっくりと上がっていく。

 その先にあるのは二度目のドームステージ。

 数秒後、ゆっくりと上がっていた装置は止まり、ステージ上に到着する。

 イントロが流れ始め月永あかりは最初のポーズを決める。それとともにスポットライトが点灯。舞台上を煌々と照らす。

 ステージ上に月永あかりの姿が照らし出されると同時に観客席にいた観衆から割れんばかりの歓声が巻き起こる。

 煌めく無数のペンライト。それが月永あかりの歌に合わせて同時に動く。

 観客が私の歌を聴き、一緒に歌う。

 その光景はまさしく、私が幼い頃に夢に思い描いていた景色そのものだったのだろう。



 およそ二時間のライブで未発表の新曲を含めて十数曲を歌いあげた。観客からのアンコールで最後にもう一曲歌い、一箇所目のドームライブは大成功で幕を下ろした。



「お疲れ様。じゃあ、ライブ直後で悪いけど早速握手会の会場にいきましょう」

 楽屋に戻ってすぐ、そこにいたマネージャーにそう言われた。私は軽く汗を拭い取って水を口に含み、そのまま楽屋をあとにした。

 今回のドームツアーには、初めての試みがある。それがこの「握手会」である。それぞれのドームで観客の中から抽選で三十人が選ばれる。そして、その三十人はライブのあとに月永あかりと話したり握手をしたりプレゼントを渡したりすることができる、というものだ。

 私が握手会の会場に到着すると、そこにはすでに抽選で当たった観客たちが集まっていた。すぐにブースに入り、先頭の人から順番に言葉を交わしていく。

 感激のあまり言葉が出ず、ただただ涙を流す人。

 月永あかりがテレビで好きだと言った菓子をプレゼントとして持ってくる人。

 月永あかりのどこが好きなのかをとにかく伝えようとする人。

 月永あかりにひたすら頭を下げ、救われた、感謝していると言う人。

 二回目のドームツアーのお祝いにと花束を持ってくる人。

 様々な人が様々な思いを持って握手会にやってきた。

 老若男女、様々な人と握手をして最後。おずおずとやってきたのは中学校か高校の制服を身に着けた小柄な女子だった。

「……あ、あの、はじめまして。私、あかりさんがデビューしたときからずっと好きで、いつか会いたいと思っていたんです。なので、今回握手会に当選してものすごく嬉しいです。ありがとうございます」
「こっちこそありがとー!そうやって言ってもらえると私も嬉しい!ほらほら、せっかく来てくれたんだからもっと近く来なよ!」
「は、はい!」

 そして月永あかりはその女子と握手を交わし、写真を数枚撮った。

「ありがとうございます……!お会いできて本当に良かったです!……あの、一つ質問してもいいですか」

 月永あかりは目だけを動かし、会場の端に立っているマネージャーの方をちらりと見る。マネージャーが小さく頷いたのを確認して視線を女子に戻す。

「いいよ!なになに??」
「……実は、私、あかりさんのことを知ってからずっとアイドルになることが夢なんです。ただ、アイドルになるために何をすれば良いのかがいまいちよくわからなくて……。何から始めるべきか教えていただけませんか?」

 アイドルの姿を見てアイドルになりたいと夢を見る。目の前にいる女子のその姿はまさしく十数年前、アイドルを見て強烈な憧れを抱いていた私の姿と同じだった。

 アイドルは美しい。

 アイドルは可愛い。

 アイドルは輝いている。

 そう思い信じて疑わなかった、無知で、無垢で、ある意味一番輝いていたであろう過去の私をまざまざと見せつけられているようだった。

 そう感じたからなのか、それとも違う理由なのか、私自身わからない。

 しかし月永あかりは普通にアイドルらしくそれなりの答えを返せばいいはずのこの問いかけに対して、「月永あかり」としてではなく「私」として受け止めてしまった。

「私」個人として受け止めてしまったから、アイドルらしい、可愛くて聞く人に夢を与えるような回答はできなくなってしまった。

「……アイドルに、なりたいの?」

 私の口からは自分で思っていたよりも更に二十度は温度の低い冷ややかな声が出てきた。それを聞いた女子は少し目を見張り、驚いているようだった。

「えっと……あの、私、なにか変なこと言ってしまいましたか……?」
「あ、ううん、そういうんじゃないの。いやーそっかー!私を見てアイドルになりたいって思ってくれたんだ!すっごい嬉しいよ!」

 私はなんとかごまかして月永あかりとして答えようとしたが、その場で取り繕うことなどできなかった。言葉の端々に「月永あかり」ではない、「私」の感情が滲み出ているのを私自身が話しながら一番よく感じていた。

「…………ごめん。ちょっと無理だったわ。あのね、君に原因はないの。これはあくまでも私の問題。ついつい私の本心が漏れちゃっただけだから。君の言葉に怒ったとか、本当にそういうんじゃないから。心配しないで。ごめんね?」
「そう…ですか。それならいいんですけど……。あ、それで、その、どうすればいいと思いますか?」

