ピフラの脳裏にゲームの記憶が甦った。
 ヒロインとガルムのロマンチックな出会いの場面である。

 2人はとある夜会で出会った。
 異世界転移して間もないヒロインは、引取先の男爵家にドレスを見繕ってもらう。
 彼女の髪色に合った美しい黒のドレスは、会場で沢山の紳士達の目を引いた。
 初めての夜会で人酔いしたヒロインは会場からバルコニーへ。
 そこにいた男、それがガルムである。

 ガルムはとても控えめで、長い前髪の隙間からヒロインを見た。
 すると、彼の赤い目に気づいたヒロインが言うのだ。『わあ! 綺麗な赤い目ね!』と。
 そして、ガルムの返事は『貴女の瞳は何億光年も輝く星のようで──……

「200年間も封印されていたからか? 随分寝ぼけているようだが」

 ──え?
 ピフラの時が止まった。場所もシチュエーションも違えど、相手は見るからにヒロイン。
 ガルムが一目惚れする、麗しのヒロインだというのに。
 ピフラと同様に喫驚した様子の魔王は、猫撫で声で続ける。

「おっ……『お名前はなんていうの? あたし初めての夜会で緊張してて』」
「ああ、耄碌(もうろく)したか。なるほど」
「なっ……!? お前! お前は儂を愛して悪役令嬢(ピフラ)を殺す役目が──」

 魔王が言い終わらぬまま、ガルムが指をパチンッ!鳴らした。
 部屋中を銀光が奔り、魔王の体を四角八方貫いていく。その動きは、およそ常人の目ではとらえる事が出来ないもので。
 光の眩しさに瞳を細め、瞬く間の出来事だった。
 ピフラは口を開け、ただ呆然とする。
 状況を認識したのはガルムが戦斧を振り切った時。
 風穴だらけの魔王の体は、すでに一刀両断されていた。

「魔力、カク醒!? ナ……ッゼ……!?」
「お前の部下に殺されかけたおかげで」

 銀色の稲妻を纏うガルムが上品に微笑んだ。
 崩れ落ちた魔王の体は、断面が黒煙を燻らし骨灰となって散っていく。
 その途端、ピフラの四肢麻痺が解けた。
(た……助かった……)
 脱力したピフラは散りゆく魔王を眺める。
 すると魔王の頭がゴロンと反転し、ピフラを向いた。

《やはりお前の体を貰うしかない》
 ──魔王の声がピフラの脳で反響した。
「ゔっ……!!」
「姉上!?」

 痒い、途轍もなく痒い。まるで体内を虫が這いずり回るようでピフラは自身の首を掻きむしった。
 頭は脈のように脳が拍動して痛む。
 そして一瞬、視界が揺らいだ。
 幾度か瞬きをして焦点を合わすと、目に映ったのは自身の背中だった。
 実体のない体は体が透けて空中で揺らいでいる。

(何これ!? 《《わたしの体》》!?) 
《アッハハハッ! お前は未来永劫、その幽体で彷徨うが良い!》
 脳内で魔王の嗤い声がする。
 すると、ピフラの体(魔王)が幽体のピフラを一瞥し、ガルムの胸に飛び込んだ。
 
「ガルム! 怖かった!」
 魔王はピフラの体でガルムに抱きついた。
 大きな体をひしっと抱きしめて薄紫色の目を潤ませている。
 ガルムは抱きついてくるピフラ(魔王)を、ただ黙って見下ろした。

《ガルム! わたしはここよ! ガルム!》
 ピフラはピフラの体(魔王)を身を捩り後方へ引っ張ろうと試みる。
 けれど、幽体では体に触れるがスカスカと手を擦り抜け、触れる事敵わない。
 
「ガルムッ! わたし、とっても怖かった。助けてくれてありがとう。愛してるわガルム……」
 ピフラ(魔王)は尚も瞳を潤ませ、ガルムの頬に手を添える。
《わたしの体で勝手な事をしないで! ガルム、騙されちゃだめ!》
 怒り心頭で赤面したピフラが叫んだ。
 
 添えられたピフラの手に自身のそれを重ね、ガルムは赤い目を伏せて頬擦りする。もっと撫でろと欲しがるように、愛犬が擦り寄るように。
 しかしその面を見れば鼻と眉間に皺を寄せ、まさに苦悶の表情を浮かべている。
 初めて見るその表情にピフラは見入った。
(ガルム……それはどういう……?)
 空中のピフラは動きを止める。
 すると頬擦りをやめたガルムは、彼女の手を引き剥がし長嘆息した。

「姉上……」
 ガルムは長い睫毛で烟る瞳をゆっくりあげて、
ピフラ(魔王)の瞳を通り越し、幽体のピフラ本人に視線を送った。

「姉上に言ってほしいです」

 ──ボッ! 青い炎が音を立てて燃え上がり、ピフラの実体と幽体を包む。
 その瞬間、視界が揺れて無重力だったピフラに質量と重力が戻った。
 気がつけば、そこはガルムの腕の中で。

「ア゛ア゛ア゛ッ……」
 断末魔を上げ、魔王は青い炎と共に塵と化して消えていった。

 ──終わった。
 急に訪れた安堵で全身が弛緩して、よろけたピフラをガルムが抱き寄せる。
 温かな腕の中で彼に正対し、口を開いた。

「ど……して……?」
 ──わたしのこと、どうして判ったの?
 ピフラは感極まり、その一言さえ喉に痞える。
 するとガルムは陽だまりのような笑みを湛えた。

「愛ですよ。姉上」