「あのシスコンばかあぁーーっ!!」

 無人のガルムの執務室で、ピフラは叫声を上げた。わなわなと身を震わせ、手にしたものを凝視する。黒地の封筒に獅子が刻印された金色の封蝋、王宮からの書状である。

 両眉が繋がりそうなほど、ピフラは眉根を寄せた。そして視線を素早く、文面に滑らせていく。
 王太子殿下の誕生舞踏会の招待状だ。
 この招待状にて指名された者は、必ず出席するようにとのお達しである。
 ピフラは愕然とした。今、手にしている物がまさにピフラ宛の招待状だからだ。けれどピフラの手には渡らず、今の今まで存在を伏せられていたのである。

 ──ガルムの仕業だ。
 魔王討伐後、彼の執着気質はさらに磨きがかかった。今やまごう事なき嫉妬と執着と束縛の権化となり、ピフラは行動範囲が制限されている。外出は必ずガルム同伴で、男性との接触は厳禁。ガルムの不在時は、半径1m以内に男性を近づけてはならないという規則まで設けられた。まあ基本的に出不精ゆえに苦慮する事もなく、甘んじて受け入れてきたのだが……。

 ピフラは招待状に視線を落とした。
 癖のある筆記体で文面が書かれている。王太子の直筆だ。
 この招待状は舞踏会に出席できるという権利ではない。指名された者への出席の義務付け、いわば命令だ。原則として欠席が許されるのは、身内に不幸があった場合のみである。
 もしピフラが欠席すれば、相当な非常識人間として王太子に認識されるだろう。そうなれば、社交界で除け者にされる日も遠くない。

 ──そ・れ・な・の・に!
 ピフラの体に力がこもり、招待状にくしゃりと皺がよった。
 開催日時は今夜17時スタート。時計を見やればすでに18時を回っており、舞踏会はとうに開始されている。
 何も知らないピフラは、執務室にいる(と思っていた)ガルムにお茶を持ってきたところだった。
 招待状を握りしめ、ピフラは部屋を飛び出す。そして屋敷のメイドを召集し、号令をかけた。

「大至急、支度をお願い! 単騎で舞踏会へ行くわ!」
「はい、お嬢様!」
 メイド達は、軍の隊員のように声を揃える。彼女達が狼狽する様子は微塵もなく、ドレスから装飾品までたちどころに用意された。その大部分がガルムからの贈り物で、赤色づくしである。彼の瞳の色だ。

 ──目立つ。死ぬほど目立つ。
 ピフラの婚活をガルムが妨害する事で、ただでさえ姉弟ともども悪目立ちしているのだ。これ以上は人目を引きたくない。

「今日は薄紫でまとめてもらえる?」
(なるべく壁に同化してやり過ごそう! 壁の花というか壁そのものになるのよ!)
 ピフラはメイドに指示を出し、全身淡色で武装した。これなら目立たない、はず。

「じゃあ、行ってくるわね。ガルムにばれる前に帰宅するから」
 そして疾風の如く王城へ向かうのだった。

 ◇◇◇

 舞踏会会場へ赴いたピフラは感嘆した。
 いつにも増して大広間は豪華絢爛で、年代物のワインやシャンパンが、次から次へと開けられていく。参加者の大半は高位貴族。彼らの装いもまた華美で目が奪われた。

「エリューズ公爵家のご令嬢、ピフラ・エリュむぐっ!?」
「しぃーっ! 呼ばなくていいので!」

 大慌てで手を伸ばし、ピフラはネームコールマンの口を塞いだ。
 エスコートなしで遅刻してきた令嬢など、物笑いの種である。せっかく壁に擬態できるよう着合わせてきたのに、あやうく台無しになるところだった。
 それから自力で開扉し、1人分にも満たない隙間からすり抜け入場する。そして、抜く手も見せず壁に貼り付いた。全身淡色コーディネートが功を奏し、人目を盗んで潜入できたようである。ここまでは大成功だ。
 あとは本日の主役、王太子レナート・ヘルハイムに挨拶するだけだが──彼は『ラブハ』のメイン攻略対象だ。