 謝ったはいいものの一度剥がれてしまった「月永あかり」の仮面を被り直す気にはなれず、私は私のままでその質問に答えることにした。

「アイドルに憧れてるの?」
「は、はい。アイドルというか、ずっとあかりさんに憧れてます」
「そっか」

 少し息を整える。

 私は今から、おそらくアイドルになって初めて、人の夢を壊す。

 その決意を固めるのに少しだけ時間が欲しかった。

 深呼吸を二回。そして、口を開く。

「なら、アイドルにはならないほうがいいよ」
「え……?」

 目の前の女子は心底驚き、また、傷ついた顔をしていた。声には絶望が色濃く現れ、発言したこちらの心までも抉ってくるようだった。

 こうなることは想像できていた。想像できていてそれでも言い、そして自分でも人を傷つけたことに傷ついているのだから救いようがない。

「………………ごめん」
「…………それは、なぜですか」

 女子は今にも泣き出しそうな表情と声をしながら、それでも私に問うてきた。つられて私まで泣き出しそうになるがそこはさすがにぐっと堪える。

「……アイドルはさ、綺麗だと思う?」
「それは、もちろんです。綺麗だと思います」
「どこが?」
「それは、見た目とか、声とか、仕草とか……」
「そうだね。確かにそれは綺麗だよ。だって、綺麗にしてるんだもん。それで綺麗って言ってもらえなかったら悲しいよ。もうアイドル向いてないって思っちゃうよ」

 だって、アイドルには基本的にそういう部分が綺麗な人が選ばれているのだから。それに、もし綺麗でなかったとしてもそのような外見の綺麗さは自分で心がけたりお金を使ったりすれば誰でも作り上げることができる。大事なのはそこではない。

「じゃあ、アイドルの生活って綺麗だと思う?」
「アイドルの、生活……?」
「そう。アイドルの生活。どんな生活だと思う?」
「それは……」

 まあ、わからないだろう。わからなくて当然だ。私も実際にアイドルになるまではわからなかった。わかるはずがない。だって、生々しい部分は「偶像」という幻影で隠して見えないように加工しているのだから。

「簡単に例を挙げてみようか。そうだね、例えば、美容に気を使った生活をしてるって言ってるアイドル。あれ大半は嘘だと思うよ」
「嘘……」
「うん。朝から夜まで、歌や踊りのレッスン、次出る番組の打ち合わせ、番組の収録、アンケート記入、MVとか雑誌の写真とかCMとかの撮影、インタビュー、ライブの準備、他にも色々と仕事があって、売れれば売れるほどその仕事量は増えていく。終わりが日付をまたぐことなんてざらにあるし、食事を取れないような日が続くことだってある。そんな生活、美容に気を使えていると思う?」

 女子はうつむいている。どんな表情をしているのかはわからない。

「……いえ、思えません」
「だよね。私もそう思う。綺麗でいなきゃいけないはずのアイドルが一番綺麗からかけ離れた不規則極まりない生活をしているなんて、なんだか皮肉な話だよね」

 本当に、なんなんだろう。綺麗に気を使っている人ほどアイドルにはなれない。それが不可解で気持ちが悪い。

「それに、基本的にアイドルに自由なんてないしね」
「……自由が、ない?」
「うん。アイドルは誰にでも等しく受け入れられなければいけないし、受け入れないといけない。だから、もしこういう握手会とかでものすっごく気持ちの悪い人とか自分が嫌悪感を抱いてる人とかが来たとしてもスタッフが相手の人を止めない限りは他の人と同じようににこやかに対応しないといけない」
「確かに……そうですね」
「あとは、アイドルっていう仕事上、仕事場ではもちろん多くの人の目にさらされている。制作のスタッフさん、マネージャー、プロデューサー、共演者、そしてカメラの向こうの視聴者とかね。けれど、仕事場を出ても周りにいる多くの観衆の目から監視されているんだって言うことを意識して生活しなくちゃいけない。
 アイドルを一目見たいと願うファンの目。
 とにかく嫌いでやることすべてを否定したいアンチの目。
 アイドルなんかどうでもよくて興味ないけれどしっかりと認識はしている人の目。
 どうにかスキャンダルを掴んで週刊誌に売って成り代わりたいと虎視眈々と狙うライバルのアイドル・タレントの目。
 大スクープを取って大きな仕事を得たい記者の目。
 そういったたくさんの目に二十四時間三百六十五日晒され、監視され続けることになる。だから、一歩でも家や仕事場の外に出たら顔なんか晒せないし声も出せない。常に変装してできる限り普通の人たちの中に溶け込んで目立たないようにしないと、すぐにいろんな目に拘束されることになる。家だって安全じゃない。もし家バレなんかしたらすぐにいろんな人が押しかけて私の家を大衆に面前に晒そうとするからね。だから、多くの人の夢を壊さないためにも、自分の身を守るためにも、()は常に意識しないと生活できない」