 金髪碧眼の絵に描いたような美男子。
 持ち前の包容力でヒロインを真っ直ぐに愛する、正統派ヒーローである。
 レナートルートの悪役令嬢ピフラは、彼にひどく執着していた。けれど、ガルムやヒロインを虐げている事が露呈し、レナートの手によって始末されて……。
 本当に、ろくな死に方がない。
 ゲームを回想して全身が総毛立ち、ピフラは自分の体を抱き締める。そして場内を回視し、レナートの姿を探した。

(レナート殿下に執着してると思われないように、さっさとお祝いの挨拶をして、とっとと帰ろう!)

 早々に彼を見つけなければ。ピフラは、ほろ酔い状態の人の間を縫っていく。金髪の男性の顔をしらみつぶしに確認して──いた。
 ひときわ大きな人山の中心に、凛然と佇んでいる。「いた!」ピフラの表情が晴れたが、しかし一瞬で陰った。
 レナートの傍らにガルムがいる。ピフラの舞踏会参加を阻止した張本人だ。

(どどどどうしよう、とりあえず隠れなきゃ! 来たのがばれたら100%責められる!)
 慌てて踵を返したピフラは、うしろの人間に顔をぶつけてしまった。赤くなった鼻頭を撫でると、相手の男は深々と低頭した。

「大変申し訳ございません。お怪我は?」
「あ、いいえ! 前方不注意だったわたしのせいなので」
 改まった物腰で謝罪され、ピフラは狼狽える。すると、男は目を見張って言った。

「あれ? ピフラ嬢、ですよね?」
「はい、そうですが……」
 誰だっけ? 記憶を検索するが、顔も名も一致する人物は見つからない。
 四方に目配りしたのち、男は問う。

「エリューズ公爵様はどちらへ? お1人ですか?」
「あー……今夜は別々に参加しているんです」
「へえ、珍しいですね」
「そ、そうですね。うふふふふ」

 空笑いするピフラの背中に、冷たいものが流れる。この人の口から舞踏会にお忍び参加していた事が漏洩したら大問題だ。ピフラの預かり知らぬところでガルムの耳に届いては、手の施しようがない。──逃げよう。爪痕を残す前に。

「で、では、わたしはこれで……」
 そう言って、そそくさと去ろうとした時だった。別の方向から語掛けられ、条件反射で静止してしまう。

「エリューズ嬢、お1人ですか? この前はお話できなかったので、少しお時間を──」
「うわぁ~! 一度お目にかかりたいと思っていたんですよ。噂以上にお美し──」
「公爵様はお留守で──」
「エリューズ公爵令嬢、わたしは──」

 ピフラが歩みを止めると、男がぞろぞろ集まってきた。
 次から次へ新顔が登場し、ピフラの目が回る。動物園のパンダにでもなった気分だ。
 普段通りガルムが同伴だったなら、こうはならなかったはず。良くも悪くも彼が男性を跳ね返すので、ピフラは平穏無事でいられたのである。

 ──だ、誰か助けてっ!!

 心の内でピフラは慟哭する。
 その瞬間、誰かが男性陣を掻き分けてきた。波が引くように男性陣が道を開け、中には顔面蒼白になる者もいた。人山はあっさり崩れ去る。身を竦めていたピフラは、安堵の溜め息をもらす。すると、頭上で耳慣れた男声がした。

「こんな所で何をしているんですか」
 驚駭し顔を上げると、赤く鋭い瞳と視線がぶつかって。眦を吊り上げた彼に、強引に抱き寄せられる。──ガルムだ。

「今宵はどんな言い訳を聞かせてくれるんです? 姉上」
 ガルムは皮肉な笑みを浮かべた。冷や汗舞踏会のはじまりである。