 ついつい溜め込んだ鬱憤を晴らすようにだらだら話し続けてしまった。ふと気づいて口を閉ざし、女子に視線を向けると、彼女は顔を上げて、さっきと同じように今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「……そこまでして、自分を犠牲にして、『アイドル』を守らないといけないんですか……?」

 彼女の悲痛な声が耳に、そして頭に響く。

 そうだ。アイドルであるからには、そこまでしてでも「アイドル」というものを守らなければならないのだ。

「うん。だって、『アイドル』は『夢と希望と理想の奴隷』だもん」
「夢と、希望と、理想の、奴隷……」

 そう。それがアイドル。

「『夢と希望と理想の奴隷(アイドル)』だから、人の夢を壊してはならない。
 人の希望を穢してはならない。
 人の理想を裏切ってはならない。
 常に完璧を求めなくちゃいけないし、理想的で清純で無垢な偶像でいなくちゃいけない。
 好きなものを心ゆくまでお腹いっぱい食べることも、友だちと一緒に遊園地で遊ぶことも、外食しに行くこともできない。青春なんて期間、人生には欠片もない。彼氏なんかつくれないしデートもできない。子供を作るなんてもっての外。結果、常に孤独。アイドルをやめれば解禁されるけど、もうその頃には青春を過ごせたかもしれない歳なんて遥か彼方の過去に過ぎてる。もう普通の人生なんて過ごせない」

 一旦一息つく。目の前の女子は口を閉ざしたままだ。私の口からはまた言葉が溢れ出す。

「でもね、アイドルだって人間なんだよ。他の人と同じように感情も欲求もある。体型なんて気にしないで好きなものをいっぱい食べたいし、友だちと何も考えず他愛ないことでバカみたいに笑い合いたいし、恋愛して彼氏つくりたいし、セックスだってしたい。でも、アイドルを見る人のほとんどはアイドルに感情とか欲求があるなんて思っていない。アイドルの友だちの顔なんて平気で晒すし、彼氏ができたら裏切られたっていうし、仕事終わりにたまたま男性タレントとテレビ局から出てきただけで写真取られて彼氏だ熱愛だって面白おかしく騒いで読む人を煽るように書くし。どう考えても同じ人間に対する扱いじゃない。自分に対してそんな扱いをされたらプライバシーの侵害だって喚くくせに。何なの、自分のことは徹底的に守るくせにアイドルは守られないなんておかしくない?……結局、アイドルなんて一時担ぎ上げられて食い尽くされるだけの夢と希望と理想の奴隷なんだよ」
「……」
「さっき君は私に憧れてる、アイドルに憧れてるって言ってくれたよね。でもね、アイドルに憧れていられるのは、遠く離れたところから見つめているからなんだよ。ほら、月だってさ地球から見たら金色に輝いて見えているけれど、近づいてみたら本当は灰色で、地表はクレーターだらけでぼっこぼこで、なにもない不毛の地でしょ?アイドルも、遠くから見たら輝いて見えるかもしれない。私も昔はそう見えていたよ。でもね、実際なってみたら、これほど酷い仕事はないって思うよ。だから、私はアイドルに憧れている君にアイドルになってほしくない。できることなら、アイドルに失望せずにずっと遠くから憧れていてほしい。まあ、これは私のわがままだから、絶対にそうしろとは言わないけどね。でも、一回考えてみてもらえたら嬉しい」

 目の前の女子は泣きそうな顔を超えてもう泣いていた。何が彼女の涙腺を刺激したのかわからないが、何かを感じ取ったようだ。

「……いろいろと聞かせていただいてありがとうございました。あかりさんの話を元に、もっとこの先の進路について考えて見たいと思います」

 彼女はそれだけ言って頭を下げると、こちらに背を向けて会場を去っていった。

 彼女の背中が見えなくなると、マネージャーが静かに近づいてきた。

「長話をしてしまってすみません」

 マネージャーはそれには答えず、私に質問を返した。

「……なぜ彼女にあんなことを言ったの?」
「……怒らないんですね」
「……まあ、ね」

 マネージャーは苦笑を漏らす。

「……なぜ、ですか。なぜでしょうね。……私には彼女が、昔の私と重なって見えたんです。純粋に、何も知らずアイドルに憧れている無垢な女の子。そんなあの子に、私と同じような思いをしてほしくない。アイドルに失望しないでほしい。そう思ったから、私はあの子の夢を壊すとわかっていてもあんな話をしてしまったのかもしれませんね」
「……そう」

 マネージャーはそれだけ言ったきり、この件に関しては一言も発しなかった。



 アイドル。偶像。

 どうして私はそれになるという夢を叶えてしまったのだろう。

 夢を叶えたことを後悔するのは、とても贅沢なことかもしれない。ほとんどの人は夢を叶えるためのスタートラインにすら立てないのだから。

 そうわかっていても、私は夢を叶えるという決断をしたことを後悔せずにはいられなかった。